閑話 乙女の顔
神崎アオイには先輩がいる。
今も華道部に所属する胡蝶カナエと、中等部まで所属していた胡蝶しのぶ。二人の姉妹は校内でも人気があった。
美人姉妹だと名高い二人は、小等部からすでに話題になっていたらしい。女子校では歌劇団の男役のような、中性的な外見の生徒に人気があったが、柔らかい物腰と愛らしさに憧れる者は多かった。しのぶは中等部まではつんけんとしていたのだが、高等部に上がるとそれも鳴りを潜めていった。最近は更に柔らかい雰囲気になったと思う。
高等部で部活をしていないしのぶとは滅多に顔を合わせることはないのだが、それでも校内を歩いていれば時折見かけることもあり、しのぶから声を掛けてくれることも少なくなかった。
だから食堂で見かけた時、アオイからも声を掛けようと近寄ったのだが。
いつも凛としているしのぶがテーブルに突っ伏して、正面に座る女子生徒が頬を染めつつも心配そうに声を掛けている。何事かと不安になり慌ててアオイは口を開いた。
「しのぶ先輩、大丈夫ですか」
アオイの声が聞こえたのか、しのぶは勢い良く体を持ち上げ何事もなかったかのようにアオイへ笑顔を向けた。頬が赤いから熱でもあるのかもしれない。
「あらアオイ。大丈夫、何もありませんよ」
気にしないでと口にしたものの、アオイはこんなしのぶの姿を見たことがなかった。風邪でなければ何か悩みがあるのでは、と正面に座る生徒へ目を向けるが、彼女はにこにこと笑みを作るだけだった。
「何かあったんでしょうか? 私でも力になれることがあれば……」
「いいえ、あったといえばあったけれど、そういうのじゃないの。本当に大丈夫だから」
段々頬の赤みが増しているような気がしたが、友人が一緒にいるならばアオイの出る幕はないだろう。
「そうですか。なら良いんですが」
「ええ。心配してくれてありがとうアオイ」
しのぶの言葉に頷き、アオイは食券を買うために二人から離れた。チャイムが鳴ってから少し時間が経っているためか、食堂のテーブルはほとんど空いていない。トレーを用意して食券を差し出し、皿に盛られたハヤシライスを受け取って見渡すと、どうやら空いている席はしのぶたちの近くしかないようだった。
少々悩んだが、アオイは手早く食べて食堂を出ようと考えた。恐らくしのぶはアオイに原因を話したくないのだろうと推測していた。近くで聞かれることも嫌がるはずだ。
「……一人でいると思い出してしまって。どうなってるんでしょう、あの人。可愛くて意味がわからない……」
聞こえた言葉に思わず音を立ててトレーをテーブルに置いてしまい、しのぶと友人がこちらへ顔を向けた。食べたらすぐ行きますから、と慌てて口にしたのだが、しのぶにゆっくり食べなさいと注意されてしまった。
「すみません、満席でここしか空いてなくて」
「良いのよ。アオイなら良いです、聞かれても……」
長い溜息を吐いて項垂れるしのぶを、正面の友人は励ましつつ羨ましそうに眺めていた。先程聞こえた可愛いという単語は、何に対してのものなのだろうか。両手で顔を隠しているが、見えている耳は赤かった。
「でもね、しのぶちゃん。私も男の人を可愛いって思うから、きっと普通のことよ」
「伊黒さんですか?」
「うん。普段はとっても格好良いのに、お友達と話してる時はいきいきしてとっても可愛かったわ! 恋をすると相手の人が可愛く見えるのは普通のことなのよ、きっと」
恋。女子校育ちであるアオイにはなかなか機会は訪れないが、どうやら話題は恋についてで、二人は恋をしているらしい。
「そうなんでしょうか……」
凛として誰に対しても物怖じせず、時には教師にも物申すような姿を見てきたが、今は困ったように眉を下げて縮こまっている。しのぶの初めて見る姿にアオイは内心驚いた。
「冨岡さんは私も可愛いと思ったことがあるもの。しのぶちゃんが悶えちゃうくらい可愛いところがいっぱいあるのね」
「ええ……ちょっと、理解に苦しむくらい。冨岡さんの笑顔を見てると、絶対に守らなければいけないと思ってしまって。いえ、強い人なのはわかってるんですけど」
不安げだった様子から一転、しのぶは真剣な顔で話している。そういえば去年から合気道を習い始めたのだとカナエが言っていた。ひょっとしてその冨岡という人を守りたくて始めたのだろうか。
「私が冨岡さんくらい強かったら何があっても冨岡さんを守ります」
「格好良いわしのぶちゃん。冨岡さんも惚れ直してしまうわね」
「実際は全然ですけど。私が技かけてもびくともしないんです。稽古なんだからちゃんとかかってもらわないといけないのに。そんなところで負けず嫌い発揮しないでほしいです」
「冨岡さんもそんなところがあるのね。子供っぽくて可愛いわ」
「そうなんですよ! 腹が立つのに可愛く思えるんです」
テーブルを叩いてしのぶは友人へ思いの丈をぶつけている。しのぶより強くて可愛い男の人。アオイの想像力ではさっぱり思い浮かべることはできなかった。
食べる手が止まっていたのを見つけられ、時間が過ぎてしまうとしのぶから注意を受ける。少し冷えてしまったハヤシライスを口に運んだ。
「惚れた欲目というやつね! 冨岡さんもしのぶちゃんに思ってるはずだわ」
溜息を吐くしのぶの横顔は、どんな花よりも綺麗に見えた。アオイが見てきたどの表情とも似ていない、きっと誰かを想って悩む乙女のものなのだろう。
それにしても。
案外短気ではあるが、基本的には落ち着いていて笑みを浮かべている姿ばかりだった。そんなしのぶをあれだけ荒ぶらせるとは、恐るべし顔も知らない彼女の想い人。どれだけ可愛い人なのか見てみたい気もするけれど、きっとその感情はしのぶだからこそ感じるものだろう。
恋か。
恋する乙女は美しい、なんて言葉もあるくらいだ。これからもっと綺麗になるだろうしのぶを眺めて、アオイは少し羨ましくなった。