穏やかな光の世界で

 緊張して心臓を口から吐き出しそうだった。ビビり散らしたまま瀬那は進の部屋の前に立ち尽くしており、インターホンを押そうと人差し指をうろうろと彷徨わせては深呼吸をしていた。
 誕生日に会うのにおしゃれしないなど以ての外だと鈴音は奮起してしまい、無駄に瀬那は疲れていた。緊張し過ぎて眠れなかったせいもあるが、慣れない格好をして立っているのがいたたまれなくて辛い。
 タイトスカートなんて履いたこともないし慣れないけれど、ふくらはぎまでの長い丈のものだったし、鈴音は瀬那の意向に沿いながら今時の女の子に見えそうな服を見繕ってくれた。確かに瀬那にも越せそうなハードルだったので服装に関しては安心できたのだが。
 だからといって緊張しないわけではない。むしろ普段と違う格好なのが余計な緊張を生んでいるのである。
 それでも来ると決めたのは瀬那なのだ。えいやとインターホンのボタンに人差し指を押しつけ、音が鳴るのを扉の奥で確認できた。
 部屋で待っていてほしいと進に伝えたのは瀬那だ。金銭のかからないプレゼントを欲した進に、少しでも誕生日気分を味わってほしかったからである。
 せっかく誕生日なのだから、待つわくわくがあってもいいと思ったのだ。まあ手元に来るのは瀬那なのだからわくわくも何もないと思うが、それでも。欲しいと言ったのは進なのだし。
 鍵の開く音がして、鉄製のドアが開かれる。瀬那が顔を上げた時、少し目を丸くした進がいた。
「……お誕生日おめでとうございます」
「……ああ、ありがとう」
 驚いた中にも嬉しそうに綻んだ目が、瀬那を待っていたと雄弁に伝えてくる。嬉しい。嬉しいのだが、この後を考えるとすぐに緊張はぶり返してしまった。
 それを知ってか知らずか進は瀬那を抱き締めてきたが、すぐに離れて部屋へと促した。まさかこのまま、なんて考えてしまったことで、とにかく妄想ばかりが先走って全然落ち着かない。進が多少嬉しそうでも至っていつもどおりに見えるから尚更恥ずかしい。ぼくって本当にむっつりだ、と、鈴音と二人で特集を読んでいた時に自覚したことを再確認した。
「それは?」
「あ、こ、これは、一応、ケーキというか、飾りといいますか……いや、美味しくないと思うので、後でぼくが食べるので……テーブルに飾ろうかな〜なんて……」
「………? 味見をしたということか? 食べられるものだから持ってきたのではないのか」
「あ〜……そのお……」
「………。小早川が作ったのか?」
 要らぬことを口走って進に察されてしまい、瀬那はぎくぎくと思いきり動揺してしまった。
 ケーキがあっても困るだろうなあ、と思いつつ、本当に身一つで行くのは非常に気が引けたのだ。何せ誕生日だ。誕生日とクリスマスが近い瀬那はよく一緒くたにされて子供の頃はがっかりしたものだった。生まれてきた日だけを祝うケーキがあれば瀬那は嬉しかったから。
 勿論それが進にも当て嵌まるかといえばそうではないし、進相手なら迷惑になり得るものではあったのだが。一応色々とレシピを調べて食べてもらえそうなものを作ってきたのだが、まあ、食べられなくても飾りとして使えばいいかと思ったのだ。そもそもケーキ作りすら初めてだったので、食べさせるには申し訳ないような気がするし。
「そ、それは……そうなんですけど、でもうまくできたとは言い難いので、」
「食べる」
「はい、ぼくが後で……って、食べるんですか!?」
「ああ」
 気を遣わせてしまった。困惑やら恐縮やらで困り果てた瀬那に、進もまた困惑したような顔をして口を開く。
「お前が作ったんだろう。食べる」
 だというのに、頑なにも思える進の言葉は瀬那にとって非常に嬉しいものだった。食事はいつも摂取するものと言っていたのに、今は食べると言ったことも。無理をしてほしいわけではないのに、食べてもらえるとわかるとつい笑みを溢してしまう。決して見栄えも良いとはいえないもので、普段から料理をする進にとってはままごとのようなものにも思われそうだが。
 まあ、菓子作りと料理はまた違うものだとまもりが言っていたことがあるから、一抹の望みにかけておいた。

 緊張し続けて疲れ果てた瀬那がようやくぎくしゃくしなくなった頃、進は風呂に入ることを促した。
 主役であるはずの進が作った料理を食べて、瀬那が作ってきたケーキも食べてもらって、時間も経った夜である。
 バスタオルだとか何だとか、てきぱきとバスルームを説明する進に曖昧に頷きながら、瀬那は寝間着とする予定だった服を忘れたことに気がついた。ついでに着替えも貸してほしいと告げると進のジャージを借りられたが、その後脱衣洗面所に残された瀬那は口から内臓をぶちまけそうだった。相変わらずの自分の駄目さ加減とぶり返した緊張で死にそうだ。
 しかし、ここまできて腰が引けるのはあまりにビビり過ぎる。シャワーを浴びている間、瀬那はもはや滝行気分で何とか必死に逃げたくなる感情を抑え込もうとしていた。
「わ、大っき……」
 進が貸してくれた着替えに袖を通すと、予想していたよりサイズが合わないことに気がついた。
 男子の平均身長から逸脱していないはずの進の体格でも、瀬那とはかなり差があることを改めて思い知ることになってしまった。
 身長差が約二十センチメートル。体重は確か二十キロ以上違ったはず。確かに並ぶと頭一つ分はゆうに差があるので、おかしなことではないのだろう。
 ズボンの腰紐を最大限引っ張り、裾を折り曲げて何とか歩けるようになった瀬那は、ひたすらに深呼吸をしてどうにか緊張をやり込めて部屋に足を踏み入れた。
「わっ! あっ、す、みませ、」
 歩いている間にズボンがずり落ちたらしく、折り曲げたはずの裾を踏んで思いきりつんのめった。そのまま床にダイブしかけたところを進は抱えてくれたのだが。
「………っ、」
「……すまない」
「………、い、いえ」
 腕を差し入れた位置が駄目だった。瀬那の腹ではなく控えめな胸にちょうど手のひらが来てしまったせいで、貧相な胸のサイズが下着越しにばれてしまった。いや別に支えてくれなければ倒れていたのだからこちらが感謝するのが筋だ。脇を支えて無理やり瀬那を立たせた進は光速で腕を離し、果てしなく狼狽えた声音で謝った。
 いつも大事なところでやらかしてしまうのはそそっかしいのか何なのか。まもりもいつも心配してくれていたなあ、と瀬那はぼんやり思い出した。そもそも母がわりとドジをするので血筋なのかもしれないが。
 わかっているとも。鈴音の言うとおり、瀬那の胸のサイズはそう大きくはないと判断できるだろうことくらい。高校だってそうだった。同学年の女子と張り合おうにも心許ないサイズなのだから仕方ない。どうしようもないのである。
「あああ〜……何で引っ掛けるかなあ……」
 進が風呂に向かったのをいいことに、瀬那は一人部屋でボールを抱えてもんどり打った。瀬那の足捌きはこういう時に役に立ったりしないのだろうか。せめて時と場所を選んでほしいところだ。
 意識しまくってそればかり考えているかのような印象は持たれたくないのだが、それ以外に意識がなかなかいかないのだから瀬那はまごうことなくむっつりだ。ない胸を支えた進はさすがに狼狽えたようだが、これで胸だと思われず平然とされていたら瀬那は落ち込むしかなかったところでもある。瀬那が狼狽え過ぎるのだろうが、不安なものは不安だ。
 そんな不安を察したかのように、風呂から戻ってきた進はある提案をしてきた。
「お前が嫌なら俺は床で寝る」
 ごろんごろんと転がりまわっていた時に戻ってこられたので、その弁解も満足にできないまま瀬那は固まった。進にとっては奇行に見えたかもしれないが、何か色々と勘違いをされたかもしれない。
「欲しいものと聞かれて確かに答えたが、無理強いするつもりはない」
「……嫌そうに見えますか?」
 瀬那の緊張を誤解したのかもしれない。今日は人生で一番と言っていいほど挙動不審ではあったが、それは主に自分の駄目なところに頭を抱えていたのと、がっかりされたくないと思うあまりの緊張だ。転がっていた瀬那はベッドを背にして床に正座をし、小さく進へ問いかけた。
「……わからん。見えないと思ってるが、俺の願望かもしれない」
 進の願望がどんなものか、一言で察した瀬那は頬を赤くした。
 ここにきて瀬那を慮る進は本当に優しい人だと思える。願望を叶えるより瀬那の気持ちを優先してくれる。それも嬉しいが、それよりも。
 我慢、してくれるのだ。瀬那に触れたいと思うことを我慢してくれる。触れたいと思ってくれているのを。放っておいたら思うままに悲鳴を上げてしまいそうだったので、両手のひらで顔を覆って瀬那は呻いた。
「……嫌なら最初から来ないです。……ただ、その……、ばれちゃったので、は、恥ずかしくて」
「………? 何が」
「そ、その……、さ、さっき、転けそうになった時、の、さ、支えてくれた場所が……あの、じ、自信がなくて……」
「………」
 どこもかしこも自信はないのだが。
 サイズが小さいので、と、顔から手を離してもじもじと指を遊ばせながら、瀬那は俯いてごく小さな声で告白した。こんなことを自分で言うのは非常に恥ずかしい。しかし黙ったままでは進が我慢をする羽目になってしまう。誕生日なのに。
「………。正直に言えば、気にしたことがない。……いや、語弊がある。その、大きさについてを考えたことがない」
 進は複雑な表情をしていた。
 瀬那が知り合った中でもひと際アメフトにストイックな進のことを、付き合う前まではもっと悟りを開いたような人だと思っていた節があった。
 だが、それは間違った印象だ。進は別に悟りを開いてもいないし、アメフト以外に興味がないわけでもない。瀬那に触るのを我慢するような人である。瀬那を好きだと言ってくれる人なのだ。
「うまく言えないが――俺にとって、小早川セナという人間がどんな姿かたちをしていようと、それこそお前が男だったとしても、恐らく俺は受け入れただろう」
 ぽかんとした瀬那はただ進を見つめた。
 それは、小早川瀬那という存在であれば何でもいいということか。さては、瀬那のことを好き過ぎるということだろうか。
 なんか、凄いことを、言われている。何と返せばいいのか、言わなければならないことを必死に考えようとしたけれど、元来頭の良くない瀬那である。思考が纏まらないまま茫然と口を開いた。
「あ、あの、こっちで。床だと痛いですよ」
「……いいのか?」
 ベッドを指して袖を引っ張ると、進は少し困ったような顔をして問いかけた。そちらへ行けば触ることになると、無理をしていないかと窺うような目を向けてくる。だが瀬那は瀬那で少し困っていた。曖昧に笑いながらまた口を開く。
「な、なんか、ぼくもうまく言えないんですけど……、今、凄く、進さんに触ってほしいです。全部、貰ってください」
 何かが溢れて溺れているような状態で、瀬那はうまく考えることができなかった。だが、今はとにかく触ってほしいし触りたかった。何というか、溢れ出した感情をどうにかして落ち着かせるにはそれしかないと思ったのだ。
 好きという感情のもっと先の、愛しいと思う感情が、溢れて止まらなかったのである。

 窓から入る光と鳥の囀りにふと目を覚ました進は、ベッドサイドに置いてある時計に視線を向けて勢い良く上体を起こした。
 七時。朝の七時だ。体内時計が狂ったことのない進は普段は五時には起きていた。目覚まし時計は鳴らすことなく時間を確認するだけのものだった。針が狂っているのかと思い確認しようとした時、隣でもぞりと寝返りを打つ姿を目にした進はつい手に持った時計をばきゃりと潰し壊した。
「ひゃっ」
 つい漏れたというような短い悲鳴を上げたのは瀬那だ。進の誕生日だからと、ひと晩泊まりに来たから朝もこうして部屋で顔を見ているのだ。
「……ふふ、寝起きだから力加減失敗しました?」
 瀬那も寝起きだからか目も半分は開いておらず、掠れてぼんやりとした口調だ。性格上進より狼狽えるのではないかとも思えたが、今は進が潰した時計に興味が向かっているらしい。
「……いや。小早川を見て驚いたからだ」
 すぐにでも落ちそうだった瞼が持ち上がり、やがて瀬那の頬が染まる。どうやらはっきり起きたらしく、進と同じように上体を起こした瀬那は照れながら小さな声で朝の挨拶を呟いた。
「おはよう。七時だ」
「寝坊ですか? 珍しい……というかするんですね、進さんも」
「ああ……」
 瀬那の顔をじっと見つめていると手で顔を隠されてしまった。一応今日は休日ではあるが、さてどうすべきかと考えながら進は瀬那を抱きかかえて腕に収め、そのままベッドに寝転んだ。
「え、ちょ、し、進さん?」
「起きられなかった」
「……ぼくもです。緊張で疲れ過ぎたのもあるけど……」
「俺もだ」
 昨日から今日にかけて、体験したことのないことばかりが起こって驚くしかなかった。
 深い睡眠が取れたのはあらゆる意味で瀬那のおかげだ。どうせなら二度寝というものも体験してみてもいい。トレーニングに精を出すばかりだった進が、瀬那と過ごすようになってから避けていたことをするようになった。それが案外に悪いだけのものではなかったのだ。
「……寝るんですか?」
「………。たまには。身体は問題ないか」
「えーと、……はい。……へへ、珍しいですね。その、それはそれとして……このままですか……?」
「小早川を抱いて寝たらよく眠れたからな」
「だっ、い、言い方変えてください!」
 進を窘める言葉を発しながら抱きついてきた瀬那が胸元に顔を埋めるのを見た時、照れた顔を隠したいのだと進は理解した。サイズの合わない進のTシャツを着た瀬那の、薄っすら赤くなった項が襟ぐりから覗いているのを眺める。
 男より柔く、だがしなやかさを持った身体が進に密着する。
 昨日は必死になっていたが、瀬那の身体で何を隠す必要があるのか進にはわからなかった。肌のきめ細やかさも、筋肉の付き具合も、気にしていると言った胸の大きさも、進にとっては均整の取れた美しい身体だ。
 これ以外に触れたいとも思わない、大事にしたいと思う人の。


*またもう少し経った頃

 進が家まで送ってくれるのが恒例となってだいぶ経った頃、薄暗くなった玄関前で見送ろうとしていた時のことだ。
 住宅街だから人が通るのは当然なのだが、ふと近くで立ち止まった気配に顔を上げると、果てしなく見慣れた顔が驚愕に染まっているのを見つけて瀬那は悲鳴を上げかけた。
「おっ、父さん……お、おかえりなさい」
「………。ただいま」
 覇気は基本的にない小市民である父だが、今は更に元気がない気がする。会釈をした進が一歩前に出て口を開いた。
「お嬢さんとお付き合いをさせていただいております、進清十郎と申します」
「し、進さん!」
 挨拶が遅れたこと、父にとっては突然現れた進を認められないということもあるだろう。父を慮りながらも進は認めてもらえるよう努めると口にして、付き合いを反対されたとしても引く気がないことを示していた。
 というか、学生同士の付き合いに親への挨拶があるなど瀬那は知らなかったのだが、そういうものなのだろうか。偶然帰ってきた父が静かに混乱しているのが瀬那には手に取るようにわかった。かくいう瀬那も照れてしまったのだが。
「あ、ああー、その……、………。ありがとう。娘をよろしく」
「へ、」
「いや、いい子みたいだから……進くん、だったね。アメフトの試合で見たことがある。セナとそう歳は変わらなかったと思うが、違うかい」
「えっと、一つ上」
「うん。あのな、まだ学生でここまでしっかりした挨拶ができるのは凄いよ」
 瀬那にも見習えれば良いのだが、如何せんそういった畏まった場も敬語も苦手な瀬那は苦労している。進は話がうまくないと自称するが、こうして挨拶や目上の人の対応は少しも危なげなく済ませるのだ。瀬那はインタビューにもなかなかうまく答えられないことを考えると、同じく話はうまくないと自覚している瀬那と一緒というのは烏滸がましく思う。
「ただな、その……ほら、前になんて言ったか……。顔に傷がある子」
「え? 十文字くん?」
「そうそう。それとあの……昔遊んでたっていう」
「陸」
 瀬那が人知れず凹んでいる時に、父は何だかよくわからないことを口にした。一応思いつく名前を挙げると合っていたらしく、どこか遠い目をしながら続ける。
「そう、陸くんな。……二人が来た時母さんグフフって言ってたから」
「………」
「母さんには小出しに教えたほうがいい。暴走するから……」
「あ、はは……」
「あとまあ、父さんもそれなりにショック受けてるから……。反対はしないけど、整理する時間はほしい」
「う、うん」
「はい。ありがとうございます」
 また頭を下げた進に倣い、瀬那も父に礼を告げた。娘を持つ父親の心境、なんてものはドラマの中での過剰表現ではないかと思っていたけれど、複雑そうな表情は本当にあるようだと瀬那は察した。進との関係を反対されたとしても瀬那はやめるつもりはなかったけれど、父が一先ず受け入れてくれたことは有難かった。
「……セナは進くんから良い影響を受けたみたいだし、きみもセナから良い影響があるといいな。きみは生真面目そうだから」
「……はい。感化されることがよくあります」
 瀬那からの良い影響なんてあるわけがないのに、父は何を言っているのだか。そう思ったのに進は肯定するようなことを口にした。小さく笑った父はそのまま家の中へと入っていった。
「……ぼくに感化されることなんてあるんですか」
「一番大きいのは光速の世界に入ったことだ」
 それか。瀬那のたった一つの武器であった光速のランを、追ってきた進も足を踏み入れたとわかった時は絶望したものだ。それだけが武器だったはずなのに、同じ世界にいてどうやって進を抜けばいいのかと。
「それから、電話」
「……そうでしたね」
 未だに瀬那相手以外は壊してしまうあたり、特別扱いは変わっていない。それが嬉しくも困りつつもあるが、克服してしまったらきっと瀬那は寂しくなるだろう。
「あとは、……空気だ」
「……空気?」
「ああ。お前の隣は、穏やかで心地良い。気が抜けるという感覚を知ったのはお前のおかげだ」
 トレーニング漬けで気を抜く隙もなかった。取り留めのない瀬那の話を聞いているだけの時間がないと物足りない。そう口にした進に、瀬那は街灯の下で頬を染めた。相変わらずのたらしだった。
「あ、はは……、あ、ありがとうございます……。そ、それにしても進さん、お父さんと会っちゃったからってあんな突然……」
 何かちょっと泣きそうだった。普段の瀬那はきっちりしているわけでもなく、料理もできず頭も良くないし、少しも褒められる部分などないというのに。まるで居るだけで助かっているとでも曲解してしまいそうなことを言う。誤魔化すように話題を変えたが、進は気にせず父とのやり取りについても説明してくれた。
「元々考えていた。泊まらせた時に順番を間違えたと」
「え。い、いやその、そんなことは……」
 ゼミで一緒になる女の子はナンパについていって泊まっただとか、その場のノリでああしただこうしただと武勇伝のように語っていたのを耳にしたことがある。瀬那がそんなことを真似できるとは思っていないけれど、普通の子はそういうものなのかと思っていたのだ。
 進は真面目過ぎるほど真面目だが、まさかそんなことまで考えていたとは。父にばれるのさえ恥ずかしいのに、挨拶されるのはもっと恥ずかしい。
 ただ、やはり、そうやって瀬那のことを考えてくれているのが嬉しい。そこでふと、進の家族にも挨拶に行かなければならないのではないかと瀬那は思い至り、それってもはや結婚の挨拶では、と連想してしまい、熱くなっていく頬を無理やり無視して進の背中を押した。
「て、ていうかお母さんが出てきたらまずいので」
「ああ」
 グフフと笑う母親はちょっと見られたくないし、暴走した母を父と二人で止めるのも疲れるし、何より今瀬那は妙な連想をして頭が茹だってしまっている。引き止め続けるのも悪くて、瀬那自身も落ち着きたかったのだが。
「……あの、……ありがとうございます。ぼくも、気が抜けてる進さんを見るのが好きです。……おやすみなさい」
 ありのままを晒してくれているようで嬉しい。必要としてくれることが嬉しい。なんでもない素のままの自分を、好きな人から好意的に捉えられることが嬉しい。幸せ。幸せだ。アメフトに触れなければ知らなかったことばかりだった。
 驚いたように一瞬丸くなった目が、照れたようにふと逸らされる。まるで瀬那が照れた時のような珍しい仕草だった。少しはやり返せたかなあ、と瀬那は瀬那限定でたらし込む進に逆襲できたのではないかと喜んだ。