瑠璃唐綿

「……今日は何かあったのかのう?」
 青を基調とした小振りながらも華やかな花束が太公望のもとへと届けられた。送り主は崑崙山にいる竜吉公主。旧知の仲である女性からの贈り物は太公望にとって嬉しいものではあるが、仙道となった今では誕生日などという概念も持ち合わせていない。しかも今日が誕生日であったはずはない。
「おお! 貢物かよ、太公望もやるねえ」
「差し出し人は、竜吉公主? ……師叔もやるさ。あの人からこんなん送られるほど仲良いんかい」
 同室に居合わせた天化と武王姫発。からかう声と、半ば羨む声が入り混じり、太公望はむうと眉根を寄せた。
「こんな花束を送られるようなことなど、しておらぬ」
「でも実際届いてんじゃん。宛名もお前宛てだぜ」
 じろじろと立派な花々を見やり、そこに小さな封筒が添えられていることに気がついた。まったく、と思いつつも送り主の美麗な顔を想い浮かべ、知らず太公望の口元は綻んだ。
「――……」
 かさかさと音を立てて手紙を開き、目線だけで文を追う。その表情がどんどん蒼白なものに変わっていくのを、天化と姫発は不審そうに見つめていた。
「……なんじゃこりゃああ!」
 西岐の中心から、一道士の叫び声がけたたましく響いた。

「――公主! あれはどういうことだ!?」
「おお、太公望。どうしたのじゃ」
 慌てたように太公望は崑崙山にある鳳凰山へと訪れた。そこの主は至って穏やかに、いつも通り彼を迎え入れた。
「どうもこうもないわ! あの花束はなんじゃと聞いておる」
「手紙を読まんかったのか? 言葉の通りなのじゃが」
 それが原因で此処まで飛んできたというのに、当の竜吉公主はあくまでも冷静な姿勢を崩さない。
「誰が誰と婚約をしたと?」
「おぬしが、趙公明の妹と」
 堪え切れず吹き出してしまった彼女の弟子を恨みがましく睨みつけ、弟子である赤雲は失礼しましたと部屋を出ていった。
「違うのか?」
「違うわー! 誰からそんな嘘を」
「うむ。太乙からな。楊戩も言っておったが」
 太公望の脳裏に面白がる二人の人物の嫌な笑顔が蘇る。楽しんでいるのだ。竜吉公主は基本的に人を疑うことをしない。ましてそれが旧知の仲である崑崙山の住人ならば尚更に。それを逆手にとって彼らは太公望をオモチャにして遊んでいるのだ。
「公主。それはな、勘違いなのだ。わしにはその気はまったくない」
「なんじゃ。おぬしにもついに春が来たと喜んだのに」
 相手の容姿を知らぬからそんなことが言えるのだ、と太公望は思う。しかし、幸か不幸か、竜吉公主は人の美醜にてんで疎く、婚約者と刷り込まれている女性の姿を見ても、大して動じはしないのだろうなとも思うのだ。
「わしにだって選ぶ権利はあると思わんか?」
「おぬしは、嫌いなのか?」
「そういうわけでは、ないが……」
「ならば、これから好きになるということもあると思うぞ。おぬしを好くとは、なかなか見る目のある者じゃ。私が保証しよう」
 うう、と唸って太公望は項垂れた。何が嫌って、竜吉公主が太鼓判を押してしまったことだ。婚約祝いということで花まで送られては、もし竜吉公主の手紙をあの者が見てしまったらと思うと、太公望は身震いした。先を恐れて、手紙は今太公望が持っているのだが。
「それとも、他に想いを寄せる相手でも?」
「……それも、おらぬが」
 そうか、と少しばかりつまらなそうに返事をした竜吉公主を見つめ、太公望は溜息を吐く。
 そういう意味合いではないが、脳裏に過る人ならいた。どんな時でも穏やかに微笑んで、自分の背を押してくれた人。母のようであり、姉のようであり、まるで女神のような人。目の前に座る麗人の姿は、初めて会った時と何ら変わらない。
「おぬしの気持ちも考えず花を贈ってしまったことはすまない。けれど、その者は、おぬしを一途に想ってくれているのじゃろう。そういう者は、そうは現れぬ。邪険にしてはならぬよ」
「……わかっておる。しかしのう……」
「何が不満なのじゃ」
 困ったように問う竜吉公主に、太公望もまた困ってしまう。自分の仕出かしたこととはいえ、まさか好意を寄せられるとは思いもしなかった。あの姿はある意味で美しいし、強いとも思う。内面は女であることもわかる。せめて外見が人間ぽくあれば、自分の気持ちも変わったかもしれない。あくまでかも、であるが。
「筋肉質なのだ」
「………」
「しかもでかい。わしより」
「………」
「どうせ伴侶となるなら、それなりに外見は気にするのだ」
 太公望の口から思ってもみない言葉が飛び出し、竜吉公主は目を見開いた。比較的人の外見を気にしない太公望ではあるが、それが自分事となると話は別のようだった。
「……まあ、おぬしの嗜好に口は出せぬが。それはあんまりではないか?」
「何を言っておる。わしにとってはゆゆしき事態だ。まあ、外見は置いとくとしても、今はまだ、そんなことを考えている暇はないのだ」
 それが一番の理由なのだろう、太公望は茶請けに出された菓子を口に放り込む。竜吉公主に情報を与えたらしい二人の仙道に、どんな報復をしてやろうかと考えながら。