魔人と妖狐の邂逅
立ち入り禁止の黄色いテープが商店街の一軒の店の外に貼られている。何かがあったと気付くには十分だった。
普段なら横目で気にしながらも通り過ぎるのだが、自分と同じ学校の制服が目の端に映り足を止めた。
喧騒の中から場にそぐわない可愛らしい声が聞こえ、少しだけ身を乗り出して店を覗いた。
犯人らしき男が警察に取り押さえられ、数人に引きずられパトカーへ乗せられ、そのまま走り去っていく。
「……あ! 南野先輩!」
その様子を眺めていた時、少女に声をかけられた。
「……きみは」
明るい髪を短く切りそろえ、変わったデザインのヘアピンをつけた高校生。世間ではやけに有名になっている桂木弥子がそこにいた。自分の名を知っていることに少なからず驚きながらも、その後ろから出てきた男に妖気を感じ、南野――蔵馬は目を細めた。
「桂木さん、だよね。事件?」
「は、はい! 解決したんですけど」
背筋を伸ばして少し緊張したように話す弥子に、年相応の可愛らしさを感じるが、後ろに控えるように立つ男に注意を向ける。人間ではない。笑顔を向けているが、その目は笑っていない。魔界から来た妖怪だろうと予想を立てるが、どうにもどこかで見たことがある気がする。
「そう。大活躍だね。というか俺の名前、知ってるの」
「いや、そんな。あ、当り前ですよ! 有名人なんですから」
身を乗り出して興奮する弥子に笑顔を返す。店から警察らしき人間が数人出てきた。
「弥子ちゃん、試験期間なんだろ? 巻き込んじゃって悪かった。……友達?」
「高校の先輩なの。じゃ、帰ります! 行こう、ネウロ」
「はい、先生」
軽く会釈してその場を離れ、なぜか蔵馬は弥子とネウロと呼ばれた青年とともに歩き出した。
なんとなく一緒に歩き出して、なんとなく誘われた探偵事務所。誘いに乗ったのは男の正体が気になったからだ。それ以外にも、探偵事務所というものに興味があったのもある。
「お茶、淹れますね。……あれ、茶葉がない」
「お構いなく。急に来たんだし」
「や、ないと結構困って……。ちょっと、買ってきます。10分くらいで戻るので!」
忙しなく出ていった弥子の足音を聞きながら、蔵馬は簡潔に質問を目の前の男に問いかけた。
「……‘脳噛’という魔族を見たことがある」
空気は少し乱れたように感じた。顔には出ないが、確実に彼も蔵馬を知っているという確信があった。此処へ来る途中、値踏みするような視線を一瞬だけ蔵馬へと向けたのだ。それは恐らく相手も蔵馬と同様に、どこで見たのかを思い出しているように見えた。
「やはり、人間ではないな」
「それはお互いさまだろう」
人を食ったような笑みは男から消えることはない。けれど纏う空気は確実に変わった。魔族という言葉を聞いて、隠す意味もないと踏んだのだろう。
「貴様も、魔人か」
「魔人という括りで呼ばれたことはない。残念ながら、ね」
似たようなものだが、と蔵馬は続けた。魔界は広い。人間界などとは比べ物にならないほどだ。妖怪とは少し違う毛色の者が生息していることは知っていた。
「脳噛ネウロ。吾輩のことだ」
目に見える物質以外を糧とする魔族のこと。遠い昔に垣間見た魔族は、ネウロだと確信した。
「俺は妖孤だ。魔人とは少し違うと思うが」
妖孤、と反芻してネウロは考えるように深くソファに体を預けた。魔界の一部の地域がある一人の魔族によって滅ぼされたと、以前聞いたことがあったことを蔵馬は思い出した。
「……思い出したぞ。吾輩が魔界で謎を食っていた時、一度銀髪の妖孤を見たことがある」
蔵馬は笑みを浮かべ、それ、俺のことだよ、と世間話をする口調でネウロに言った。少し驚いたように見えたものの、成程な、と納得の意をネウロは示した。
「世界は狭いものだ。まさか昔に会った魔界の住人と人間界で会うことになるとは」
「桂木弥子を隠れ蓑にして食糧を得るわけか。彼女はもちろん知っているんだろう、お前の正体を」
「無論だ」
それでも付き合う彼女の性格に、自身の仲間である友人を思い浮かべ、蔵馬は楽しそうな表情を浮かべる。
「貴様は、その様子を見ると溶け込んでいるようだな」
「おかげさまで。楽しいよ」
ふん、と鼻を鳴らして笑うネウロを気にもせず蔵馬は興味深げに事務所を眺めた。
「ちゃんとした事務所じゃないか。魔人と高校生が借りられるようなところじゃない気がするけど」
「譲り受けたのだ。事件を解決してな」
奪い取ったか脅し取ったの間違いではないのか、と蔵馬は思うが口にはしない。そういう言い方をするのは、自分も同じだからだ。
「妖孤か。そういえば昔残虐非道な極悪盗賊がいると聞いたことはあったな。銀髪の妖孤が頭を務める盗賊団の噂をしている奴がいた。自分の利益のために仲間をも棄てるとか……」
「酷い噂だな。今はもうそんなことはしないよ」
決して否定するわけでもなく、蔵馬はあっさりと口にする。その様子を興味深げにネウロは眺めた。
「貴様は魔族のようだが、美味い謎を持っていそうだな」
「俺には妖孤という以外の隠し事はないよ」
肩を竦めて蔵馬は言った。謎を食糧とする魔人の興味をそそるような振舞いはしていないはずだが、永い間生きてきた蔵馬からは自然と滲み出ているのかもしれない。
「南野……といったな。妖孤の時の名は」
「蔵馬」
「おお。そんな名を聞いたことがあるぞ」
「そりゃどうも」
「弥子に気付かれたら、大変だろうなあ」
「ううん。パニックになるかもね」
俺は構わないけど。そう蔵馬は続ける。目の前の魔人が気を許すほどの少女だ。自分の正体がばれても、大丈夫だろうと蔵馬はなんとなく思う。正体を知る人物が増えることはあまり得策とは言えないが、ネウロと行動を共にする少女に興味を持ったことも事実なのだ。
「ただいま! 走っていってきました」
バタバタと帰ってきた弥子に蔵馬は振り向いて笑顔を返した。今淹れますね、と嬉しそうに言う弥子に、そういえば、自身の戦友の二人と彼女は同い年だったのか、と蔵馬はふいに思い出した。
「どうかしました?」
「ううん。桂木さん、一年だよね」
「いやあ、南野先輩が知ってることに驚きです」
照れたように笑う弥子は年相応の可愛らしさで、蔵馬の表情は知らず柔らかいものになる。
「家でテレビ、つけててね。盟王の制服が出て、女の子がステージに座り込んでた時は驚いたよ」
「ははは……」
嬉しそうな笑顔が一転、苦笑いに変わる。ネウロの仕掛けたことだろうと今は納得しているが、当時はまさかと思ったものだ。弟にしばらく詰め寄られたことは記憶に新しい。
「あれは、なんていうか、事故みたいなもので……」
言葉を選んで口にする弥子を見て、蔵馬は優しい子だと判断した。魔人など、放っておけばいいものを、少女は健気にも庇おうとする。少しのやり取りでもそれが垣間見え、蔵馬は微笑んだ。