純血の仙女―太乙―

 何が衝撃って、目の前に広がる視界いっぱいの光景。すべてが衝撃だったんだ。

 宝貝造りの腕を買われて異例の十二仙昇格して間もない頃、昇格祝いとの名目で師兄たちが宴を開いてくれた時のことだった。
 もちろん、祝いの席だから、言葉をかけてくれたりするけれどそれは最初だけで、後はもう各々好きなように酒をかっ食らい、主賓である私を無視してのどんちゃん騒ぎ。それはまあ、いいのだ。どうせ大酒を飲む口実が欲しかっただけである。その辺はすでに私も熟知している。
 そのなかで外見に似合わずちびちびと端っこで飲んでいる赤毛の青年に、私は珍しく近寄った。
 彼は燃燈道人といって、崑崙山のなかでも随一の仙力を誇る十二仙最強の仙人だ。私はこの男が苦手だった。少しも冗談は通じないし、手合わせをしたこともあるが手加減はしないし(私は戦闘向きじゃないんだってば!)、何より真面目で正義感に溢れた熱い男だ。真面目なのが苦手なんじゃない。あの射抜くような視線が、少し怖いだけ。
 酒の力も手伝って、私は苦手克服のため彼に話しかけた。
「やあ。これからは十二仙としてよろしくね」
「ああ。お前の宝貝造りの腕は随一だからな。頑張ってくれ」
 幾分柔らかい視線に私はほっとする。なんだ、意外といい奴なんじゃないのか、彼は。いや、悪い奴じゃないのはわかっているんだけど。
「燃燈は、お酒が好きじゃないのかい?」
「彼らほど強くはないな。隙あらば飲んだくれているよりは、修業をしていた方が気が紛れる」
「へえ。崑崙一の実力者が、意外な発見だ」
 この真面目一辺倒め。宴の席なのだからせめて楽しそうな顔をすればいいのに。というより、この男の笑った顔って、そういえば見たことがないような気がする。ニヒルな笑いは見たことがあるけれど。あれは背筋に悪寒が走ったっけ。
「きみには姉上がいたんだっけ。私はまだ会ったことがないんだけど、彼女と飲んだりはしないの?」
 ふと、会話の拍子に何気なく出した話題に、燃燈は見るからに表情を変えた。
「異母姉様とは、酒を飲み交わしたりはしない」
「あれ、そうなんだ? もしかして彼女もお酒が弱いの?」
「好きではないようだ」
「へえー。それにしても、美仙女と噂のきみのお姉さん。いつになったら会わせてくれるの?」
 好奇心として聞いた言葉に、燃燈の眉間にしわが寄った。あれ、もしかして言っちゃいけないことでも言ったかな? と思った時には後の祭り。オーラが炎のように燃え上がる。思わず悲鳴を上げそうになった私は、傍にいた懼留孫師兄の後ろに隠れた。
「異母姉様は、お前と会う予定など一度としてない!」
「わー!」
「ほっほ、竜吉公主の話題は禁句じゃぞ。こやつはシスコンじゃからのう」
「ええー! そんな、ちょっと言ってみただけだよ!」
 この実力派仙人の姉、竜吉公主の噂は私が入山した時から耳にしていた。目を奪われるほどの美貌で、仙人同士を親に持つ純潔の仙女。目の前の弟からはどう想像したって、恐ろしい容貌の女性しか思い浮かばないのだ。だからこそ、見てみたいとただ口にしただけなのに。
「まさか、付き合いたいなんて言っているわけじゃないよ。ただちょっと一目見たいって言っただけで……」
「付き合いたい……! よし、太乙真人、そこへなおれ。性根を叩きなおしてやる。異母姉様へ邪な感情を抱くなど、百害あって一利なし!」
「だから、思ってないってば! うわあ、助けてよ懼留孫師兄!」
「無駄じゃよ。公主のこととなると燃燈は周りが見えんくなるからのう」
「なんだ、太乙はまだお会いしていなかったのか」
 長い黒髪を背に流し、玉鼎真人は騒ぎの方へと寄ってきた。逃げ惑いながらも、私は玉鼎の後ろへと身を隠した。
「玉鼎は会ったことあるんだ?」
「ああ。燃燈とは、失礼ながら、外見は似ていないが。根本はそっくりだ。頑固なところとか」
 優しげに目を細める玉鼎の言葉に、私は少しほっとした。あんな暑苦しい彼と外見が似ていたら、間違っても絶世の美女などと言われない――なんて、失礼なことを思っていたりした。まあ、男である燃燈は、確かに格好良いと言われてもおかしくはないんだけれども。
「おうい、いつまで年寄りに働かせるつもりじゃ」
 いつの間にやら、霊宝大法師師兄も手伝って暴走した燃燈を始末――気絶させていた。
「よし、飲みなおすぞ」
「え? ね、燃燈は……」
「私が送り届けよう」
 ぐいと腕を持ち上げ、玉鼎が燃燈を抱えた。これは、私も行くべきだよね。うん。
「私も行くよ。燃燈の洞府でいいんだね?」
「……いや、公主のところに」
 玉鼎から飛び出た言葉に、私は緊張した。まさか、この男の姉のもとに送り届けるのか。いやいや、チャンス? いや、それより、ばれた時の報復が怖い。などという私の葛藤も無視して、玉鼎はさっさと歩き出す。
「どうして竜吉公主のところへ?」
「その方が、燃燈も頭を冷やせるだろうと思ってな」
 そんなものか。しかし、件の竜吉公主という女性。私にはどんどん恐ろしいイメージが浮かんでくる。唯一この男を力づくでなく止められるという女性。まるで猛獣使いのような、アマゾネスのような姿を想像してしまい、ぶるりと身を震わせた。
「太乙。彼女はとても清廉で淑やかな人だ。心配しなくてもいい」
 思考を読まれたように玉鼎から言われ、私は少しほっとした。玉鼎が言うならば大丈夫だろう。ボケてはいるけれど、彼は信用に足る人物である。嘘もいわないし。
 黄巾力士を呼びよせて、玉鼎とともに乗り込んだ。未だ気絶している燃燈がいつ起きるかとびくびくしながらも、向かう先に純潔の仙女が居るのだと思うと、私の好奇心は大いに膨れ上がる。

「夜分にすまん。竜吉公主はおいでか?」
 玄関から声をかける玉鼎と私は、洞府内で人が動く気配を感じ、主が出てくるのを待った。
「こんな時間に此処を訪れたことがばれたら、私も攻撃されるかもしれない」
「ええ、そんなあ。どれだけ過保護なのさ」
 燃燈とは、そういう男だ。とこともなげに言う玉鼎に、私の命のカウントはいくつなのだろうと冷や汗をかく。何せ、十二仙筆頭だ。それでなくとも、私は科学専門なのに。
「おぬしがこんな時間に、珍しいな」
「ああ、公主。すまない。燃燈が潰れてしまってね」
 涼やかな声とともに姿を見せた鳳凰山の主。艶やかな黒髪は暗闇でも輝いているように見えた。陶器のように白い肌は、赤みはないものの、病的な白さではないように見える。整いすぎた姿に私は目を離すことができなかった。
「そちらは?」
「ああ、太乙真人だ」
「十二仙入りしたという宝貝造りの専門家か。常々お会いしたいと思っておったのだ」
「あ、えと、太乙真人です」
「私は竜吉公主と申す。それで、酒で潰れたわけではなさそうだが」
「気付かれたか。まあ、その……宴の席で燃燈の逆鱗に触れてしまって……。暴れられたので仕方なく」
 くすくすと鈴の音のような笑い声を漏らして、竜吉公主は部屋へと案内してくれた。
 余っていた布団を床に敷き、そこへ燃燈を寝かせた。そっと掛け布団を広げる竜吉公主の表情は、眠る弟を慈しむように目を細める。
「すまぬな、弟が迷惑を」
「構わない。いつものことだからな」
 困ったように笑った竜吉公主は、茶でも入れようかと立ち上がろうとしたけれど、それを玉鼎が制した。
「いや、時間も時間だし、もう帰るよ」
「そうか? ゆっくりしていって良いのだぞ。侍女も今は里帰りしておるし、どうせ私しかおらぬのだから」
「宴席を途中で抜け出してきたからな。戻らないと」
「そうか」
 聊か残念そうに呟く竜吉公主に、玉鼎はまた来るよと声をかけた。口には出せなかったけれど、私も言いそうになってしまった。初対面なのに。こんなんじゃまた燃燈に追いかけまわされるなあ。

「……何だか、燃燈がシスコンになるのもわかる気がするよ」
「そうか。私もだ」
 帰りの黄巾力士の上。私は先ほどの感想を述べた。
 竜吉公主は、私の想像を超える美しい仙女だった。金鰲島出身である妲己は絶世の美女と言われていて、確かにそうだとは思うが、それに劣らぬ美しさだ。
 自分しかいない洞府に男をこんな時間に引きとめたり、なかなか天然である。これじゃあ燃燈が過保護になるのも仕方がないのかも知れない。
「まあでも、仲良くなるのは燃燈の許可なんかいらないよね」
「……太乙」
 ふふん。不敵に笑って私は竜吉公主とお近づきになれるように作戦を練る準備をしようと思い立つ。玉鼎はほどほどにしろよ、と言うけれど、人の交友関係にとやかく言えるもんじゃない。私は意外と打たれ強いんだよ。