手向け花
「ねえ弥子先生、昨日見かけたとき男の人と歩いてたよね。彼氏?」
終業のチャイムまであと十五分というとき、一人の生徒からの質問に弥子は手を止めた。
弥子の特別授業という名のお喋り会は、生徒たちからは概ね評判だ。昼食後最初の授業なだけに、それほど真剣に聞く者はいないと思っていたのだが、時折脱線する弥子の話を生徒たちはしっかりと聞いている。E組の教師たちも教室の後ろで座って話を聞きに来る程度には、面白いと思ってくれているのだろう。毎度持ち込む間食の種類や量には、全員が顔色を失っていたが。
「中村、弥子先生の彼氏見たの?」
「弥子先生彼氏いたんだ」
「え、ちょ、」
急にどよめきだした生徒たちに弥子も慌て出す。その様子がますます彼氏疑惑を深まらせた。
「私彼氏とかいないんだけど……昨日? 何時くらいかなあ……昨日はちょっと色んな人と会ってたから」
「学校帰りだし、四時くらいじゃなかったかな。何か花束持ってさ、楽しそうだったよ」
「花束……ああ、うん。あれ、お墓参りだよ」
「あ、そうだったの? 何かごめん……」
「あはは。別に謝らなくても。じゃあ一緒にいたのって吾代さんだね。仕事仲間だよ。仕事の依頼斡旋してくれてるの。柄は悪いけどいい人だよ」
楽しそうに笑う弥子に中村が少し申し訳なさそうに眉尻を下げる。そんなに縮こまらないでよ、と声をかけて、墓参りについて弥子は口を開いた。
「みんなは覚えてるかなあ。数年前に世界的に有名だった怪盗Xって」
「……そういえば」
「いたねー。熱狂的なファンも」
「うん。模倣犯とか信者みたいな人がいっぱい。人間だけど、人間を遥かに凌駕した怪盗X。そのサイのお墓参り」
「へえ、……え!?」
「あの怪物強盗の墓参りですって!?」
教室の後ろから食いついてきたのはイリーナだった。烏間も少し驚いた表情をしているが、イリーナの比ではない。
「そうだよ。私、サイの最期に立ち会ったようなもんだし」
「データじゃあんたが何度もサイと対峙したってのは知ってたけど……立ち会ったですって!? プロの殺し屋……人間じゃ太刀打ちできないほどの化け物よ」
「えっと……まあ、とりあえずサイが私の前で亡くなって、お墓なんていえるほど立派じゃないけど、お墓参りしてきたんだよ」
「随分ぞんざいな説明ね……」
「だって数年前とはいえ、人が死んだ話だし」
更に言えば、人が死ぬ瞬間を弥子は看取ったというのだ。恐らく寿命などではないことくらい、生徒たちにも察しはつく。授業として話す内容は今までに関わった事件のことなので、死人が出る話が主ではあるが。
「凄くいろいろあった時期だし、一時は私ももう駄目だーってなったけど、サイに感謝することもあったし。なんだかんだ、憎めない子だったんだよねえ」
「憎めないって、あんたねえ……」
「人の命をいっぱい奪ったことは許せないことだけど、突き詰めればサイも被害者だったの。根源は違うところにあったから」
だから、サイだけを憎むことはできなかった。最後には助けてくれた。二人分の感謝を残してくれた。そんなサイに憎悪を向けることなど、弥子にはできなかった。
「まあそんな気持ちで、和やかにお墓参りをしてきたんだよ」
「ヌフフ。弥子先生は懐が深いですねえ」
「どうだか。図太いだけでしょ」
「あはは。自分じゃわからないけど、わりと非日常に慣れてるしね」
イリーナの悪態を気にすることなく笑い飛ばす弥子はどこか嬉しそうだ。
「初めて出会ったとき、サイは確かに怖かった。同じ人間なのに、人間以上の身体能力を持って。サイを見て、生きて帰れないと思った。けど、会うたびに少しずつサイの何かが変わっていって、最期は私に言葉を残してくれた。……私も、人間の可能性を信じてる。生きていれば、人は進化を続けられるから。私は、化け物の可能性だって信じてるよ」
「これはこれは、嬉しいことを言ってくれますねえ」
嬉しげに頷いた殺せんせーに笑みを向け、弥子は教室にいる皆の顔を眺めた。このクラス全員が良い方向へ向かうように、弥子も力を貸すだけだ。
共存できる未来があればいい。超生物を殺すためではなく、説得するために弥子は講師としてここに来たのだから。