噂の彼女

「なあ、今日大和の彼女来るんだって?」
「まあな。去年は向こうも学祭被って来なかったからな」
「アメフト界隈で有名人なんだよなー? 女子選手ってだけでも凄えのに」
「それ聞くまで俺架空の恋人かと思ってたわ。全然話さなかったし、急になんか話し出したけどさ」
「イマジナリー彼女か……ヤバい奴じゃん」
「いや、まあそれは……」
 訳知り顔の十文字が言葉を濁した。
 最京大学祭である本日、俺たちのゼミはたこ焼き屋を出店している。鉢巻を巻いて法被を着てゼミ仲間で衣装を合わせていれば、それなりに気持ちも一丸となれるような気分になってくるものだ。
 ゼミ仲間には最京の運動部でも強豪、そして色物が多いと評判のアメフト部員が二人いる。その中でもエース級の実力者である大和と、不良っぽさがあるもののレギュラー争いに食い込めるくらいには実力のある十文字だ。仲が良いのか悪いのかよくわからないが、十文字に言っておけば大和に伝わる程度の間柄でもある。
「写真見たけど普通の子だよねー。大和くんてもっとこう……ほらいるじゃん、アメフト部のマネージャー? 綺麗な人。男はああいう人好きでしょ? だから恋人もキレイ系の人なのかなって思ってたんだよね、背高くて見栄えするしさ。意外だったなあ」
 鉢巻をリボンにして頭に飾り男子と同じく法被を着た女子が、巻き髪を纏めながら口にした。彼女自体がキレイ系と称されそうな見た目だが、意外とノリが良くスポーツ観戦も好きらしい。アメフトはルールがわからないと言っていたが、ゼミ内に部員がいることで興味は湧いているという。
「まあ大和モテるしな、そういうキレイ系とやらからも誘われたりしてそう」
「でも可愛いじゃん、地味っぽいけどさ」
「大和くんとは違う系統なのよ」
 二人を見た人はこんな感じの意見が出る。男は大抵可愛いかそうでないか、おっぱいがでかいか小さいかくらいの話しか出てこない奴も多いが、女子はやはり見る目がシビアだ。彼女単体で見れば可愛いという子もいるのだが、大和の彼女と紹介されると首を傾げるという意見、そもそも大和の彼女という存在が不評であり、更に実態が地味な女子なのが余計に気に食わないという女子もいるらしい。
「大和が惚れ込んだんだよ。試合のあとチームの前で公開告白しやがったんだからな」
「さすが帝王、やること違うねえ。まあでも正直、好きなスポーツ一緒にできる時点でめちゃくちゃ嬉しいよな」
「確か高校も大和くん強豪だったんだよね? 敵なしだった大和くんの前に颯爽と現れて勝っちゃう女子とか印象的過ぎる……そこらの着飾った女なんか勝ち目ないじゃん。騒いでる奴ら本当何も見えてないったら」
「しかもゴリラじゃなく可愛いから。つうか大阪にいたとかいう女子選手も写真見たけどめっちゃ可愛いよな! 何なのアメフト選手って可愛い子集まんの!?」
「知らねえよ、大和に聞け」
 どうも大阪にいた女子選手も大和の知り合いなのだそうだ。東西の女子選手二人は仲が良く、よく連絡を取り合っては遊んでいるらしいと十文字は言った。関西の女子選手が高校卒業を機にアメフトを辞めたことで、大和の彼女も非常に落ち込んでいたらしい。
「あっ、アイシールド21!」
「わっ、あ、ど、どうも」
 たこ焼き屋の正面、少し離れた位置で声をかけられた女子がぺこぺこと何度も頭を下げている。ぶつかったとかではなく、単に握手を求められてのことのようだ。あいつまた、と十文字が呆れたような声を漏らして名を呼んだ。
「おいセナ!」
「あっ、十文字くん久しぶり!」
「何やってんだ。一人で来たのかよ?」
 握手を終えて人波から声をかけた十文字に気づき、嬉しそうにこちらへ飛び込んできたのは大人しそうな女の子だ。化粧っ気はなくとも唇だけは色づいていて鮮やかで、服装も落ち着いた地味なものだが大きめのトップスに下はスキニーパンツで、健康的な脚のラインがしっかり強調されていてつい目がいってしまう。
 アイシールド21。小早川セナ。例の大和の彼女だ。
「い、いや鈴音たちと来てたんだけど、途中で逸れて……はは……」
「お前まだそんなことやってんのかよ! 瀧のせいかと思ってたのに」
「い、いやあ、人が多くて……凄いね、炎馬も多いと思ってたけど」
 頭を掻きながら口元を引き攣らせた大和の彼女――小早川セナは、元チームメイトらしい十文字に気安げに話しかけていた。
 こうしていざ目の前で見ると、大和の彼女という存在が気に入らない女子たちが駄目出しをするほどには思えなかった。
 というか写真で見るより可愛くない? と俺としては思うわけだ。笑うと可愛いのかも、とまじまじと観察してしまっていたら気づかれたらしく、目が合った小早川セナが会釈をくれた。
「そういや去年も多かったな。なんか有名らしいぜ、最京の学祭。お前飯食ったか? たこ焼き食えよ、あいつ今容器取りに行ってるから、帰ってくるまで話し相手になってやるよ」
「ありがとう。戸叶くんたちは?」
「あいつらは明日来るってよ」
 ささやかなイートインスペース……という名のたこ焼き屋の前のベンチだが、自信作だと張り切る十文字の様子に小早川セナは笑い、ぺこりとまた会釈をしてベンチに座って受け取ったたこ焼きを食べ始めた。その近くに十文字が寄り話しかけている。
「えー、本物可愛いじゃん。十文字くんがあんな甲斐甲斐しいの初めて見たんだけど?」
「わりと世話焼くの好きなんじゃねえの? 大和にもたまに小言言うし」
「あ〜? チビカスじゃねえか、来てやがったのか」
「あ、阿含さん……こんにちは」
 たこ焼きを放り込んだ口をまごつかせながら、セナは悪名高い金剛阿含に挨拶をした。
 アメフト部は色物が多いと評判ではあるが、金剛阿含は色物というより取り扱い注意な危険人物だ。女を寝取られたと嘆いても喧嘩で勝てるわけがないと泣き寝入りする男も数多く、トップクラスの問題児。そして性格が悪い。美人にはセックスするまでは優しいらしいと評判の糞野郎だ。ワルにハマる女子には最高の男なのだろうけれど。
「おい、お前ちょっとまもりちゃんにバニー着てくれって懇願しろよ。頑なに着ねえんだよつまんねえ。ついでにお前も着ろ。客寄せして俺の金稼げ」
「は、え、ええーっ! い、いやいやいや、何を。ていうか他校なんですけど……しかもぼくで客寄せとか無理だし。まもり姉ちゃんも嫌がってるなら、」
「うだうだうるせえんだよ、俺がやれっつったらやれ」
「えええ……いやその……嫌、です……ひいっ!」
「おい、嫌っつってんだろ。勝手にセナを客寄せパンダにすんな」
 頭のてっぺんから手のひらで抑えつけられた小早川セナを助けてやりたくとも、俺だって金剛阿含は恐ろしく物申した十文字頼りでしかなかった。というか結果的に怯えているが、それでも嫌なものは嫌だと他ならぬ金剛阿含に言える根性が凄い。本当に。
「フー……本当に乱暴者だな、きみは。セナくん、それよりうちのバンド演奏見に来るといい。昼からステージでやるんだ」
「えっ、あ、赤羽さんこんにちは。いたたっ」
「離せよこのドレッド野郎が!」
 更にたこ焼き屋に現れたのは赤目のイケメン、赤羽隼人だ。彼は特に問題児というわけではないが、色物枠の中でも際立って変人だ。ギターを手放さず、何をするにも音楽性の話をする。ギターをかき鳴らしながら練習しているらしい。アメフト部なのに。金剛阿含の手をセナから弾き飛ばし、小早川セナの前にずいと立ちはだかった。
「合わせてみるかい」
「あ、い、いや……大丈夫です、見るだけで……」
 ぎゃーんとギターをかき鳴らしながら問いかけた言葉は、どうやら一緒に音楽をやろうと誘っていたようだ。だいぶ引いていないかこれ、とセナを観察する。最京アメフト部の色物枠と悪人枠が揃ってちょっかいを出しに来るほどの人物らしい、ということはわかったが。
「何油売ってやがる糞チビ」
「げえっ! ヒル魔だ」
 たこ焼き屋の中で様子を伺っていたゼミの男子が小さく悲鳴を漏らした。何を隠そう最京大の中でも最凶枠の問題児、ヒル魔妖一が現れたのである。背後から頭をはたき、振り向いたセナは笑顔を見せた。えっ?
「ヒル魔さん! わあ、何ですかそれ……可愛いですね」
 笑顔で振り向いたセナもおかしいが、その前に現れたヒル魔の頭にはもっとおかしなものが乗っていた。所謂ケモミミだとかいわれるカチューシャを、あのヒル魔がつけているのである。
「どこぞの糞マネが交換条件に持ち出したモンだ。メイドやる代わりにこれつけろってな」
「にしたって本当にやるとは思わねえよ……」
「はあ!? バニーはどうしたバニーは!」
 ドン引きしている十文字とは裏腹に、阿含は糞マネと呼ばれた人物のコスプレがバニーではないことに不満だったらしい。そんなことはお構いなしに写真を撮ってもいいかとセナがヒル魔に問いかけている。撮影料と呟いて手を差し出して悪魔の笑みを浮かべたヒル魔に、セナは少し悩んだようだった。
「まけてくれたりとかないですか?」
「チッ。一回だけだぞ」
「こんなん撮りてえとかあるか?」
 なんで許すんだよヒル魔も。そんな優しい姿俺たちは初めて見たよ。脅迫対象じゃなければそんなに優しいのかよ。それともアメフト部内ではわりと優しいのか。何にしろ小早川セナはどれだけ大物なのだと驚きっぱなしだ。
「うん……あ、まもり姉ちゃんと一緒に撮りたいです」
「あいつはアメフト部室だっつの」
 ならば仕方ない、とセナはヒル魔に携帯のカメラを向け、近くに立っていた阿含と赤羽も入り込んで記念撮影が開催された。たこ焼き屋の前で。何というか驚き過ぎてもはや口を挟むこともできなかった。
「つけてえ奴につけろ」
 そしてその場を去ろうとしたヒル魔がついでのように手渡したのはケモミミカチューシャ。ヒル魔の頭には乗ったままだから、もう一つ出てきたらしい。きょとんとしたセナに自分でつけろよと十文字は勧めたが、セナは笑みを見せてかぶりを振った。つけないのかよ。
「十文字くんがつけるなら写真撮ってあげるよ。モン太たちにも見せないと……」
「だからなんでお前は入ろうとしねえんだよ!?」
「え? だって最京の学祭だし」
 主役は最京大学生だからカメラマンに徹するということだろうか。女子は写真に入りたがるものかと思っていたがそういう子ばかりでもないらしい。とりあえずつけたい人は別にいるらしく、食事途中だったたこ焼きをまた食べ始めたところで阿含がカチューシャを奪い、セナの頭にずぶりと差して噎せさせた。十文字がペットボトルを渡そうとしたところで。
「俺のいないところで何してるのかな」
 セナが座るベンチの後ろ、背後からセナを抱き締めながら阿含を腕で押し退けたのは、ようやく容器を持って戻ってきた大和だ。普段どおり笑みを浮かべているものの、何故か背筋が冷える気がするのは気のせいだろうか。
「うるせえな、てめえらが見たくてたまんねえだろうと思ってつけてやったんだろうが」
 阿含の言葉にたこ焼きを口に入れたまま言い返せないセナはぶんぶんとかぶりを振る。背後からハグする大和が覗き込み、セナが振り向いて目が合った。冷えた笑顔だった大和が嬉しそうに似合うと褒めて笑みを向けた。
「これは猛くんに……」
「あー、ちょっと待てセナ」
 たこ焼きを咀嚼し飲み込んだセナが呟きながら頭のカチューシャへと手を伸ばしたところで十文字に引き止められた。何事かと二人が十文字に顔を向けたところで、奴は携帯を掲げて音を鳴らした。ケモミミカチューシャをつけたセナと、ハグしたままの大和が画面に写っている。
「えっ、撮ったの?」
「おー。どうせ撮れってうるせえからな」
「助かるよ、送っといてくれないか。さて、もう俺が戻ってきたから待っていてもらわなくても構わないよ。アメフト部には俺が一緒に行くからね」
 阿含たちへ爽やかにさっさと失せろと言っているように聞こえるが、あながち間違ってはいないだろう。
 もはやイマジナリー彼女だとさえ思われていた大和の恋人が実在していて、それはアメフト界隈では有名人で、こうして実際に現れると人目も憚らずくっついている。彼女を見る目が明らかに違っていて、甘ささえ感じるような気がして見ていて気恥ずかしくなった。何なら近づくなとさえ言いたげな大和の様子に上級生三人とも呆れ返っていたが。
「どうせ奴隷探しと女探しとステージ移動だ。ここには残らねえよ」
「うるせえよ」
「フー。セナくん、ステージは二時からだよ」
「あ、はい……」
 追い払う仕草をする十文字に追い立てられたような形になったが、アメフト部の名物三人はたこ焼き屋の前を去っていった。正直恐ろし過ぎて何も言えなかったし動けなかった。異質過ぎて客も寄りつかなかったし。
「食べる?」
「貰おうかな。モン太くんたちは?」
「逸れちゃった。たぶんアメフト部には行くはずだから、その辺で合流できたらいいんだけど」
 ようやくセナを離した大和はベンチの前にまわって隣へと座り、セナが差し出すたこ焼きに食いついている。この慣れた様子は普段からやっていそうだが、如何せん大和が女子といちゃついている様子など今までなかったから俺たちは驚くしかない。恋人相手だとこんなんなのか。十文字が何ともいえない顔をしていた。
「つうか、お前交代まだだから。なんか勝手に飯食ってるけど、あと三十分あるからな」
「あれ、そうだった? すっかり自由時間かと思ったよ。待っててくれるかい?」
「えっ、あ、うん。ごめんね」
 食べさせちゃった。そう呟いたのが聞こえ、ほんの少し照れたように頬を染めてたこ焼きへ目を落とす。見られていたのが恥ずかしかったのかな。何に照れたのかよくわからないけれど、その様子は非常に可愛い。きゅんとときめいたのは恐らく俺だけではなかった。
「じゃあ、はい。これあげる」
「……うん?」
 セナが大和の頭にすちゃと装着したのは、先程までセナの頭についていたはずのケモミミカチューシャだった。嬉しげだった大和の笑顔が一旦固まって、す、と手でカチューシャを確認している。
「………、これは何故?」
「つけたい人につけろってヒル魔さんがくれたんだよ」
「……姉崎女史が言ってたやつだね。もう一つあったのか」
「まだありそうだな……」
「十文字くんも……」
「絶対やだね」
 十文字の即答に少々むくれたセナだったが、つけられたまま大和は外さなかったので一先ず満足したようだ。ゼミでの模擬店なのだから当然大和も法被に鉢巻を装着しているが、そこへ更にケモミミが追加されている。
「オプションが存在感あり過ぎる」
「可愛いから撮ってもいい?」
「いいよ。どうせなら一緒に写ろう」
 今日一番嬉しそうなセナからあとでね、と写真を断られ、大和は心持ちしゅんとしたように見えた。しかしそのまま外さないあたりが懐の深さを感じさせる……いや、ヒル魔も外してはいなかったことを思い出し、アメフト部名物部員は皆意外とノリが良いのかもしれないと考えた。
「彼女に甘々じゃんお前」
「セナがそうさせるんだから仕方ない。まあ代わりに俺も特権は使うことにしてるからね」
「………、」
 特権が何かは知らないが、大和の言葉にセナは頬を染めたから恐らく爽やかに惚気でもしたのだろう。特別扱いの言葉に照れたらしい初心な反応に自然と俺の頬まで緩んでしまった。
「アメフト部行って赤羽さんのステージ行けば間に合うかな?」
「見なくていいだろあんな奴の」
「い、いやいや、行くって言ったし……」
 気を取り直したセナの困ったような声音が十文字を諌めつつ呟かれ、性格は非常に真面目な子なのだとよくわかった。
 しかし真面目なだけではあの三人に渡り合えるはずもなく、度胸も愛嬌も持ち合わせた可愛い女の子だ。大和を甘々にさせるほどの女の子なのだから、やはり只者ではなかった。
「よし、俺アメフト観るわ」
「私も観るー。なんか面白い試合のやつ貸してよ十文字くん」
「……あー、ならうちと炎馬でやったやつが一番面白えだろ。大和対セナのやつ」
「えーっ、俺も観る! 視聴覚ブースで観ようぜ! セナちゃんに解説やってもらって」
「解説なら十文字に頼んでくれ。セナは遊びに来ただけだし、俺とまわるから」
「おっ、あ、はい」
 学祭デートは譲らないらしい。そもそも逸れたという話ではなかったかと思い出し、最初はデートのつもりではなかったのではとも思うが、まあ、大和を怒らせるよりは大人しく引き下がるほうが賢明そうだった。何よりセナは確かに遊びに来ただけなのだから、もっとまわりたいところがあるだろうし。
 仕方ない。今回は十文字に解説を頼むことにして、次は大和に惚気でも聞くことにしよう。紹介を頼まれている女子を諦めさせるためにも、二人仲睦まじい姿を見せるのは必要な措置だろうし。