幼馴染・義勇
不審者に遭遇することは中学までは確かにあった。だから小学校に入学した頃から鱗滝道場で世話になっていた。運動神経も悪くなかったらしく、教えられるままに体術を吸収していった。中学に上がる頃には大人だろうと投げられるようにはなっていたし、そもそも男なのだから姉が血相を変えて心配するようなこともないと思っていた。
姉は愛想が良いものだから、知らない人間でも笑顔を向けるのは当たり前だったし、そうすることが自然だと思っていたのだ。近所のお婆さんなどは姉弟で笑顔を見せると大層喜んで、お菓子をくれたりしていたし。
錆兎も真菰も良く笑うから、己も自然と笑っていた。あの時車へ押し込まれるまでは。
姉も鱗滝も、錆兎も真菰もとにかく義勇を心配した。姉の身長も越し始めた年頃の男子相手に、一人で帰るな、もう外で笑うなと、真菰すらも義勇に言い聞かせた。中学生になってまで誘拐未遂のようなことがあったせいだが、姉が自分を差し置いて泣きながら弟にそんなことを言うのだから、従う以外に選択肢はなかった。
その上未だに納得がいかないが、痴漢を経験してしまうこともあった。だがただでさえ心配性な姉にそんなことを言えるわけもなかった。無表情を貼り付け始めてからは危険な目には遭わなくなり、錆兎と真菰と相談し、姉に一人で通学することを納得させることに成功した。本当はそんなことをしなくても三人一緒にいるのは楽しいのだが、義勇の誘拐騒動の影で、真菰にも悩んでいることがあるようだった。
なかなか悩みを打ち明けようとしない真菰に、義勇は寂しく感じてしまいしょぼくれていると、見かねた錆兎が口にした。言いたくないなら無理にとは言わないが、三人いればどうにかなる。きっと力になってみせる。錆兎の言葉を聞いて、真菰はようやく口を開いたのだった。
女子に言われてしまった。三人の仲が良すぎて輪に入れない。随分前から言われていたのだと。
きっともっときつい言い方をされたのだろうと錆兎は推測していた。錆兎も男子に言われたことがあったそうだ。
真菰は義勇と錆兎、どちらかと付き合っているのか。付き合っていないのなら、そんなに仲良くしないでほしいと。
思春期を迎えた男女が友人のまま仲良くなんてできるわけがないと。
そんなのは偏見だと錆兎は憤っていたけれど、真菰が何か言われるくらいならと、義勇も錆兎も一人の時間を持つようになった。
それでも急に仲が悪くなるわけではなかったし、学校では顔を合わせれば挨拶をすることはあった。だが一人の時間が増えると、比例して増えたものがあった。
女子からの告白は以前にもあった。真菰たちと距離を置くようになると、錆兎も呼び出される回数が増えたと言っていた。そのうち真菰に言及した者もいたし、あまり話さないでほしいと言われたこともあった。
何故と聞いてみると女子は頬を赤らめて、自分より仲が良い女子がいると嫉妬してしまう、自分が一番であってほしいと口にした。
それを聞いた後お付き合いとやらを断ると女子は憤慨してあらぬ噂を流されてしまったのだが、断り方はお前にも非があると錆兎に窘められてしまった。
三人の仲を邪推する者は皆一様に男女の友情を否定しているらしく、義勇はこれを全く理解できなかった。
真菰のことは好きだ。優しくて可愛くて強くて、一緒にいると楽しい。いつも明るい真菰がしょげている姿は見たくないし、助けられるなら力になりたい。真菰がしばらく離れようというのなら、寂しいけれど我慢できる。一人だけ距離を置くなんてことは仲間外れのようで気に入らないので、やるなら三人一緒に。まるで幼稚な子供のようだと思われるかもしれないが、そうして義勇の周りが落ち着いた頃、道場で稽古を受ける時以外は距離を置くことにしたのだった。
物心ついた時にはすでに三人一緒だったから、最初はとても戸惑った。とはいえ呼び出しの頻度がぐんと上がった後は、目に見えて下降していったと思う。友人曰く、見た目に騙された女子が義勇の口下手ぶりを認識し、本人には関わらず影から眺める形にシフトしたのだろうということだった。
困ることはなかったし、失礼だとも思わなかった。口下手なのは事実だからだ。
友人が言うには、義勇を敵視していた男子が少し見方を変え、段々と打ち解け出したのもその頃だったそうだ。
錆兎はもう良いだろうと口にした。身勝手に理想を押し付けておいて好みじゃなければ去っていく。そんな奴らの文句を鵜呑みにする必要があるのか。真菰が目の敵にされるのは嫌だが、そいつらの思惑通りに三人の仲を引き裂かれるなど納得がいかない。そもそも邪推してくる者が悪いのだ。
「そうだね。ごめんね」
神経質になっちゃってた。真菰は錆兎の言葉に吹っ切れたように笑った。
誘拐騒ぎなどよりも、義勇にとっては何より重要なことだった。呼び出しの頻度が減った頃には学校でも話をするようになり、一緒に昼食を食べるようになり、三人で帰るようになった。何か言われることもなくなったと真菰は言ったし、少し訝しんだ錆兎もならば良いとそれ以上追及することはなかった。
「あなた方はやっぱり三人揃っていないと」
目の前の少女が口にした言葉は、義勇がずっと願っていたことだった。
満員電車の中出会った、真菰以外の女友達。
はっきりとした性格をしているが、時折お嬢様らしさが滲み出ている、と思う。女子とあまり仲良くなろうとしていなかった義勇にとって、なし崩し的に輪の中に入り込んでいた少女だった。きっとこの子がいなければ、真菰以外の女子と二人で出掛けることもなかっただろうと思う。
目の覚めるような可愛い見た目に反して、合気道の稽古に弱音も吐かず励んでいると師範は褒めていた。負けん気が強くて筋が良い。古武術を習うのも考えてみては、と冗談交じりに聞いてみれば、合気道を極めることしか考えていない、と断られたのだそうだ。
義勇たち三人も似た理由で合気道をやっていない。きっと価値観は近いのだと思うし、それが好ましいと思う。
三人いないと物足りないと言ってくれる人がいて、義勇は気が楽になった気がした。
義勇の視線に笑顔を向けて少女はこちらを眺めていた。何でもないと口にして、ぼんやりと脳裏に浮かんだ言葉を心中で呟いた。
好きだ。
自然体で良いのだと言ってくれた気がした。義勇にとって好感を持つにはそれで充分だった。