純血の仙女―楊戩―
「やあ、久しぶりだね公主。元気だった?」
「久しぶりじゃな、太乙。この通りじゃ」
嬉しそうに客人を迎え入れる竜吉に太乙も笑う。美しい水の仙女とは旧知の仲である。思い出すのも億劫なほど昔に知り合った彼女は、それでも美貌は衰えることはない。
「玉鼎が弟子を取って随分経つのに、相変わらず忙しそうだよ」
「そうか……。たまには顔を見せてくれると嬉しいのじゃが。太乙はもう玉鼎の弟子には会ったのか?」
寂しそうに口にした竜吉に、太乙はあくまで明るく声をかける。
「楊戩? うん、会ったよ」
「楊戩というのか。どんな人物なのじゃ?」
名すら知らなかった竜吉は無邪気にただ玉鼎の弟子という人物を見てみたいという好奇心だけで言葉にしたのだが、太乙は少し顔を顰めた。
「うん。結構素質があるらしくて、道士の中じゃ随分強いようだよ。礼儀正しい青年だったし。今じゃ珍しい術もすぐ会得できそうらしいよ」
「……先が楽しみな人物じゃのう。会ってみたいものじゃ」
「かなりの美形だったよ。物腰も柔らかくて、あれは随分もてるんじゃないかな」
「ほう」
人の外見に関してはさして興味のない竜吉は、相槌を打つだけだった。此処でどんな顔なのかと食いつかれても、太乙にしては面白くないのだが。
「きみはあまり公に姿を出さないし、一般道士だってなかなかそういった場には出られないからね。会えるのはいつになるかなあ」
「何じゃ、楽しみを潰すようなことを言うのう」
拗ねたようにふいと顔を背ける竜吉に、太乙は可愛いなあと思いながらも真剣にフォローする。へそを曲げてしまった彼女は、どうやっても此方を向いてくれず、彼女の最も親しかった者に半殺しにされかけたのは忘れていない。
「でも、十二仙の弟子だから、たぶん次の集会には出ると思うよ。その時は公主も出席すればいいじゃない! 皆きみと仲良くなりたがっているんだよ」
「……そうじゃのう。私も、賑やかなのは好きじゃ」
次は顔を出そう。そう言った公主の前で、太乙は大きくガッツポーズをして叫び声を上げたのだった。
「太乙。久しぶりだな」
「やあ、玉鼎。本当だね、ちょっと老けたんじゃない?」
軽口を叩いて太乙は声をかけてきた玉鼎の方へと近寄る。その少し後ろには、彼の弟子である楊戩が太乙に一礼した。
「やあ、来たんだね。楽しみにしていたよ」
半分は皮肉である。竜吉公主が会いたいと言っていたのだから楊戩が集会へと顔を出してくれて嬉しいのだが、まだあまり会話らしいことをしたことのない太乙にとっては、少し警戒してしまう人物だ。
「太乙真人様、お久しぶりです。僕も、来られて嬉しいです」
微笑む彼はさながら王子様のようだと思う。仙界の姫と並べば、とても絵になることだろう。太乙にはそれが、気に食わないのだが。
「公主」
玉鼎が少し離れたところに竜吉がいることに気付き、名を呼んだ。水を湛える麗しき仙女は、玉鼎の声に振り向き優美に微笑んだ。
「きみも来ていたのか。珍しいな」
「不満か?」
「いや、会えて嬉しいよ」
嬉しそうに目を細める竜吉は相変わらずの美しさを誇っていた。遠巻きに窺っていた周りの者も、微笑んだ竜吉公主を見て熱い溜息を吐く。同性ですら見とれてしまう彼女の笑みは、ある意味で最強なのではと太乙は考える。
――まあ、強いんだけどさ……。
ふと後ろを覗き見ると、楊戩は呆けたように竜吉公主へと視線を向けていた。頬が赤く見えるのは見間違いではないだろう。
「公主。弟子の楊戩だ。楊戩、挨拶を」
「は、はい! 玉鼎真人師匠の下で修業をしております、楊戩と申します」
「私は竜吉公主と申す。素質があると、皆口を揃えて言っておったよ」
「そんな……。僕なんか、まだまだです。早く師匠のように強くなって、崑崙を支えていきたいです」
恐縮したように言う楊戩に、竜吉公主はにっこりと笑みを作った。慕われておるのう、と玉鼎をからかうような声音で話しかける。
「公主も弟子を取ればわかる」
「そうじゃのう。いつかは、取ってみたいものじゃ」
竜吉公主の言葉にお、と太乙と玉鼎は顔を合わせる。以前は興味がなさそうだったが、やはり友人が弟子を取り、慕われている様子を見て感化されたのかもしれない。
「私もいずれは取りたいしね。道徳も取っていたこともあるし、便乗して公主も洞府を開けばいいよ!」
「ああ、きみなら大丈夫だ。自信を持てばいい」
二人の友人から太鼓判を押され、竜吉は嬉しそうにまた微笑んだ。
「自信をって、公主様は弟子をお取りになるつもりはなかったのですか?」
疑問に思ったことを素直に口にする楊戩を、竜吉は見つめた。
「……そうじゃな。私は気付いたときにはもう、宝貝を扱えていたから。修業をして力を得るというのも、少し、わからない」
自分の手を見つめ、本心を竜吉は口にした。両親は既に仙人で、修業していたところを見たことはないし、同じ力を持っていた家族は、そういうものなのだろうと思っていたのだ。
「此処に来た時、原始天尊は既に教主という立場だったし、原始天尊以外に友人はいなかったものだから。それに、他の洞府で見物するわけにもいかぬ」
確かに、修業中彼女が見ているとなれば、恐らく緊張して修業どころではないだろう。
「生まれた時から崑崙山にいらっしゃったわけではないのですか」
「そうじゃ。私は生まれて数年ほど、人間界に住んでいた」
「えっ、それは……」
「仙人の間に生まれた子どもは、何しろ当時は前例がなくてな。両親は崑崙を下りて人間界に居を構えていたのじゃ」
幼少の頃の思い出を語る竜吉公主に、太乙も玉鼎も構わないのか、といった目で彼女を見つめる。別に隠してはおらぬ、と気にもとめた様子のない竜吉公主に、二人はふうと同時に息を吐いた。
「それで、崑崙山に?」
「……人間界から、母と二人で天界へと招待されたのじゃ。そこで私は一命を取り留めた」
「天界!?」
驚いた楊戩は声を上げて叫んでしまい、口に手を当ててすみませんと謝った。
「謝ることはない。今と同じく天界は下界の男は行くことは出来ぬ。それが如何なる理由があろうともな。母は、天帝に気に入られて、私だけを崑崙へ置いていったのじゃ」
「そう、だったんですか……」
「きみのお父上は、死ぬまで人間界にいたのだったな」
「うむ。それが母への償いだったのじゃ。恋い焦がれた父のもとへ帰ることのできなかった母は、天界へ戻ってしばらく後に命を絶った」
「寂しくは、なかったのですか」
窺うように楊戩は竜吉公主へと問いかける。家族との別離は誰だって寂しいものだ。それが幼かったのならば、尚更に。
「寂しかったよ。それはもう。けれど私は天界へ戻る母を止めることができなかったのに、寂しいのは父の方なのに、そんなことを口に出すことはできなかった」
俯いた竜吉公主を三人はただ見つめた。顔を上げた彼女は、予想に反して優しい笑みを湛えていた。
「暗い話を聞かせてしまったのう。忘れておくれ」
「僕の方こそ、すみませんでした。つらいことを思い出させてしまって」
「構わぬ。懐かしい思い出に浸ることができたのじゃ。ありがとう、楊戩」
「公主様……」
すっと、楊戩の口元近くに竜吉公主の手が寄せられた。目の前の彼女の手をつい見つめてしまい、楊戩は少し戸惑った。
「様はいらぬ。できれば、対等でいたいのじゃ」
「しかし、僕はまだ、」
「私は友人が少ないのでな。おぬしも私の友人になってくれれば、私は嬉しいのじゃが」
「そ、そんな、僕が公主様のご友人に……」
咎めるように楊戩を見つめる竜吉公主に、楊戩は少し逡巡した後たっぷりと溜息を吐き、やがて公主、と小さく呼んだ。
「こちらこそ、あなたのご友人になれるのなら、とても嬉しいです」
蕾から花弁が開いていくような笑みを見せられ、楊戩はわかりやすく頬を染めた。
「そういえば、公主は原始天尊様の若い頃を知っているんだよね」
「ん? そうじゃな、昔はそれは良い男じゃったぞ。今もそうは思うが」
「ええっ! 今のあの原始天尊様を?」
心底意外だと表情に表れているのは太乙だけではなかった。楊戩も少し口元を引きつらせている。
「優しかったからのう。寂しくないようにと良く話し相手になってくれたのじゃ。弟子を取らぬ私に使用人を雇えと言ってくれたのも彼じゃ。何かと心配をかけてしまったようじゃのう」
今の白髪の爺の姿からは到底想像できない竜吉公主の言う教主の若かりし頃を懐かしく語る彼女は、冗談を言っているようには見えない。茶目っ気を出して時折友人たちの冗談につきあうことはあるが、自分から言いだしたりすることはなかった。事実なのだろう。そうは思うが……。
「はあ。私もいずれはあんなふうになってしまうのかなあ」
「どうだろうな。なるんじゃないか?」
「僕は嫌です」
どうせなら、若い姿のままでいたい。竜吉公主の笑顔はついに苦笑いに変わった。