知らぬは本人ばかりなり
別に隠してるわけじゃない。そう言った奴の目は、変わらず鋭かった。
「で? 気付けなかったことを俺のせいにするんですかい、旦那」
ふらふらと彷徨っている時に見かけた奴の部下を捕まえ、なんで教えなかったと詰め寄れば、悪びれる様子もなく返された。
「名前、聞かなかったでしょう。あの野郎は隠しちゃいませんでしたぜィ。そろそろ行ってもいいですか、土方さんが心配なんで」
「お前がそんなだから勘違いしたんだよ。心配って、そんなこと言う子じゃなかったよね。どういう風の吹きまわしだよ」
「俺じゃない他の奴にやられて死んじまわれちゃ困るんでね」
先日のある旅館での事件を銀時は思い出す。関わりたくはなかったが、たまたま居合わせて巻き込まれ、真選組の副長、土方は怪我を負った。銀時の背中へ刀を振り上げた攘夷浪士に斬りかかった際に、土方の傍に忍び寄っていた別の浪士に肩を斬られ、思ったより深いその傷をものともせず戦い続け、結局ぶっ倒れたのである。
「副長! しっかりしてください!」
地面へと吸い込まれるように倒れた土方へと駆け寄ったのは山崎だった。急いで手当をしようと失礼しますと声をかけ、平気だと突っぱねる土方の言葉を無視して隊服を脱がせる。
「……え?」
ベストをはぎ取られ、カッターシャツの第三ボタンまで開けられ、血まみれの傷口が露わになる。それと同時に見えてしまったのは、知らなかった事実だった。
「え、それ……」
「救急車来たぞ! 副長を乗せろ!」
てきぱきと動く強面の男たちに導かれ、土方は救急車に乗せられ病院へと送られる。山崎も付き添いのため土方の乗る救急車へ乗り込む。そのほか、負傷した隊士たちも後から来た車で病院へと向かった。その場に残ったのはほとんど傷を負っていない沖田と、後始末に駆り出される隊士、そして大将の近藤だった。
「あらら、放心してらァ。そんなに土方さんの裸がすごかったんですかィ。さらし巻いてても」
「何ィ。銀時、トシは駄目だぞ、許しません。それにあれは手強いしな」
「そうですねィ。なかなか靡かねえったら」
「それよりもまず説明しろォォ!」
置いてきぼりを食らったような気分で、銀時は思わず叫びを上げた。
俗にチンピラ警察と称される、幕府お抱えの武装警察真選組。局長はゴリラ、副長はマヨラー、隊長はサド王子。とんでもなく濃いメンツの集まった一筋縄では行かない者たちばかりの集まりだ。男ばかりのむさ苦しい団体。その中で土方と沖田は随分人気があった。
見目の良いものに人気が集中するのは仕方がないことだ。チンピラ警察と恐れられていても、中身が最悪でも、見ていて飽きないものに人は惹かれる。年少で隊長という重役を課せられているまだ十代の青年。沖田はアイドル集団も真っ青の端正な容姿の持ち主だ。その甘いマスクから想像もしないサディスティックな言葉を放ち江戸中を破壊して回る問題児だが、関わらなければただの人。中身をよく知らない若い女に人気があるのも仕方ない。
そして、真選組を実質取り仕切っているのが鬼の副長と恐れられる土方。瞳孔が開いていても、クールな容姿は人々の目を引く。少し癖のある黒髪も、不機嫌そうに顰められる眉根も、煙草を咥える仕草も、すべてが絵になる男だ。細身だがその体から繰り出される攻撃は、隊随一と言われる沖田には若干劣るが、それでもそれを補って余りあるその眼光と頭脳は、敵を怯ませるには十分な強さを持っている。
そう、今の今まで思っていたことだ。否、今でも思ってはいる。ただ一つ、訂正する箇所ができたのだ。
「土方って、女だったの……?」
独り言とも思える銀時の呟きに、近藤はきょとんと銀時を見つめた。何を言っているんだ? とでもいうような表情である。
「銀時。そんなことトシの前で言ったら、殴られるぞ」
「旦那は、気付いてると思ってたんですがねィ」
疲れたし、帰りましょうや。そう声をかけられた近藤は、銀時にじゃあな、と言ってその場を離れる。1人取り残された銀時は、しばらくの間動けなかった。
そんなわけで、銀時はとりあえず土方の見舞いへと病院へ向かった。土方が怪我を負ったのは自分にも非があった。これは礼儀で行くんだと、訳のわからない言い訳を心中でしながら静かな病院の廊下を歩く。
土方様。そう書かれたネームプレートを見つけ病室のドアをノックした。どうぞ、と聞こえてきたのは誰の声だったか、土方の声でないことはわかった。
「ああ、旦那。昨日は」
「ジミー生きてたのか」
「怪我負ったのは俺じゃねえんですが」
「うるせーぞ、喧嘩売ってんのか山崎」
ベッドから上半身を起こしてこちらを見る土方は、昨夜と何も変わらなかった。隊服ではなく寝巻を着ている所為で、体のラインがよくわかる。こうして見ると、どこから見ても女だった。
「じゃあ、俺は隊務に戻ります。何度も言いますが退院までは大人しくしてくださいよ」
「わかってるよ、ご苦労だったな山崎」
普段よりも柔らかい表情で土方は山崎を見送った。
「てめえは何しに来たんだ」
「何しにって、見舞いにきたに決まってんじゃん。副長様が負傷しちゃったのって、なんか俺のせいみたいだしィ」
「おめーに関係ねえ。目障りだ消えろ」
「てめえ、ちょっとはしおらしくするとかないの? だから勘違いしちゃうんじゃん、勘弁してくれよ」
知らなかったとはいえ、女相手に毎回やり合っていたと思うと、銀時はいたたまれない気分になった。その上、何だかいろんなことも口走っていたような気もする。
「別に。勘違いされたらされたで、都合がいいんだ。隠してないとはいえ、わざわざ言うようなことじゃねえし」
「だからってよう、屯所はお前以外に女はいねえんだろ。いろいろ問題あるんじゃねえのか」
「問題? とくにねえよ」
嘘つけ。銀時は口には出さず突っ込んだ。
初対面のとき、こんな男がいるのかと驚いたものだ。今まで生きていて、男にも女にもこれほど綺麗な奴はいなかった。その鋭い目元すら、絵になるのだ。例え男でも、貞操を狙われるのは珍しいことじゃない。
「で、それを知っててめえはどうすんだ。女には勤まらねえとでも言いに来たか」
忌々しげに顔を歪める。その表情すら綺麗だと思う。そんなことは言わねえよ、と銀時は思う。
言ったところでどうなるものでもない。今までこうやって生きてきたこの女を、そんな一言で変えられるとも思わない。近藤ならともかく、それほど親しくもない男からの言葉など、聞く耳も持たないだろう。
「別にィ。ちょっと気になったから寄ったんだよ。結構な傷だったしな」
「大したことねェ」
「そうかい」
ならば用は終わった。土方の容体を確認するのが今日の目的だ。よっこいせと席を立ち、銀時は歩き出した。
「まあ、女だとかそういうの言うつもりはねえが、なるべく怪我して仲間に心配かけんのはやめた方がいいんじゃねえ。副長だしな」
鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして土方は数秒銀時を見つめた。え、なに。秀麗な顔を真正面から見つめ、銀時は焦った。土方から敵意以外を向けられたことはほとんどない。銀時の言葉に驚いたような表情は、普段見る不機嫌な顔より数段幼く、女に見え、銀時は狼狽するしかなかった。
「土方さん!」
いきなり開いたドアと叫ばれた声に銀時は心臓が縮むほど驚き、見つめ合っていたことを悟られぬよう侵入者へと目を向けた。
「げ、お妙さん」
「ゴリラから怪我したって聞いて、飛んできたんです! 良かった無事で……!」
入ってきたのは妙、そして扉の奥から様子を見ているのは新八と神楽だった。どうやら妙とともに見舞いに来たようである。
「あれ、銀さん。土方さん入院してること知ってたんですか」
「ああ、巻き込まれちまってよ」
「銀ちゃん、行くなら行くって言えヨ。ずるいアル。トシちゃん、元気かー」
「ずるいって、おい、トシちゃんってお前そんな呼び方してたっけ?」
「こないだ呼んでいいって言われたから呼んでるアル」
「土方さん、あまり無理しないでくださいね。姉上が心配するんで」
あれ? と銀時は首を傾げる。何か、変じゃね? 訳知り顔で此処にいる者たちに、銀時は視線を向け、とりあえず新八を引っ掴んで廊下へと出た。
「何ですか銀さん!」
「お前、土方の正体知ってたの?」
「は? 正体?」
「だから、女だって知ってたのかよ?」
「ああ、姉上と仲良いですから。自然と知ったっていうか……。あんた、知らなかったんですか」
責めるような目を向ける新八に銀時は焦って捲し立てる。
「ばっか、おめー、俺は気付いてたよ。でも知られたくなさそうだったから隠してたんだよ。何言ってんの、眼鏡の癖に。俺が勘違いなんてするわけないじゃん。そんな目で見るなァァ!」
可哀そうなものを見るような目を向ける新八に、銀時は凄むが新八はふうと面倒くさそうに溜息を吐く。
「まあ、しょうがないですけどね。姉上が妙に仲良くしたがってたから、変だなと思ったのが最初ですし」
「で、知っちゃったの」
「ええ、まあ。ていうか、あんま隠してないですよ土方さん。そりゃ仕事中とか、戦ってる時とかは別ですけど」
銀さん仲良いから、知ってるんだと思ってました。そう言って病室へと消えていった新八の後ろ姿を見送り、ふらふらと銀時は病院を後にした。
「ま、隠してないとは言っても、あんな感じじゃ勘違いしても仕方ねえでさァ」
両手を頭の後ろで組んで、沖田は言った。
「昔から暴れまわって、女と思われてなかったし、それを嬉々として受け入れてるし、せっかく長かった髪まで切って男装まがいなことするし」
俺だって最初は、男だと思ってましたから。慰められているのだろうか、沖田はいつになく優しい声音で言う。
「ま、知っちゃったもんは無理だと思いますけど、女だと思わない方がいいですぜィ。そこらのごろつきなんか一発ですからねェ」
そう言い捨てて沖田は去っていった。その後ろ姿を見るともなく眺め、銀時は誰にも聞こえぬ声で呟いた。
女だと思わないほうがいいとか。
「今さら、男として見られるわけねえじゃん……」
項垂れて肩まで落とすその背後には、哀愁のオーラが漂っていた。