機械と煩悩

「桜庭。メールの使い方を教えてくれ」
「えっ……」
 入学式が終わり、王城大学アメフト部への入部手続きを済ませた帰り際のことだ。隣を歩いていた進が耳を疑うようなことを頼み込んできた。
「メールってお前……あれは機械だからやめとけよ。何なんだよいきなり」
「おかしくならない機械を頼む。小早川がアメリカにいる間の連絡方法を模索している」
「おかしいのはお前なんだよ! って、セナちゃんとの連絡?」
 成程、そこかあ。理由は確かに一瞬で理解できた。手書きの文字は読んでいて楽しいらしいが、エアメールでは時間がかかるというのもあるし、早いやり取りができるのはメールだ。文体も砕けて気安くなりやすいのではないかと桜庭も思う。
 卒業パーティーの翌日から、先行して桜庭は進とともに王城大学の練習に参加していた。その初日の帰り際、瀬那との関係が変わったことを桜庭は教えられた。
 いつの間にだとかいつ自覚したのかとか、自覚した時点で教えろよだとか、色んな意味で突っ込みたいところはあったのだが、どうにも進自身も何やら誤解をしていて言えなかったと言うのだから仕方ない。確かにいまいち感情が読み取れない時もあったし、桜庭が気づかなかったのも隠していたらしい。
 モン太と瀬那が男女の仲。どんな勘違いだよと呆れたものだ。いやまあ確かに仲は良いけれど、そもそも泥門は皆瀬那と距離が近いだろうに。
 確かに傍から見ていても瀬那に特別な好意を抱いていると怪しんでしまう者がいたりはするが、それでも瀬那自身は進が好きだ。瀬那の行動を見ていれば気づきそうなものだが、進は恋愛経験などなさそうだからやはり仕方ない。悩んでいたなど普通の男子らしくなったものだ。仏頂面でも浮かれているのが久しぶりにわかったのは少し安心した。
 見えていなかった節穴は、それでもはっきり告げたというのだから男らしくはある。
「セナちゃんはメールが良いって言ってんの?」
「いや。文通ができるようになるとは言っていたが」
「あー、そりゃいいね。お前手書き文字好きなんだったら文通にしときなよ。破壊せずに済むし」
 今日も元気に自動改札機を壊してきたのだから、メールなんて一生かけても使えるようになるか怪しい。瀬那に迷惑をかけるくらいなら時間をかけて届く手紙にすべきだろう。しかし、可愛い彼女と一分でも早く長くやり取りをしたいと思う気持ちは非常にわかる。
「うーん……パソコン室のパソコン借りて……いや駄目だ、設備破壊で弁償させられそう。えーと……破壊前提に安い携帯買ってみるか?」
「勝手に壊れないものなら」
「お前が壊してんだって。とりあえず一応付き合ってやるけど、無理そうってなったら切り上げるからな」
「わかった」
 面白みのない真面目男というものが許容できるなら、機械音痴だけが進の短所だ。だがその機械音痴が圧倒的なデメリットとなっているのだ。瀬那なら許してくれるかもしれないけれど、許してもらえるからといって彼女が迷惑に思わないという訳ではない。
 いや、待てよ。桜庭はふと思い至った。そもそも筋肉で人を識別する進が、瀬那だけは特別に見えているのだった。瀬那宛のメールというだけの用途であれば、使えるようになるのではないだろうか。何なら他の機械も瀬那のために使うのなら。
「よし、お前セナちゃんに英語教えてるよな。その時お前もメールの使い方を教われ。セナちゃんに送るだけなら壊さないかも」
 何なら瀬那の携帯電話を借りるのも手だ。いや、やはりそれは時期尚早か。壊したら弁償だけでは済まないほど幻滅させてしまうかもしれない。それは桜庭としても本意ではないし。まあ、恐らく瀬那も相当進のことが好きだろうし、あの時のヒーローぶりを思い返してくれれば好感度はマイナスにならないかもしれない。たぶん。
「……いや……、」
 言い淀んだ進の目がほんの少し揺れた。えらく珍しい反応をしたが、何だよ、と桜庭は問いかけてみた。逡巡するように進は一瞬だけ口をまごつかせたが。
「機械の調子によっては情けない姿を晒すことになる」
「お前が壊してんだってば!」
 やたらと繊細な男心のようなものを口にした進に感動したいのに、その後の頓珍漢な発言に突っ込むことを優先させてしまった。進曰くおかしくなった機械に当たる確率が高過ぎるので、運の悪い自分を瀬那に見られるのは嫌ということだろうか。いや単に馬鹿力で壊しているだけなのだが、本人の認識はそうなのだから一先ず置いておく。まあ確かに、好きな子には格好良いところだけを見てもらいたいだろう。桜庭にも覚えくらいある。
「……セナちゃんと会う時一回だけついてっていい?」
「構わないと思うが」
 実直で社交辞令も言えない進は、こういうところで素直な反応を示すから桜庭は嫌えない。今も瀬那の都合を考えただけで、進は桜庭を邪魔扱いはしないのである。まあ、どうせ桜庭が進ではなく瀬那に直接聞いていたらまたひっそりと怒るのだろうが。
 一度きちんと第三者から進の機械音痴ぶりを伝えておかねばならないだろうと無駄に責任を感じてしまったので、桜庭は一度だけ二人に割り込むことにした。

「――まあそういうわけで、壊してることを頑なに認めないんだこいつは」
 さほど口数が多いわけではないくせに、桜庭が話すごとに何かと進が口を挟もうとするのは瀬那がいるからだ。一緒に来るのではなく桜庭だけで会いに来ればよかった。手のひらで口を塞いでいなければすぐに弁解しようとするのがそろそろ面倒臭い。
「覚えてない? 確か進が東京MVP獲った時、うちの社長から渡されたパソコン二秒でぶっ壊してたんだけど」
「……あ、ああ。そういえばありましたね」
 衝撃過ぎたのとベストイレブンに選出されたのとで頭から飛んでいたらしい。怖くて忘れようとしていたのかもしれないが。
「半端なく腕力があるから余計に壊しやすいかもしんないけど。セナちゃんのためなら慎重になるかなと思って、教えてやってほしいんだよね。勿論俺も教えるけど」
 ただでさえ試合でも骨折する選手が出るほどのタックルを繰り出す男だ。瀬那自身は一度も怪我で退場、などということはなかったが、機械を壊す調子で瀬那に触れでもして怪我をさせたらと思うと非常に心配になった。不満げにしていた進にそれを伝えると本人は思うところがあったのか黙り込んだが、同時に瀬那が照れてしまった。初々しい反応で口元が緩んでしまう。
「たぶん慣れるまで壊すと思うから、はい予備」
「こ、こんなに……え、ぼ、ぼくが持つんですか?」
「いや、一旦渡したらセナちゃんの物だって認識できるかなって思って」
 ストレート型の携帯電話を折り畳もうとしたり、一つを二つに分けようとしたり、自動販売機などボタンを押す指の力で壊してみせた猛者だ。そんなところで猛者扱いするのも虚しいというのに。
 言い過ぎて怖がっていたりしないだろうかとふと瀬那へと目を向けると、携帯電話を入れた袋に顔を埋めて肩を震わせていた。
「良かったな、怖がってないみたいだ」
 小さく笑い声が漏れていたから笑っている。しかも堪えきれないといったような様子だ。今の今まであまり機嫌がよろしくなかったというのに、瀬那が笑っていることに気づいた進の空気は柔らかいものになっていた。
「す、すみません……また笑っちゃって……」
 ツボなのかもしれない。それならそれで壊し続ける毎日でも楽しく過ごせるかもしれないが、人間限度というものはある。いくら瀬那でも連続すればうんざりもしてくるだろう。やはり瀬那が笑ってくれるうちに一刻も早く克服すべき部分である。
「お前壊さなくなるまでセナちゃんに触るなよ」
「わかった」
「えっ」
 自分でも驚いたのか、瀬那は自らの口を手で覆った。思わず飛び出た声なのだろうということがわかる。予想外の反応だったのか、進まで目を丸くして驚いていたが。
「……勿論セナちゃんが触りたいって言うならその限りではないけど」
「………っ! ち、ち、違います!」
 真っ赤を通り越してぼんと頭が爆発したように見えた瀬那は、そのまま桜庭と進を残し土煙を上げてずぎゃんと光速で走り去っていった。よほど恥ずかしかったというのは伝わったが、殆ど二人で話せないままで申し訳ないことをしたと反省した。触りたいというのも否定されたままになってしまったし。
「ごめん、せっかく会ってたのに」
「いや。……壊さないよう全力を尽くす」
 瀬那のおかげで進が機械音痴であることをついに認めた。
 まあそれはそうだ。そりゃあ触りたいよな。好きだと自覚している相手には男女の程度の差はあっても、触りたいと思う気持ちに間違いはきっとないはずだ。
「はは、良かったな進。あ、いや全力を尽くしても全力は込めるんじゃないぞ」
「わかっている」
 進の機械音痴を見せたら引くのではないかと思ったが、瀬那はむしろ面白いと感じていたようだし(実際目の当たりにするとまた変わるかもしれないが)、やはりストーカーから助けるという最高好感度を稼いだせいで印象が悪くならなかったのではないだろうか。あばたもえくぼというものなのかもしれない。
「……いや、でもさあ。これで最初から壊さないでいけたらお前、煩悩で克服したことになるな」
「………。違いない」
「まじかあ」
 進自ら触りたいと思っていることを暗に教えてくれるとは思わなかったが、瀬那の前では進もただの男になるのだから、恋の力は偉大である。
 後日申し訳なさそうに、恥ずかしそうに現れたという瀬那から渡されて進が持ち帰ってきた携帯は、結局真っ二つになっていたので一日二日では無理なようだったが。

「セナー、それ何?」
 三年になった瀬那たちも未だ部室で勉強していると聞いた鈴音は、結局通い慣れた泥門アメフト部室に顔を出し、一緒に勉強をして、息抜きついでに瀬那を寄り道に誘い出すことにした。
 ファーストフード店で席を取り、落ち着いたところで鞄からはみ出している可愛げのない袋に目が止まった。
「あ、あー、これは。携帯電話」
「中身全部? もしかして妖一兄の?」
「違うよ。これは進さんの……」
 確か蛭魔は山ほどの携帯電話を所持していたはずだったが、そちらだったか。少し前に照れながら進との関係が進展したことを報告された時は鈴音も喜んだものだ。
「言っていいのかわかんないけど……」
「何よ、言い触らしたりしないよ!」
 そもそも進との付き合いも、鈴音は他の皆には聞かれてから答えればいいと提案したのである。モン太にだけは応援してくれたから報告しなければと言っていたが。
 あの卒業パーティーの日、モン太はまもりに告白して振られていたけれど、それでも吹っ切れた顔をして戻ってきていたのだ。男の意地とかいうものかもしれないが、必要以上に気にするよりは普通に報告したほうがモン太も気が楽なのではないかとも思う。実際モン太は瀬那の報告に喜んでくれたし、他のメンバーには言わないというのも理解してくれた。口を滑らせることもよくあったが、成長したものだと鈴音は思う。
 まあ、この場にいないモン太のことは一先ず置いておいて。
「そうじゃなくて……えーと、進さんて機械音痴で……メールを覚えたいんだけど、確実に壊すからって桜庭さんが大量に予備を……」
「どんだけ壊すのよ……」
 溶接されている部分を開けたり、真っ直ぐのものを折り畳んだり。人間の腕力では無理なのではと思うようなことを言っているが、そういえば進のベンチプレスは栗田より少し軽い程度の記録だと聞いたことがある。恐ろしや怪力。いや栗田は使えているのに何故。瀬那は怪我とか大丈夫なのだろうか。
「桜庭さんはぼくの持ち物だったら壊さないかも? って考えらしくて、とりあえず渡されたから持ち歩いてるんだけど」
「へえ。手繋いだら手がバキバキにされたとかやだもんね。気をつけてよセナ」
 完治までアメフトもできなくなってしまう。改善しようとしてくれているのだから、瀬那も手伝うことにしたのだろう。しかし、片っ端からとはまた酷い有様だ。力加減が苦手なのだろうか。
「や、進さんは……」
 じわじわと瀬那の頬が染まっていくのを見て、鈴音は惚気を期待して言葉を待つことにした。
「……壊さないようになるまでぼくに触らないって言うから……」
「機械音痴すぐ治るのかな! 最悪一生そのままかもしんないよね」
「そ、そうだね……ぼくもつい、えって驚いちゃって……完全に触りたい変態だと思われちゃった……」
 耳まで真っ赤になった瀬那がテーブルに突っ伏し、小さな声で呟いた一言に鈴音は楽しげに笑みを浮かべた。
 瀬那だって進が好きなのだから触りたいと思っていてもおかしくなんてないはずなのに、それが進自身にばれたのが恥ずかしかったようだ。羞恥のあまりその場を逃げ出し、日を改めて会った時も落ち着かなかったという。進がいつもどおりだったので余計に。
 いや可愛いな。照れている瀬那が果てしなく可愛い。親友としてのフィルターが掛かっていようと可愛いものは可愛い。恋をした時点で可愛くなっていた瀬那は、想いを遂げたあと更に可愛くなっている。
「でも、向こうも触りたいって言われて嬉しかったんじゃない?」
「言ってはないよ! で、でも驚いてたよ……ぼく逃げちゃったし」
「じゃあセナもその後の彼の反応は知らないわけだ」
 頬を染めたまま瀬那は困り果てた顔をした。触りたいと進に思われていたとしても、瀬那自身は嫌な気分ではないのだ。何せ好きな人なのだから当然だろうけれど。
「そういえば付き合ってから対戦してないよね。もしかしたら試合でも手加減されちゃうかもー! なんてね」
「………。ないと思うなあ」
 ないほうがいいと瀬那が続ける。普段控えめでビビリの瀬那だが、試合の時だけは怖さよりも戦いたいという気持ちが上回る。付き合うようになったとしても進がそんな理由で手を抜くなどとは考えられない上に、そんなことになったら瀬那はがっかりするのだろう。
 きっと普通の恋人同士なんてものではない。けれど瀬那はそれが良いのだ。