一番の理由

「わあー、ここにも桜が咲いてるわ! 綺麗」
 ガラリと音を立てて部屋の窓を開け、サチはそこで動きを停止した。窓の外から鼻先に突きつけられたのは、色とりどりの花束。驚いて目を見開いた時に見えた花束を持つ者に、隠すこともせずサチの表情は嫌そうに引きつった。
「どうしたの?」
 背後にいた少年の声に、サチはゆっくりと表情を変えることなく振り向いた。突きつけられた花束はとりあえず手渡されたので受け取り、サチはそのまま背後の少年へと乱暴に差し出した。
「え……ぼ、僕に?」
「センジュ!」
 サチの表情と行動が結びつかず少年は困ったような顔をしたが、呼ばれた声の主に気付いて、再び困った表情を浮かべた。
「きみは……」
「おはようセンジュ! 今日も可愛いな」
 そう言いながら窓から顔を出した少年へ抱きついたのは、サチたちよりも少しだけ年上の少年だった。
 部屋にいたのは2人ではない。サチとセンジュ、そしてジゾウとイタコであるアンナも寛いでいたのだ。ああ、とどうでも良さそうにテレビへと意識を戻したアンナとは逆に、ジゾウはまた面倒なのが来た……と頭を抱えたのだった。
「何度も言ったけど、僕は男だよ。可愛いとか言われても、嬉しくないよ」
「思ったことは口にするのが性分なんだ。いい加減、俺も一緒に旅をさせてくれよ」

 来訪者と出会ったのはつい最近のことだ。着なれない現世の服を無理やり着させられ、センジュは宿の近くを散歩していた。都会である場所で好奇の目で見られるのは嫌だと言うサチの希望を聞いてのことだったが、どうにも落ち着かない。
「元がいいから何でも似合うわあ、アシュラさん」
「せ、センジュくんだって似合うわよ。……白」
 楽しそうに着せ替えをする女子2人に、正直なところ疲れていたのもある。面白いのだろうか、ただ服を着替えるというだけのことが。それはセンジュにはわからない。
 河原の近くにある木の陰に腰を下ろして、センジュは川の音を聞いていた。風が吹いて、天気も良い。お花見日和だなあ、なんて呑気なことを考える。インドへ向かう船の手筈は整っているものの、もう少し時間がかかるようだった。それまで一行は気ままに余暇を過ごすことができるのだ。
「桜だよね、この木。綿みたいで綺麗だなあ」
 淡いピンク色の花弁が何十枚も寄せ合い、一つの花として成り立っている。それが寄り添って一塊となり、至るところに咲かせている。センジュは桜に何種もあるとは知らず、ただ見とれていた。
「うん。やっぱり人間界は綺麗じゃないか」
 落ちていた花を拾って、センジュは嬉しそうに呟いた。
 春は好きだ。暖かくて、優しくて、何もなくても嬉しい気分になる。センジュは四季の中で一番春が好きだった。
「気持ちいいなあ。なんか、眠くなってきた……」
 うとうとと木にもたれてセンジュは目を瞑る。このまま穏やかな時間が続けば、皆幸せなのになあ、と考えながら、センジュは深い眠りに落ちていった。


「う、ん」
 ふと意識が戻り、センジュは目を擦った。人が傍にいることに気付き、センジュはそちらへと顔を向けた。
「起きた」
「うん、えっと、きみは?」
 目をきらきらさせてこちらを見つめる少年に声をかけられ、センジュは応答した。好奇心だけが表情に出ている少年に、おかしくなって少しだけ笑った。
「俺、リュウジ。きみは?」
「センジュだよ」
 センジュ、と名前を繰り返す少年に、センジュは不思議そうな視線を向ける。そういえば、どうして彼は此処にいるのだろう。たまたま木陰にいるのが見えたのだろうか。まあ、理由はセンジュにとっては特にどうでもいいことなのだが。
「なあ、センジュ」
「うん?」
「好きだ」
 ぱちり、と一つ瞬きをした。初めて会う人間にいきなり好意を示されたのは初めてだった。――千手観音として、崇拝されるということはあったが。
「えっと、ありがとう?」
 そう言った瞬間、リュウジは嬉しそうに破顔した。両肩を掴まれ、へ、とセンジュは間抜けな声を漏らした。
「じゃあ、付き合ってくれるか!?」
「付き合う……? どこに?」
 疑問をそのままセンジュは口にした。その途端、嬉しそうだったリュウジの顔は何とも言えない複雑なものへと変わる。その理由がわからず、センジュもまた首を傾げた。
「そうじゃなくて、俺、センジュが好きなんだ」
「うん。僕もたぶんきみのこと好きだよ」
「じゃあ、付き合ってくれるよな?」
「いいけど、どこか行くの? 散歩?」
「違う! そういう意味じゃなく、恋人になりたいとか、そういうことだよ!」
「―――」
 心なしかリュウジの頬は上気している。恋人になりたい好きって、つまりはそういうことだ。センジュは驚いたように口を開けた。
「ちょ、ちょっと待って。そういう、こと? 駄目だよ、だって」
「なんだ、好きな奴がいるのか?」
「好きな人はいっぱいいるけど、だから、きみ何か勘違いしてるよ」
「何がだよ。一目で惚れたんだ。勘違いなんかじゃないよ」
「センジュ様」
 遠くで自分を呼ぶ声がして、センジュとリュウジは顔を向けた。アシュラが此方へと歩いてくるのが見え、センジュは少しだけほっとした。
「アシュラくん」
「……こいつが、センジュの彼氏?」
「……彼氏?」
 不審そうな顔をアシュラは見せた。それはそうだろう。いきなり見ず知らずの人間にこいつ呼ばわりされ、さらにはセンジュの彼氏とまで邪推されたのだ。尊敬している相手とはいえ、自身には今も心に想う者の影があるというのに。――それは、今は置いておくが。
「アシュラくんは友達だよ。リュウジくん、誤解があるんだけど」
「誤解ってなんだよ! 俺のセンジュへの想いは本物だぞ!」
「だから、僕は男なんだ。リュウジくんも男の子だろ?」
 ぽかんと呆けた顔を見せたリュウジに、センジュはようやく誤解が解けたかとほっとした。俯いてしまったリュウジの表情は見えない。全てを救うことを目標にするセンジュとしては、少し心が痛むものがあるが、彼の幸せはきっともっと別のところにあるのだと信じることにする。
「……恋に性別なんか関係ない!」
 風が吹いて桜の花びらが散る。センジュは今度こそフリーズした。
 そして、聞いていたアシュラさえも。

「――もう、何だっていうのよ」
「まあまあミロク様。落ち着いて」
 苛々を募らせるサチにジゾウは宥めるように声をかけた。
「お花畑ねえ。誤解というより、勘違い……でもないか。盲目ってやつかしら」
 既にセンジュが男だという事実は告げてあるわけだから、誤解は解けていると言っていい。日本には古来より同性同士の恋愛はあったという史実はあるらしいので、そういう性癖を持つ子なのだろうかと少し気にはなるのだが。
「ねえ、あんた。センジュのどこがいいのよ。顔?」
「無粋なこと聞くなあ。そんなの、全部に決まってるだろ」
 片眉を上げて、冷たい視線をアンナが向ける。サチは少し頬を染めた。
「ねえ。でも一目惚れなんでしょ」
「そんなの、恋が始まるきっかけに過ぎないんだよ。中身を知れば知るほど、俺はセンジュに惹かれていくんだ」
 それは、センジュの持つ人柄だった。幼なじみだといったジゾウすら、時にはセンジュにほだされる。アシュラもまたセンジュを尊敬し救われた身。そして、サチ自身も。
 人を惹きつける不思議な魅力を持つセンジュ。限りない優しさと慈しみを持って接するセンジュから発せられる力は、人々をとても穏やかな気持ちにさせる。そして、そんなセンジュだからこそ、サチはともに旅をするのだ。
「でも、桜の下にいたセンジュは、本当に綺麗だったんだ。まるで、この世のものじゃないみたいに」
 そりゃあそうよねえ、と呟いたアンナの言葉にサチも苦笑いする。人間ではない彼ら仏は、それは絵になるだろう。
 どちらかというと、似合うのは蓮の花かしら。
 少しだけ対抗するように、サチは心中で思う。
「木にもたれて眠ってる時、桜の花が舞っててさ。神々しいっていうのか? 天使なんじゃないかって思ったよ」
「まあ、仏だけどね」
「は?」
 事実を口にしたセンジュにリュウジが理解できずに疑問符をぶつける。まあそうだな、とアンナと同じようなことをジゾウも呟いた。
「僕らの旅は人々を救いへと導くための旅なんだ。インドまでお供するのが僕らの仕事。悟りを開くのを見届けるのが、僕らの仕事なんだ」
「悟り……? インドって、そういうこと……?」
「ちゃんと言ってなかったかなあ」
「そいつが聞いてなかっただけでしょ」
 センジュたちが仏だということは言っていなかったかもしれない。目的地は伝えていたはずだが、何をしに向かうのかというところまでは、リュウジは気にしていなかったようだと、彼の様子から見て取れた。
「千手、観音? 後ろの奴は、地蔵?」
「そうだよ。アシュラくんも、仏だよ。さっちゃんとアンナちゃんは人間だけどね」
「悟りを開くのが目的なら、何で人間が一緒にいるんだ?」
「お前、口を慎めよ。サチ様をインドへお連れするのが俺たちの仕事だ。アンナは自身の特殊な力を使って協力してくれている。人間が旅をしている理由だが、これで満足か?」
 苛立った様子のジゾウが厳しい口調でリュウジへ告げる。睨むようにジゾウを見返すリュウジに、少しも納得していないな、とジゾウは溜息を吐いた。
「センジュが仏なら、何で俺は救ってくれないんだ」
「あんたねえ、救うってそういうことじゃないのよ。目先のことだけに囚われて」
「アンナちゃん」
 言い募るアンナを制してセンジュはリュウジへと向き直る。感情の読めない表情。センジュはこういう顔をたまにする。仏としての顔なのだろうかとサチは常々思っていた。
「確かに僕の想いは、全ての衆生を救いたいということだよ。救いを求める人々に、手を差し伸べるのが僕の役目。人々のために僕がいるんだ。きみのためだけに存在することは、できない」
「そんな、一緒にいられれば、俺はそれで」
「きみが望んでいるのは、それじゃないんだろ?」
 笑みを浮かべてセンジュは言った。夫婦になりたい気持ちだとはっきり言ったリュウジの言葉を、表情を覚えている。センジュだって、それがどういう気持ちなのか理解している。
 仲間を想う気持ちと、似ているけれど違う感情。たった一人を想う、暖かくて安心する、幸せだと思える、いなくなれば気が触れそうなほど強い気持ち。想像でしかないけれど、この世で一番と言えそうなほど、美しい感情。
 それは、憎しみと紙一重の。
「幸せってね、他人には見えないものなんだ。自分のなかにしか見えない、曖昧なものなんだ。それを気付かせるのが僕らの役目。きみの幸せは、これからいくらでも見つかるよ」
 リュウジに笑いかける。後ろからアンナが近づいてきて、リュウジに言葉をかけた。
「あんた、これ以上罰当たりなことしないでよ。仏様は人々を救うの。人々よ。1人の人間を救うだけじゃない、あんた以外にもセンジュたちを待ってる人はいるわ。手は何本もあったって、体はひとつよ。あんたの鎖でセンジュを縛りつけないで。それから、」
 息を吸って、アンナはサチへ視線をやった。今まで言葉を発さなかったのは、何も言えなかったからだ。サチは、アンナやジゾウ、センジュの言葉を聞いて、何とも言えない想いを抱いた。
「さっちゃんがいるから、センジュはあんたの元へなんか行かないわ。そうでしょ」
「うん」
「……え、」
 間髪いれずに返事したセンジュを見て、アンナは勝ち誇った顔をした。その言葉に他意はないと思いつつも、サチの頬は真っ赤に染まる。
「……それは、悟りを開くから?」
「それもあるけど。さっちゃんだから」
「……それって、さっき言ったことと矛盾してないか」
「そうだねえ」
 恥ずかしそうに頭をかくセンジュに、リュウジは複雑な顔を見せた。
「ミロク様だから守る義務がある。さっちゃんだから、僕がこの手で守りたい。……たぶん、きみの気持ちに応えられないのは、これが一番の理由だよ」
 満面の笑顔で言い放ったセンジュに、リュウジはついに項垂れた。にやりと笑うアンナが振り向いた時、サチの顔はゆでだこのように真っ赤になって湯気まで出そうなほどだった。恥ずかしい奴め、とジゾウは呆れた視線をセンジュへ投げかけ、振りむいたセンジュがサチへ労わる言葉をかけるが、羞恥から何でもないと突っぱねた。