My Dearest Friend
「うわっ、なんだっ?」
「ちょっとあんたねえ、世界一可愛いギャルからのキスを受ける顔じゃないわよ」
ぎゅう、と目の前のふくふくとした両頬をつねりながらブルマが文句を言う。不満そうな顔をした子供――悟空はそれでもされるがまま受け入れていた。
「あんたがキスも知らないお子ちゃまだから教えてあげたの!」
「おめえ前は知らなくていいって言ったろ」
「今日はいいの! ほら、孫くんも返すのよ。なんて顔してんのよ!」
ブルマが自分の頬を指して悟空へと促した時、彼は顔を歪めて嫌そうにしながらも言われたとおり頬へキスをした。
可愛いギャルにキスをされることがどれだけ幸運かをわかっていない。騒ぐブルマのそばには空きビンや缶が転がっていて、そんな彼女を呆れた顔で悟空は眺めていた。
「女ってみんなブルマみたいにへんてこな奴ばっかなんかな?」
「誰がへんてこよ! まったく、女の子の良いとこ何も理解しないでさ。ものを知らないわ不潔だわデリカシーもないわ、まあ強いし結構可愛いけど……孫くんみたいなのが家にいたら助かるけどさ……」
ぬいぐるみのように抱きしめられた悟空はやはり鬱陶しそうな顔をしているが、どうやら酒でも飲んでいるらしいブルマは気にする様子がない。むしろ何かを思案していて、ふと悟空から体を離して問いかけた。
「あんたうちの子になる?」
「ウチノコ?」
「そ、わたしの弟になるかって聞いてんの。良い案じゃない? トイレも屋内だから夜中起きても満月見ることないし……」
やはり己は天才だと自画自賛しつつブルマは悟空へと再度問いかける。ピンとくる様子のない悟空は首を傾げながら、自由になった小さな体で腕組みをした。
「オトウトって?」
「えーと……家族よ家族。あんたもここに住んで、一緒にご飯食べたり遊んだり……」
「ブルマがじいちゃんになんのか?」
「バカねえ、ならないわよ。家族だって年齢とか性別で呼び方が変わるの。家族になったら、わたしは孫くんのお姉さまになるのよ。で、あんたが弟! 弟ならお姉ちゃんを助けたり敬ったりして逆らわず……」
いくらでも弟をパシリにしていい。ぶつぶつと楽しげに話す内容は、各家庭でかなりの違いが表れそうな話だった。ふうん、と気のない様子で相槌を打った悟空はブルマを見上げながら、やはり何度目かの質問を投げかける。
「ウヤマウはわかんねえけど、今とどう違うんだ?」
「………。……はあ。あんた本当可愛いわねー」
「なんだよ?」
ブルマの手が悟空の頭を撫でる。嫌そうな顔をしても鬱陶しそうな言葉を向けても、悟空はブルマからのスキンシップを跳ね除けようとはしなかった。そばに座るブルマの近くで、彼女のすることを受け入れている。
「いいのよ別に、今と変わんないならそれで。……あ、でも一つ変わることあるわよ! あんたのお家がもう一つ増えるわ。ここもあんたの帰ってくる家になるのよ」
「ふうん。ブルマはずっとここにいんのか?」
「何もなければいるわよ。わたしがいなくてもとうさんもかあさんもいるし……楽しそうでしょ?」
「うん」
素直に頷いた悟空を見てブルマは上気した頬をそのままにはしゃぎ出して話を続ける。家族になれば敬うことは忘れないように。敬うの意味をしっかり教え込んでブルマの要望を通そうとしてくるあたり、我の強いお嬢様気質が見え隠れしているようにも思えるが。
「でもブルマウヤマウのやだな〜」
「なんですってえ!」
頭を撫でていた手が胸ぐらをつかみ出したものの、悟空は意に介さず楽しげに笑う。
「にゃはは。でも家族増えるのは楽しいな!」
「……でしょ!? わたしも孫くんみたいな強い弟がいたら絶対色々働いてもらうんだから。ほら、わたしって可愛いから、言い寄る男の子だって多いし……孫くんに追っ払ってもらえばいいのよ。ま、今も大抵ヤムチャでどうにかなるけど……」
「ヤムチャ! ヤムチャも家族になんのか!?」
「えっ」
楽しげだった悟空がヤムチャの名を聞いて更に興奮したらしく、今までされるがままだったブルマの服を掴んで引っ張り、笑顔のまま詰め寄った。ヤムチャと家族になれることを期待しているのは明白だった。
「え、ええ〜……やだあ、もうあんた気が早いわね! ヤムチャは家族じゃないけど……もしかしたら家族になるかもしんないわね」
「やったー!」
嬉しそうな悟空の騒ぎようにふと顔を顰めたブルマは気を悪くしたらしく、何故自分よりヤムチャのほうが嬉しそうなのかとご立腹のようだった。その問いかけに素直な悟空は本心を口にする。
「おめえへんてこだから」
「この、失礼ねっ!」
「ははは! ブルマもヤムチャも家族になんのか! じいちゃん死んでから一人だったから嬉しいなー!」
一瞬黙り込んだブルマはまたも悟空を抱きしめて腕の中へと閉じ込めた。今度はなんだよ、と悟空も再度不満げな声を漏らして問いかける。別に、と呟いたブルマの顔は悟空からは見えていない。
「ねえ、ドラゴンボールまた探すんだったらさあ、危なくないところならついてってあげてもいいわよ。一人で行ってもつまんないでしょ」
「おめえ筋斗雲乗れねえからな〜。乗れたらいいのにな」
「わたしが美し過ぎるのがいけないのよね。この世の美が目の前にいるんだから焼き付けときなさいよ」
「ウツクシイとかわかんねえ。ブルマはブルマだ」
「ぎゃっ!」
悟空の子供らしい指がブルマの鼻を摘み、それに驚いたらしいブルマは短い悲鳴を上げて手を振り払った。堪える様子のない悟空は楽しげに笑っていて、鼻を摘み返されても楽しそうだった。
「クリリンと亀仙人のじいちゃんも家族にしよう!」
「ええ〜……クリリンはともかく、あんなスケベじいさん家族にするほどわたし懐深くないわよ。あんただから家族にしてあげてもいいなって思ったんだから!」
「なんだ、そうなんかあ。じゃ仕方ねえな。なら早くヤムチャにウチノコになれって言ってこよ!」
「あっ、ちょっと……あいつ、うちの子って言葉をなんだと思ってるのよ……言うなら家族だっての……いや家族になれってのも早すぎるけど……」
頬を染めてぶつぶつと呟きながらブルマは立ち上がり、腕の中からすり抜けていった悟空を追いかけて部屋を出ていった。十代らしい年相応の反応は可愛らしいと形容できるものであり、照れ隠しの憎まれ口も微笑ましいと思えるものだ。やがて戻ってきたブルマが照れながら母親の文句を口にしていたので、揶揄われただろうことが見る者には理解できる。
「ふああ……ほら、せっかく遊びに来たんだし、今日くらいはベッド入れてあげるわ」
あくびをして両手を上げて伸びをして、ベッドへと乗り込んだブルマはシーツを持ち上げて悟空を呼んだ。つられたようにあくびをしていた顔がきょとんとブルマを眺める。
「いいよ、オラヤムチャのとこで寝る」
「む。あんたさっきから思ってたけど、ヤムチャのこと好きすぎない? わたしとヤムチャどっちが好きなのよ!?」
「ええっ? どっちも好きだぞ」
眠そうにしていた目が据わり、ブルマは悟空へ怒りを滲ませた。内容はとてつもなく小さいことだったが、今のブルマには大事なことなのだろう。ベッドの上でじたばたと手足を暴れさせ、悟空は呆れたような顔を向けた。
「嘘よ〜! 優劣があるわ! ヤムチャのほうが嬉しそうだもん!」
「ユーレツってなんだ? おめえが最初に床で寝ろって言ったんだろ」
「あれはあんたが十四歳だって言ったからよ! 十二歳なんか子供じゃない子供! 遠慮してないで入んなさいよ!」
「エンリョなんかしてねえ……もう、仕方ねえな〜」
眉を顰めて諦めたらしい悟空はベッドへとよじ登ってブルマの隣に潜り込んだ。ふふんと勝ち誇った笑みがブルマの顔に乗り、二人分のシーツを被って寝転びながらひと息漏らした。
「ほーら、やっぱり入りたかったんじゃないの。なによその顔はあ」
「うるせえなー。早く寝ろよ」
頬をつねられてでもいるのか、悟空の発した言葉がきちんと発生できていなかった。少しばかり機嫌を損ねたような声音で返事をした悟空に対し、ブルマの声音は機嫌が良さそうだった。シーツの中で身動ぎし、やがて落ち着いたのか動きが止まる。
「あーあったかい! 孫くん子供体温だからよく眠れそう。今日寒いし……、もう寝てるし……」
本当子供なんだから、と呟く声の後、小さく小さくおやすみと囁いた。部屋の電気は静かに消され、やがてブルマからも規則的な寝息が聞こえてきた。
*
「こんなとこで何して……やだ、本当に何してんの? 何の映像よ」
シアター室で数人が集まっていることに気づいたらしいブルマが顔を出し、映像が途切れて黒の画面を映し出すスクリーンに目を向けた。
集まっているのは悟飯とビーデル、そしてミスター・サタンである。呼んでくれた張本人であるブルマの母は一緒に見るつもりではなかったらしく、楽しんでくれと言い残して部屋を出ていっていた。
「えーと。ブルマさんのおかあさんが見せてくれて……」
――悟飯ちゃん、悟空ちゃんの子供の頃の映像とか興味あるかしら? 整理してたら見つけちゃってね、とっても可愛いのよ。録画になってるの気づいてないから盗撮みたいになってるんだけど、懐かしくてねえ。良かったら見ていって。
本人たちの了承も得ぬままブルマの母は悟飯を呼び、近くにいたビーデルとサタンも手招きしてシアター室へと招き入れた。ブルマも悟空も可愛いのだとはしゃいでいたが、父の子供の頃など想像もつかなかった悟飯はおっかなびっくり眺めていた。やがて成程確かに、と納得したのである。
「何かと思ったら随分懐かしいものねえ。あはは、孫くん可愛いー!」
映像を少し確認したブルマは懐かしげに笑いながら悟飯と同じ感想を口にした。そういやこーんなチビだったわねえ、と記憶を探るように目を瞑って思い出しているようだ。悟飯にとって父は越えられようもない大きな存在で、物珍しい映像の中の父を可愛いと笑うブルマに少しばかり照れてしまった。そういえばこの人は自分の幼少期も知っているのである。
「わたしが先に会ったのにあいつ、やけにヤムチャに懐いててさあ。ちょっと悔しかったのよねー。孫くんのほうがへんてこのくせに」
「はは……ブルマさんは、おとうさんと家族になりたかったんですか?」
映像の中でも話していたこと。悟飯が見ていた二人は確かに歯に衣着せぬ物言いをする間柄のようだったけれど、映像の中のような二人は珍しい気がした。あのまま家族になっていたらどうなっていただろう。
「あー……まあ、それはあれよ。あいつひとりだったし」
ドラゴンボール探し、修行、戦い、修行。地球上の色んなところへ父は飛びまわっていたこともある。放っておけば顔も合わせずに数年が経つのだから、薄情な奴だとブルマが悪態をつく。更には勝手に死んだりするのだから、と溜息まで吐いた。
「ま、そこはともかく、あの時は。――全部やること終わらせたら、またあの山奥に帰るのかなって思ったら……ちょっとね。わたしが連れ出したわけだし、気になっちゃったのよ」
きっと父の祖父――自分の名を貰った孫悟飯という彼のたったひとりの家族だった人は、父と出会った頃より更に幼い時分に亡くなったのではないかとブルマは言った。
占いババの力で一度会ったことがあるのだという。印象は悟空よりもっと常識的な人だったのだとか。きっちり亀仙人も弟子には一般常識を教えていたと聞くし、悟空がものを知らなかったのは教えようとする前に死んでしまったからではないかと思っているそうだ。本人も祖父は随分前に死んだと言っていたことがあったし、ひとりの期間はきっと長かったのではないかと彼女は心中で結論づけた。けれどなんとなく、ブルマから父へ聞くことはしなかったという。
「幸いうちはお金に困ってないし、部屋も余ってるし、孫くんひとりくらい増えても家族は喜ぶだけだろうし……チチさんが現れたから、わたしが気にすることはなくなったけどね」
三回目に出場した天下一武道会で再会した父はブルマにとって突然成長したと感じるほど大きくなっていて、その年の武道会で母と結婚し、敵対していたピッコロと壮絶な戦いを繰り広げて優勝した。誰も口を挟む隙などなく、驚くほど色んなことが起きたのだという。
「あれ何回目の開催だっけ? とにかく悟飯くんにとって重要な人物と出会ったのが、孫くんが優勝した時なのよ」
「第二十三回」
「へえ。……え?」
「第二十三回ですよ。孫悟空さんが優勝したのはパパが優勝する前の回だから」
黙って聞いていたビーデルが口を開き、天下一武道会の開催年を教えてくれた。
そういえば彼女は悟飯が正体を隠していた頃から天下一武道会に詳しいようだったし、父親であるミスター・サタンの勇姿を確認していた時にでも知ったのだろう。ミスター・サタン本人もそうだったかと少し驚いているが。
「ピッコロさんて敵だったんだ……そんな感じなかったけど……」
「あ、ああ、僕もその頃はあんまり知らないんだけど……」
悟飯が生まれる前の父の死闘だ。ふとそういえば幼少の頃、ピッコロと出会ったばかりの頃は確かに敵のような雰囲気を持っていたような気がすると悟飯は思い出した。あの頃は本当に大変だったなあ、なんてつい遠い目をしてしまったが。
「あいつ敵だろうとすぐ仲間にしちゃうからね。軽すぎる性格だからこそできるというか……孫くんだから許されるというか……」
「いやあ……ブルマさんはおとうさんのこと言えないと思いますけど……」
「な、……いやまあ、そうかもしれないけど……」
なんともいえない顔をしたブルマは思い当たる節があったのだろう、複雑そうな顔をして髪をかき上げた。
ベジータとの子供ができたと報告を受けた当時の悟飯は幼くすべてを理解しきれないでいたが、周りは非常に驚愕して狼狽えていた。ベジータを見逃したのは父だと聞いたし、ブルマは敵だったベジータを家に住まわせていた。父とブルマの懐は悟飯には計り知れないものがある。
「なんか、ブルマさんとおとうさんもちょっと似てるとこありますよね」
「あんな破天荒な奴と一緒にしないでよ!」
「はは……」
父を破天荒と言われて言い返すことは悟飯にはできなかったが、自覚ないのかなあ、とブルマを眺めて内心考えるに留めることにした。