雪の日

 ふう、と寒空の下で紫煙が吐き出される。師走の忙しいなか、この街は事件も普段どおりで、真選組が出動する回数は毎月ほぼ変わらない。部下の不始末も、上司の尻拭いも、もはや日常と化している。
 大晦日だからといって早めに切り上げた仕事も、屯所へ帰れば同じ顔が迎え、食堂で蕎麦を食べながら鐘の音を聞くくらいの変わり映えしかしない。それでも特に不満はないが、今日は何となく街をぶらぶらして、ぼんやりしていたい気分だった。
 午後から非番だった土方は年越し蕎麦を食べる頃には帰ると告げて屯所を出た。楽な服へ着替えてしまったことで、寒さが一層身に沁みる。マフラーを巻きつけていても、辺りは薄暗くなってきて、外気に晒される耳が赤かった。
「……雪か」
 深々と降る白い雪を眺めて、土方はどうするか、と思案し始めた。寒さに弱いわけではないが、店にも入らずぶらぶらとしていては、凍えてしまいそうだった。
「なァにやってんだ。締め出しでも食らったのか」
 空を見上げて行きつけの店で熱燗でも、と考えていた土方に声をかけたのは、かぶき町に住まう銀髪の男だった。顔を合わせれば毎回喧嘩腰になる、万事屋稼業を名乗ってはいるが、本当に働いているのかも怪しい男だ。
「……またてめーか、うるせーな。散歩だ」
「捨てられたみてェな顔してただろ? ついに見限られたのかと思っちまったぜ」
「誰が捨てられたみてェな顔してたよ! どこ行こうか考えてただけだ」
 頭を乱暴に掻きながら、土方はため息を吐いた。かぶき町自体確かにそれほど広くはないが、こうも出先で顔を合わせるとは、面倒である。
「大晦日に1人たァ、寂しいねェ。真選組でも年越しの用意くらいあんだろ」
「その頃には戻るんだよ。てめーこそこんなところで何油売ってやがる」
 万事屋には2人の従業員がいる。仲良く年越しすればいいだろう、と土方は思うが、それは予想通りだったらしい。
「今日は鍋なんだってよ。今パチンコから帰ってきたんだよ」
「てめーは本当に駄目な大人だなァ」
 そういえば、万事屋のある通りだったかと土方はようやく思い至った。ギャンブル狂にろくな人間はいない。現に今坂田は手ぶらである。どうせ負けたのだろう。金額はさほど多くないのかもしれないが。
「チンピラに言われたくないわ」
 売り言葉に買い言葉である。癇に障る物言いを選んでしているように見える坂田に、普段なら噛み付いていくところだったが、土方はただため息を吐くのみに留めた。
「何だァ、やけに大人しいな、今日は」
「別に。そんな気分じゃねえだけだ」
 立ち止まって話をしていたせいで、2人の頭や肩には雪が薄っすらと積もっていた。静かに振り続ける雪は、止みそうにない。
「……鍋、食いに来るか?」
「は?」
 再び空を見上げていた土方は、坂田の言葉に一拍置いて顔を向けた。

「あ、トシちゃん! どうしたアルか、私に会いに来たアルか!?」
 その誘いに乗ったのは、土方自身疑問を抱えるほかなかった。まさか目の前にいた男から誘いを受けるなど思ってもおらず、驚くままに了承してしまったような状況だ。
 癪に障るが断る理由もない。万事屋にいる子供2人とはそれなりに良い関係を築いている。顔を見に行くというのも、悪くはない。そう補完して、土方は万事屋へと足を踏み入れた。
「今日は鍋アル! 猪肉を仕入れたネ」
「源外さんが、どっかから仕入れてお裾分け貰ったんですよ。外寒かったでしょ、こたつで温もっててください」
「ああ、悪りいな。俺、何も持ってきてねえが」
「いいんですよ。どうせ銀さんがいきなり誘ったんでしょうし」
「トシちゃんはお客さんだから、何もしなくていいアル」
 事実を言い当てられ、坂田は逃げるように台所へと消えた。珍しいだろう行動を茶化されるとでも思ったのだろうか。新八の言葉に素直に甘えるように、笑顔で手招きする神楽に倣いこたつへと入り込む。
「トシちゃん、年越し蕎麦食べるアルか?」
「ああ、屯所で作ってるからな。その頃には帰るよ」
「えー。新八が作るから味は保証するアルよ」
 引き止める言葉に土方も苦笑いする。どうにもこの少女には弱い。素直に甘えてくる姿勢を見せる相手は、土方にとっても微笑ましく映る。神楽に限らず、自分に好意的に関わってくる者たちを、土方は邪険にすることはない。
「お待たせ。まだおかわりあるんで土方さんも遠慮なく食べてください。というか、神楽ちゃんが食べまくるんで遠慮してたら食べれませんから」
 困ったような笑みを浮かべて鍋を持ってきた新八に相槌を打ちながら、土方は部屋の暖かさに寒さで強張った体がじんわり温かくなっていくのを感じていた。屯所では人数も多く、こうして鍋を囲むことはない。一家の団欒とは、こんな感じか、と土方は考えた。
「髪の毛、ちょっと濡れてるネ。雨降ってたアルか?」
「いや、雪だ。しばらく止まねェな」
 キャッホー! と騒ぐ神楽が、後で外に出ると言い出し、新八が宥めるように後でね、と言った。その様子に土方の表情も柔らかいものになっていく。
「こりゃあ積もるぜ。冷えるわけだ」
 台所から出てきた坂田は、手に徳利を持っていた。ほらよ、と置かれた徳利とお猪口に、土方は悪い、と口にした。
 結局、鍋は余りの食材もすべて神楽が主に食べきった。勢いの凄さに引きつった笑みを浮かべるしかなかった土方は、時折珍しく神楽がよそった分を食べる程度のものだった。
 神楽の食いっぷりは気持ちいいを通り越して思考が停止する。唖然としていたら新八は申し訳なさそうに謝った。
「いや、構わねェが……。よくもまあ、そんだけ入るもんだな」
「ブラックホールだからよう。食費がかさんで仕方ねえ」
 それはそうだろう。一晩で大量の鍋が消えるのだ。更にはまだ食い足りないとばかりに神楽は冷蔵庫から調達してきた魚肉ソーセージを齧っている。
 酒と煙草があればつまみはそれほど必要としない土方にとって、考え難いものがある。
 種族の違いとして、無理やり納得した。
「初詣行きたいアル」
「ばっか、あんなもん寒いわ人多いわでいいことねえよ。家でごろごろしてんのが一番いいんだって」
「行きたいアル。ガキ共が言ってたアル。正月は餅食ってお年玉貰って初詣行ってお参りするのが普通だって」
「よそはよそうちはうち」
「……連れてってやりゃいいだろ。普段仕事してねえんだから」
「してるわァァ! どうせこいつの目当ては出店なんだから、あんなもんうちで食ったって一緒だって」
「外でカウントダウンするのが目的アル! 大晦日の醍醐味ネ」
「カウントダウンかあ。確かに、皆で新年迎えるのって、ちょっと楽しいもんね」
 新八も少し行きたそうに見える。子供は確かに楽しいのかもしれない、と土方は思うが、当の保護者に行く気がない。年に一度のことくらい、付き合ってやればいいとは思うのだが。
「ったく、俺は帰るぜ。邪魔したな」
「えー、もう帰るアルか」
 残念そうに言った神楽に相槌を打ち、土方は上着を羽織った。マフラーを持って玄関へと歩いていく後ろを、神楽と新八がついていく。その後ろから、坂田も欠伸をしながら寄ってきた。
「土方さん、今度はゆっくり来てくださいね」
「ああ、悪かったな急に来て」
「屯所で年越し蕎麦食べるアルか」
「どうかなァ。俺ァ今から初詣行って帰るからよ」
 へ、と呟いた神楽と新八は、視線をやればきょとんとした表情を見せていた。背後では面倒そうな表情をしながらも、土方の真意に気づいた坂田がぼさぼさの頭を掻いていた。
「人も多いだろうから、すぐ帰るけどな」
「ま、待つアル! 私も行くネ!」
「神楽ちゃん、上着! 寒いから」
 そのまま靴を履いて外へ出ようとした神楽を新八が止めて、2人一緒に部屋へと戻っていく。ばたばたと慌しく用意しているらしい物音に、土方の口元は綻んだ。
「甘ェなァ。神楽がそんなに可愛いかよ」
「連れてくなんて言ってねえぞ。初詣に行きたくなったんだよ」
 呆れたように言った坂田へ、照れ隠しのように土方は呟いた。その言葉にため息を吐いた坂田は、玄関を向いていた体を部屋のほうへと向ける。
「なんだそりゃ。俺も行くしかねえじゃねえか、オイ」
 神楽はきっと、3人で行きたかったのだろう。今年の初めをたまには家以外で、いつもの3人で新年を迎えたいと思うことは悪いことじゃない。
 まだ幼い少女の思うようにさせてやりたいと思うのは、今に始まったことじゃない。それを手助けしてやろうと思ったのは、寒いと思うよりも多少強かっただけのことだ。
 どうやら3人一緒に行けることになったようなので、よしとする。土方は微笑んで先に玄関を出て歩き出した。


「やっぱり人多いですねえ」
「私アレ食べたいアル!」
「お前さっきおでん食っただろ。ちょっとは胃袋休ませろ」
 初詣へと出向いた一行は人の多さにげんなりとしながらも、騒ぐ神楽を宥めながら辺りを見回して楽しんでいた。結局土方も共に行動するのは、神楽が土方の手を握り締めて離さないからだった。
 それを眺めながら、銀時は3人の一歩後ろを歩いていた。神楽が土方に懐いているのは今に始まったことではないが、はぐれるなよ、と声をかけて一行から離れようとした土方に、じゃあ手を繋ぐ、と言い出したのには少し驚いたのだ。新八の姉、妙とも神楽は仲は良いが、そんなことを言い出すところは見たことはなかった。
 土方はその提案に否とは言わない。窺うようにちらりと銀時を見て、毒づきながらも繋いだ手に笑みを見せた神楽に、柔らかい表情を浮かべた。
 神楽様様だな、と銀時は考えた。己と一緒にいても、こんな柔らかい表情を土方は見せることは皆無だ。面白くないが、見れただけでも儲けものと思うことにした。
 雪の降る空をぼんやりと見上げる姿だった。
 いつも何かと攻撃的で、射抜くような視線を向けてくるその人物は、誰よりも銀時を目の敵にしてくる。それは、自身にも原因があるのだが、今更その態度を一変するには、少し勇気のいることだった。
 見かけたとき、土方は空を見上げたまま動かなかった。雪の降るなか佇む様子は絵画のようで、何と絵になるのだろう、と銀時は思った。
 その視線があまりに柔らかく、淋しげに見えて、銀時は少し躊躇した。
 鍋へと誘ったのは気まぐれというより、何となく1人にしておきたくなかったと感じたからだった。神楽は嬉しそうにしているし、新八も楽しそうにしている。土方も、予定を変えてまで初詣へと付き合ってきているが、嫌そうにも見えないので、良しとしておく。
 賽銭の列に並びながら、人ごみがこれほど有難いと感じたことはない、と銀時は思っていた。寒さで震えそうになる体は、人に紛れて多少緩和する。
 雪はまだちらほらと降っており、新八がぶるりと身を震わせた。
「着込んできてんだろうなァ。深夜ってだけで寒みいのによ」
「一応着てきてるんですけどね。思ったより冷えますね」
 声をかけてみれば、鼻を赤くして新八が笑った。雪も降り止まない今の気温は、随分下がっているだろう。
 ちらりと斜め前を見れば、土方の顔も寒さで赤くなっている。時折吐く白い息が、寒さを助長させているような気分になった。

 賽銭を終わらせ、子供2人は厠へと向かった。銀時は壁に凭れて、同じく壁に凭れながら煙草を吸う土方を横目で盗み見た。
 黒い髪に雪が舞い落ちる。真っ白な雪が映えて、髪飾りのようだった。
 無意識に手を伸ばして髪へと触れた。今日はやけにぼんやりとしている土方は、いつもなら手を伸ばすことすらできないような気を放つのに、銀時の手に驚いたように目を見張るだけだった。
「……あ、いや、雪が」
 何をしたのかふいに理解した銀時は、途端に恥ずかしくなりどもったように途切れ途切れで言葉を発した。
 不審そうな目をしながらも、手で頭の雪を振り払う土方に、銀時は今度は意識して手を伸ばした。絡みついてしまった雪を取れるように、髪を一束摘んで。
 見るのは皆無に等しい、土方の頭のてっぺん。至近距離にいる土方は、煙草を携帯灰皿にねじ込み大人しくされるがままになっていた。いつもと違う銀時に、土方も困惑しているのかもしれない。
「……つうか、降ってんだから取っても意味ねえって、」
 抱き締めてみた土方の体は、想像していたよりも頼りないものだった。