幕間 乱痴気騒ぎ 炭治郎

「三人ともお酒強いの?」
「善逸と玄弥が結構飲めるんですよ。俺はやっぱりそんなに飲めないです」
「そっかあ。不死川くんあんなんなのにね」
 男子トイレに向かった錆兎を見送って、真菰は炭治郎へと声をかけてきた。
 去年二十歳になった時、道場で酒を振る舞ってくれた鱗滝夫妻とともに兄弟子たちと飲んだことはあったが、あの時は嗜む程度の酒量だった。ほろ酔いの錆兎と真菰に対し義勇の顔色は変わらず、師も全く酔っていなかった。ほんの少し羨ましくなったのを覚えている。
 義勇は未だ顔色が変わらないし、真菰は顔が赤いものの呂律はしっかりとしているし、三人の中では錆兎が一番弱いのかもしれない。
「皆さん凄いですね。いつもこんな感じで賑やかなんですか?」
「うん、宇髄くんは珍しく酔ってるけど、他の皆は普段どおりかな。しのぶちゃんはたまに絡み酒になるよ」
「へえ……しのぶさんまだまだ先があるんだ」
 善逸が興味深そうに呟いた。今日の様子でもかなり酔っていたと思ったが、悪酔いというほどではなかったらしい。
「しのぶちゃんは悪酔いすると不死川くん並に人に絡むから、結構面白いよ」
「兄貴並って凄いっすね……」
 兄の不死川と家で飲んだことがある玄弥は、当時も玄弥相手に管を巻いていたのだと言った。真菰が笑い声を上げてカウンターを叩く。
「不死川くん家でもあんななの!? 最近は落ち着いて飲んでた時もあったのに」
「下の兄弟が面倒くさそうにしてて、結構凹んでました」
「俺も気をつけないと……」
 弟妹に嫌な顔をされるのは炭治郎も避けたいところだ。自分の限界を越えるような飲み方は控えようと決めて、カウンターに突っ伏しながら宇髄へ絡んでいる不死川を眺めた。
「良く義勇が二人の標的にされるんだけど、不死川くんに殴りかかられてるのにしのぶちゃんが腰にしがみついて文句言ってて動けなくて、途方に暮れてた時が一番面白かったかな。宇髄くんが酔ってた時は阿鼻叫喚だったから、ちょっと大変だったし」
 飲んでいた店内で朝を迎えたらしく、店主相手は勿論、しのぶや甘露寺の家にも全員で頭を下げに行っていたらしい。両親はどんな気分だったのだろうか。
「兄貴、冨岡さんのこと嫌いじゃないはずなんだけどな……」
「それは皆わかってるよ。今日だって面白いことになってたよね。そういえば玄弥くんは義勇のこと名字で呼ぶんだね」
「いやだって、兄貴が名字で呼んでたし、親戚になるとはいえ距離感が掴めなくて……」
「玄弥くんが義勇って呼んだら喜ぶと思うけどなあ」
「うん、義勇さんは嬉しいと思うぞ。玄弥も今日から義勇さんって呼んだら良いんだ。そしたら不死川さんももっと素直になるかも知れないし」
「普段素直になるかなあ……」
 生来の性格もあるだろうが、元々同級生だったせいか、二人は名字で呼び合うのが当たり前になっている。義勇は頼めば名前や義兄と呼ぶだろうけれど、素面で不死川が義勇を名前で呼ぶかはわからなかった。
「真菰、悪いが変わってくれないか」
 振り向くとしのぶの頭を膝に乗せていた義勇が困ったように真菰を呼んだ。どうやらトイレに行きたいらしく、男子トイレから出てきた錆兎が伊黒の隣に座るのが見えたらしい。ほんの少し頬に赤みが差しており、多少目元がぼんやりとしているように見えた。
 やっと酔い始めたと真菰がこっそりと呟いた。
「しのぶちゃん、気づかない? 怒らないかな?」
「大丈夫だ。錆兎だと俺と変わらないが、真菰も似たようなものだと思う」
 音を立てて真菰が義勇の頭をはたいた。贅肉をつけろと言っていたのは太ももが硬いからかと思ったが、その膝枕をし慣れているのか入れ替わるとそれはそれでしのぶは文句を言うらしい。一体どういう意図があったのか炭治郎には図りかねた。
 起こさないよう注意しながら真菰がしのぶの頭を膝に乗せ、義勇がトイレへと向かう。
「戻ってきたら義勇さんて呼んでみよう」
「えっ、驚かないか?」
「大丈夫だ。驚きはしても絶対喜ぶぞ」
 友達を作るのが苦手だと言っていた義勇は、親しげに話しかけられると大抵好きになってしまうのだ。玄弥のことは最初から好意的に見ているだろうから、仲良くしようとすればきっと受け入れてくれる。しのぶいわくちょろいのだそうだ。
「見た目難攻不落そうなのにな」
「頑固だけど押しに弱くて、良く知らない人は距離置くの。知り合ったら仲良くなりたがるよ」
「押しに弱い割には剣道には全く頷いてくれんが」
「それは頑固な部分に引っかかってるから」
 聞こえていたテーブル席の真菰が会話に入ってくると、煉獄は文句を口にした。どうやら炭治郎たちの知らない何かが彼らの間にはあるらしい。
「んー、……義勇さん?」
「はーい」
 女性の声に驚いたのか、目を覚ましたしのぶが真菰の顔を凝視した。寝起きのしのぶちゃん可愛い、と真菰が照れたように笑った。
「え、義勇さんは真菰さんだったんですか?」
「そうなの、黙っててごめんね? 性別が変わる泉に落っこちて、水を被ると女になるんだ」
 どこかの漫画にあったような設定の冗談を口にした真菰を見つめながら、しのぶは起き上がった。甘露寺が笑いを堪えるように頬を膨らませていた。
「そうだったんですか……知らなかった。え、てことは私真菰さんと結婚してたんですか」
「今日も朝可愛かったよ、しのぶ」
 悪ノリしだした真菰が畳み掛けている。本当に信じているのかよくわからないが、可愛いという単語に落ち着いていた頬の赤みが戻ってくる。本当に信じているような気配がする。
「ええ……やだ、そんな。男に戻るんですか……」
「お湯被れば男になるよー。一緒にお風呂入る?」
「そんな、一緒になんて。いや、真菰さんなら別に……いや義勇さんに戻っちゃう……」
 一緒に入ってないんだ。垣間見えた夫婦生活に善逸が小さく呟いた。炭治郎と玄弥の頬が赤く染まった。さすがに聞いていて恥ずかしい。いや、今日は結構照れてしまう様子を見てきたけれど。
「しのぶ、まだ酔ってるね。寝てていいよ、おはようのちゅーして起こしてあげるから」
「いつもなかなかやってくれないのに……真菰さんだと優しいですね……」
「おやすみのちゅーもしてあげようか? いたっ」
 またも夫婦生活が少し見えた時、戻って来た義勇が真菰の頭をはたいた。しのぶの驚いた顔が義勇を見上げ、しばし黙り込んだ後慌てたような顔をして大声を出した。
「……わかってましたから! 三人でいるのずっと見てましたし!」
「俺は真菰の家に住めば良いのか?」
 まだまだ酔いが覚めていないのが分かったが、首を傾げた義勇は止めに来たわけではないようなことを口にした。
「あ、そうする? 義勇は錆兎と好きに手合わせができて、私はしのぶちゃんといちゃいちゃできて一石二鳥だね」
「それなら錆兎とうちに住むといい、好きなだけ鍛錬ができるぞ!」
「お前の言う鍛錬は剣道だし……嫌だ」
 戻るついでに宇髄からグラスを渡されたらしく、立ちながら口をつけている。眠そうにゆっくりと瞬きをした。
「あ、ええと、ぎ、義勇さん! うちに住めば兄貴もいるんで、腕試しが毎日できます」
 玄弥を肘で突くと、名前を呼ぶという目的のために思いついた提案を口にした。善逸がはあ? と聞き返していたが、炭治郎は見応えがありそうで少し興味が湧いてしまう。
 名前を呼ばれた義勇はきょとんとして玄弥を眺めたが、やがて嬉しそうに笑みを見せた。
「そうか、不死川は……間違えた、義兄さんはまだ実家にいるのか」
「あ、はい。そろそろカナエさんの実家に移り住むんですけど」
 嬉しそうな義勇が玄弥の隣へと腰掛けた。最初の一言さえ済めば玄弥もほっとしたようで、そのまま二人が和やかに話をし始める。
「ちょっとお、今度は年下の男の子に浮気するつもりですか。気が多すぎるんですけど」
「人聞きの悪いことを言うな。玄弥は俺の親戚だから仲良くしているんだ」
「玄弥くんは私の親戚でもあるんですけど」
 テーブル席から立ち上がったしのぶに背中から抱きつかれ、玄弥の顔は真っ赤になり固まってしまった。炭治郎自身も耐性があるわけではないが、初心な玄弥には刺激が強いのだろう。後頭部にしのぶが頬ずりし始める。
「良い子なんですよ玄弥くんは。義勇さんには勿体ないです」
「しのぶにも勿体ない」
「そんなことないです、私には玄弥くんのような優しい子が必要なんです。癒やしですから」
 何やら妙な話題で軽い言い合いのようなものが始まった。義勇もしのぶも酔っているのがわかる。
「玄弥はどうなんだ」
「う、えっ!?」
「しのぶは玄弥に必要か」
 話の流れが妙な方向に行った。冷静で酒に強い義勇はどちらかといえば酔っ払いを宥める役目が多いように思えたが、当の本人が酔うと少しおかしな思考に向かうようだった。ちらりと真菰たちを見る。ソファで笑い転げている真菰と、興味深そうに眺めている煉獄、相変わらずスマートフォンをかざしている甘露寺がいる。止める気は更々ないようだった。
「い、いや俺は、」
「必要ですよねえ? 兄の義妹、いうなれば親戚なんて遠いものじゃありません。私は玄弥くんの義姉ですよ」
「俺は玄弥に聞いている」
「口で私に勝てないから玄弥くんですか? だめです、そんなんじゃ言いくるめられちゃいますよ」
 玄弥から離れたしのぶが義勇の頬を指でつつく。口を開いて何かを言おうとした義勇は、しのぶの指が段々エスカレートしてきたことに言葉を発することなくなすがままになっている。
「相変わらず無駄に柔らかいですねえ。すべすべ」
 両手を使って頬をさすり始めたしのぶの手首を掴んだものの、しのぶの手が離れなかった。さほど力を入れているようには見えなかった。しのぶが満足するまで諦めたように目を瞑った。
「わあ、分厚い睫毛。爪楊枝乗りそうですねえ。えいっ」
 指で義勇の睫毛をつまんだしのぶは楽しそうに笑っている。立っているのが疲れてきたのかカウンターを背もたれにして座る義勇の膝に腰掛け、まだ頬と睫毛を堪能していた。
「あーっ! しのぶが義勇くん襲ってるう!」
「何、姉さん。今義勇さんのほっぺ触ってるんだから邪魔しないで」
 起きたらしいカナエがふらふらとした足取りで近づいてきた。目の据わったしのぶがカナエへ顔を向けるが、言葉は少し冷たかった。
「それ手触りが良いって言ってたやつ。ちょっと私も触りたいの、だめ?」
「んー、良いけどちょっとだけだからね」
 しのぶの了承を得たカナエが義勇の頬をつまんだ。目を閉じた義勇の眉間に皺が寄る。しのぶに触られている時よりも困っている匂いがした。
「あは、柔らかい。何でほっぺだけ柔らかいのかしらね」
「子供の頃の最後の名残なんじゃないの。外見はほっぺの手触りくらいしか残ってないもの」
「成程ねえ、これは誘拐されちゃうわ」
「されてない。カナエ、」
「やだあ、実弥くんのこと義兄さんって呼ぶんでしょ。だったら私もカナエ義姉さんって呼んでよお」
「カナエ義姉さん、離してくれ」
「はーい! 仕方ないから離してあげるわ」
 義勇は素直である。義勇の好きな友達や知り合いから言われたことは大抵頷いてそのとおりにする。標的から逃れた玄弥がようやく落ち着いてきたようだった。
「おい、甘露寺。今の一連の流れ動画に撮ってるかァ」
「勿論よ! 厳選して不死川さんにも送ってあげるわね」
 復活したものの千鳥足でこちらへと寄ってきた不死川が、スマートフォンを手に持っている甘露寺へと声をかけた。どうやら家族の仲の良さを収めた動画を欲しがっているらしい。
「冨岡とカナエのところも入ってるよなァ」
「当たり前よ、とっても可愛かったもの!」
「何で不死川が俺とカナエのやり取りを欲しがるんだ」
 甘露寺に向けていた顔が義勇へ向けられ、胸ぐらをつかんだ。義勇の膝に乗っていたしのぶがバランスを崩しかけ、咄嗟に腕で腰を支えたのが見えた。
「義兄って呼べや冨岡ァ」
「グフッ、おい冨岡!」
 ツボから抜け出せないらしい宇髄が駆け寄ってきて義勇へ耳打ちをする。不思議そうな顔を宇髄へと向けたが、宇髄は良い笑顔でただ頷くだけだった。
「実弥義兄さんが俺を、」
「ちょっと待てェ」
 掴んでいた胸ぐらから手を離し、不死川は顔を覆った。何かを考えていたのか少し黙り込み、しばらくして口を開いた。
「どうせならお義兄ちゃんて呼べやァ」
「お前それ冨岡に呼ばれて本当に嬉しいのか?」
 面白がっていた宇髄の顔が少し冷静になった。

宇髄視点

⚠ぎゆしの大好き不死川