最後の一番乗り

「卒業おめでとうございます!」
「ありがとう中坊くん」
 体育館裏へと向かっていたセナは、駆け寄ってくる後輩に笑みを見せて迎えた。
 帰国してから早々試合に出たり、直後に卒業式という過密スケジュールだったりなかなかに慌ただしくはあったが、それも久しぶりの顔を見ていれば気にならなくなった。泥門のチームメイトと過ごしたことを思い出すと、敵になってしまうのは少し寂しくもある。しかしこれからの期待を思えば時差ボケも耐えられるというものだ。
「中坊くんも受験生だね。どこ行くか決めた?」
「ハイッス、炎馬大学に」
「あ、本当に? じゃあ受かったらまたチームメイトになれるね」
 炎馬大学には栗田がいて、モン太もいて、陸と水町が同じように受験していて、今度は雲水もコータローもチームメイトで。四年までの先輩にもきっと強い人が沢山いる。強豪校ほど人数は多くないけれど、少人数だからこその楽しさだってある。
「中坊くんが来たらラインがもっと固くなるよ。そしたら――」
 武蔵工も最京大も破れない強固な壁ができるだろう。考えただけで楽しいチームだ。まだセナは入学すらしていないというのに、一気に来年が待ち遠しくなった。
「自分にとって不動のエースはセナ先輩なんで、敵になるのは考えられないッス」
「へ、あ、そ、そんなことは……ない、というか、いや、……あ、ありがとう」
「好きです。セナ先輩が」
「―――、」
 真正面から褒められることは相変わらず慣れない。吃りながら応えたセナに、追い打ちをかけるかのような言葉を中坊は口にした。
 言葉の意味を図りかねて、セナが二の句を告げないまま中坊は更に口を開く。
「一年かけて男の中の男になるので! どんな相手でも絶対に先輩を守れるようになるので、来年受かったら――へ、返事を! 聞かせて欲しいッス!」
 唖然としたのは誰でも仕方ないと思うはずだ。予想もしていなかった相手から予想もしていなかった話を聞かされて、驚愕しない人間は果たしているだろうか。絶対にいない……いや、陸や進のような冷静な人間なら落ち着いているかもしれないけれど、セナには間違いなく無理だった。
「い、いやいやいや。ぼ、僕は男だし」
「関係ないッス。自分が心底から惚れたのがセナ先輩だっただけで、……男とか女とか、そんなのはどうでもいいッス!」
 惚れたとか、性別がどうでもいいとか、いやそんなことはなくない? と突っ込みたいのは山々なのに、セナは唖然としたまま絶句していた。頬が熱くなってきたのがありありと自覚できて、どうすればいいかわからなくなった。困った。困り果てていた。
「セナ先輩はモテるので!」
「い、いや……そんなこと、」
「今から呼び出しあるッスよね」
 どうして知っているのだろう。いや呼び出されたといっても体育館裏だ。そんな十文字にありそうなイベントがセナにあるわけがないと思っていたのに、真剣な中坊に突かれてはやっぱりそうなのかなあ、と考えてしまう。期待とも不安とも思えるような感情が胸中を渦巻き始めたし、今の今まで可愛い後輩だったはずなのに、突如吐き出された言葉で非常に逃げ出したくなる衝動にも駆られていた。
「周りは自分じゃ敵わない人たちばかりッスけど……少しでも意識してもらえるよう、お願いするッス!」
「―――っ! か、か、考えさせてください!」
「ハイッス、ありがとうございます!」
 衝動を抑え込むなどできずにセナはその場を逃げ出した。
 礼を言われた。どうして。恥ずかしい。びっくりした。来年答えを言わなければならない。今年一年、セナは中坊のことを考えなければならないのだ。
 どうしようどうしようと辿り着いた体育館裏の隅で頭を抱えたセナに追い打ちをかけるように女子生徒からも告白を受け、話したことがないからと平身低頭謝りながら申し出を断り、溜息を吐きながら帰路についたセナは自分で気づいていなかった。
 同じ男子である中坊の告白に、驚きはしても嫌悪を持たなかったこと。申し訳ないと謝りながら断った女子生徒とは対照的に、チームメイトで後輩だった中坊の言葉は決して断ってはいなかったこと。全部無意識にしていたことだった。
 それに突っ込みを入れる者は誰もいないから気づくことはできなかったけれど。

*

「……やりやがったな」
 地を這うような声音にぎくりと肩を震わせた。
 光速で逃げたセナの背中を見送った後のことだ。間髪入れずに断られることだって想定していたけれど、中坊の言葉で頬を染める様子に思わず期待を持たずにはいられなかった。更にはきちんと一年後の再告白すら許してくれそうな返答に、中坊は嬉しさを必死に押し込めようとしていたところでもあった。
 振り向けば泥門デビルバッツの先輩、十文字が中坊を睨みながら近寄ってきていた。
 ヒル魔たち上級生が抜けた後、キャプテンとなったセナの補佐を率先してやっていたのは十文字だ。勿論他のチームメイトもそうではあったが、主に頭脳面で彼は非常に頼りになった。セナも無条件で勉強を教わりに行くくらいには目に見えて頼っていた。
 それが尊敬に値する先輩の誇らしい部分でもあり、悔しくもあり。
 しかし、今ばかりは彼を出し抜いたような形になったようだ。大きな溜息を吐きながら頭をがしがしと乱暴に掻いていた。
「ハイッス。……十文字先輩は、言わないんスか」
「うるせえな。先越されて今はてめーのことばっか考えてんだから不利に決まってんだろ。……くそ。あーもう! してやられた」
 もっと早く言うべきだった。そう悪態をつきながら十文字は賞状筒を潰しそうな勢いで握り締めていた。
 十文字がセナに並々ならぬ想いを抱いていることは、中坊にもわかっていた。中坊自身がそうなのだから、同じ想いを向ける人のことは大体わかる。尊敬すべき先輩であろうと、こればかりは同じ土俵の上で戦いたかった。負けたくなかったのである。
「でも! 自分は一年下なんで、過ごした時間は本当に少ないッス。一刻も早く言っておかないと、セナ先輩には……逃げられたら追いつけないので」
 今だって追いかけることもできない疾さだった。会わない半年の間に更に凄くなっていることがよくわかったくらいだ。
「……まあな」
「なんで、良かったッス最初で!」
 呼び出した生徒よりも先に伝えることができて。十文字の言うとおり、体育館裏に呼び出した生徒の後ではきっと衝撃も半減しただろうと思う。最後の卒業式、告白したい奴らはきっと多かっただろうけれど、今日ばかりは中坊が一番乗りだったらしい。十文字よりも先に伝えることができたのだ。
「……このアホ! 後輩のくせに!」
「うわっ! そ、それは関係ないッス! あっ、十文字先輩も卒業おめでとうございます!」
「思い出したように言うんじゃねえよ!」
 セナのことに関しては、きっと十文字と中坊はライバルだ。セナの特別になるためには、負けてはならない相手だった。それでも十文字自身は中坊が尊敬する先輩の一人で、卒業していくのは寂しくもあり、新たな門出を祝いたい思いもあるのだ。
「来年は十文字先輩も敵ッスね! 自分とセナ先輩が容赦しないッス!」
「うるせえな! セナごと叩き潰して見直させてやるわ! 来年首洗って待ってろよ!」
 セナを探しに行くという十文字を見送った中坊は、頼りになる先輩たちがついに卒業してしまうという現実を実感していた。
 寂しいなあ。寂しいけれど、来年を思えば待ち遠しくもある。どんな答えが返ってこようと、振られたとしても中坊にとってセナは絶対的エースであり守るべき存在だ。あと一年頑張れば、受験に合格さえしてしまえばまた同じチームで戦えるのだ。そのためにも気を引き締めて、中坊は両頬を思いきり叩いて気合を入れ直した。