野に咲く
「公主、元気?」
「普賢。久しぶりじゃな、おぬしこそどうじゃ、最近は」
「うん。忙しいけど、楽しいよ」
十二仙へと昇格した旧知の友人の久しぶりの来訪に、竜吉公主は嬉しげに答えた。
「弟子をとったのじゃな。太乙から聞いておる。おぬしが来てくれて、嬉しいよ」
「良い子だよ。今度公主にも紹介するね。あの子も公主に会ってみたいと言っていたから」
「そうか」
ふわりと笑って普賢は言った。その言葉に嬉しそうに微笑む公主に、これ、と手に持っていた籠を差し出した。
「なんじゃ? 手土産など気にする必要はないのに」
「木吒――弟子が持たせてくれたんだ。うまくできてると思わない?」
「これは……」
遠い昔、見たことのある花が籠の中いっぱいに広がっていた。少しばかり歪に活けられた花々は、それでも綺麗に咲いていた。
「ちょっと用事で人間界に下りてね。綺麗だったから野原に咲いていたのを少しだけ貰って来たんだ。仙界じゃ公主のところくらいしか花は咲いてないけど、今はちょっとだけ僕のところにもあるんだよ」
いらないかな、と少しだけ不安げに揺れた普賢の目はそれよりも期待に満ちて、公主は花へと手を添えた。
「……綺麗じゃな」
細められた公主の目に、普賢はほっとしたように笑った。
「この白い花はなんじゃ? 見たことがない。この花も……不思議な形じゃな」
「春紫苑、かな。こっちは……山界草、って言ってたかなあ。僕も詳しくは知らないんだけど」
興味深そうに籠を見つめる公主に、普賢も思い出しながら花の名を口にする。野草と称される花々の名までは、普賢も数えるほどしか知らない。
「ありがとう、普賢。木吒といったか。お弟子にも礼を言っておいておくれ。そうじゃ、是非会いたいものじゃ。花の礼も兼ねて」
「そうだね、伝えておくよ。今度連れて来ようかな」
テーブルに籠をそっと置き、公主は普賢の答えに嬉しそうに微笑んだ。
「そういえば、今日は太公望と一緒ではなかったのだな」
「望ちゃんね。今頃原始天尊さまの説教受けていると思うよ」
白鶴がぼやいていたと普賢が言う。相変わらずだ、と公主はおかしそうに笑った。
「修業をサボるなど今に始まったことではなかろうが、原始天尊も大変じゃな」
「そうだねえ。いい加減仙人になればいいのに。そのくらいの力はとっくにあるのにね」
出されたカップに口をつけて、普賢は太公望を思う。いずれ、彼は大きな戦に身を投じることになる。恐らく自分も。そして、目の前の麗人も。争いなどない世界を望むが、それはきっと争いが起こった後に訪れるものだ。それは、皆が解っていることだろう。今この場所が平和でも、この世のどこかでは戦いが繰り広げられている。
「失礼します、公主さま。太公望さまがいらっしゃいましたが……」
「太公望が? 構わぬ、此方へ」
「はい」
用件を告げ、女性はすぐに部屋を出た。しばらくして太公望が顔を見せた。
「体はどうだ公主。……やはり来ておったか普賢」
「やあ望ちゃん。説教は終わったの?」
むう、としかめ面を見せる太公望に椅子を勧め、公主は茶を淹れ始めた。
「説教ではない。しばらく崑崙を離れるから挨拶にな」
「何処かへ行くのか?」
「うむ。人間界へ、悪者退治だ」
ぽかんと普賢は太公望を見つめた。公主もまた、訝しげに目を向ける。
「悪者退治とは……穏やかではないな」
「まあのう。原始天尊さまの命令だ。嫌とは言えぬ」
「随分急だね。今から?」
「そうだ。まあ、適度に頑張ってくるかのう」
気の抜けたことを言う太公望に、普賢は少し沈黙したが、すぐに笑顔を取り戻した。
「そうじゃな。原始天尊が言うのでは、否とは言えぬ」
まあ、言ったがな、と呟いた太公望の言葉にはあえてコメントせず、公主は寂しくなるのう、と少しだけ表情を曇らせた。
「なあに、一生というわけではない。隙を見て此処に来ることもできるだろう」
それほど長くもならんだろうし、と言う太公望に、公主は笑顔を見せる。
「この籠はなんだ? 人間界の野草ではないか」
「それ、木吒と一緒に僕が摘んできたんだ。お裾分け」
「ほう。懐かしいのう。川べりにもよく咲いていたな」
「人間界には、この他にもまだまだ花があるのじゃな」
ふと、太公望が庭へと顔を向け、ああ、とひとり頷いた。
「此処は公主が咲かせた花があるが、仙界にはあまり花はないからのう」
「私の知っている花だけじゃ、此処にあるのは」
ひょっとして、と普賢は太公望をちらりと見た。茶を一気に飲み干して、さて、と立ちあがる様子を眺めながら、彼の考えを予想して普賢は笑みを深くした。
「もう行くのか」
「うむ。四不象……霊獣を待たせておるしのう。……次は、公主の知らぬ花でも手土産に持ってくる」
にやりと笑って太公望は言った。公主は一瞬驚いて瞬きしたが、やがて嬉しそうに破顔した。
「望ちゃんてば、ちょくちょく戻ってくる気だよ」
「そうじゃのう。悪者退治が疎かにならぬといいが」
そうは言いつつ、公主の表情も嬉しそうに綻んでいる。まったく、と呆れたような溜息を吐きながらも、普賢も嬉しそうな表情を見せた。
封神計画が、ついに始まる。この時はまだ、あらゆる人々の胸に傷跡を遺す長い戦いになるとは、普賢も公主も、太公望も知る由はなかった。