慕情

 憂いを帯びて伏せた目は、その秀麗な顔を見慣れていても、ため息を吐きたくなるほどに美しかった。
 どれほど言っても頑なに自覚をしない山崎の直属の上司は、時折こうやって見惚れるほどに麗しいといえるほどの表情を見せる。その表情をするなと言うわけではないが、せめて誰もが目を見張るほどの容貌なのだと気づいて欲しいと思う。男にも女にも、これほど目を惹く人間はいないというのに。
 自覚がないからこそもあるだろうが、端で見ている側としては、はらはらすることも多いのだ。いつか付け入られて、どうにかなってしまうのではないかと。
 余計なお世話であることも山崎は自覚していた。確かに、男でもこの上司に力で敵う者はそうはいない。眼光は鋭いし、口も悪ければ手癖も悪い。バラガキと呼ばれていたのは伊達ではない。
 それでも、柄の悪い性格の奥底にある、天然とも純粋ともいえる部分が、余計な心配をしてしまう要因だと山崎は感じていた。
「考え事ですか」
 声をかければ、憂いを帯びた目は瞬時に普段のものへと変わる。それが少しだけ残念に感じて、もう少し見ていたかったと山崎は思った。
「……いや、別に」
 傍に置いていた上司の携帯が振動し、メールの着信を知らせた。大晦日に万事屋の少女とアドレスを交換したと聞いたが、画面を見つめる様子は穏やかで、恐らくその少女からのものだろうと予想する。
「よくメール来ますねえ。よほど嬉しいんでしょうね」
「万事屋の連中しか登録がないって言ってたからな。誰かとメールしたいんだろ」
 山崎の予想は当たっていたらしく、携帯を操作しながら上司は答えた。まめな性格ではないが、こうして相手に合わせて返事する様子は、言葉にしないものの、気に入っている人間にしかしないのを知っている。
「そういえば、万事屋の旦那とも最近会いませんねえ。副長が会ったのって、大晦日ですか?」
 万事屋の少女と会ったのなら、その社長と会っていてもおかしくないと思って、何の気なしに口にした山崎は、一瞬ぎこちない動きをした上司を見て、妙な気分になった。
「……旦那と、何かあったんですか? 何かされたんですかァァ! 今考えてたのって旦那のことですかァァ!」
「うるせえ! 違うわ、騒ぐな!」
 注視して見れば頬が色づいているようにも見える目の前の上司に、山崎は様々な想像を巡らせた。この純粋で天然で可愛くて綺麗な人を、あの男が好いていることなど、誰の目にも明らかだ。当の本人を除いて。
 恐ろしくも美しい彼女に対して、懸想しようなどと思ったことは一度もない。否、少しくらいはあったかもしれない。だが、どうにかしようなどと、恐れ多いことを考えたことは皆無だ。
 彼女の恋路を邪魔しようなど、考えたこともない。この上司があの男を好いているのならば、こんな心配など無用だ。酷い態度を取っていても、心底嫌っているなど思っていない。でも。
「万事屋の連中と鍋食って、ちょっと初詣に行ったくらいだ。そんだけ」
「そんだけで副長が照れる要素がどこにあるんですかァァ! 旦那が何かしたんでしょう! そんなおいしいシチュエーションでェェ」
「何がおいしいんだよ! 鍋食って初詣って、ただの正月の出来事だろうが!」
「夜中に2人で出かけることがおいしいでしょう! 旦那なんか局長すら危険視してるってのにィィ」
「2人じゃねえよ、全員だっつってんだろーが!」
 腹に蹴りを入れられ山崎は呻き声を上げることでようやく言葉を止めた。他にも言いたいことはあるが、数人で行ったらしいのでそこはとりあえず無理やり納得しておくことにする。
「……でも、じゃあさっき固まったのは何だったんですか。珍しいじゃないですか。副長が旦那の話題出して変な空気になるなんて」
「何でもねえって言ってんだろ。ちょっと様子が変だったからだよ」
 様子が変なのは貴方ですよ、と喉まで出かけて山崎は止めた。
 こんなに突っかかってしまうのは、羨ましいからかも知れない。隊士たちすら知らないような上司の色んな顔を、山崎は知っている。暴力を受ける回数が多いのも自分だが、それ以上に共にいることが多いのも、実は頼りにされているのも、山崎は知っているし、それを喜んでいた。
 自分の知らない顔をする彼女を、その表情をさせるあの男が羨ましい。こんな顔をすることを、あの死んだような目をする男は知らないだろうけれど。
「俺もその日はぼんやりしてたが、あの野郎は、挙動がおかしかったっつうか」
 伏せた目は、憂いとは違う感情を含んでいるようだった。ああ、うん。やっぱり綺麗だな。山崎は幾度感じたかわからないことを、もう一度思う。
「そりゃあ、旦那にも憂い事くらいはあるでしょうけどね」
 普段と違う様子を見て、彼女もつられてしまったのかもしれない。或いは、あの男が。
 上司を見ていて気づくのは、局長への想いだ。叶うことのない感情は、山崎にとっても切ない気分だった。彼女を慕うからこそ諦めて別のところを見てほしいと思うものの、局長を見つめる視線は穏やかで、時折厳しくて、哀しげで、美しかった。
 彼女が幸せを感じられるならば、あの男でも構わないかもしれない。確定ではないけれど、山崎は確かにそう思った。