合格発表
「あった!」
「俺もあったああ! やった炭治郎!」
貼り出された受験番号の一覧と受験票を見比べて、炭治郎は自分の番号を見つけた善逸と抱き合った。遅れて玄弥も見つけたと声を漏らし、三人で抱き合い飛び上がって喜んだ。
「これで春から高校生……うわ、泣きそう。爺ちゃんに電話しなきゃ」
「俺も母さんに電話する。玄弥は?」
「仕事中だからメッセージ送っとく」
ひと通りの連絡を済ませた後、炭治郎たちは揃って正門を出た。
これから三人でお祝いでもするかと話をしながら、皆安堵の息を吐いた。春からまた同級生になることが素直に嬉しい。中学の時のように同じクラスになれたら、きっとまた騒がしい日々になるだろうと考えた。
「しのぶさんにもお礼しないと。何が好きなんだろう」
「お前良く耐えたよな。あんな美人とずっと同じ部屋、俺ならドア開けてても無理だわ」
「もうその話やめないか」
忘れかけていた感覚に炭治郎の頬が熱くなった。
善逸の言葉が発端だったあの時の緊張は、炭治郎にとって初めてともいえる感覚だった。年上の女の人にどぎまぎすることは何度もありはしたけれど、目を回すほど緊張したのは後にも先にもしのぶだけである。人には言えない夢まで見てしまったのは忘れてしまいたい醜態だった。まあ、目を回すのも夢を見るのも情けないのでこの先はあまり経験したくはない。
「いつでも呼んでくれて良いけどな! 禰豆子ちゃんにも会えるし」
「家庭教師はもう終わりだよ。今年はしのぶさんも禰豆子も受験生だし」
炭治郎はしのぶの厚意で塾には通わなかったが、禰豆子はどうするつもりだろうか。今年なら兄弟子たちに頼めば家庭教師をしてくれるかもしれないが、理数を教えてくれる人がいなかった。
「俺が理数強かったら教えてあげられたのになあ……」
「え、でもお前なんか数学凄え成績上がってなかった?」
「え? ああ、しのぶさんに教えられたとこ……あの後塾も段々理解できるようになってさあ。結構楽しくなってたからかな」
「善逸、本当は数学得意なんじゃないのか?」
やる気がなかっただけで、もしくは取っ掛かりがなかっただけで、コツさえ掴めば理解は早いのではないだろうか。炭治郎はしのぶに教えてもらっても、数学だけはなかなか点数を上げることが難しかった。
「そうかな? 確かに理科よりは好きかも」
「善逸が数学得意になったら、禰豆子に教えてあげられるんじゃないか」
「まじで!? 頑張って得意になるから家庭教師していい?」
「禰豆子次第だ」
やる気になったらしい善逸が拳を握って突き上げている。禰豆子が頷くかはわからないが、善逸が教えてくれるのなら炭治郎も助かる。しのぶに教わっても人に教えられるほどではない上、炭治郎は教えるのが壊滅的に下手だった。
「俺の兄ちゃん数学得意なんだけど、家庭教師頼んだらやってくれるかも」
「本当か玄弥!」
「はあああ!? 大人の男とか絶対駄目だから!」
義勇のことがあってか、善逸は年上の男の人相手にも無条件で敵視するようになってしまっていた。勢いに驚いたのか玄弥は善逸から少し体を引いた。
「お前が決めることじゃないだろ」
「それは間違いなくそうなんだけどな。塾と家庭教師どっちが高いんだろう。しのぶさんはお金受け取ってくれなかったから……」
週に一回、稽古が終わった後のついでだからと言って、母が渡そうとした封筒を断っていた。笑顔で断るしのぶにご両親に確認してほしいと母が口にすると、しのぶはその場で家に電話をし、結果必要ないと話がついてしまったのだ。同じ道場の門下生だからと渋々納得させられてしまった。
さすがに玄弥の兄に家庭教師として来てもらうならば提示された金額を払うのだが、相場が幾らかわからないため塾に行かせたほうが良いのか迷ってしまう。
「俺ならお金なんて要らないよ! 禰豆子ちゃんのためなら幾らでも勉強してくるし!」
「有難いけどちゃんと教えてくれるか? 禰豆子に見惚れてばかりじゃ駄目なんだぞ。というか禰豆子が嫌がったら駄目だからな」
「苦手科目に絞るならそんなに高くないって兄ちゃん言ってたけど……」
「そうなのか。でも禰豆子も塾が良いって言うかもしれないし、一度聞いてみるよ。ありがとう玄弥」
「いやまあ、兄ちゃんもやらないって言うかもだし。まあ何かあったら言えよ、聞いてはみるから」
頷いて礼を伝え、騒ぐ善逸を引っ張って歩く。
兎にも角にも禰豆子のことは、禰豆子本人がどう勉強していくのかによるので、炭治郎たちが騒いだところでわからないのだ。
「ま、とりあえず今日はお祝いしようぜ。合格したんだからな」
「ああ、楽しみだなあ高校。あ、義勇さん!」
「あ、兄ちゃん……」
こちらに気づいた義勇が視線を向け、隣にいた玄弥の兄も目を向けたのだが、善逸の敵意に気づいたのか顔を顰めた。
「義勇さん、俺たち受かってました! 義勇さんのお守りのおかげです」
「お前が胡蝶に教わりながら頑張って勉強したからだ。おめでとう」
首のマフラーを外そうとすると、後日で良いと止められた。玄弥の兄は不思議そうにしていたが、それよりも善逸の視線が気になるようで、ちらちらと視線を向けている。
「ありがとうございます。春から義勇さんの後輩です」
「ああ」
嬉しそうに笑みを向けた義勇に炭治郎も笑い返しながら、玄弥が兄から労いの言葉を受け取った後問いかける様子を眺めていた。
「兄ちゃん家庭教師のバイトとかやったりしない?」
「はァ? いや特にするつもりはねェけど」
「あ、あの! 俺の妹が今年受験生なんですけど、不死川さんが数学得意って聞いて。まだ塾にするか迷ってるというか、禰豆子には何も聞いてないんですけど。もし家庭教師が良いって言ったら教えてもらえるのか気になって」
言い募る炭治郎に驚いたのか目を丸くして、玄弥の兄は曖昧に頷いた。義勇は黙って不死川を眺めている。
「いやまあ、頼まれたら別に構わねェけどよォ……」
不死川の視線が善逸へと固定された。
敵視する相手が二人目の前にいるせいで、善逸は以前にも増して恐ろしい形相で睨んでいた。空気が断れと思いきり伝えているのが炭治郎にはわかった。不死川は戸惑いながらも睨み返していたが、何故睨まれているのかはいまいち理解していないようだった。
「兄弟子さん方のうち誰か一人でも数学得意な奴いねェのかよォ」
「俺たちは全員文系だ」
「てめェらは体育会系だァ。まあ、決まったら玄弥か冨岡通しででも言ってくれりゃ考えるわァ」
「あ、ありがとうございます!」
「いやいやいや炭治郎! 俺頑張るっつったじゃん! こんな悪人面の人と禰豆子ちゃんを二人にさせらんないでしょ」
「うるせェわ」
慌てて割り込んだ善逸の言葉に不死川が突っ込みを入れると、善逸は怯えたように短く悲鳴を上げた。先程まで睨みつけていたのに今更怖がるのもどうなのだろうか。
「不死川は顔は怖いが悪い奴ではない。口も手癖も足癖も悪いが、確実に最後まで面倒は見てくれるはずだ。責任感が強いから」
「てめっ……褒めてェのか貶してェのかどっちかにしろやァ……」
突然の義勇の言葉に目を丸くした後、不死川の顔色は複雑な色になった。照れているのか怒っているのか諦めているのか、全部混じったような表情をしている。無視して義勇は炭治郎へ声をかけた。
「これから帰るのか」
「いえ、三人でお菓子でも買い込んでお祝いしようかと」
受験前のように誰かの家で集まろうと思っていたところである。それを伝えると義勇は頷いて口を開いた。
「好きなものを言え。奢ってやる」
「えっ! でも、」
「合格祝いだ」
すぐそこのコンビニを指した義勇に炭治郎は恐縮して善逸と玄弥へ視線を向けるが、二人もどうしようかと迷ってしまっているようだった。何と返せば良いだろうかと悩んでいると、不死川が声をかけた。
「弟弟子の前だと格好つけようとすんなァ」
「弟弟子だからな」
「俺らの前でももうちょいしっかりしろやァ。さっさと来いよ、こっちも暇じゃねェんだからなァ」
どうやら不死川も義勇と同様に奢ってくれるらしく、歩きだしてしまった二人を眺めて三人顔を見合わせたあと、小走りで追いかけた。
「はあああ。これだから大人の男は……」
「大人かどうかは関係ないぞ。義勇さんはずっと優しい」
「うちの兄貴も優しいだけだぞ」
何やら複雑な心境らしい善逸は大きな溜息を吐いていたものの、コンビニで山程購入したレジ袋に詰め込まれた菓子の量に引き攣りながらも二人に礼を口にした。