恋い慕う

 暦の上では秋に入ったが、まだ暑い街中に暑苦しい黒ずくめを見かけ、銀時は眉根を寄せた。
 本当に暑苦しい。周りはまだまだ夏の装いに、ひときわ目立つ。その割に本人は気にする様子もなく、涼しい顔をしていた。
「よう、チンピラ」
「……なんだ、ニートか」
 顔を合わせれば暴言を吐く。それが2人の間柄だった。それは、事実を知っても変わらない。
 とは、思う。思うが、銀時は悩んでいた。
 最近、夢に出てくるのだ。あの日、目の前の人物が怪我を負い、見舞いに行った時。無防備な驚いた顔を見た時から。
 夢のなかで、何をするでもなく佇む人物を、銀時は見つめるだけだった。隊服だったり、着流しだったり、見たこともない女物の着物を着ていたり、様々な装いで出てくる奴に、銀時は混乱していた。
「……お前、なんか顔色悪くねえか?」
「気のせいだろ。今日も暑いからな」
 煙草を探し当て口に咥えて火を灯す。その姿も、いつもより不安定なものだった。 「尚更じゃねえの。さっさと帰って仕事しろこの税金ドロボー」
「うるせー、見回りも仕事だバーカ」
 しっしと邪険に手を振る土方に、銀時は捨て台詞を吐いて別れた。体調が気になったが、本人が大丈夫というのだ、これ以上言っても無駄だろう。
 隊を仕切るのに、誰が上に立っても難しいものだ。土方にとっても、あの一癖も二癖もある隊士たちをまとめるのに苦労するのだろう。


「あれ? 今日はマヨラーじゃないんだ?」
「ああ、旦那。土方さんなら寝込んでますぜ」
「はあ?」
 数日後、普段と違う沖田の隣に不思議に感じ、銀時は声をかけた。
「こないだここらへん歩いてたぜ」
「ああ、あれから倒れましてねェ。まったく、怪我も治りかけで貧血で無茶するからでさァ。傷口も開くってもんです」
「開いたのかよ」
「そこまではいってないですけどねェ。まあ、あのまま仕事してりゃあ開いたでしょうねェ」
「馬鹿じゃねーの」
「旦那ァ。土方さんなら屯所にいますぜィ」
「………」
 最後に沖田から意味ありげな台詞を残され、銀時は盛大に溜息を吐いた。
 あいつは馬鹿か。せっかくの人の厚意も無駄である。まあ、あの時の銀時の言葉が近藤からのものだったのであれば、少しは変わったのだろうが。
 それはそれで、面白くもないけれど。

 常に限界を超えるように生きているあの女が、こうも気になるのは何故だろう。女は家庭を、なんて言うつもりなど毛頭ないが、少し、ほんの少しくらい、見せてくれたっていいのではないか。強がりを見せるあの女の弱い部分や、女の部分を。
 ――なに、考えてんだ。アホか俺は。
 思考を無理やり中断し、銀時はくるりと体の向きを変え歩き出した。


「副長。体調はどうですか?」
「……最悪だ」
 そりゃあそうでしょう、と気にもせず山崎は廊下に置いた盆を持って土方の部屋へと足を踏み入れた。以前斬りつけられた傷も完治していなければ、熱も下がらないうちに市中見回りなんてやっていたのだ。もともと良くなかった体調はがくりと地に落ちた。額に乗せられた濡らしたタオルを落とさないよう視線だけは山崎を捉え、土方は唸るように一言漏らしたのだった。
「全く。局長の言うことも聞かないでまだ暑いのに見回りなんてして。死にたいんですか」
「こんくらいで死ぬようじゃ戦なんてあっても生きてられねえよ」
「そういうこと言ってんじゃないですよ」
 起き上がって粥の入った土鍋を盆ごと膝に乗せ、蓋を開けてレンゲを手に持った。  食欲があるなら大丈夫だろう。山崎は気付かれぬよう息を吐いた。
「そういやァ、万事屋の野郎にも言われたなァ」
「何をです?」
 ふう、と湯気の立ち上る粥を少し冷ますように土方は息を吹きかける。独り言のように呟いただけだったのだが、山崎の耳にしっかりと入ったようだ。
「別に。顔色が悪りいってよ。あん時は確かにピークにきつかったが、まさか気付かれるとは思わなかった」
 へえ、と山崎が相槌を打つ。目立つ銀色の頭を思い出し、ふと思い出した。
「万事屋の旦那も心配してくれてるんですよ。傷を負った時も見舞いに来ていたし、沖田隊長が言うにはすごくうろたえていたらしいし」
「あいつがうろたえてたのは俺が女だったからだ」
 がちゃん、と湯呑みを倒してしまい、山崎は慌てて畳に零れた水分を拭き取った。
「……旦那、気付いてなかったんですか」
「みてえだな。俺はてっきり総悟が話してるもんだと思ってたが」
 仲良いからよ、と淹れなおしたお茶をず、と啜る。その様子を眺めながら、山崎はぼんやりと、意外と馬鹿なんだなあ、とその場にいない銀髪の男へ思いを馳せた。
 性別を隠しているわけでもなく、ただただ自然に振舞っていてこれだから、確かに良く見ないと女性であると気付かれることはほとんどない。けれど、万事屋の子どもたちですら気付いていたというのに。あの男、只者じゃないのか阿呆なのか、山崎はわからなくなった。

「じゃ、失礼します。くれぐれも厠と風呂以外歩きまわらんでくださいよ」
「うっせーなわかってるよ」
 空になった鍋を盆に乗せ、山崎は立ち上がって土方の部屋を後にした。


「おいおい、結局仕事してんじゃねーか、ワーカホリックか」
 ふと響いた聞き覚えのある声に、机に向かっていた土方の視線が廊下へと向けられた。
 山崎が部屋を立ち去って数時間、眠りすぎて冴えてしまった脳をどうすることも出来ず、溜まっていた始末書の処理をしていた時だった。嫌そうに顔を顰めるが、とりあえず廊下にいる人物へ言葉を返す。
「やることがあるんだよ。てめー何しにきやがった」
「べっつにい。沖田くんからおめーがぶっ倒れたって聞いてよォ」
「笑いにでも来たのか」
 溜息とともに土方は鬱陶しげに呟いた。忠告とも言える言葉を銀時からかけられていたのだ。居心地が悪そうに座りなおした。

 すらりと襖の開く音を立て、銀時は廊下に座り込んだまま土方の背中を見つめた。
 数日寝込んでいたせいなのか、上着を羽織って机に向かう後ろ姿は、以前よりも痩せたのではないかと危惧させた。部屋の襖を開けてもこちらを振り向かない土方に、構わず銀時は声をかける。
「そんなんじゃねーよ。見舞いだ見舞い」
「はあ?」
 ようやく土方の体が銀時の方へと向けられる。訝しむ視線を向ける土方に、銀時は苦笑いした。
「陣中見舞いだろ。風邪だかウィルスだか知らねーが、知らん間に死なれても寝覚めが悪りいからな」
「ただの熱だ。死ぬか」
 再び背中を向けて止まってしまっていた手を動かそうと筆を持つ。客だというのに存在を無視したように仕事を再開する土方に、諦めの混じった溜息が銀時から漏れた。
「よォ。おめーはゴリラに心底惚れてるようだが、一緒になりてえとか思ったことはねえのか」
「何が言いたい」
 銀時を見据える土方の目は鋭い。下手なことを言えばすぐにでも斬りかかりそうな目をしていた。無粋なことと自覚はしているが、気になったのも事実だった。
「ただの興味だ。度々お妙を説得しているらしいじゃねーか。気になってよォ」
 ライターの火が灯る。天井に紫煙を吐き出して土方は沈黙した。一段落ついたらしい書類を片づけて煙草の灰を灰皿へと落とした。
「惚れてるからと言って、一緒になるのだけが幸せってわけじゃあるめェ」
 ああ、惚れてることは否定しないのか。銀時は少し面食らったように目を見開いた。土方を見ていれば、近藤に惚れていることくらい馬鹿でも気付く。それが恋慕か友愛かまでは判別はつかなかったが、今の土方の一言で銀時は確信した。
「奔放でお人好しで、不器用で……。そんなどうしようもねェ人だからこそ、俺たちはついていくんだ。家で帰りを待つなんてできねェ。あいつは、俺がこの手で護る。死んでもな。そういうのが幸せと感じる女もいるんだ、此処には」
 何でこんなこと言わなきゃならねェんだ、と少し照れたように煙草を灰皿へ押しつけた。
「だからって、自分じゃねェ女と一緒になってもいいのかよ」
「近藤さんが惚れてんだ、できる限りしてやりてェんだよ。お妙も心底嫌ってるわけじゃねェ。ストーカー行為はやりすぎだが」
 恋とは言い難い、土方の想いは何よりも強い。これほどに想われる近藤が羨ましいと思ってしまう。認めたくはないが、それは自覚してしまえば納得のいく気持ちだった。
「満足か」
 不貞腐れたような表情で、土方は銀時を見据えた。どちらかといえば不満なのだが、土方の想いは理解した。ああ、と銀時が頷くと、帰れと言うように土方は敷いたままにしていた布団へと移動した。その様子を見て銀時も腰を上げる。
「俺は、無理だ」
「あ? 何が」
 襖を閉める前に、銀時はぼそりと呟いた。ちらりと土方を見て、ぼさぼさの頭をかく。
「惚れた女には幸せになってほしいとは思うが、別の野郎に横から掻っ攫われてくくらいなら……、」
 すっかり暗くなった空をぼんやりと眺める。土方もつられて襖の奥に見える月へ目線をやった。
「意地でも護り通す、かなァ」
 我を貫き通す強い女と、どうなりたいかはまだわからない。けれどその答えが見つかれば。その時は宣戦布告しにでも真選組を訪れようと銀時は笑った。