たいせつ
「よお。竜吉公主ってのは、太公望のこれか?」
小指を突き出し、武王姫発は天化へ問いかけた。興味深そうに青の花束を眺めていた天化は知らねえ、と一言返す。
「どんな女なんだ? 手紙読みながら最初は嬉しそうだっただろ」
女好きで有名な姫発から質問が投げかけられ、天化は少し逡巡したものの、そういえば確かに、と疑問符を抱えながらも嬉しげに花束を見ていた太公望を思い浮かべる。
「プリンちゃんか?」
「そういう単語で表現してほしくないさ」
最後に見たのは微笑んで洞府の入り口から自分を見送る姿だった。初めて会った時よりも天化は成長していると思うが、彼女の姿は何ら変わらず、いつまでも清廉な姿のままだった。
「何だよ、超絶プリンちゃんってとこか」
「……もういいさ。とにかく、王サマじゃ想像もつかない美人なのは間違いねえさ」
やるなあ太公望! と少し興奮したように姫発は声を荒げた。その後の彼の様子を思い出せば、手紙の内容はあまり良いことは書かれていなかったのだろうと想像できる。
「見てみてえな。なあ、周に来ることはないのかよ?」
「公主さんは仙界でしか生きられねえから、人間界には下りて来ねえさ」
「んだよーつまんねえ。薄倖の美人っていうのか? 儚いねえ」
姫発の言葉に天化は内心で同意した。悲観した様子を天化には見せたことはなかったが、心の奥では彼女自身も辛いと思っているのだろうかと考える。
「太公望の彼女は超絶プリンちゃんと。おもしれえ話が聞けるかな」
「関係はどうあれ、師叔が王サマに話すようには思えねえさ」
もちろん、自分にも。もしも、万が一、自分が例えば彼女とそのような関係にあったとしても、言わないだろうと想像して天化は言う。
天化よりも自分のことをあまり話さない太公望のことだ。問い詰めたとしても吐きはしないだろうな、と天化は思う。
「殷の皇后は見たことあっけどさ、皇后よりも美人か?」
「仙界じゃ、タメ張るくらいの美人だって噂されてたさ」
おお、と感動の声が姫発から漏れる。あまりに興味を示す武王に、言うんじゃなかったな、と天化は面倒そうに息を吐いた。
「太公望師叔は此方にいますか?」
「楊戩さん。師叔ならさっき崑崙山にすっ飛んでったさ」
顔を見せた楊戩に事実を天化は告げた。興奮しきっている姫発を横目に呆れながらも、楊戩は天化へ問いかけた。
「すっ飛んでった?」
「花束が届いて、手紙を読んで」
傍にある青い花々を見て、楊戩はもしや、と思い当たったように口を開けた。たぶん鳳凰山へ向かったと思うさ、と天化が続ければ、項垂れた頭を抱えるように楊戩は手を当てた。
「竜吉公主か。この花束の贈り主は」
「知ってんのか、楊戩」
「そりゃあ、有名な方ですから」
少しだけ誇らしげに見えたその顔は、すぐにしまったといった表情へ変わる。急に花束が贈られてきたこと、慌てて太公望が仙界へ戻ったことの原因を知っているのは明らかだった。
「僕が崑崙へ一旦戻った時、太乙様と少し師叔に嫌がらせをしようって話になってしまってね。で、ちょっと話を公主に……」
「どんな話だよ?」
言い淀む楊戩に姫発は気にせず問いかける。天化も気になって先を促した。
「……ビーナスと、婚約を発表されました、と」
一瞬の沈黙。そして、大きな笑い声が一室から響いた。成程、それでこの花束か、と天化はその後の太公望の行動にも納得した。
「面白いこと思いつくさ。公主さん、信じちまったんかい」
「公主は基本的に疑わないからね。師叔もダメージが大きかろうと、日頃の鬱憤を……」
まあ、報復が怖いけれど、と続ける楊戩は、それでも楽しそうに笑顔を見せる。
「てことは、その公主ってのは太公望の彼女じゃねえのかあ。からかえると思ったのに」
ひとしきり笑って一息ついた後、姫発は少し残念そうに呟いた。その言葉に楊戩が過剰に反応する。
「何を言いますか、武王。公主が師叔とそんな関係な訳ないでしょう」
「何でだよ。そりゃこの様子だとまだかも知んねえけど、この先怪しいだろ」
「ないです」
断言する楊戩に天化も身を乗り出す。さてはこの天才と呼ばれる見目麗しい道士、崑崙の大仙女のことを……と邪推してしまう。
「公主には、師叔よりも仲の良い方がいますから」
「それって……玉鼎さんのことさ?」
「誰だよ?」
楊戩は頷いて肯定する。そういえば、以前太乙も仲が良いと言っていたなと天化は思い出した。
「僕の師匠ですけど、太乙様より昔からお知り合いのようですし、何というか……入り込む余地がないというか」
二人並んだところを見たことはないが、想像してみると壮観である。天化は納得してしまった。自身の師である清虚道徳真君のことを思うと、少し残念な思いが頭を巡る。
「ふうん。じゃ、太公望には勝ち目はねえのかよ」
「まあ、そういった感情に縛られているわけではないでしょうけどね。師匠も師叔も」
「ええ? じゃあ何でそんなこと言うんだ?」
訳がわからないといった表情を姫発が向ける。無理もない、彼はそういう目でしか女性を見ていないような節があるのだから。
「何せ、大仙女ですから。そういう感情を、抱いたりしているようには見えなかったし、関係はどなたとも穏やかなものですよ。見ていたらわかります」
この僕に振り向いてくれないのだから! と冗談とも本気とも取りがたい言葉を投げつけ、楊戩は長い髪を左手で払う。この過剰な自信だけは理解に苦しむ、と天化はげんなりとした。
「まあいいや。帰ってきたらからかってやろう」
「諦めてなかったさ」
「当り前よ! どういう関係かは知らねえが、‘大事な人’なんだろ? 結構な反応が返ってくると思うんだよなー」
あまり面白がるのもどうだろうな、と今までの行動を棚に上げ、楊戩も呆れたように溜息を吐く。そのうち帰ってくるであろう軍師の怒号が飛ぶのは、このしばらく後のこと。
――公主とわしは、そんな関係ではないわ!
――でもよう、誤解を解くためにすっ飛んでったじゃねえか。
――あらぬ噂をたてられては敵わぬ。身の潔白を証明しに行ったのだ。
――証明したいほど、‘大事な人’なわけだ。
――……覚えていろ、太乙、楊戩……。