道場にて
「こんにちは鱗滝さん、」
久しぶりに兄について鱗滝道場へと遊びに来たら、見知らぬ女の人がいた。
驚いてこちらを見つめる女の人は凄く綺麗で思わず見惚れていると、兄が挨拶をして禰豆子を妹だと紹介した。
「禰豆子、こちらは胡蝶しのぶさんだ。最近門下生になって合気道を習い始めたんだ」
「こんにちは、炭治郎くんの妹さんですか。では……中学生?」
「あ、はい。お兄ちゃんと年子で、中一です」
「そうですか。私の姉も一つ上なので一緒ですね」
微笑んで話しかけてくれる様子は気さくで優しく、禰豆子も自然と笑みを浮かべた。しのぶの辺り一帯だけ花が咲いているかのように華やかで、道着を着ていなければとても武道をするような人には見えなかった。
「お、禰豆子。久しぶりだな」
「こんにちは錆兎さん」
見知った炭治郎の兄弟子の一人が声をかけてくれ、禰豆子は道場へと上がり込んだ。
着替えに行っている炭治郎は奥へと消え、すでに準備運動をしているしのぶへと視線を向けた。
どれだけ見ていても見飽きない。テレビの中以外にこんなに綺麗な人がいるなんて知らなかった。視線に気づいたしのぶが禰豆子へと顔を向け、ぎくりと肩を強張らせた。
「禰豆子さんは稽古を受けないんですか?」
「家の手伝いがあるので。それにあんまり運動神経良くないし」
話しかけてくれるしのぶに返事をしていくと、しのぶは成程、と呟いた。
炭治郎の兄弟子や鱗滝夫妻がいるからたまに会いに来るが、自分が稽古を受けようと考えたことはなかった。炭治郎のように家の手伝いと両立できるとは思えなかったし、皆凄くてついていくのも難しそうだった。
「確かに、ここの人たちは皆さん身体能力が高いですからね。私もいつも置いてけぼりです。まあ、彼らとは習っているものが違いますけど」
「どうして合気道始めようとしたんですか?」
「色々絡まれることが多くて、自衛のためです」
これだけ美人ならば絡まれることも増えるのだろう。周りには禰豆子を可愛いと言ってくれる人はいるけれど、絡まれるような経験はなかった。
「禰豆子か。丁度良かった」
「義勇さん、こんにちは」
小さな紙袋を持って義勇が顔を出した。姉からと告げて渡された袋の口を開けて手のひらに向けると、可愛らしい色合いのヘアピンが複数転がり出てきた。
「わあっ、可愛い!」
「姉さんが中学の時に使ってたものだ。禰豆子と、花子にも気に入ったら使ってくれと」
花やビーズのような飾りがついたヘアピンは、色鮮やかで禰豆子の目を輝かせた。古いものだから気に入らないかもしれないが、と姉が言っていたという伝言を口にする義勇に、禰豆子は勢い良く首を振って感謝を述べた。
「自分じゃあんまり買わないから、凄く嬉しいです。蔦子さんにもお礼言いたい」
「伝えておく」
「でもちょっと大人っぽい……似合わないかも」
美人な義勇の姉を思い浮かべ、禰豆子は少しつけることを躊躇した。自分でもつけられそうなものもあるけれど、一番目を惹いたのはまだ中学生の禰豆子には少し背伸びをしているようなデザインのものだった。つけるのはまだ先にしておこうかと考える。
「そうか。俺は似合うと思うが」
義勇の言葉に照れた禰豆子は、自分の頬に熱が集まってくるのがわかった。近寄って手元を眺めた錆兎と真菰も続けて頷く。
「うん、全部絶対似合うよ! 花子もきっとどれつけても可愛いよ」
「そうだな。試しにつけてみればいいんじゃないか」
錆兎の言葉に兄も頷き、禰豆子は恐縮しながらも真菰からこちらへ向けられた鏡とヘアピンを交互に眺めた。禰豆子が大人っぽいと感じたヘアピンは、ピンクゴールドと呼ばれる色合いのビジューで花をあしらったものだ。恐る恐る選び取り、鏡を見ながら耳の近くで髪を抑えるように差し込んだ。
「わあっ、可愛い! 似合うよ禰豆子!」
「本当。とても素敵ですよ」
真菰としのぶが満面の笑みを見せて禰豆子を褒めるので、禰豆子はまた恐縮してしまった。炭治郎まで一緒になってはしゃいでいるのだから困る。
ちらりと義勇へ視線を向けると目が合ってしまった。
「可愛い」
「そうだな。似合ってるぞ」
シンプルな言葉に更に頬が熱くなり、禰豆子は小さく礼を口にした。褒められたのは嬉しいけれど、真っ直ぐこちらを見て可愛い、似合ってるなどと、他意がなくたって照れてしまう。
禰豆子の中にある乙女心が浮ついてしまい、つい言葉を反芻する。可愛い。可愛いかあ。前にも言ってくれたことはあるけれど、いつ言われても嬉しくて恥ずかしい。
「ありがとうございます、義勇さん。花子も喜びます。今度お礼にパン持っていきますから!」
「いや、お下がりだと言っていたから……」
「それじゃ俺も気が済まないので! 来週家に寄らせてくださいね」
「……ああ」
諦めたような顔をして義勇は頷いた。兄はこうして人の話を聞かずごり押してくることがある。義勇は良くその対象にされていた。錆兎が苦笑いを見せて義勇の肩を叩いた。
*
「もうすぐ冬休みだね。今年は蔦子姉さんもクリスマス来る?」
「今年は来ないと思うが」
聞いてはみる、と真菰の言葉に義勇が答えた。禰豆子もすでに社会人の蔦子とは殆ど顔を合わせることがない。義勇を通して色々と目をかけてくれているので、クリスマスに会えるのならお礼にプレゼントでも渡せないかと思ったのだが、義勇に頼んで渡してもらうことになりそうだ。
「それより先に期末だ。平均以上じゃないと先生の拳骨が飛んでくるぞ。欠点だと冬の池に飛び込む羽目になる」
「うーん。理数が毎回ぎりぎりだもんね。私たち皆得意じゃないし」
どうやら炭治郎の兄弟子たちは皆文系、いや体育会系なのであまり理数系は得意ではないようだ。禰豆子も国語は好きだが理科はあまり点数が取れない。炭治郎も似通っているので、道場の面々は皆得意科目が似ているようだった。
「理数ですか。私が同い年ならお教えできたかもしれませんね」
「しのぶちゃん、理数系得意なの? 凄い、教えてほしい!」
「学年が違うので役に立つかはわかりませんけど……」
それで良ければ。しのぶの言葉に真菰の目が輝いて笑顔を見せた。
「炭治郎と禰豆子もテストあるでしょ? 皆で勉強しようよ、得意科目教えあってさ」
義勇は日本史、錆兎は古文、真菰は英語。見事に理数系を得意とする者がおらず、しのぶが肩を震わせて笑いを堪えていた。
「日本史は煉獄も得意だから、テスト前は二人に聞いてかなり高い点数取れたこともあるんだがな」
「不死川に聞けば数学はどうとでもなった」
「伊黒はあの小言さえなければなあ」
溜息を吐いて憂鬱そうに顔を歪めた錆兎は、聞いているだけでも疲れるのだと呟く。真菰が笑いながら相槌を打ち、義勇が笑みを浮かべて一言口にした。
「今年からは胡蝶がいるから大丈夫だ」
「あの、教えられるかどうかもわかりませんよ」
困ったような表情をしたしのぶが慌てて声をかける。義勇たち三人の一つ下であるらしいので、まだ習っていないものがあればしのぶにもわからないと口にしていた。禰豆子だって兄の教科書を見てもわからないことばかりだった。
「一緒に勉強するだけでも楽しい」
「楽しんでばっかりで頭に入らないとかあるよねえ」
「毎回軌道修正するのに時間がかかるしな」
三人が楽しげに話す内容は、禰豆子としても身に覚えのあることだった。友達と一緒に勉強すると楽しくできるけれど、別のことで盛り上がりすぎて勉強が終わらなかったり。三人もそういう経験があったようだ。
禰豆子とそう変わらない背丈のしのぶが、困ったように一人を見上げた。ほんの少しだけ頬を染めて。
その瞬間、禰豆子は理解した。
しのぶが見上げた先にいる義勇は錆兎と真菰と一緒に微笑んでいる。
そうか、しのぶさんは。
義勇さんのことが好きなんだ。
微笑まれただけで花が見えそうなほど見惚れたくらいなのに、困った顔をしているだけの今のしのぶはもっと綺麗に見えた。
何だか妙に胸の内がざわざわとして落ち着かなくなり、禰豆子は思わず胸元の服を握り込んだ。