面倒なひと

 泣きべそを掻きながら酔いつぶれた白龍を自室のベッドに寝かせ、アラジンは嫌味を二、三聞こえるように呟きながら彼を介抱していた。どうせ俺なんか、と涙声で漏らす姿は、ザガンの迷宮で泣きわめいていた頃とそう変わりない。
 とはいえ、最近は酒の席ではそれほど泣いて困らせるようなことは少なくなっていたので、てっきり白龍は酒に強くなったのだとばかり思っていた。情緒が陽炎のように揺らめいている今夜は、何か嫌なことでもあったのだろうかと少しばかり心配し、アラジンが自室へ送る役を買って出たのだ。
 静かな部屋にひっそりと聞こえる声量で口にした謝罪の言葉は、アラジンのへの字に曲がった唇を緩ませるきっかけになった。
「白龍くんの泣き上戸は今に始まったものじゃないでしょ。みんな気にしてないよ」
 普段なら手を伸ばせば触れる前に払いのけるはずの白龍の額に、冷えたアラジンの手のひらが乗る。ぴくりと反応して白龍はゆっくりとアラジンの手首を掴んだ。
「やめてください」
 静かな部屋でその言葉はひどくはっきりと響いた。酔って呂律も危うくなっていたはずの白龍が、拒絶の言葉だけはしっかりと口にする。その事実は少なからずアラジンの胸に痛みをもたらした。
「……あなたも、宴の席に戻って下さい。俺なら大丈夫ですから」
「さっきまでべろべろだったのに何を言ってるんだい。宴ならもうそろそろ終わるよ。僕だって部屋に戻るさ」
「ならさっさと戻って下さいよ」
「きみねえ。起き上がるのもつらそうなのに、ベッドの上で吐いたらどうするんだい」
「……あなたのために言ってるんですよ」
 起き上がろうとする背中を支えた手をまたも振り払おうとする白龍は、やはり酔っているせいか力が入っていない。翳るアラジンの表情を見ないまま、白龍は顔を覆って絞り出すように声を漏らした。
「……これ以上先に進む気がないのなら、俺に触れないで下さい」
 振り払おうとした白龍の右手はアラジンの手首を掴んでいるものの、彼女が手を引いてしまえばすぐに離れるほどに弱かった。アラジンの体へと無理やり押し戻し、白龍は手を離す。
「どういう意味だい」
 無意識に口をついた疑問を、なかったことにすべきかアラジンは一瞬悩んだ。その問いかけに白龍が答えてしまえば、もう以前の関係には戻れないような気がした。だがアラジンは苦しそうに唇を噛む白龍を見て、聞かなければいけないような、相反する気持ちが胸中に渦巻くのを感じていた。
「……あなたが、そうやって距離を詰めるから……いや……」
 耳を澄まさずとも聞こえる位置に白龍はいる。言うべきか悩んでいる様子の白龍を、アラジンはじっと見つめていた。
「ムカつくクソガキだと思ってたんですよ、本当に。今だって」
「うん。知ってるよ」
 きみはずっと口にも態度にも出していた。そう言ってやれば、白龍は顔を上げ、今にも泣きそうに表情を歪めた。なぜ泣きそうなのかはわからない。酒の力がそうさせているのかもしれないと頭の片隅で考えた。
「長く居れば嫌なところは充分見るじゃないですか」
「そうだね。僕もきみの嫌なところいっぱい知ってるよ」
 良いところも勿論知っている。だが彼はアラジンが褒めると途端に嫌そうな顔をする。どの友達とも違う、扱いにくい人だった。
「なのに、不思議でしょうがない。俺はあんたが視界に入る場所にいてくれないと嫌になった。目の前にいると気に入らないのに、いないところで誰かと笑ってると嫌な気分になるんですよ」
「―――」
「言わなくていいです。俺だってもうわかってるんですから。こんな酔っぱらった状態で言うつもりも、そもそも伝えるつもりもなかった」
 何を言おうとしているのかぼんやりと気づいてしまったアラジンは、頬に熱が集まってくるのを自覚した。まさかそんな、目の前の彼は、まさに犬猿の仲にでもなりそうなところまで来ていたというのに。嫌いなわけでは勿論ないが、手放しで好きと言い合うような仲でもないはずだ。
「あなたが、好きです。アラジン殿」
 心中で反芻した白龍の言葉を理解した直後、先程の比ではないほどに熱が顔に集中するのを感じていた。あまりの熱さに汗が滲む。酒に酔っていようとも彼の視線は痛いほど真っ直ぐで、出会った時と同じように、一つのことだけを見据えている。
「……だから、もう俺に構うのはやめてください。何も言わなくていいですから、出ていってもらえますか」
「……な、なんで、そんなに拒絶するんだい。僕に答える時間はくれないの」
「わかりきっているからですよ。アリババ殿をずっと見てきたあなたが、俺を見るとは思えない。あんなに眩しい人に惹かれるあなたを、俺では振り向かせられないでしょう」
 アリババに並々ならぬ劣等感を抱くのは、もう一人の友人である少女が原因なのだと思っていた。恐らく少し前まではそうだったはずだ。少なくともシンドリアに留学し、アラジンたちと話をする仲になった数年前までは。
 ここでそんなことはないと否定しても、彼は聞き入れてはくれないだろう。今、安易に好きだと伝えてはいけないことくらいはアラジンにも理解できる。
「……確かにアリババくんは、僕にとっても尊敬する友達だよ。彼は僕を一度だってマギとして見なかった。僕自身を見てすごい奴だって言ってくれたよ」
 再び目を逸らして俯いてしまった白龍は黙っている。口を開いたアラジンは、考える前に言葉を紡ぐ。
「でもきみは僕の力も何もかも無視して、ただの一人の人間として見るようになったよね。力もなにも関係ない、ただ僕の性格を見てムカつくガキだって言うじゃないか。僕はずっと嬉しかったんだよ。だってそんな人はきみぐらいしかいなかったんだもの。きっときみとは、いい関係が築けると思ったんだ」
 そう、いい友達になれると思ったのだ。手放しで肯定することだけが友達じゃないとこの世界で知った。いけ好かないと思われようとも、白龍はアラジンにとっていなくてはならない存在になっていた。
「それは、友達としてでしょう? 家族にしろ友達にしろ、いなくてはならないと思える人は、きっと誰にだっています。俺だって姉上もジュダルも、いなくてはならない存在です。そこにあなたが入ってきた。友達のままでは嫌だと思うような存在として。不本意ですが、大きな存在ですよ。今俺の思考の大多数はここにいる目の前のクソガキのことでいっぱいなんですよ。あんた本当に何なんですか」
「そ、そんなことを聞かないでおくれよ。知らないよ」
 空気が普段の粗雑なものに戻っていく。張り詰めていた緊張を緩ませてしまいそうで、アラジンは唇を引き締めた。
「……こうして情けない姿だって、本当なら見せたくなんかないんですよ。でもアラジン殿は、暗黒大陸だというのに使う魔法は強力だし、しゃくですが魔力を使わない組手でしか勝ったことないし、全然へこたれないし、酒も強くて潰れるところなんか見たことないし、いいところなんて全部あなたとモルジアナ殿が掻っ攫っていくでしょう。男としてこれほど情けないものはないですよ」
「話を聞いてるときみが僕を好きだという結論にどうしてもならないんだけど」
 引き締めたはずの唇はへの字に曲がり、呆れたような視線を白龍へと向けた。先程の告白と打って変わり、白龍の表情は情けなさに拍車をかけて、親を見失った迷子のようだった。
「理由が知りたいんですか? こんなに言ってるのに」
「ただの愚痴じゃないか。そんなのきみはいつも言ってるでしょ」
「愚痴じゃありませんよ。あなたの良いところを羅列してあげてるんです」
「僕のほうがもっとちゃんと良いところ挙げられるよ……」
「はあ。俺の?」
「そうだよ。きみはいつも嫌な顔をするから言わないけどね、僕はちゃんとわかってるよ」
 勝ち誇ったように笑みを見せれば、白龍は怪訝な目を向けてくる。きちんと伝わるのか、それとも酔って自虐を極めるか。それは白龍自身の感情に任せて、アラジンは思うままに言葉を連ねた。
「きみはいつもそうやって他人を強いと認めて、自分に足りない部分を認めて必死で補おうとするじゃないか。素直で真面目な人にしかできないと思うよ。僕に嫌な顔をしながら遠慮なく気に食わないところをぶつけてくるけれど、僕が本当に傷つくようなことは言わない。自分の意志に反していた紅炎おじさんも許してた。優しいよね。きみが皇帝になったとき、煌帝国はいい方向に向かうだろうと思ったんだよ。きみは今だって、僕を気にかけてわざと愚痴のように言っただろう?」
「………。……あんたの、そういう見透かした態度が心底嫌いだ……」
「僕はきみのそういうわかりにくい優しさが好きだよ」
 大きな溜息を吐いて白龍は頭を抱えた。この不器用な青年は、今もなお憎まれ口を叩くものの、普段の勢いは全くといっていいほどない。
 空気は普段のものより少しだけ違うものになっていた。けれど先程のような息苦しさはなかった。膝に顔を埋める白龍に手を伸ばし、アラジンは彼の髪に触れる。
「先程も言いましたが」
「うん」
「触らないでいただけますか」
「嫌だよ」
 やめさせるようにアラジンの手を白龍が掴む。眉間に皺を寄せて睨みつけてくるが、アラジンは笑みを崩さない。
「僕はきみに触りたい。何だか放っとけないんだ」
「……良いように解釈しますが」
「……うん。構わないよ。たぶんだけど」
 視線が穏やかなものになり、白龍は静かに止めようとした手を下ろした。情けない。恥ずかしい。嬉しい? 思っていることはそのあたりだろうか。アラジンは想像してみるが、彼の今の表情は、これまで見てきたどれとも違っていた。
「……触れても、いいですか」
「さっきから何度か触ってると思うけど」
「そうじゃなくて」
 顔を上げてアラジンを見据える白龍の目はやはり穏やかで、どこか吹っ切れたようにも感じ取れた。生まれて初めて告白というものをされたのだったと今更ながらに思い至り、アラジンの頬に再び赤みが帯びる。続く白龍の言葉に、結局自分がどうしたいかじゃないのか、と呆れて笑いそうになった。
「そのたぶんという気持ちを、試してもらいたいんですが」
 頷く前に手首を引っ張られ、白龍の腕のなかと倒れ込んだ。