太陽の花
「睡蓮が咲いたのか」
ぼんやりと庭を眺めていた太公望から出た呟きに、竜吉公主は頷いた。
「今年は、崑崙も温かかったからのう。綺麗に咲いたものじゃ」
うむ、と聞いているのかいないのか、生返事をする太公望に、気にもせず公主は隣へと腰掛ける。
「好きなのか、睡蓮が」
「見る機会は少ないからのう。嫌いではない」
そうか、と公主は同じように池に咲く睡蓮を見る。実を言うと何年も挑戦したのだが、水に浮かぶように咲いてはくれなかった。やっと花開いてくれたことに、それに気付いてくれたことに公主は嬉しく思っていた。
幼い頃、二、三度見たことのある花。子供ながらに美しいと思った。父も母も睡蓮の花を綺麗だと言っていた。
「公主に似ておる」
「何?」
ふと太公望の口にした言葉に公主は反応した。彼の横顔を見つめるが、太公望の視線は庭へと注がれたままである。
「知っておるか、公主? 睡蓮はある処では神聖な花として愛でられておるそうだ。青睡蓮は日の出とともに花開き、日没には花弁を閉じる。太陽の花とも呼ばれておるらしい。まるでおぬしのようだとは、思わんか?」
公主へと視線を戻して太公望は柔らかく笑った。何と恥ずかしいことを言うのだろう。太陽など、竜吉公主にとっては焦がれるような存在であるのに。
「思わぬ。神聖な花と言われているのは知っているが、それが何故私のようだと」
「崑崙の仙道にとって、おぬしは神聖な存在なのだ。疎ましいかも知れぬが。太陽を見つめるように咲く青睡蓮は、手に届かぬものに少しでも近付こうとしているようにも見える。おぬしは見様によってはすべてを手に入れた者であるように見えるが、本当は誰よりも光を求めている。それが少し似ておったのだ。それに、」
一息吸って、そして静かに吐いた。少し頬が赤いのは、やはり恥ずかしかったのだろう、女を花に例えるなど、気障なことをするものじゃ、と公主は思う。
「水面に咲く姿は、おぬしを連想させる」
口を尖らせてしまった太公望は、投げやりに最後を締めくくった。知っているのだろうか、睡蓮の花言葉は、純粋。
ついに公主は頬を染めた。何もかも、聞いてしまうのではなかった。恐らく言っていた本人も恥ずかしいだろうが、聞かされた方も恥ずかしいのだ。
「おぬし……。もしや女性を口説く時にも同じようなことを言っているのではあるまいな」
「なっ、ダアホが、そんなことしとらんわ! 思ったことを言っただけだ」
真っ赤になって否定する太公望を眺めて、公主はやっとおかしそうに笑った。冗談じゃ、と笑いを止めようともせず言う姿に、太公望もむう、と複雑な表情をする。
「睡蓮は、私の好きな花じゃ。似ていると言ってくれて、嬉しかったよ」
純潔だなどと崇められて嫌気がさした時も、なかったといえば嘘になる。地上へ焦がれたことも、光を、健康な体を求めたこともある。そのたびに両親に申し訳なく思い、ずっと身を顰めて生きてきた。
太陽に焦がれる花は、少しでも近付きたいあまりに日の出とともに花を開き、日没とともに眠る。それはまるで恋人を待ち焦がれるかのように。
公主は考える。自身が睡蓮とするならば、太陽は誰だろう。恐らく崑崙にいるすべての仙道たち。今はいない肉親。傍に座る、幼い道士。
「私にとっての太陽は、おぬしじゃな、太公望」
あっけにとられた表情の太公望は、やがておさまった頬の熱をまた再発させて、唸るように呟いた。
「おぬしも、充分恥ずかしいことを言うのう……」
睡蓮の花言葉を、公主は知っているのだろうか。純粋、純情。それとは別に、もうひとつ。
心の純潔。
その言葉は、花を見るよりも先に、公主のかんばせを思い出させた。