修学旅行

「セナくん!」
「あ、ご、ごめん、待たせちゃったよね」
「大丈夫だよ」
 修学旅行最終日である今日、夕方には大阪を発ち、東京へと戻る。自由時間は丸一日とはいかないが、快く――というより興奮してだが――同班の女子とモン太は送り出してくれた。
 今年同じクラスになったモン太は事情を知っているので説明すればすんなりと、セナが行きたいなら抜け出していけと言ってくれたが、修学旅行をともに行動するのはモン太だけではない。新しく友達となったグループの面々にも説明しなければならなかった。
 といっても、女子組は一年の時に遊園地に誘ってくれた女子たちだったし、あれから月刊アメフトを毎月読んではセナに興奮を伝えてくれるくらいには仲良くなった子たちだ。男子はモン太と仲の良い子だし、中学とは違って余ったセナを無理やりグループに入れる、なんて決め方をしたわけではない。なのでこれもわりとすんなり受け入れてくれたのだが。
 月刊アメフトを読み込んでくれているおかげで相手が誰かを知った時の女子陣の興奮が凄まじく、友達だと言っても全然納得してくれなかった。いや、うん、気持ちとしては特別枠の人なので間違いはないのだが。
 格好良い、やばい、付き合っちゃえばいいのに。なんて言葉がかけられるたびにセナは恐縮して俯いてしまう。誰から見ても、どう考えても釣り合わない相手だと突きつけられているような気分になるのだ。
 セナの個人的な鬱々した気持ちは置いておいて、班の女子たちからは戻ったら教えて、なんて言われて困ってしまった。やけに過保護な十文字たちには隠しきってやるとモン太は意気込んでいたが、まあ、隠しごとのできないモン太だから何ともいえない。班の子たちが頑張ると言ってくれたので、もしかしたら本当にばれないかもしれないけれど。
「どこにまわってきたんだ?」
「ええと、一昨日京都行って、昨日はテーマパーク行ったよ」
 二日目は二択制だったので、テーマパークと水族館のどちらかだった。どちらも有名で必ず行きたい場所に挙げられることも多く、選べないと嘆いている女子は多かった。セナはどちらでもよかったが、班の多数決で勝ったのがテーマパークだったのである。水族館派だった男子も充分楽しんでいた。
「逸れそうだな。セナくん、順序は違うと思うけど、しばらく手を繋いでもいいかな」
「ぅえっ!?」
 人が多いなあ。大阪でも中心部はかなりの人出があるというのはもう思い知っているし、すぐに逸れてしまいそうだな、なんて確かにセナも考えたのだが、差し出された手に勢い良く狼狽えた。
 そんなことをされたら緊張して落ち着かなくなってしまうというのに、大和は特に意識した様子もない。セナが気にし過ぎなのかわからないけれど、このまま待たせるのも時間が過ぎるだけになってしまうし、人混みの間だけならとセナは小さく頷いて大和の手を取った。
 去年の帝黒学園偵察ツアーでは行きそびれていたのもあり、せっかくだから大阪城を見に行こうという話になっていた。周辺の公園はランニングに良い場所だとか、セナが興味を抱くようなことを教えてくれた。目的地に着いても手は離されず何度か声をかけようとしたのだが、城内を説明していく大和が楽しそうでセナも強く言えなかった。

「見頃はもっと人が多いけど、人混みに疲れたら今くらいがいいな」
「そうだね」
 川沿いの大きな公園はバラ園としても有名らしく、見頃は多くの人が訪れるらしい。芝生広場では酒盛りしている人たちもいてかなり自由だ。人も少なく広くスペースのある芝生に腰を下ろし、流れている川を眺める。
「告白の件だけど」
 ぎくりと反応してしまい、ぼんやりしていた意識が急に引き戻された気分だった。
「少しは考えてくれたと思ってるんだが」
 握り直された手の感覚にセナの頬が熱くなった。そうだった。ご飯を食べた後も人が多いからという理由で手を繋ぎ直されて、うっかりそのまま受け入れてしまっていた。最初の緊張はどこかに行っていたはずなのに、今頃ぶり返してきていたし、今こなくてもいいのに。
 しかし、そうだ。すぐでなくとも構わないとあのクリスマスに言われたけれど、それは結局答えを欲していることに変わりはない言葉だ。セナはきちんと答えないといけない。
 大和のことは、嫌いなわけがない。試合でも尊敬できる人で、話していても、まあ、強引な時もあるし変わった人だと思ってはいるけれど、話していてとても楽しかった。今日だってそうだ。
 たぶん、女の子なら皆好きになるだろう。あの東京案内の帰りに気づいた気持ちは本物だ。大和だって、セナに突き刺してくる言葉は本当のことだと感じられるけれど、だからこそ。
「ぼくは、その……取り柄なんていえるの一つしかないし。大和くんみたいな人がぼくをす、好きなんて……」
「きみは俺を完璧超人か、何か別の生き物だと思ってないか?」
「え?」
「俺は人間だよ。セナくんと同じ、好き嫌いだってある。俺の好みに合致したのがきみだっただけだ。勿論好みだからというだけで気持ちを伝えてるわけではないけれど」
「―――、」
「セナが好きだ。これは冗談でも嘘でも言える言葉じゃない。きみにしか言ったことがない。……シンプルに、セナの気持ちだけを考えてくれたらいいんだ。俺を好きか嫌いか、特別に思えるか、俺の気持ちはきみにとって迷惑かどうか」
 耳まで熱いからか涙が出そうなほど頭が茹だっていた。
 大和の気持ちが迷惑なわけがない。本当は舞い上がりそうなくらい嬉しい。どうしても自信がなくて、周りにも大和にも腰が引けてしまうだけだ。
 他のことなど気にせずセナ自身の気持ちだけを考えたら、答えなんてすでに決まっている。本当の気持ちを、セナが答えれば大和は喜ぶのだ。

 ポジティブ過ぎると言われたことがある。無理強いはするなと再三注意されたことも。だからセナに対してはあらゆる可能性を考慮して、自分本位にならないよう今まで接していたのだ。
 だが今ばかりは、彼女の表情が嬉しいと語っているようにしか見えなかった。繋いだ手を振り払うことすらなく、これで大和に好意がない可能性を考えるのは少し難しい。勘違いだと言われたら、今後女性不信に陥りそうだ。
「……セナ」
 開けたり閉めたりと口をまごつかせていたセナが、大和の声にぎくりと肩を震わせた。
「今日一日ずっと見てきたけど、……その反応は、期待してしまうよ」
「………、………、そ、その……」
 横顔は耳まで真っ赤に染まっていて実に鮮やかだ。セナが自分を卑下する理由がわからない大和としては試合中のように強気でいてほしいところだが、女の子には色々あるのだと花梨も言っていたことがある。
 きゅ、と唇を噛み締めたのと同時に、繋いでいた手に力が込められる。大和へ顔を向けたセナが口を開いた。
「ぼ、ぼくも……大和くんが好き」
 言い切る前だったかもしれない。しかと大和も手を握り返し、好きだと紡いだセナの唇に口づけた。
 これで断りの続きがあったら謝るしかできないが、驚愕に目を剥いて混乱し始めたセナの様子に嫌悪が見えなかったのだから、断られるのを想像するのは難しい。
「ちょっとフライングしたかもしれないな」
「ちょ、ちょ、な、なん」
 かつてないほど真っ赤になって、あまりの羞恥に爆発しかけているらしいセナに大和は満面の笑みを向けた。
「セナは可愛いな。抱き締めてもいいかい?」
 恥じらう姿が最高に可愛い。やはり卑下する理由がさっぱりわからないし、説明されても恐らく理解できないだろうということは大和にも何となくわかった。
 セナは自分の良さを把握していないのだ。自分がどれほど魅力的かを自覚していない。選手としても確かに謙遜が多いのだから、わかっていたことなのかもしれないが。
 セナの答え次第ですぐに抱き締められるよう腕を広げて待っていたのだが、真っ赤のままぐるぐると何やら考え込んだ後、震える唇が息を吸った。
「無理です!」
「そうか、残念だ。じゃあ今日は手だけで。……ありがとう。嬉しいよ、本当に」
 キャパオーバーして逃げられても困るので、抱き締めたい衝動は次回に持ち越すことにした。キスは衝動のあまりしてしまったのだから少しは大和も我慢しなければ。
「………、……ぼ、ぼくも、好きになってくれてありがとう。その、美人でも可愛くもないし、並んでもきっと」
「誰かから見たセナの姿なんて俺には必要ない。俺の目には、きみ以上に素敵な人はいないよ」
「………、うん」
 泣き笑いのような表情が、大和の目を釘付けにした。
 抱き締めたい衝動を我慢するということがどれほど辛いものかを実感しているところだ。無意識に手を伸ばしていた大和が止まれたのは、機械的なアラーム音がセナから鳴り響いたからだった。
「……集合時間?」
「う、うん。そろそろ行かないと……」
「そうか……。名残惜しいけど仕方ないな。また次の機会に」
 本当に名残惜しい。ピーピーと鳴るアラームを止める手元を恨めしく眺めながら、元々修学旅行なのだから時間が足りないのは当然だったので仕方ないのだと無理やり考えた。頷いたセナの旋毛を眺め、深呼吸をしてようやく落ち着くことができた。
 夏休みは合宿がある。二学期に入れば秋大会が始まる。となれば次に会えるのはクリスマスだ。半年近くも先になるが。
 名残惜しいのは山々だがようやく立ち上がり、セナの集合場所の近くまで送ることにした。

「今度会えるのはクリスマスボウルだな。次は俺たちが勝つよ」
「……ぼくたちだって負けないよ」
「セナ相手でも手加減はしない」
「当然だよ」
 あの狼狽が嘘のように、セナは試合前の引き締めた表情で大和に応えた。
 かと思えばふにゃりと照れた表情を見せて、手を振って去っていくのだから始末に負えない。あれがどうして自分の魅力を露ほども理解できていないのかがわからず、大和はその場にしゃがみこんで溜息を吐いた。
 フライングして順序を守りきれなかったかもしれないが、まあそこは仕方ないだろう。だってあまりに可愛くていじらしくて、考えるより先に体が動いていたのだ。あの泣き笑いのような顔が嬉しそうにも悲しそうにも見えたけれど、他の何より美しく見えもした。
 ようやくきみの心を捕まえられたらしい、と。そう思えば浮足立ってしまうのは当然だ。
「……大和?」
 立ち上がって口元を押さえたままとぼとぼと歩き始めた時、大和を呼ぶ聞き慣れた声が届いてきた。今日セナに大阪を案内すると伝えていた鷹がどこか訝しげに大和を見ていた。まさか、駄目だったのか。そう言外に彼は問いかけてくる。大和はふいと目を逸らした。
「今は我慢してるんだ。にやけるのを」
「! じゃあうまくいったんだな。良かったよ」
「ああ、本当に。遠距離は終わってないしやきもきする日が続くかもしれないが、昨日までとは気持ちも違う。少し余裕ができる気がするよ」
「ふうん。……本当に、帝黒じゃあり得ない帝王の姿だね」
「そうかもしれないな」
 その情けない帝王の姿も彼女にだけだ。きっと断られても諦めはしなかったが、セナも同じ気持ちでいてくれたことがこれ以上ないほど嬉しかった。

*

「なんや大和嬉しそうやな。またセナちゃんか」
「ああ、まあ。クリスマスボウルのあと会えないかと思って」
 夏休みに入れば合宿だし。試合の後はクリスマスなんだし、正月は俺も帰省するから東京にはいられないし。そう呟きながら携帯電話を操作する帝王に一軍に入ったばかりの一年は驚いたらしく、セナとは誰だとひそひそしている。鷹も本人に言ったことがあるが、帝黒で今のような浮かれた大和を見るのはセナ関連だけである。
「おーおー、気ぃ早いなあ。すっかり彼氏気分かい」
「まあね」
「……えっ」
 慌てたように花梨が携帯電話を取り出して、ふと大和に顔を向けた。携帯電話を握り締めながら恐る恐る大和へと近づいていく。花梨はセナと仲が良かったが、どうやら目の前の本人に聞けばいいと思い至ったらしい。
「大和くんもしかして、せ、セナちゃんと付き合うことになったとか……?」
「ああ、まあ」
「まじか!」
「えーっ! そ、そうなん!? 凄い! セナちゃんは逃げ切ると思ってた!」
「花梨」
「あ、ご、ごめんなさい」
「まあ普通の女子やったら余裕やろうけど相手セナちゃんやからな、しゃあない」
 つい本音が出たらしく、慌てて花梨は謝った。
 鷹が絶対予告をした大和は必ず勝つと信じているように、花梨もセナを信じていたらしいのは何となく理解した。どちらかといえばチームメイトを応援してもいいのではと思わないでもないが、結局は大和の予告どおりとなったので構わないだろう。
「いや、いいんだ。考えるのは自由だからね」
「予告したからには捕まえるよ大和は」
「まあでも、去年はそのセナちゃんに大和の絶対予告を覆されたわけやからな」
 大和の動きがぎこちなくなったのを目にした鷹は、彼がひっそり胸をぐさりと刺されたことに気がついた。確かに彼女は大和に土をつけた相手だし、脈なしならば確実に逃げ切りそうでもある。いや、流されやすいようなのでやはり捕まりそうでもあるが。
「二度はないよ」
「おう、まあな」
「大和先輩、その彼女の写真とかないんですか!?」
 あまりに気になったらしい後輩の一人が問いかける。
 大和に聞かずともネット検索すればいくらでも出てくるが、セナという名前だけでは辿り着かなかったようだ。部室にある月刊アメフトを引っ張り出した大和は、ぺらぺらとページを捲ってテーブルにぱさりと広げた。
「この子だよ」
 関東のチームの特集だ。泥門デビルバッツのページに載っている選手の写真はアイシールド越しで顔は見えず、少し緊張してそうな口元だけが見えている。アイシールド21という称号の隣に小早川セナと名が載っていた。泥門はキャプテンでエースであるセナとラインマンの十文字がインタビューに答えているらしい。
「セナちゃんインタビュー苦手みたいやなあ。可愛えけど」
「十文字ってあれか、あの狂犬やな。インタビューなんか落ち着いて受けられるんかあいつ……」
 あの日大和がセナに告白した日に噛みついていた印象が強く残っているのだろう。喧嘩っ早いのは元不良だからなのか知らないが、過保護過ぎるのも考えものだ。セナは大和との関係を伝えたのだろうか。知ったら卒倒してそうだな、とぼんやり考えた。
「泥門って去年の日本一……」
「大和を下してアイシールド21を奪い取った子や」
「敵やないっすか!」
 突っ込むほど驚いたらしい。確かに、大和から奪えるものがあるというのも、それを奪った者が女子というのも驚くべきポイントだ。大和自身はリベンジマッチを楽しみにしているあたり、恋愛感情と試合は別物として考えているようで少し安心した。
「唯一無二のラン技術もそうだが、俺から勝利を奪い取る気概と執念が素晴らしいんだ」
「それやと選手として好きってだけなんでは……」
「まさか。これ以上の魅力は教えたくないから言わないだけだよ」
 また珍しい帝王だ。隠しごとなど一つとしてない大和が、セナのことだけはこうして教えるのを渋ったりするのだ。恋愛ごとが好きらしい花梨は、惚気のような大和の台詞に悲鳴を上げそうなほど興奮していた。