人魚の余胤・あけぼの

「そんで俺らには気ィ遣って一人にしてくれてたようだが、どうも患者が多すぎて追っつかねェんだとよ」
 浴場も広く、数人ごとに別れて入浴しているのは把握していたが、ついに要望が来てしまったかと義勇は少し悩んだ。
 悪鬼滅殺を果たした療養中の蝶屋敷でのことだ。柱である不死川と義勇には一人ずつ入浴時間を充てがわれていたが、そうすると他の隊士たちがずれ込んでしまい全員入り終わるのに時間がかかるという話だった。確かに、纏められるならそのほうがいい。それはわかる。わかっていた。
 まあしかし、今は炭治郎がいるのだ。頼めば一緒に入ってくれるだろうと頷いて口を開きかけたのだが。
「だもんで俺とお前で纏めることにしたからなァ。二人なら入れんだろ」
 炭治郎に頼む前に不死川がすでに決めてしまっていたようだ。いや、確かに最近は病室も同じにされたので平時であれば全然構わないのだが、どうしたものか。
「……嫌な思い出でもあんじゃねェのかとは言ってたんだがァ……」
「誰がだ」
「お前だよォ。神崎が言うには昔から一人で入らせてほしいって頼んでたんだろォ。同じ柱の俺なら大丈夫じゃねェかとか言ってたが……俺ら一緒にするほうがどうかと思うわなァ」
 くつくつと小さく笑みを漏らしている。ここ最近は義勇相手でも不死川は笑ってくれるようになった。
 蝶屋敷で風呂に入るようなことはあまりなかったはずで、今回の療養では確かに一人がいいとは言っていたが。はて、昔からとは、と考えて、胡蝶カナエがいた頃はよく怪我をしたし何度か世話になっていたことを思い出した。そうか、彼女が気を回してくれていたのだろう。義勇にすら心を砕き、それを死した後も続くよう配慮して、残った者は忠実にそれを守る。繋ぐとはこういうところにもあるのかと感心した。
「まァ鬼殺隊なんか男所帯だし、色々あるんだろうとは思うけどよォ……近づかねェようにするし」
「………? 何の話だ」
「別に」
 不死川の言葉がよくわからず首を傾げたが、本人はふいと顔を背けるだけだった。だがまあ、患者を引き合いに出されては義勇一人の希望を利いてもらうわけにもいくまい。できれば事情を知る炭治郎が良かったが、あれは人気者だ。風呂に入る時間のみとはいえ、義勇の私的な頼みに付き合わせるのも申し訳ない。不死川がいいと言うのだからまあいいかと考えた。
「お前がいいのならそれで。見苦しいとは思うが」
 綺麗だと言ってくれたのは煉獄と炭治郎だったが、鱗が不死川のお眼鏡にかなうかはわからなかった。
 わざわざ世辞を口にしてくれなくてもいいのだが、ただ気味悪がるような目でなければいい。神妙な顔をした不死川は、それ以上何かを言うことはなかった。

 取り繕うことのできない男だなあ。
 ぼんやり考えた義勇は口元が緩むのを自覚した。
 広さのある浴槽で少し離れて湯に浸かった不死川から、見ないようにしながらも大層気にしているのがよくわかった。恐らく図らずも湯船に浸かるまでに見えてしまったのだろう。義勇が顔を背けている間、突き刺さる視線は雄弁に見ていることを教えてきた。顔を上げるとふいに視線はどこかへ行くのだ。
「祖先の遺伝だ」
 これを説明するのは何度目だろうか。幾度も話を聞いてくれる機会があったことに感謝しつつ、あと何回説明させてもらえるのだろうと考えた。
「そうかよ」
 びくりと肩が揺れたのは見ないふりをしてやった。やがて不死川にしては珍しく小さな声で痛いのかと問いかけてくる。気にしているのだ、怒ってばかりだった義勇のことすらも。懐の深い男だ。
「痛みはない。水に濡れると浮き上がるだけだ」
「……脚にだけ痣がかァ?」
「痣じゃない。これは鱗だ」
 ざばりと水面を波打たせて立ち上がった義勇は一応腰に手拭いを巻いてはいたが、流石に男の脚など見たくもなかったらしい不死川は顔を歪めて即座に目を逸らした。見苦しいのはわかるが説明させてもらえるのなら見てほしい。そう伝えると不死川はようやく顔を鱗へ向けた。
「信じ難いとは思うが、………、祖先に……人魚がいてだな」
 呪いでも何でもない、ただの鱗だ。脚がひれになるわけでも、水中で息ができるわけでもない。ただ家系に人魚がいることの証だとでもいうように、忘れることのないように現れる。不老不死も治癒をもたらすこともなく、ただ副作用だけが与えられる身体だ。もっと家系が続くなら、きっと未来の子孫は人そのものになるのかもしれない。
「………、いや、ちょっと近過ぎないか」
 股間の近くに真面目くさった不死川の顔が近づいていて、義勇は話よりも先にそこが気になってつい指摘した。無意識だったらしい不死川は弾かれたように距離を取り、悪いと小さく謝った。安堵した義勇は一先ず湯の中に座ることにした。
「見苦しいから隠したかっただけだ。気遣われてしまうだろう」
「……見苦しくはねェよ。ちっと驚くがちゃんとよく見たらきれ……立派なもんじゃねェの。人魚なんてもんが実在するとは思わなかったが、鬼なんてのがいたんだ。何だっているだろォ」
 不死川も人魚の存在を受け入れて信じてくれた。
 きれ、から始まる単語が何か、義勇は幾度か聞いたのを思い出す。
 もしかして、無意識に近距離で眺めるほどにそう感じてくれたのだろうか。凝視していたはずの不死川は義勇から思いきり顔を背け、罰が悪そうに顔を歪めていた。世辞でも慰めでも何でもいい。義勇は緩んだ口元を隠さぬままにやついた。
「っ、とにかく! まあ、何だァ。蝶屋敷も忙しいんだ、風呂は――」
「ああ、不死川となら入れると言っておく」
「……おォ。まあその、思ってたのと違う理由だったから気遣って損したわァ」
 がしがしと乱暴に頭を掻いた不死川は、どうやら思った以上に気を遣ってくれていたようだった。大雑把そうに見えて意外と繊細なのかもしれない。
「何だと思ってたんだ?」
「あー……いや別に、……お前も見苦しいとか言っただろォ。何かその、暴行痕とかあんのかと」
「まあ、そう捉えられもするか。しかし生傷の多い隊士からすれば茶飯事だし、別に」
「そっちじゃねェ……」
「え?」
「何でもねェ。知ってる奴は?」
 誤魔化されたまま言う気がないらしい不死川の問いかけに義勇はとりあえず羅列することにした。
 家族以外で鱗を知っている者。師とかつての兄弟弟子、煉獄、そして炭治郎。羅列した内の半分はもうこの世にいないことが寂しくもある。
「ふうん。まあまあ見てる奴いたんだなァ」
「そうだな、お前で五人になった。あと何人増えるんだろうな」
 不要なものだとばかり思っていたが、煉獄と炭治郎だけでなく不死川も言うのだから、他者から見て見苦しいものではないのだろう。それが嬉しくてつい頬も緩んでしまう。
「………。隊士の風呂に突撃でもするつもりかよ」
「話したことがなくても大丈夫だろうか」
「する気なんかい……まあ……別に、見せてもいいって奴だけでいんじゃねェの」
「お前以外は大体不可抗力だった」
「そうかい」
 兄弟弟子に見られた時も、煉獄の時も炭治郎の時も。見られたら仕方ないと思ったこともあるが、できるだけ隠そうとしていたことも事実だ。老い先のない未来に恥も何もないと開き直ったことも確かだが、不死川ならいいかと思ったのも事実であった。

「今から風呂か」
 廊下の向かいから現れた弟弟子に声をかけると、はいと頷きながら不審そうに不死川と義勇を見比べた。
「……えっ!? 義勇さん不死川さんとお風呂行ったんですか!?」
「ああ」
 湯上がりであることを察したらしい炭治郎が驚いたように問いかける。義勇の鱗を知っていれば確かにこんな反応にもなろう。義勇は理解していたが、不死川の顔は鬱陶しそうに歪んでいた。
「あの! 次は俺とも一緒に――」
「炭治郎早く行こうぜ! あ、こんにちは! 伊之助走るなって!」
「すぐ行く!」
 義勇たちを通り過ぎた炭治郎の同期と知り合いに挨拶をされつつ風呂へと向かうのを見送り、静かになったところで義勇は口を開いた。
「……お前は入りたがる奴が多いから」
「いや! この日は無理だと断ったら皆避けてくれます!」
「そうか」
 風呂に入るだけのことをわざわざ約束しなくてもいいのではと思わないでもないが、義勇も風呂に入るのを頼もうとしたのを思い出した。しかもこうと決めたら融通の利かない炭治郎だ、言うだけ無駄である。それを義勇はよく理解していた。
「………。つってももう決めちまったしなァ。隊士が柱と入りてェとも思えねェ」
「俺は入りたいです!」
「そうか。なら三人で入ろう」
 誘われて風呂に入るなど煉獄以降なかったことだ。今回の不死川とも風呂のおかげかまた打ち解けられたような気もするし、交流を持つには良い機会だったのだろう。それを義勇はずっと拒否し続けてきたのだ。何と勿体ない。
 だからせっかくの機会を設けてくれるのならば、義勇はそれに乗りたかった。義勇が頼むまでもなく炭治郎が一緒にと誘ってくれるのだから。
「……そうですね、楽しみです!」
「うん」
 気の抜けた笑みを見せた炭治郎に、義勇もまた緩んだ笑みを返した。
「煉獄が心配することはなかった」
「何がァ?」
「いや。内密にしようと言ってくれたが、炭治郎も不死川も気にしないでいてくれるから」
「………。あー……」
「……そうですね!」
 何故か不死川と炭治郎が目を合わせていたが、二人ともやけに正反対の反応を示していた。

*

「へえー……。そりゃまた色々透けて見える話だ」
「何が?」
「別にい。面白えことになってたんだなあ」
 誘われた温泉は貸し切りだというので、宇髄ならいいかと義勇も行くことを決めたのだが、まさか混浴だと思わずつい怖気づいてしまった。
 今まで好意的に受け止めてくれたのは皆男だったから、女性に見せるには少々見苦しいやもしれぬと今回ばかりは風呂に浸かる前に宇髄に進言した。
 怪我など見飽きていると笑う宇髄にそうではないと否定すると、不思議そうにしつつも気を配ってくれた宇髄は奥方三人を後から入るように声をかけてくれた。先に宇髄と露天に向かった義勇は、助かったと溜息を吐きつつ湯を被ったのである。いや、そもそも混浴などというのがおかしいわけだが。
「随分派手な彫り物入れてんなあ。……いや、違うのか。何だそれ」
「鱗だ」
 さらりと口にした義勇に宇髄が色々と質問攻めにしてきた感想が先程の言葉である。今までの話で透けるものとは何なのかわからないが、元忍であるが故に見えるものもあるのかもしれない。それともそんな仰々しいものでもないのかもしれないが。
「馬鹿になった煉獄は面白かった」
 柱の貫禄すら見えていた煉獄が恥ずかしがる様子は可愛げがあった。
 今になって思えば、煉獄には憧憬以外の想いも抱いていたのかもしれないとひっそり考えた。この鱗が綺麗だと言われて、好きだと言われて、義勇は自覚していたよりも嬉しかったのだろうと思う。好奇心を抑えきれずに血を舐められたのは初めてだった。人とは違う何かに対して、忌避するよりも好奇心が勝つ。それが嬉しかったのだ。
 錆兎は励ましてくれた。お前の脚は変じゃない、格好良いのだと言って奮い立たせようとしてくれた。炭治郎は義勇らしくて似合っていると言ってくれたし、不死川は立派なものだと言ってくれた。では彼は。
 宇髄は何と言ってくれるのだろうか。
「くくっ……、足し算出来ねえ炎柱……隊士がいなくて良かったなあ、その場に居合わせてみたかったぜ。煉獄とはそれっきりか?」
「三度ほど藤の家紋の家で共にした。炭治郎とも入ったし、不死川は療養の途中から……」
「成程ねえー」
 常より更に楽しげな顔を晒して、宇髄はにやにやと口元を緩めて義勇の顔を眺めていた。
「糞地味な野郎かと思ってたのに、そんな派手なもん隠しやがって。勿体ねえな」
「―――、」
「今度は不死川たちも誘ってまた来ようぜ。我妻らに言うかはお前が決めな。……何だよ」
 勿体ないのだと。
 鱗を隠すのが。人である以上脚など隠していることが多いというのに、宇髄は着流しを着ることが多くなったからそのせいだろうか。裾から時折見える膝下は、隊士だった頃には隠されていたものだ。
 胸を張れ、格好良い、綺麗だ、義勇らしい、似合っている、立派なもので、勿体ないもの。全部義勇の鱗を肯定する好意的な言葉だ。
 祖先が人魚である恩恵など義勇にはてんで有りはしないと思っていた。生命力の強い人魚のままであったなら、両親も姉も死ななかったのにと余計に塞ぎ込んでいたこともあった。気味悪がられた鱗が嫌になったことだって、義勇にはあったわけで。
「嬉しい」
 緩みきった口元でそう告げれば、宇髄はしばし義勇を見たあと目元を覆って天を仰ぎ、大きな溜息を吐いた。
 人魚の鱗は綺麗なのだ。きっと番った祖先も目を奪われてしまったのだろう。その血が流れているのは決して忌むべきものではない。
「……あ。馬鹿になった煉獄のことを喋ってしまった……」
 当時はあれだけ恥ずかしがっていたのだから、他人に知られるのは嫌だろうと炭治郎に口止めしたというのに。宇髄が面白がるのが嬉しくて楽しくて、義勇自らばらしてしまっていた。
 ぽすんと頭に重みが乗る。宇髄の手が乗ったようだった。
「ま、俺は煉獄とは仲良かったから」
 む、と眉根が寄った。義勇では入り込めない友情というものがあるのだと言われているように聞こえたが、宇髄は笑みを見せたままだ。
「でももう言ってやるなよ。あいつはお前と二人の秘密にしておきたかっただろうからなあ」
「そうか……仲が良いとそんなこともわかるのか」
「ちょっと違うが、まあそうだな」
 煉獄は義勇の鱗を生涯黙っていてくれた。ならば煉獄の珍しい姿は義勇の胸の内に秘めておかねばならないだろう。炭治郎と宇髄に話したことは許してもらえるだろうか。彼岸に渡れば文句を言われてしまうかもしれないが、それも粛々と受けるつもりもあった。

「無惨に効くなら喰わせる手も考えたことがある」
 一か八かで試せるようなことではなかった。
 胡蝶のように長年の研究から導き出された効果の保障などもなかったし、副作用が効かず回復だけをさせることになってしまったら、もっと手に負えなくなってしまったらと思うと実行には移せなかった。義勇はその時すでに水柱としての自覚を持っていたのだから、仲間を危険に晒すような裏切り者にはなってはならぬと固く決めていたのだ。
「鬼の首魁を馬鹿にさせるって? いや逆にあんな力のある奴が馬鹿になったらやばくねえか」
「そうだな。副作用が効かなければただの餌にしかならんのも駄目だった。だが、まあ、もし効いたとしたら……あの触手で自分の身を雁字搦めにして自滅したら良かったのにな」
「やべえな。派手に馬鹿な絵面だ」
「冨岡さんって結構変な発想するんですねえ」
 宇髄との会話がひと段落した頃入ってきていた奥方三人は、義勇の鱗を見て興味津々に目を輝かせた。
 貸し切りとはいえ同じ露天に女性が入るのは如何なものかと今も思っているし、触ってまでくるのは本当にやめてほしいと思うが、喜ぶと宇髄が言ったとおり彼女たちも好意的に受け入れてくれた。
 血を舐めてみたいと騒ぐ須磨から距離を取りつつ、元々馬鹿だと窘められている様子を見て義勇は笑ったし、対無惨との戦い方についての話で笑われたのも楽しいものだった。
 副作用だけが残った血肉も、今では卑下することなく笑いの種として受け入れられている。
 人は意外と義勇に優しいのだ。それを思い知るのに随分かかってしまった。もっと義勇が歩み寄っていれば、彼らはもっと心を寄せてくれたのだろう。もっと早くそれに気づいていれば良かったと後悔はずっとし続けているが。
 それを今生で少しでも知ることができたのは、有難いことだった。