ワールドカップのそのあとで

 夢の祭典が終わりを告げ、日本へと帰ってきた選抜チームは空港で別れることとなった。関東組はそのまま解散、関西組は東京で一泊するらしい。打ち上げをしたいと騒ぐ人たちがいる中、セナはぼんやりロビーのソファに座っていた。
「疲れたのか? 水町の打ち上げどうするよ」
「いや、楽しかったなって思って。うん、行こうかな」
 近寄ってきたモン太が振り向いて指した先に小さく水町の背中がある。
 この面々で集まるのも最後かもしれない。チームから去る人もいれば、新しい人が増えることもある。せっかく一堂に介したのだし、と考えて頷くと、モン太はにかりと笑って踵を返して駆けていった。
「お疲れ様、セナくん」
「大和くん」
 この選抜チームでいる間、皆と交流を深めることもできた。大和とも普通に会話をして仲良くなれたようにも思う。あんなことがあっても、脇に置いて彼との会話を楽しむ余裕がセナにも生まれていた。
「選抜のついでに引き抜きの話も考えておいてくれたら良かったけど」
「転校はしないよ……」
「心変わりもあるかもしれないからね。――それはそれとして、メールは日常の世間話とかも送ってくれると嬉しい。きみのことは何でも知りたいからね」
 急に来た。大会中、そんな話は露ほどもしてこなかったのに、終わった途端セナは顔色を即座に変えられる羽目になった。
 日常の世間話なんてどう文字にしたらいいかわからないし、日記のようになってしまってはつまらなくなるだろう。さすがにそれはどうかと思ったのだが。
「い、いやでもぼく、そんなに文章とか」
「友達にメールするような感覚でいいんだ。まずは友達から始めよう」
 うまくないし。そう続けたかったのに、固く考えなくていいと大和から右手を差し出され、握手を求められた。友達からという言葉が気にはなるが、一応気を遣ってくれたのかもしれない。
「……うん、」
「警戒されたくはないから順序は守るつもりだけど」
「わっ、」
 握手を交わした瞬間、そのまま手を引っ張られてセナは隣に座る大和側へと上体を倒れ込むことになった。
「手を緩めるつもりはないんだ。しっかり俺のことを考えてほしい」
「………っ!?」
 屈んだ大和から耳元で呟かれたこととその内容も相まって、セナの頬は一瞬にして真っ赤になった。そして混乱した。アメリカで適度な距離があったのは大会中だったからなのだろうかとぼんやりセナは思い至った。確かにセナもそれどころではなかったし、大和だって試合には真摯に向き合っているのだと今更少しときめいてしまった。そのときめきがばくばくしている心臓の理由の一つになっていることも何となく気づいてしまった。
「それで、順番としてはやっぱり会って話をすると打ち解けるのも早くなる。明日俺は一日オフなんだが、良かったら東京案内してくれないか? 友達として」
「………、………」
 たった今友達では言わないようなことを言われて、友達として見られるのかセナは自信がなかった。すでにもうだいぶ意識させられていっぱいいっぱいである。駄目かな、と少しばかりがっかりしたような表情が大和から見えたような気がして、小市民のセナは断るのも難しくなった。
 案内。東京案内だけだ。関西組のほかの人たちだって来るだろうしそれだけなら、とセナも明日は休みだったことを思い出して蚊の鳴くような声で承諾してしまった。

「流されたな今……」
 セナの元に戻ろうとしているモン太を引き止め、鷹は珍しい様子の大和を眺めていた。呟いたモン太の言葉にひっそりと感心してしまったが。
「押せばいける?」
「無理強いすんなら引き剥がしてやる!」
「しないと思う。きみも彼女が好きなのか?」
 チームメイトがセナを大事にしているというのは何となく伝わってきたが、それは帝黒から花梨への思いと同じように思えたのだが。むっとしたモン太が鷹の手を振り払って睨み、ずかずかと大和たちの元へと向かう。邪魔するのはやめてやってほしい、と考えていた鷹は彼の後を追った。
「馬鹿言うな! 俺には心に決めた人がいんだから、セナとは友達だっての!」
「ふうん。それなら良かった、一番危険視してたのが友達で」
「ん!?」
「一番仲良さそうなのが雷門だったからね、気にしてたんだよ。そうだろ大和」
「まあね」
 モン太の地声の大きさと近くなった距離で、会話は二人に聞こえたようだ。握手したまま動いていない様子から、大和は手を離す気が更々ないのだろうと鷹は予想する。頬を染めて困り果てているセナを見て、嫌悪が見えないあたり脈ありと判断しても問題なさそうな気がした。
「おお……案外そういうの気にすんだな」
「案外とはどういう意味かわからないけど、誰だって好きな子と仲の良い男友達は引っかかるだろう」
「そりゃ確かに!」
 好きな子という言葉に肩を震わせたセナが顔を背けて俯いた。短い間のチームメイトではあったが、デビルバッツはともかく、関東の面々がセナへ並々ならぬ想いを抱いているというのは鷹にも見えていた。本人がここまで恋愛感情に慣れていないのだから、そりゃ慎重にもなるか、と動かなかった彼らを理解したが今更だ。大和が動いた以上、勝つのは大和と決まっているので。
「なんせ初めて女の子を好きになったものだから」
「ええっ!?」
「なんだい。また意外だって?」
「い、いや大和くんてその、……格好良いから、モテるだろうと思ってたし……」
 学園内でも女子が騒がしいのだから、大和猛という人間がモテるというのは恐らく間違いないのでセナの予想は当たっている。まあ、モテることと実際に好きな人がいたかどうかはイコールにはならないということだろう。驚愕の声を上げたセナに同調するようにモン太も驚いていたが、その後セナが口にした言葉に大和は固まっていた。
「………。今のもう一度いいかな?」
「え? も、モテるだろうってこと?」
「その前」
「大和くんが格好良い……?」
「――ありがとう!」
「ひいっ!」
 感極まった大和が握手していた手を離し、勢いをつけてセナを抱き締めた。順序的にそれは早いのでは、と内心突っ込んだが、大和は帰国子女だしセナが嫌がっていなければいいか、と鷹は諦めた。まあ、大和の身体に埋もれてしまっているので、セナが嫌がっていたとしても鷹にはわからないのだが。しかし。
「……あれは天然?」
「セナか? まあ計算はできねえよ、なんせ俺ら馬鹿だから」
「そう……天然で大和のツボ突きまくってるんだな……」
 というより、男心を突いているのかもしれない。好きな女の子からしっかり名前まで込みで、格好良いと言われて嬉しくない男はいないだろうし、モン太も抱き締めるのはやり過ぎだと引き剥がそうとしたが(丁重に鷹が引き止めた)、あれは正直仕方ない、とセナへ溜息を吐いた。心に決めた人から言われたら本当に嬉しいものだと思い出し感動している。しかし、大和を応援したい鷹としては、浸り始めたモン太のことはどうでもよく。
「時間の問題そうだな。一応聞くけど、きみは彼女が大和を好きになるのはいいのか?」
「む。まあ、セナが好きならそりゃな。無理強いとかはMAX許さねえ!」
「大和はしないよそんなこと」
「え、そうか……? まあセナが本気で嫌がってねえなら俺は止めねえよ。引き抜きも駄目だけどな!」
 無理強いに少しばかり首を傾げたものの、モン太視点から見ても今のセナはさほど嫌がっているわけではないらしい。それなら本当に時間の問題だろう。
「わかった。無理強いしないようにとは再度忠告しておこう」
 アメフトの帝王とは似ても似つかない、好きな子の言葉で一喜一憂する大和は帝黒では見られない姿だ。そんな様子を引き出したセナは帝黒の面々からすれば非常に凄い人という印象なのだが、そう思われていることを彼女は知らない。
「おーい、お前ら行くぞー。って、あー! 大和がセナ抱き締めてる!」
「ハ!?」
「ハァ!?」
「ハアアア!? ちょっと目離したらこれかよ!」
「なっ、いくらアイシールド同士でも嫌がってる相手を無理やりってのは――」
「嫌だったかい?」
「………っ! い、嫌というか、こ、困ってるというか……」
「つまりは嫌じゃないのかな」
 周りが騒がしくなって更に慌てたセナは、大和が問いかけ鷹が畳み掛けた内容に言葉を失い、必死の形相で大和を引き剥がしてソファから立ち上がった。真っ赤だから照れているのだろうけれど、もはや泣きそうにも見える。
「わ、わ、わかんないよ!」
 叫ぶと同時にその場を光速のランで駆け抜け、セナは一人去っていった。泥門のマネージャーとチアリーダーが焦ったように、すでに見えなくなった後ろ姿を追いかけていく。
「またえらく逃げられたな……」
「………。前にセナがよ、大和のこと変な奴だって言ってたけど……あんな大勢の前で宣言したのは漢だと思うぜ!」
 嫌ではなくわからない、というのは関係性に未来がある。
 まあ、好きな子に変な奴だと思われているのはどうかと思うが、彼女の友人も大和を認める部分があったのは喜んでいいのではないだろうか。セナに逃げられた大和の手が少し寂しそうにも見えたが、本人はモン太の言葉に笑みを見せた。
「そうか、それはありがとう。俺もね、きみのことは本当に警戒してるよ」
「なんでだよ!」
「勿論警戒する相手は多数いるが、その中でも要注意人物の一人だ。チームメイトの中でも特に、というラインがある。観察するとよくわかったよ」
 大会中、大和がセナに必要以上に近寄らなかったのは、大和にとって目下の最重要項目がセナではなかったことも関係しているのだろうが、試合以外ではわりと周りを見て関係性を把握していたためもある。付き合わされた鷹も少し詳しくなってしまったくらいだ。
「要注意ってことは……セナのこと好きな奴らのことか。いやなんでそこに俺が入んだよ!? 友達だって言ったろ!」
「セナくんから厚く信頼されている相手だ。そこにきみは必ず入るだろう?」
 並々ならぬ感情をセナへ抱えていて、尚且つセナからも大きな信頼を得ている相手。それが大和の要注意人物である。モン太はライバル、親友、チームメイトの括りにすべて入ると思えば、まあ特別枠にはなる、という見解だ。
 信頼しているという点では泥門の上級生連中、特に栗田とヒル魔には厚い信頼を向けているようだし、他校でも盲信レベルに信頼されている者はいたわけである。選手としてか男としてかは判断できないが、その信頼を目の当たりにした大和としては、モン太と同じ要注意の括りに入れただろうことも想像がつく。何せメンバー集めを三人に任せると言ったものの、関西に帰ることを新幹線で後悔していたわけだし。

*

「あ、あれ。皆は?」
「? いないけど。あれ、二人でって言わなかったかな」
 昨日逃げてから、水町の打ち上げに参加することが気持ち的にもできなくなったセナはまもりと鈴音に捕まり、そわそわとしていた花梨も誘って四人でご飯に行き、今日の観光のために無駄に服を貸し出され髪を整えられ、妙に気合の入った姿にさせられて待ち合わせ場所へと来ていた。
 約束したのだからすっぽかすのはまずいし、他にも人がいるのだし、一日経てば少しはましだろうとも思ったし、とにかく少しは落ち着いた心情ではあったものの、無駄にスカートを履かされたセナは待ち合わせ場所で待つ大和を見つけたのである。
 何故か大和だけ。聞けば他の面々は大和とは別で観光に出ているらしい。何故だろう、本当に。ポケットの中で振動した携帯電話を取り出した。
 相手は花梨。昨日もご飯に行って楽しそうだった花梨だ。今日の観光楽しんでね。そう画面に文が表示されていて、昨日教えてくれたらよかったのに、と少しばかり恨めしく思った。これでは大和と遊びに行くのに気合を入れてきた人のようではないか。いや、大和は普段の格好を知らないから誤魔化しは効きそうだが。
「二人だと嫌かな。帰るかい?」
 顔を上げるとほんの少しばかり残念そうに見える大和が問いかけた。待ち合わせに来て二人だったから帰る、なんて一体どんな人がそんなことをできるのだろう。少なくともセナには無理だし、大和に申し訳ない。
 しかし、さあ行こう、なんて有無を言わさず連れ出されるのかと思っていたけれど、セナの気持ちを優先してくれるのは嬉しい。
「う、ううん。よく考えたらぼくもそんなに詳しくないから、あんまり案内できないかもしれないけど……」
「ありがとう! まあ、二人と言ってなかったのは本当に言い忘れたんだけど、観光は口実なんだ。セナくんの好きなところに行こう」
「え」
「きみがどんな景色を見てきたか興味がある」
「………、……わ、かった」
 凄い。
 そんなに真っ直ぐに、興味がある、なんて。
 セナには隣を歩くだけでも気が引けるほど真っ直ぐだ。
 本物のアイシールド21がどれほど素晴らしい選手かは戦ったセナ自身がよく知っている。フィールド外でも自信に満ち溢れていて、目を細めたくなるほど眩しい。本当に、何故セナを好きだなんて言うのだろうと疑問しかないのに、大和が告げてくる言葉は真っ直ぐにセナの心へ何度も突き刺さるのである。

 セナが好きなところなんて大和が楽しいかはわからなかった。大和に聞けば普段行っているような場所がいいと言うので、とりあえず駅前から歩く通りの有名どころを勧めたりしながら散策していた。
 落ち着かなかったセナの心中も、しばらく経てば大会中のように滞りなくやり取りができるようになり、そして大和も覚えているだろう場所へと辿り着いた。
「ここは確か……」
「うん、黒美嵯川。大和くんが進さんと勝負してたとこ」
「………」
「凄かったよね、二人とも。試合じゃなくても見入っちゃった」
「進氏を抜けなかったあれが試合だったら俺の負けだよ」
「―――。そ、そんなことないよ! だって進さんのタックル食らった人は皆倒れちゃうし」
 進のトライデントタックルを食らって1ヤードでも前進し、ボールを溢さず更には倒れないままなんて大和以外に見たことがない。
「試合なら他のチームメイトがいるし、前と同じにはならないよ。試合でなら進さんだって抜ける。……かも、いや、抜くと思う。……たぶん、や、大和くんなら。ご、ごめん、なんか変なこと言って……」
 うまく言葉が見つからない。知ったような口ぶりで変なことを言ってしまったような気がして、セナは恐る恐る大和を見上げた。自分だったらどうするかを考えながら言っていたが、セナと違って大和ならもっと色んな攻撃の幅があるはずだ。関東最強のラインバッカーと呼ばれている進相手であろうと、大和なら手立ても考えるのだろうし。
「ありがとう」
 見上げた先にある大和の視線がセナへと向けられ、柔らかく笑みを浮かべたのを目の当たりにしたセナの心臓が跳ねた。変なことを言ったと思われはしなかったようで少し安堵したが。
「弱音のように聞こえたかもしれないね。俺も強者と戦うのは楽しいよ、進氏がクリスマスボウルに来るならそれもありだろう。セナくんの言うとおり、俺もあの日のままで立ち止まる気はない」
「……そうだよね」
「でも、決着は無理かもしれないな。今年は必ず泥門に雪辱を果たさなければならないからね」
 ヒル魔たちのいない新生デビルバッツで挑む秋大会。その先に大和が待っているクリスマスボウルがある。王城も白秋も神龍寺も倒して、またあの場所に行くのだ。アイシールド21として大和に勝つために。
「……今年も泥門が勝つよ」
 勝てたら、なんて言い方はしない。大和から受け継いだアイシールド21を名乗るのだから、どんな選手にだろうと勝たなければならないのだ。日本一の防衛がどれほど難しいかは……まあ、並大抵ではないことはわかる。
 目を丸くしていた大和が表情を緩めてまた笑みを見せたが、セナには落ち着かない心臓が戻ってきてしまった。

「今日は楽しかったよ」
「だったらいいんだけど……」
 結局彷徨いたのはセナの行動範囲内ばかりだったし、本当に普段よく行く場所だけだった。待ち合わせた駅前に戻ってきたセナと大和は、改札から少し離れた場所で立ち話をしていた。
「家に着いたらメールくれるかい? ちゃんと帰れたか心配だからね」
「大丈夫だよ別に……地元だし」
 アメリカで逸れた時のことを言っているのかと思い、セナは恥を隠すために少々むっとしてしまった。逸れたのは事実なので言われても弁解のしようもないのだが、一応地元で何かやらかしたことはないはずだ。
「………、じゃなくて、何かあったら困るから心配なんだ。家まで送らせてはもらえないしね」
「えっ。そ、そんな、何もないよ」
 まもりや鈴音じゃあるまいし。
 セナは今まで不審者なんてものと鉢合わせたこともないし、痴漢だってない。大和が心配するようなことは起こらなかったのだから大丈夫だ。
「わからないよ。まあ、それなら深く考えなくていい。俺もホテル着いたら連絡するから」
「……うん。じゃあ」
「ああ、そうそう。大阪に来る用事ができたら教えてくれ。今度は俺が案内するよ」
 用事、とセナはふと考えた。大阪といえば去年行ったばかりだが、そういえば今年も行く予定があったのではなかったか。去年まもりたちも行っていたあのイベント、修学旅行だ。
「あるのかい?」
「修学旅行が関西なんだ。京都とかも行くってまもり姉ちゃんが言ってたから」
「そうか、修学旅行……自由行動もあるなら今度は向こうで会わないか? 行きたいところ調べとくよ」
 今度は関西で、今日のように観光で、大和と。
 自由行動はグループだろうしモン太や大和の知らない人もいるのだが、それは構わないのだろうか。それともやっぱり二人で観光ということだろうか。斑決めも何もかもまだきちんと決まっていないから、どうなるかはセナも知らなかった。これで会う用事ができたと嬉しそうに笑った大和に、セナは言葉を飲み込んだ。
「………、……うん、ありがとう」
「こちらこそ。それじゃあ、また近いうち」
 手を振って改札を通っていった大和の目立つ後ろ姿を眺め、セナはしばらく立ち止まっていた足を動かした。
 徒歩からランニング、ランニングからダッシュへ。家まで走ろうと決めていたわけではないけれど、自然と脚が速度を求めた。
 自由行動で大阪に行けるかはまだわからないから。そう口にできなかったのは笑っていた大和の表情が翳るのを見たくなかったからだが、一体どういう理由でそう考えたのかに思い至った瞬間、セナはどうしていいかわからず走り出したのである。
 困った。いや困らなくてもいいのかもしれないけれど、なんて分不相応な気持ちを抱いてしまったのだろう。すべてはセナへ真っ直ぐに言葉を突き刺してくる大和のせいなのだが。