My Dearest Father
「あり? 気が集まってるから見に来たけど、なんだここ」
ブルマが叫んだあとドアが開き、今まさに話題にしていた父の顔が現れた。父の足下で同じ顔がひょこりと覗き込む。入室して悟飯の隣に座ろうとする父の後を追い、足にまとわりついた悟天は周りを気にしながらも、父の膝に乗りたいと小さく呟いた。
兄である悟飯には何も言わず当然のように甘えてくるが、まだ父との距離は多少なりとあるようで、部屋にいるビーデルやサタンに甘えている自分を見られることにも照れたのだろう。弟が微笑ましいという感情が顔にも表れていたのか、ビーデルから少しばかり呆れたような目を向けられた。
「おういいぞ! おめえさっきからもじもじしてると思ったらそれ言いたかったんか?」
どうやらシアター室に来る前から乗りたかったようだ。乗るタイミングを図っていたらしい。
うちの弟が本当に可愛い。部屋に響く声で言われたのが恥ずかしかったのか、俯いてむすりと唇を尖らせた悟天の頭を父が撫で、そして抱き上げて膝へと乗せた。
「悟飯にそっくりだなおめえ」
「んぐっ、」
「え? そうなんですか?」
映像を見るついでに注がれていた紅茶に口をつけると同時に父の言葉が発せられ、予想外に器官へと入り込んで悟飯はむせかけた。わざわざ身を乗り出してまで食いつくビーデルを恨めしく感じていると、ブルマにも微笑ましげに笑われた。
「ああ、悟飯からしがみついてくるのはよくあったけど、抱っことかおんぶとかは言い出せねえこと多かったなあ」
「あはは。初対面で人見知りして孫くんの足にしがみついてたことあったわねえ」
「二人ともっ! そっ、それ十年以上前の話ですよね!?」
元は父の知り合い。悟飯とは年齢も離れているブルマやクリリンたちは、悟飯の幼少期をがっつり知っているのである。昔の泣き虫だった頃の悟飯を。おかげで耳まで真っ赤で熱い。
「聞いてやりゃ言うんだけど、言い出すまでがもじもじしてよ」
「いやあ可愛かったわあ、あの頃の悟飯くん。ほら、カメハウスに孫くんと一緒に来て……、……あんたがお兄さんに殺される前にさあ……」
「あー、あったなそんなことも」
目を輝かせてそわそわし出したビーデルとサタンが不穏なブルマの言葉にぎょっと目を剥いたが、父はなんでもないように軽く返事をするだけだ。この軽さが悟飯の心も軽くしてくれたことはいうまでもないが。
「あんたたちは兄弟で殺し合いなんかしちゃ駄目よー」
「しませんよ……」
「悟飯たちがするわけねえだろ」
父の膝の上できょとんとしたまま、悟飯はブルマから差し出されたジュースを飲んでいる悟天を眺めた。頭を撫でてやると嬉しそうにはにかんでいる。こんなに可愛い弟と殺し合いなんて悟飯にはできようはずもない。
「わかってるわよ! それでほら、懐かしいもの見てたのよ」
「わあ、これおとうさん?」
「うわっ! なんだこりゃ、なんてもん見てんだ」
膝の上からスクリーンへ身を乗り出した悟天と、悟天を膝に乗せたまま顔を歪めて背もたれへ身を引いた父。正反対の反応を示した二人にブルマが笑い、父は更に不満を顕にした。表情がころころ変わる父だが、悟飯にとっては意外と珍しい顔である。スクリーンに映し出された父とブルマの姿に思うところがあるらしい。意外だ。
「こんなもん見なくていいだろ」
「なあに、孫くんも照れたりすんのね」
「うるせえなあ」
ブルマのあしらい方が映像の中と同じで少し微笑ましい気分になった。何歳の頃のものかと問いかける悟天に、首を傾げてううんと唸りながら父は口を開く。
「もう少し先のところで歳の話してたわよ」
「ブルマに会ったの十二の頃だからなあ、そんくらいの頃だよな。オラちっせえなあ」
「そうねえ。こーんなに可愛かったのに、チビのくせにやけに強くてさあ」
「今思い返すと全然弱っちかったよなあ」
「はあ? 何言ってんの? 充分強かったでしょ」
心底解せないとブルマの表情が語っている。悟飯も同じ気持ちだった。父はいつだって悟飯が追いつきたくても追いつけない、超えられない山のような人である。父を頼りにする人はたくさんいて、父がいればなんとかなると思えるような人である。未来から来たあの時のトランクスが代表例だ。
「そりゃ鍛えてたけど、オラより強え奴はいっぱいいたしよ。それにこの頃のオラより悟飯たちのほうがよっぽど強えからさあ」
「あ……そ、そう……かもしんないけど……、それじゃこの頃のあんたに負けた奴らはよほどの弱虫になるじゃない……」
レッドリボン軍まで壊滅させておいて。そう呟いたブルマは、十二やそこいらの子供が世界最悪の軍隊を潰すなんてことがまず一般人からはあり得ないことだと続ける。しかし父は聞いているのかいないのか、映像を見ている悟天に話しかけ始めた。
「悟天だって修行すりゃ悟飯と同じくらい強くなるぞお」
「そうかな? 兄ちゃんより強くなれる?」
「うーん、そりゃやってみなきゃわかんねえけど、確実にオラよりは強くなるぞ」
「ちょっと聞いて……、あら」
映像を見られたくないからかもしれない。背後から話しかけられて振り向きつつも、ちらちらとスクリーンを気にする悟天の目元を隠すように父が抱き込んだ。見えないと騒いでもお構いなしである。
「い、いや〜でも、ぼくは結局ブウを倒せなかったし……」
「ありゃ仕方ねえとこもあるからな。どうにかなったんだしいいだろ」
結局ひとりで敵を倒すということを、悟飯は今度もできなかった。なんならとどめを刺せなかったことでセルの時より悪い結果を持ち込んでしまったわけである。思い出しては情けなくて項垂れてしまったところで、隣からビーデルが慰めるように背を擦ってくれた。
「ちょっと詰めが甘えかもしんねえけど、悟飯は宇宙一強えしいい男だからよ。頼むなビーデル」
「えっ?」
誰かに話しかけた父の声と驚いたらしい声は両隣から聞こえてきた。項垂れた顔を上げると悟飯を挟んだ奥にいるビーデルの肩を、父が笑顔でぽんと叩いていた。加減はきっちりしているようで痛がる様子はなかったが、やがてビーデルの顔が真っ赤に染まっていくのを悟飯は目の当たりにした。
「ちょ、ちょっと悟空さん? ま、まだビーデルにそういうのは早い……」
「あら、超優良物件じゃないの! 悟飯くん以上のいい男はいないに等しいんじゃない? 強いし性格も良いし可愛い顔してるんだから、ツバつけとかないと持ってかれるわよお」
なにせチチさんも早い段階で結婚の約束をしてたんだから、とブルマはぽろりと口にしていたが、気になる両親の馴れ初めなど聞く隙もないほど悟飯は狼狽えた。ビーデルの真っ赤になった顔を揶揄うことなどもできないまま、熱すぎる頬を必死に腕で隠そうとした。
「オラの子なのになあ、ははは! かあさんのおかげだよなあ」
「おかあさんすごいねー」
「………っ、ぼくは孫悟空の息子です!」
笑う父の姿を視界に入れながら、隠していたはずの顔を晒して悟飯は椅子をがたつかせて立ち上がった。驚いた視線が悟飯へ集中する。静まり返ったはずの部屋の中で、映像越しの話し声だけが聞こえてきた。
「孫悟空とチチの息子ですよ」
どうしてもこれだけは言っておかないと、悟飯は納得できなかった。
わかっている。軽口だろうとも、母の凄さを伝えるために言っていることもわかっている。それでもどこか言葉から、薄っすら引け目のようなものが父から滲み出るかのように思えて立ち上がってしまったのだ。きっと父は意識していないことだろうけれど。
「……へへ。そうだよなあ」
「わっ、……おとうさんっ!」
悟天を抱えたまま立ち上がった父は、驚いた顔から笑みへと表情を変えて乱暴に悟飯の頭をかき混ぜた。何故か撫でるよう促した父と一緒に、悟天も悟飯の頭を撫でてきた。
「悟空ちゃーん、悟天ちゃーん。こっちにいたのね。できたわよ」
「お! サンキューブルマの母ちゃん! 悟天がケーキ食いてえっつってよお、作ってもらってたんだ。おめえたちも来いよー」
悟飯の頭から手を離した父は、抱えた悟天を肩へと乗らせ、肩車をしながら颯爽と部屋を出ていった。
閉じた状態のドアを見つめて黙り込んだのは室内の全員だったが、やがて我に返ったように瞬いたブルマがぼんやりと呟いた。
「今更気づいたんだけど……あいつさあ、……めちゃくちゃ親ばかじゃない……?」
「……そ、そうですかね……?」
ブルマの呟きにも似た疑問は悟飯の口元をにやけさせるのに有効だった。
知識も力も、昔から悟飯の能力を認めて評価してくれていたことはよく伝えられてきたけれど、いざ家族以外の人間からそれを指摘されるとなんだかむず痒くて気恥ずかしかった。それでも嬉しいものは嬉しいのだから困ってしまう。
「まったくあんたたちは素直なんだから……まあ、そこが良いところだと思うけどね? 悟飯くんだって孫くんのことは、」
「はい、尊敬してますし大好きです」
七年を経てもう一度家族のもとに帰ってきてくれるなど思っていなかったし、それがなくたって父のことは昔から大好きだった。ピッコロに甘ったれだと揶揄されたくらいには、父は悟飯に優しすぎるくらいだったのだろう。悟天への対応を見ていればよくわかる。
「ブルマさんもそうですよね」
「えっ? 尊敬……? いざとなれば頼りになるから、まあ、そうかもね。……なによその微笑みは」
「いえ別に」
「ふーん? ところでその大好きなおとうさんが言ってたけど、二人はもう付き合ってるわけ?」
「いっ!? な、な、ないですよっ!」
揶揄いを混じえた笑みを向けたことがばれたのだろう、ブルマは一瞬じとりと悟飯へ目を向けた後、にやつきながら悟飯の顔色を変えさせるようなことを口にした。隣のビーデルへちらりと視線を向けると、むすりと頬を染めたまま悟飯を見つめていた。それに驚いてついぎくりとしてしまったが。
「ほほほ、わたしを揶揄うなんて十年早いわよ悟飯くん! さあて、ケーキ食べに行こうかしらね! 行くわよあんたも」
「えっ、ええっ! お、おい、いくら悟飯くんでもビーデルに手を出すのはまだ早いぞ!」
「も、もう! 余計なこと言わないでよパパ!」
制止もきかずにブルマはドアを開け、騒ぐミスター・サタンを呼びつけて無理やり悟飯とビーデルを二人きりにした。
なんともいえない空気が流れて、悟飯はいたたまれずに軽い口調で問いかけることにしたのだが。
「はは……け、ケーキ食べに行かない?」
「……その前に聞きたいことがあるわ」
頬を染めたまま悟飯を睨みつけてくるビーデルに詰め寄られ、彼女の問いに悟飯は更に慌てる羽目になった。