幕間 乱痴気騒ぎ・朝 玄弥
目を覚ますと見慣れない内装が視界に広がり、昨夜は兄の友人の店で飲み会があったことを思い出した。
周りはとんでもないことになってはいたものの、玄弥自身が何か被害を被ったわけではない。まあ、身内の醜態は確かに被害があったのだが。
隣や近くで玄弥の友人たちが目を覚ましだし、店で一晩明かしたことに溜息を吐いて席を立とうとした。
「うわっ」
床に正座をした冨岡が、瞑想でもしているのかのようにまんじりともせず玄弥たちの後ろに姿勢良く座っていた。昨夜は気の抜けた顔を見ることが多かったが、今は眉が釣り上がり無駄に凛々しい顔をしている。
「腹を切ってお詫びしようと思う」
「武士じゃん……」
冗談を言うような性格ではない。醸し出す空気も完全に本気だった。起き抜けにこんな驚きはいらない。善逸が思わずというように一言呟いた。
「包丁をもらってくる」
「いっ……、いやいや義勇さん! 大丈夫です、俺たち謝られるほど何かされたわけじゃないですから! な、玄弥!」
「ああ! 皆酔ってたし、こういうのも良くあることだし! 特に仲間内とかだと、俺だって潰れたことあるんで!」
二人がかりで止めようとしても引きずられてしまう冨岡相手に、炭治郎が善逸たちにも声をかけ、五人がかりでようやく動きが止まった。こちらは寝起きで力が出ないとはいえ五人もいたのに、兄並みに強い。どれだけ力があるのだろうか。
「落ち着きましょう、義勇さん。大丈夫ですよ、皆可愛かったですから」
「………」
照れたり拗ねたり、喜怒哀楽をはっきり見せていた昨夜と違い、禰豆子がフォローになっていなさそうな言葉をかけたが、冨岡の表情筋はピクリともしなかった。初対面で見た、あの感情の読めない無表情がそこに貼り付いていた。
「……忘れてくれないか」
「うーん。それはちょっと……何せ印象的で忘れられないと思います」
「私も。しのぶ姉さん可愛かったし……」
「誰にでも失敗ってありますし、義勇さんにもそういうことがあるんだって安心しました!」
眉間に皺が寄った。禰豆子たちの言葉をどうにかして受け入れようとしているように思える。
酒に酔って夫婦でいちゃいちゃするなんてことは、玄弥からすれば少々、いやかなり直視できないことではある。だがまあ結婚しているのだし、普段あまりいちゃいちゃしないのだとかいうし、特に咎める必要などないとは思っている。玄弥たちはつい見入ってしまっていたけれど、同級生たちは皆見慣れているようだったし。宇髄と力比べをし始めたのも、兄だって似たようなことをして暴れたりする。男同士のあれそれに関しては、まあ、どう反応すべきかは正直分からないけれど。
冨岡は酔わされても終盤まではまともな思考をしていた。どちらかといえば。
「介錯しろ冨岡ァ。俺が先に切腹すらァ」
「俺は刃物に慣れていない。介錯なら煉獄に頼んだほうが良いんじゃないか」
「ああ、剣道部かァ。じゃあそうするか」
「いやいやいや! 兄貴落ち着いて!」
顔色が土気色になっている実弥が現れ、冨岡に介錯を願い出ている。二人して本気なのが始末に負えない。
「落ち着いてられるかァ! ところどころ記憶がねェのが恐ろしい! 俺の抜けた記憶で俺は一体何してたァ!?」
「どのあたりがないんですか?」
「……いや、わかんねェ……何か冨岡が質問されてんのは覚えてっけど……」
「暴露部分の記憶がないのか」
暴露という単語に驚くほど肩を震わせた兄は、手のひらで顔を隠したまま唸った。どんな内容だったかと消え入りそうな声で問いかけた。
「好きになったきっかけの話とか、初体験の話とか」
呆れきっている善逸が面倒くさそうに答えた。他にもファーストキスの話とか色々、と続ける。
「義兄って呼ばれたいとかプロポーズの詳細とか、カナエさんも好き放題喋ってましたけど」
「―――!」
一陣の風が吹いて、店の扉を開け放し兄は早朝の外へと走っていった。
店のそこかしこで倒れている者たちが動き出し、何人かが起き始めたようだった。
「頭痛え……今何時だ?」
「おはよう宇髄。包丁を貸してくれ」
「は? 何で?」
切腹を諦めていないらしい冨岡が、起きたばかりの宇髄へ声をかけている。慌てて炭治郎が引き止めた。
「腹を切りたい。介錯は煉獄に頼もうと思う」
「何言ってんだお前。頭痛えのに変なこと言うなよ。……あー、うん、成程な。お前らはどっちかっつうと胡蝶のがヤバイだろ」
切腹したがる冨岡の真意を察したのか、宇髄は宥めるように冨岡の肩へ手を置いた。俺もやらかしたし、と一応フォローのようなことを口にする。
「昨日はやらかす気なかったのになあ。酒の力って怖えー」
「おはよう……全部痛い……」
兄の醜態を晒させた側であるカナエが起きた。ふらふらと立ち上がり洗面所へと姿を消し、しばらくしてドアから項垂れて現れた。
「………。……あの」
玄弥たちのそばまで近寄り、顔を伏せたまま呟いた。注意していないと聞こえないほど小さな声で。
「カナエ姉さん……?」
「ごめんなさい……」
どうやら顔を洗っているうちに思い出したらしく、酒が残っているのかと思うほど顔が赤かった。カナヲが体調を気にすると、頭が割れるように痛いのだと口にした。
「二日酔いですかね。味噌汁が良いって聞いたことがあります」
炭治郎の気遣いに縮こまり、カナエはずっと俯いていた。顔を隠すように両手を当てるが丸見えだ。若干泣いているように見えた。
「義勇くんも、その……ごめんなさい」
「俺は良い。切腹するから」
「そうなの……? 私もするわ。作法はどうすれば良いのかしら」
「何で皆腹切りたがるんだよ!」
理由は理解できるものの、揃いも揃って腹を切るなどと口にしている。詫びの入れ方が命がけだ。この年上の彼らは皆似た者同士なのだろうかと玄弥はぼんやり考えた。
「おはよー。昨日途中から曖昧なんだけど、皆潰れちゃったんだっけ?」
真菰が欠伸をしながら近づいてきた。酔っ払いではあったが、兄のような醜態を晒していない真菰は安心できた。腹を切るなどと言わないだろうからだ。
「包丁は貸さねえから、切腹以外で詫びてろ」
「何の話?」
真菰の疑問に炭治郎が説明し始め、義勇とカナエの様子に真菰は困ったような顔で口元を緩ませた。実弥が外に走っていったことも、笑っていいのか判断に苦しんでいるようだった。
「切腹が無理なら真菰、気の済むまで俺を投げ飛ばしてほしい」
「私は別に迷惑かけられてないしなあ……炭治郎に頼んだら?」
「えーっ! 俺だって別に迷惑じゃなかったですよ!」
「炭治郎くん、私のこともお願い」
「い、いやいや!」
迫ってくる冨岡とカナエに困惑しながら炭治郎が宥めている。冨岡はともかく女性であるカナエを投げるのはさすがに玄弥にもできない。ただ酔い潰れてしまった程度なのだし。
「私もお願いできますか……」
いつの間にか起きて状況を把握したらしいしのぶが、カナエと同じように項垂れて言った。
普段淑やかな二人が揃って醜態を晒していたのは、玄弥にとっては色々と目の毒ではあった。だがやはり酒に酔った程度のことで、という思いが渦巻いている。きっと炭治郎もそうなのだろう。
「皆おはよう! 昨日は凄かったわね!」
普段どおり元気な声が店内に響いた。
起きて顔を洗ったらしい甘露寺は、昨夜もずっと元気なままだった。冨岡や宇髄と同じくらい飲んでいたような気がしたのに。
「義勇さんは体調は大丈夫ですか?」
「寝れば問題ない」
「そうなのね! 私も二日酔いになったことないの、冨岡さんも?」
「ああ」
「お前らの体どうなってんだよ。俺だって頭痛えのに」
三人とも浴びるほど酒を飲んでいたはずだ。冨岡は酒に酔うことはあっても二日酔いになったことはないらしく、甘露寺に至ってはテンションがいつもと変わりなかった為酔っていたのかもわからない。頭痛を訴える宇髄がまともに見えてしまった。
「おはよう! 驚くほど頭が痛い!」
「二日酔いなら叫ぶんじゃねえよ」
飲んでいる間テンションが変わらなかったのは煉獄もだが、こちらは頭痛が起きているようだ。それでも地声が大きいからか普段どおり叫んでいる。本当に頭が痛いのかと疑問を持ってしまうほどだ。終盤は真菰とともに寝てしまっていたので、酔うと寝る体質なのかもしれない。
「うるさいぞ、煉獄……」
「……頭が割れそうだ……」
錆兎と伊黒が目を覚まし、これで全員が起きたようだ。宇髄の奥方三人が二階の住居から顔を出した。
「皆さんおはようございます。お風呂とか大丈夫ですか? 準備できますけど」
「そこまで世話になれないな。もう電車も動いてるから、帰って入るよ」
遠慮しなくても、と雛鶴が声をかけるものの、錆兎は申し出を断った。
店の入り口に人影が写り、目を向けると戻ってきた実弥が息を切らせて立ちすくんでいた。いつもの五倍以上顔が強張っている。
「実弥くん……」
申し訳なさそうな顔のカナエに目もくれず、カウンターの中にいる宇髄へと近づいていく。
「包丁くれェ」
「やらねえって。炭治郎に投げてもらえよ、冨岡もそうするってさ」
消えてなくなりたい衝動に駆られているのだろう、それじゃ死なねェだろうがァ、などと恐ろしいことを口にしている。確かに家で悪酔いした時よりも輪をかけて大変なことになっていたが、きっと浮かれていたのだろうと玄弥は考えていた。一応昨日の飲み会は、兄とカナエの結婚祝いでもあったので。
「よりによって下の奴らがいる時に……」
「ごめんなさい、実弥くん。私も楽しくて……」
両手で顔を覆った実弥に寄り添いながらカナエが謝っている。見た目は仲の良い二人のはずなのに、話の内容は昨夜のやらかしについてである。口には出せないが、羨ましくはなれなかった。
「……あの……義勇さん……すみませんでした……」
「………」
こちらはこちらで大変なことになっていたが、潰されるまでしのぶを気遣っていた冨岡を覚えているらしく謝罪を口にした。無表情のまま目を瞑った冨岡は黙り込んでいる。
「……しばらく禁酒すべきだと思う」
「はい……」
俺も付き合う、と一言口にしてから冨岡はしのぶを見た。感情が読めないのかしのぶの顔が不安げに見上げている。
「それはそれとして、一週間口を利かないことに決めた」
「なっ……何で……っ、いや、理由はわかりますけど、私だけの失態じゃ、」
「俺の失態に文句があるならお前も条件を出せば良い」
飲みすぎたペナルティとして禁酒、しのぶの失態に対して口を利かない、ということなのだろうか。冨岡の失態とは宇髄とのあれこれか、それともあのしのぶとのいちゃいちゃだろうか。
「わかりましたよ……やらかした手前言い返せません……」
「おはようとおやすみと行ってきますのちゅーはお預けかしら?」
二人の会話を聞いていた甘露寺が口を挟み、その内容に冨岡としのぶの動きは固まった。念押ししていたのに、と嬉しそうに伝える。そんなことを言っていたのかと玄弥の頬が熱を帯びた。甘露寺はひょっとしてまだ酔っているのかもしれない。
「………。……さ、さすがに、やらかした手前強要はできません……」
顔を真っ赤にして、目尻に涙が溜まり始めたしのぶが甘露寺へ返事をした。無表情の冨岡の顔色が多少悪くなっている気がする。残念そうにしつつも甘露寺は納得し、伊黒のそばへと寄っていった。