出張パシリin王城

「というわけでセナちゃんと栗田くん、なんですけど……大田原さんが栗田くん引き止めちゃってごめん」
「大丈夫です。栗田さんも王城行くなら行きたいって言ってたので」
 大田原に引っ張られていった栗田からカメラを受け取った瀬那は、そわそわしている部員たちにお辞儀をしてから片手で大袋の菓子を探っている。カメラを持ちながらではやり難そうな様子を見かねた桜庭が手を差し伸べる前に、言葉もなく端から手のひらを差し向けた者がいた。それに気づいた瀬那が顔を向ける。
「あ、ありがとうございます。すみません」
「えっ!? ちょっ、それ機械!」
 差し出した手のひらへカメラを乗せた瀬那に部員が慌てふためいた。手を貸したのが誰なのかを目の当たりにしてしまったからだが、桜庭は止めることなくへらりと笑った。
「あれ!? こ、壊してない……!」
「嘘だろ、進が……凄え場面に出くわしちまった……!」
 部員の驚愕っぷりに瀬那が苦笑いした。
 機械が手に触れれば真っ二つに割るのがデフォルトの進ではあったが、ここ最近は力を入れず手のひらに乗せるだけなら何とか壊さずにいられるらしいと聞いている。勿論、渡す相手が瀬那である場合のみである。滾々と言い聞かせて試してようやく持てるようになったというのだが、桜庭は怖くて渡せなかった。普通に壊されるのは嫌だし、瀬那の心臓は強過ぎるし、やはり寛容過ぎるしスパルタだった。
 ペコペコと頭を下げながら部員たちに菓子を配る様子を眺めつつ、部員たちが信じられないものを見る目で瀬那を見ていたことに気がついた。進の機械音痴を嫌というほど知っているのはホワイトナイツからの付き合いなら当然だし、大学からの付き合いでももう知り尽くしてしまっているのだ。
「ええと……使えんの?」
「ただ乗せるだけですよ、力入れたら真っ二つです。だよな」
「機械がやわな造りをしている」
「そりゃ精密機械だからな!」
「んっふふ。……すみません」
 誤魔化すように咳払いをしつつ俯いて顔を隠した瀬那だったが、笑ったことは完全にばれている。相変わらず機械音痴関連には笑いの沸点が低いらしいが、部員たちがまたも驚いた顔で瀬那を凝視した。
「ごめんねセナくーん! お待たせ!」
「あ、栗田さん、お疲れ様です。大田原さんも」
「おう、炎馬のチビ共は来とらんみたいだな」
 大田原からすれば瀬那とそう変わらず見える背丈のモン太や陸はチビ扱いにもなろうが、本人に言うと相当怒りそうだと桜庭は考えた。瀬那が手渡した菓子も足りないと言って一口だし、大田原は基本的に豪快で雑だ。ぐうぐう腹を鳴らす栗田にも瀬那は菓子を渡していた。
「王城はさすがにロッカーも部室も綺麗で羨ましいなー! うちはそんなに広くないから……あらら、電池切れかな?」
 カメラを受け取った栗田が起動させようと操作したが、どうやらバッテリーが切れたようだった。
「充電してきたはずなんだけど、困ったな。どうしようかセナくん」
「……お前電磁波でも出してたんじゃ?」
「知らん」
 不思議そうにする栗田に先程進がカメラを持ったことを教える。機械音痴の程度を知らなかったらしく、桜庭の言葉に栗田は冷や汗をかきながらから笑いを漏らした。
「えーと……あ、うちと同じ機種使ってんだ。たぶん監督が充電器持ってたと思うよ、部室今ないし」
「監督室かなあ……借りてきてやれば。あ、いや、やっぱ俺が行くかな……」
「なら僕もついていくよ、借りられるならお礼言わないと」
「あ、だったらぼく行ってきます」
 充電器なんて機械を進に持って来させたら握り潰してしまいそうだし、任せられないと判断した桜庭は立ち上がった。慌てた栗田に大袋を任せた瀬那が振り向いたので、それなら進でも問題ないと桜庭は考えた。
「じゃ、進が案内してやってよ。連絡しとくし」
「ああ」
 ぺこりと頭を下げた瀬那が進とともに部室を出ていく。軽く走り出す姿だけでも速いとわかる二人だ。しかも二人とも真面目なので、サボらず早々に帰ってくるのだろうなと桜庭は苦笑いした。
「……いや大物だな? 機械音痴まじでウケてるとは思わなかったわ」
「進が壊さなかったのも衝撃だった」
「ですよねえ」
「自分の失態笑ってくれるとか癒やしだなー」
「炎馬でも栗田くんと並んで癒やし枠なんだろうね」
 ぱちくりとつぶらな目が瞬いて、栗田は少し考える素振りを見せた。アイシールド21の話が聞きたい、と王城部員からのリクエストが飛び、カメラを通さないトークが始まった。
「癒やし……はセナくんは確かにそうかも。アイシールドの話かあ……何から話そうかなあ。とりあえずセナくんがいなきゃ泥門アメフト部はずっと二人のままだったろうから、セナくんがいてくれて良かったよ」
「そういやそうだった」
 一年の時も、二年の春の最初も。蛭魔と栗田だけが良くて、あとは寄せ集めの素人集団。二人ではどうしようもなかったのだろうが、勿体ないと桜庭も思っていたし、進はあと一人、俊足のランニングバックが居れば変わると言っていたのを思い出した。俊足どころか光速だったわけだが、本当にそうなるなんて当時は思いもしなかった。
「セナくんが入ってくれたから皆集まってきたんだよ。そう、セナくん勧誘うまいんだ! モン太くんもセナくんが誘って、瀧くんも」
「へえ」
 怖がりで引っ込み思案な印象があったけれど、瀬那は心臓が強くもあった。アメフトに関しては物怖じせずに目的を遂行するということだろうか。
「三兄弟くんたちはちょっと違うけど……それでもセナくんがいなきゃアメフトやってなかっただろうし、雪光くんも。小結くんは僕を師匠だって言ってくれてたから違うかな?」
 後輩になれば中坊も、更にその下の世代にも。瀬那の影響は色んなところに広まっているらしい。出てきた当初にメディアからヒーローとして扱われて知名度も上がっていたし、蓋を開ければヒロインだったという事実もあって話題性は凄かった。憧れる者が現れるのは当然だっただろう。
「あとはそうだなあ、褒めるのうまいんだよね。語彙力がないとは十文字くんにも言われてたけど……僕もセナくんも怒るの苦手だから、ヒル魔や十文字くんが代わりに怒ってたようなとこもあったな」
「……セナちゃんは栗田くんを手本にしたのかもね。栗田くんが褒めてたからそれを見て」
 またもやつぶらな目がぱちりと瞬き、桜庭の言葉に驚いたようにぽかんとした。
 栗田は思いもよらなかったようだが、同じチームの先輩を見習うのもおかしなことではない。瀬那のような子なら蛭魔よりも栗田を参考にしやすいだろうし、何より懐いているのが証拠のようにも思う。
「ああ……そうなのかなあ。だったら嬉しいね」
 この穏やかさは蛭魔には決して出せないもので、瀬那にも通ずるものがある。炎馬に行ったのは学力のこともあるだろうけれど、栗田がいるなら心強いと思ったかもしれない。まあ、進が聞けばもしかしたら嫉妬なんかしたりするかもしれないが。それはそれで見たい。
「良い子なのがよくわかった。進の奴、ちゃっかりしてやがる」
 栗田の様子から汲み取った瀬那という後輩の可愛げに気づいたらしい部員が恨めしげに呟く。瀬那が別の人間を好きになっていたら進とは付き合わなかっただろうが、桜庭からすればそんなもしもはないだろうと思えるような二人だ。周りからすれば違うのかもしれないが。
「本っ……当に驚いたんだよな。まず進に彼女がいるって事実から驚くのに。あのストイック過ぎる天才に!? ってなあ。普通の女じゃついてけないから振られるの目に見えてる奴だし」
「そうそう。そもそも一緒にアメフトやれる女の子なんか貴重過ぎる人材なんだよな。しかも楽しそうにやるじゃん。可愛いだろ。そりゃお近づきになりたいだろ。理解のある彼女欲しいよ!」
 最後は悲痛な叫びになっていたが、熱弁する部員たちに桜庭は苦笑いしつつ、言っていることには内心で同意していた。
 実は進にもひっそり女子ファンがいたが、話しているところは見なかったなあ、と桜庭は記憶を思い起こした。邪魔をせず見守るような感じだったのだろうか。ファンでもない普通の女子ならそもそも進とお近づきになろうとも思わないのかもしれない。トレーニング一辺倒だし食事だって一緒には楽しめないだろう。それほどに生真面目過ぎる天才なのだ。
「セナちゃんて進といて何に楽しみを見出してんだろうな」
「うーん。トレーニングとか……」
「会う時もジャージっぽいよな……」
「いや、ま、一応好き同士だから、楽しみはいくらでもあるのでは……?」
 二人きりでも普段どおりの態度かなど外野にはわからないのだし、留学前には花火大会にも行っていたし、進の瀬那を見る目は優しいし、瀬那の進を見る目は輝いている。まあ、普通のカップルらしいこともしているだろうと桜庭は思う。瀬那は進と違って菓子もジャンクフードも食べるし、進ほど徹底的に管理しているわけではないらしい。どちらも互いの生活状況は正反対なのだろうから新鮮ではありそうだ。一年半経つ今でも新鮮に見えているかは知らない。
「もう最後までいったかな?」
「ゴフッ」
「そりゃ一年半も付き合ってたら……なあ?」
 桜庭は飲んでいたスポーツドリンクを吹き出した。客人用に出された茶を飲んだ栗田も吹き出していた。
 いやまあ、マネージャーも瀬那もいない男だけの空間で、下世話な話は基本的によくあるものではあるが。進ともそこまでの話はしたことがないし、この様子では栗田も知らないのだろう。当然か。
 しかし。桜庭はつい思い出してしまった。この間の炎馬大学祭でちらりと見えてしまったあれ。アメフト部主催イベントのアイシールド21を探せ! と銘打たれた鬼ごっこの時だ。最終的に進が瀬那を捕まえていたわけだが、その瞬間は邪魔が入らないよう桜庭が気を利かせる羽目になった。
 だって抱き合ってるんだもん。
 いや、わかるよ。階段を飛び越えてきた瀬那の真下に進がいて、うまく着地ができずに倒れ込んだから進が抱きかかえたことくらい。挟み撃ちするつもりで桜庭も動いていたのだから近くにいたのである。さすがだよ、本当に。お前はヒーローだ。あの時も桜庭は格好良いなあと感心したものだった。
 だが今、そんな下世話な話で思い出してしまった一場面は、瀬那も思ったより密着したことに照れてはいないように見えたので、まあ、終わってそうではあるな、と、好奇心に負けて想像してしまったのである。ああ、要らぬことを考えてしまった。いやまあ、触りたい欲求は前々からあったのだし、進も普通の男だったというだけのことなのだが。
「無くはないよな。大きくはないけど」
「わかる。控えめだけど予想よりある。ちょっとどきっとしたわ、試合中は防具あるしさ」
「えー、俺はもうちょい無いと揉み甲斐が……」
「いや、胸より尻だろ? 絶対引き締まって触り心地良さそうなんだよなあ」
「進の彼女ですよ! それ以上は駄目ですって!」
 猥談に進もうとしている部員たちを必死に軌道修正させようと桜庭は声を荒げ、照れて顔を隠す栗田もまた駄目だと叫んだ。女子部員である瀬那が所属する炎馬ファイアーズはこの手の猥談が禁止というわけではないが、あくまでアメフト部外の女子に限る。瀬那については意図的に外しているらしく、話題に挙げることがないのだとか。
「でもチームメイトに強火担いるよな? ていうか泥門の時から小早川セナの親衛隊みたいになってなかった?」
「ああ、それはね、まあ。猥談が駄目なのはセナくんを大事にしたいからだしね」
「ははあ。チームメイトとして大事ってのが大前提だけど、それ以外込みの奴もいるってことか」
「口に出さなきゃオッケーみたいな?」
 頷いて曖昧に笑った栗田を眺め、桜庭は成程と納得した。色恋が混じると仲が壊れるというのはわりとどこにでもある話だ。チームメイトが瀬那とどうにかなるには、卒業してからという暗黙のルールにでもなっていたのだろう。その間に掻っ攫われては気分も最悪だっただろう、と桜庭は進にブリッツしに来た面々と蛭魔を思い浮かべた。蛭魔は瀬那の顔を見るやチームに勧誘しているあたり、そっちはもう吹っ切れたのかなあ、と桜庭はお節介なことを考えてしまったが。
「戻りました」
「おかえりー!」
 監督室で充電器を借りて戻ってきた瀬那がカメラからバッテリーを外しながら、進からコンセントの場所へ誘導されるままについていく。どうやら充電器以外にバッテリーも借りたらしく、カメラにセットしている様子を進が興味深く眺めている。触らないかそわそわしてしまうのはシルバーナイツの部員だが、不安げな部員たちに気づいた瀬那は進へと目を向けた後、何かを察したのかへにゃりとおかしそうに笑みを浮かべた。つい先程まで猥談を繰り広げようとしていたので、桜庭は少々気まずい思いを抱いてしまった。

 炎馬に帰る道すがら、途中で別れるつもりで桜庭は進を引っ張って栗田と瀬那と帰路を歩いていた。
「前に色々聞かれるかもって話でしたけど、大丈夫だったんで良かったです」
「……あー、まあね」
 実際には瀬那たちのいないところでアレなことを話していたのだが。知っている栗田も事実を伝えることができないまま、冷や汗をかきながら頷いていた。
「まあでも聞きたそうではあったよ。進の何が良いのか、いつ好きになったのか」
「あ、それ僕も興味あるなあ」
 桜庭は知っているが、瀬那の口から聞いてみたいというのもある。気が緩んだだろうそばから聞き返されてほんのり頬を染めて不満げに見上げてくるのが可愛いが、桜庭は撤回するつもりはなかった。
「いやだってさ、栗田くんはかち上げるわ相手の骨折るわで、試合中とか絶対怖いだろうにって先輩らも思ってるんだよ。普段だってこいつこんなんだし。ストイック過ぎる、生真面目過ぎる、女子が寄りつく人間じゃない。好きになる要素は……どこに? ってさ」
 話せば至って普通の子である瀬那と進では、やはり合わないのではないかと思っている部員もいるらしいのだ。しかしまあ、瀬那は瀬那で普通ではないところも持ち合わせているし、単に野次馬したいだけという気持ちのほうが強いのだろうとは桜庭も思っている。
「え、えーと。それ言わないと駄目ですか……」
「できれば? ああ、別に言い触らしたりはしないよ」
「う、ううーん……」
 瀬那がちらりと進に視線をやるも、進は話に割り込むこともなくただ静かに様子を伺っていた。
 ああこれは、進も聞きたいのだろう。放置どころか答えを促すようなことを口にした進に、瀬那が恨めしげに見上げてから溜息を吐いた。
「……黒美嵯マンの時からです」
「………。黒美嵯マン? って何?」
「あったねえ! そういえば格好良いってモン太くんと言ってたよね!」
 ストーカーのことだろうか。それはそれで妙なあだ名をつけたものだと桜庭は思ったが、栗田の言葉で首を傾げた。あの当時にモン太はいなかったが、どういうことだろうか。
「あれはモン太くんがデビルバッツに入ったばっかだったかな。進くんとセナくんでひったくりを捕まえた時があったじゃない? あれ泥門の新聞に載ったんだよね」
「え、ひったくり?」
「そう、部費ひったくられて、進くんたちが捕まえてくれて、モン太くんがお金全部回収して……ひったくりを捕まえた人が誰なのかってなって、黒美嵯マンと名付けられて」
「捕まえたのはほぼ進さんですけど……ぼくは回り込んで足止めしただけで」
「それでも凄いって……」
 女の子に何ということをさせているのか。アイシールド21とわかっていての所業なのだろうが、それにしたって危険なことをしたものだ。逃げたバイクのひったくりを捕らえるなどという発想が進らしいが。
「ていうかモン太が入った頃って、かなり前だよね? 俺が見た時と時期が違うけど……」
「えっ?」
「あ。いや、何でも」
「……え? な、何を見たんですか!?」
 立ち止まった栗田と進を差し置いて、瀬那は桜庭の腕を掴んでぐいぐいと二人から距離を取った。それをされると案外に進からの目が厳しいものになるのだが、瀬那はお構いなしに慌てている。そこまで気がまわらないのか、それとも進が嫉妬することを知らないのだろうか。まあ、今更進の機嫌の良し悪しで桜庭がビビったりはしないのだが。
「俺、セナちゃんが進を好きになったのはあのストーカーの時だと思ってたからさ。あの時の進は確かに格好良かったし、ナイト感あったもんなあ。恋する乙女ってこういうのかあって感動して」
「………!」
 黒美嵯川で起こった諍いのようなものだ。何ならストーカー側に罪の意識があったから大事に至らなかったと思う。とはいえ、進がいなければもっと怖い目に遭っただろうとも思えるような出来事だった。
「あ、そうか。自覚したのがストーカーの時なんだ?」
「………、」
 あとになって考えた時、黒美嵯マンの時に好きになったと気づいたのか。
 狼狽えた瀬那が光速で目を泳がせて頬を染めた。適当に誤魔化せばよかったのに、いつから好きになったのかしっかりと事実を教えてくれたのも嘘が吐けない性格だからだ。
「そんな照れなくても、あいつだってそうだし。進は人を筋肉で識別するけど、セナちゃんだけは顔色も表情も見えてたよ。セナちゃんも知ってたと思うけどね」
 それがいつからなのか、今度聞いてみるといい。あちらはあちらで生真面目で嘘が吐けない性格をしているから、誤魔化すことなく教えてくれるばすだ。瀬那相手なら、もしかしたら照れながら。
 桜庭の言葉は狼狽を落ち着かせるには至らなかったが、やがて瀬那は嬉しそうな笑みを見せたのだからもはやバカップルだ。幸せそうだなあ。揶揄ってやろうと進たちへと振り向いたのだが。
「うおっ! 進の顔赤い!」
 仏頂面のまま薄っすら頬を染めた進が手のひらで顔を覆い隠していた。栗田はいつもより楽しそうな笑みを浮かべていて、どうやら何かを言われたらしいことはわかったが。
「何話してたんですか? 進さんのそんな顔滅多に見ないんですけど……」
 若干の羨みや恨みがましさも混じった声で瀬那が問いかける。まず間違いなく瀬那のことで栗田が何か言ったのだと桜庭にはわかるが、瀬那はわかっているのかいないのか。
「えーと。進くんはセナくんの前でずっと格好良かったんだねって話をしただけだよ。思い返すと黒美嵯マンからずーっと格好良いって言ってたからね。葉柱くんに文句言ったのもあの頃だったし」
「………っ!」
 声にならない悲鳴を上げた瀬那が光速で栗田の口を塞ごうとしているが、正直今更過ぎる行動である。
 最初こそ怖がっていたと思うけれど、恐怖よりも挑戦したい気持ちが強くなっていったと栗田は言った。そこから更に感情が変わっていったのだろう。顔を上げた進の代わりに瀬那が顔を覆って俯いた。
「……あー、炎馬には帰らないと駄目なんだっけ?」
「あ、うん。鞄とか置いてるしね」
「そう。じゃ、気が済んだら戻ってくるってことで」
「そうだねえ」
 この際炎馬まで一緒に行って、鞄を回収してから家まで送ってやればいい。これ以上見ているのは野暮というものなので、二人を置いて先に行くことにした。
 留学期間があるとはいえ、あれで付き合ってから一年半は経っているというのが信じられないが、まあともかく、見飽きず見守っていられるのは楽しい。進はえらく嬉しそうだし、わかり難いが瀬那の言動には振り回されているのだ。瀬那ばかりが狼狽えているわけではない。まあ、それがわかるのは桜庭だけかもしれないが。
 どこが好きなのかを聞きそびれたが、そこはもう二人で教え合ってくれればいい。邪魔をして馬に蹴られたくはないので、桜庭は栗田とともに退散することにしたのである。

「もー、なんで止めてくれないんですか」
「小早川から聞きたかったからだ。まだどこが良いかを聞いていない」
「………っ、」
 なんで聞く気満々なのだろう。
 瀬那がずっと進を格好良いと言っていたことがばらされてしまったのは想定外だったが、そもそも常日ごろ進を格好良いと思っているのだから今更ではあった。それで照れてくれたという事実もあったので瀬那は諦めることにしたのだが、まあ、進は聞くことを諦めるつもりはないらしい。何故。進のどこが良いかなど、……そういえば言ったことがあっただろうか。いや、羅列し始めるとすぐには終わらないけれど。
「………。今日良かったのは可愛かったとこです」
「今日……可愛い?」
 頬の赤みが引いた進が何が、と首を傾げる。桜庭も栗田も先に行ってしまって、今は進と二人しかいない。聞いている者が進しかいないのなら、瀬那とて恥ずかしくとも口にするつもりはあるのだ。進は瀬那の良いところを伝えてくれていたし。
「良いところは日によって変わったりします。今日はいざ機械音痴を心配されてるの見たら、なんか可愛いなって思っちゃいました」
「………。俺がか?」
「はい。……すみません、駄目ですか?」
 トレーニングをしていない進は意外と可愛く思えるところがあったりするのだ。機械に対して文句を言ってみたり、生真面目が故の天然だったり、そういうところは格好良いよりも可愛いが強くなる。今日だけではなく普段から感じていたことだが。
 普段よりも少々複雑そうな顔をして、駄目というわけではない、と進は呟いて瀬那へと目を向けた。
「好きに考えればいいが、小早川の百面相以上に可愛いものはないと思う」
「………、………。そ、そういうのはいいので……というか見ないでください……」
「いいと言われても、常日ごろ思っていることだ。見るなと言われても見てしまう」
「あう……」
 おかしい。照れていた進を揶揄ってやろうと思っていたのに。それが駄目だったのかもしれないが、結局瀬那が逆襲される羽目になってしまった。
 どれだけ経っても進の言葉に振り回されてしまうのは、惚れたほうが負け、とかそういう格言の世界ではよくあることなのだろうか。だとしたら最初から瀬那は負けているわけだが、少しくらい慈悲があってもいいのに。
 そうはいっても試合では手を抜くなどあり得ない人だった。全てにおいて全力なのだと思い出すと同時に、いや試合ではないのだから手を抜いてくれてもいいのではないかとやっぱり瀬那は考えた。