寝不足
出迎えてくれた冨岡の姉の話どおり、部屋を開けるとベッドですやすやと寝息を立てる冨岡がいた。
さっき帰ってきたばかりだと申し訳なさそうに表情を曇らせた蔦子には、約束していない自分が悪いのだと謝った。どこで何をしていたかは聞かされていないけれど、きっと彼の友人たちが絡んでいるのだろう。
寝顔を見るのは三度目だった。以前よりも穏やかな気持ちで眺めることができている。少し目の下にくまがあるが、恐らく徹夜でもしていたのだろう。
ゼミの課題で忙しそうにしていたのを思い出し、眠り続ける冨岡の前髪を指でずらす。分厚い睫毛が影を作っている。
ふと寝顔を撮れなかったことを思い出して、しのぶはスマートフォンを手にして慎重にカメラを起動した。
「あ、しまった」
タップと同時に音が鳴り、消音設定をしていなかったことに気づいてそっと顔色を窺う。写真は綺麗に撮れていたものの、眉間に皺が寄って瞼が持ち上がっていくのが見えた。
「………」
「おはようございます」
寝起きは悪いわけではないけれど、さすがにぼんやりしている。しのぶへ視線を向けながら疑問符を浮かべているのがわかった。
「渡すものがあったので寄っただけですから、眠っててくださって構いませんよ」
本屋に行くついでに寄ったのは本当だけれど、冨岡の時間があるのなら予定を変えることも考えていた。睡眠の邪魔をしてまで起こすつもりはないので、今日は顔を見にきただけになるだろうと考えた。
「……うん」
癖のある髪を控えめに梳いている左手を掴んでそのまま目を瞑った。しのぶの手が拘束されたまま寝息を立て始める。
「え? あの、冨岡さん」
「………」
ちょっと、それはないんじゃないですか?
捕まった左手に伝わる思ったより柔らかい頬の感触に、しのぶの眉尻が情けなく下がる。こんなことをされて可愛く思うなというほうが難しい。
寝惚けた冨岡は普段より更に幼い行動をするらしい。自由な右手で口元を覆うものの、ここに宇髄でもいたら顔が緩んでいるのがバレていただろう。
どうしよう。手を引き抜こうにも起こしてしまいそうで困り果てた。寝惚けているのなら夢か何かと勘違いしているかもしれないが、このまま身動きが取れないと本屋に行く予定がなくなってしまう。
できるだけ起こさないようにしのぶは力を入れて冨岡の手を外そうとした。
「………。……なんでいるんだ……?」
意識が覚醒したらしい冨岡の眠たげな目がしのぶをもう一度捉えた。やっぱり起きてしまった。そして先程目が合って返事をしていたのはやはり寝惚けていたのだろう。
「おはようございます。顔を見に来ただけですから、寝てて良いですよ」
もう一度声をかけるとカーテンの隙間から射し込む太陽光に眩しそうに眉間に皺を寄せ、寝返りを打って腕を額に乗せて顔を隠した。やがて頭を乱暴に掻きながら表情を歪める。
「……何かあったか」
「いいえ。買い物に行くついでに上着を返しに来ただけですから」
蔦子からは先程帰宅したと聞いたので、恐らく眠ってからさほど時間が経っていないのだろう。会話ができても目ははっきりと開いていないし、声も掠れて普段より呂律が回っていない。
「テーブルに置いておきますから、洗濯もしてありますし」
ベッドを背にして荷物から上着を取り出しテーブルへと置いた。冨岡が眠ったら出て行こうと考えていると、背後のベッドから伸びてきた腕が腹部に回されてきた。
「え? ちょっと冨岡さん」
「……夢かと思った」
振り向いて冨岡を見るとうつ伏せになりながら顔だけを横に向けていた。また瞼は閉じられている。このまま寝るつもりなのだろうか。
俗にいうイチャイチャを普段なかなかしないくせに、頭の働いていない時はくっついてくるのか。本屋に行くんですけど、と寝乱れた髪を直しながらしのぶが呟いても、冨岡の腕は離れない。
「……もう少し」
「起きたら本屋付き合ってくれます?」
「うん……」
起きるまで何時間かかるかは分からないが、正直しのぶは予定が潰れても文句はなかった。
今まで男性に対して間違っても可愛いなんて思ったことのなかったしのぶは、冨岡だけはいつも思ってしまう。無駄に腕っ節は強いくせに、甘える時はやたらと幼い子供のようだった。狙っているのかと勘繰るほど可愛い仕草をする。
まあ、こんなこと好きな相手でなければ冨岡はやらないし、しのぶは好きでなければ可愛いなんて思わないので、満更でもないのだが。
「甘えられるのは気分が良いですけど」
ベッドの縁に頭を預けて、しのぶは冨岡を眺めた。旋毛側から見下ろすような視界になり、珍しい目線に何となくおかしくなって笑ってしまう。
「他の人にこんなことしないでくださいね」
確実にやらないであろう忠告を口にして、しのぶは冨岡と同じように目を瞑った。