幕間 乱痴気騒ぎ 善逸

「すまん、先約ができた! 俺はこれで失礼する!」
 店に来た当初の不死川のように即刻踵を返し外に出ようとした派手な男性の両脇を、雛鶴とまきをがしっかりと掴み店へと引き入れた。
 もう何が何やらさっぱりで、善逸はどうしていいのかわからないまま状況が過ぎるのを見守っていた。とにかくヤバイ。何がヤバイのかわからないが、果てしなくヤバイことは分かる。禰豆子だけは標的にならないよう守らなければならないとそれだけを考えていた。
「よお煉獄。何帰ろうとしてんだお前、来たばっかだろ」
「いやもう色々腹がいっぱいだ! 来たばかりでトラウマの話をされてはこちらも辛いものがある!」
「こっちは梅酒割り見るだけで吐き気がすんだよォ! 二度とその面近づけんじゃねェ!」
 理解できない、理解したくない思いが強くなっていく。聞きたくないのに会話が進んでいく。この人たち何やってんの。どう考えても男同士で。しかも複数人で。
「お前らには俺様がちゃんと上手いキスのレクチャーしてやったからもう良いだろ。今日やるのはこいつだ」
「楽しんでますかしのぶさん! いただきます!」
 いつの間にか近くにいたらしい須磨がテーブル席へと顔を出し、へべれけに酔ったしのぶの頬を両手で挟んだ。何かを言おうとしたしのぶへと顔を近づけ、熱烈なキスを交わし始めた。
 突然の行為に目を剥いて驚いた善逸は、酒の力だけではない熱が顔に集まるのを感じた。苦しそうにも聞こえる控えめな吐息がしのぶから漏れた。禰豆子も炭治郎も、カナヲも唖然としたまま頬を染めて見入っている。玄弥は顔から湯気を出して思考停止してしまっている。冨岡すら驚いて固まっていた。
「……ごちそうさまです」
 明るく元気な須磨の目が妖しく細められ、たっぷり時間をかけてようやく口を離した。惚けたしのぶの表情がやけに扇情的で、善逸は鼻血が出そうな気分になった。
 俯いて肩で息をするしのぶに近づきしゃがんだ冨岡は、いつの間にかグラスを手に持っていた。どうやらカウンターから水を貰えたらしい。
「……な、何で止めてくれないんですか……」
「お前も止めなかっただろう」
「私はやる前にやめてって言ったじゃないですか……」
 無表情の多い冨岡の顔が、少しばかり拗ねているように見えた。禰豆子の視線が二人に釘付けになっているのがわかった。
 水のグラスをしのぶの口元へと持っていき飲ませると、冨岡は善逸が見たことのない柔らかくて、いたずらっぽい子供のような笑みを見せた。
「浮気だな」
 しのぶの顔が赤く染まり、眉をハの字にして唇を尖らせた。テーブルを挟んだ向かいに座る甘露寺が構えていたスマートフォンをおろして小さく歓声を上げた。
 照れたような羨ましいような禰豆子の表情に、善逸の心中は落ち着かなかった。
 禰豆子の初恋が冨岡であることは、察していたし本人からも聞いて知っている。もう終わったことだと笑っていたし、善逸を好きになってくれたことは人生で一番といえるほど嬉しいことだった。終わった恋のはずだけど、禰豆子の胸中は今どんな感情が渦巻いているのか図れない。
 禰豆子が善逸の視線に気づいたのか顔を向けて楽しそうに笑った。
「あの二人、やっぱり私の理想なんだ。おしどり夫婦って感じ。あんなふうになりたいね」
「……う、うんっ!」
 見ているだけで幸せな気分になれる、と言った禰豆子の言葉を噛み締めて、いつまでもおしどり夫婦と呼ばれるような関係を、他でもなく善逸と築きたいと思ってくれた禰豆子に感激しながら、善逸は勢い良く首を縦に振った。
「カナエさんも楽しみましょうね! いただきまーす!」
「ちょっ、んう、」
「宇髄ふざけんなてめェ! 手ェ出すなっつったろうがァ!」
「俺は手出してねえし。須磨のたっての希望だからなあ。嫁の希望はできるだけ聞きてえだろ?」
「殺すぞ……」
 物騒な顔で物騒な言葉を吐く不死川を、善逸は複雑な気分で眺めた。カウンターに倒れ込んだカナエの顔は見えなかったが、恐らくしのぶと似た表情になっているのだろう。しのぶの惚けた表情に正直ぐっときてしまったので気まずい。
「それが俺様直伝のイチコロのやつな」
「お邪魔します、甘露寺さん!」
「は、はいっ! 優しくしてください!」
「やめてくれー!」
 甘露寺の期待のような返答に伊黒が真っ青になって叫んだ。
 逃げようとカウンターから立ち上がりかけた真菰も最後に須磨の毒牙にかかり、女性陣はショックと須磨の舌使いに腰砕けになっているようだった。視線だけで人を殺せそうなほど鋭い伊黒の目が宇髄を睨んでいる。
「大丈夫です、禰豆子ちゃんやカナヲちゃんにはまだしませんから! ……もう少し大人になってから教えてあげます」
「は、はい……」
 イメージにそぐわない妖艶な笑みを向けられた禰豆子とカナヲが顔を真っ赤にして、気が抜けたような返事をした。炭治郎が顔を覆ってカウンターで俯いているが、耳が赤いので刺激が強かったのだろう。玄弥はショートしたのか再起動できていない。
「で、煉獄はちゃんと使ってるか? お前だけ相手いないんだけど。玄弥もいねえみたいだが、まあまだお子ちゃまだからな、勘弁しといてやる」
 皿を貰ってカウンターから即座に離れた煉獄が、もう一つのテーブル席でパエリアを食べ始めた。まきをが同じ皿をカウンターとしのぶたちのテーブル席にも運んできた。
「使うわけないだろう。宇髄の顔を思い出して嫌だ!」
「持ち腐れてんじゃねえよ。おい冨岡! お前は使ってんだよなあ!? 俺の舌噛んだのお前だけだぞ!」
「嫌ですよ! 間接的に宇髄さんとキスしてる気分になりそうで最悪です。絶対使わせませんから!」
 元々隠す気もないようではあるが、善逸と炭治郎は複雑な表情で顔を見合わせた。ここにいる連中、どうやら本当に男同士でキスをしたことがあるらしい。しかも先程見たようなディープなやつを。
「あの後一週間口を利いてくれなくなった」
「ぶふっ。そういやそんなこと言ってたな」
 当たり前です、としのぶがグラスを煽る。機嫌の良かったしのぶの目が据わり始めていた。楽しげだった様子からまた少し変わり始めているようだ。
「胡蝶はあの時ぐずってたからな。ずっと恨み節を義勇に聞かせていた。寝てるのに」
「しのぶちゃん顔色真っ青だったもんね」
「私あの時いっぱい動画撮ったの。酔ってる皆凄く可愛かったわ」
 含み笑いをしながら甘露寺が口にして、それを聞いた錆兎と伊黒が消してくれと叫んだ。首を振って笑顔で嫌がる甘露寺は可愛いけれど、善逸がもし二人の立場でも絶対に消させたい。
「今あるんですか?」
「あるわよ、見るかしら?」
「ちょっと見たいです」
「禰豆子!」
 慌てた錆兎が禰豆子を呼ぶが、甘露寺は無視してスマートフォンを操作し出した。甘露寺が伊黒を押し退けて禰豆子を呼ぶと、興味を持ったカナヲも立ち上がり近寄って、三人がソファに並んで座る。追い出された伊黒はとぼとぼと不死川のいるカウンターへと寄っていった。
「この時しのぶちゃん、初めてお酒飲んだのよね。冨岡さんと二人でとっても可愛かったわ」
「……ええ? そうですねえ、あの時は初めてなのに飲みすぎて……義勇さんは強いし、蜜璃さんまで良く飲んでたから……」
「私結構強いのよ。小芭内さんとも良く晩酌するの」
 すっかり酔っ払ったしのぶが間延びした声で話している。隣に座る冨岡は水を飲めと催促しているが、しのぶは酒のグラスばかり口にしていた。
「二軒目に移動してから皆酔っ払ったのよね。梅酒割りで宇髄さんが酔い始めて、冨岡さんも小芭内さんも酔っちゃってたわ」
「義勇さんて酔うんですね。今日は?」
「そろそろきつい」
「ふふ、でも前より飲んでるんじゃないかしら。梅酒割りに耐性ついちゃったのかな」
「勝手に置いていかれるから、飲まざるを得ないんだ」
 今もグラスを空けるために傾けているが、きついと言いつつさっぱり酔う気配がない。宇髄は最初から顔が赤くなっており、言葉はしっかりしていても内容が酔っ払いの悪ノリなおかげで酔っていることはわかったが。
「宇髄さんと冨岡さんがキスした後のしのぶちゃんは、可哀想だったけど可愛かったわ! 冨岡さんを抱きかかえて泣いてるしのぶちゃん、胸が締め付けられちゃった」
 若干Sっ気でもありそうな気配を感じる。甘露寺はどうやら独自の感性を持っており、伊黒が宇髄とキスをするのも大興奮していたようだ。何なら大喜びで動画を見せているくらいである。
「皆さん、グラスが空いてるわね。取り替えますね」
「あっ、ありがとうございます」
「……色が違わないか」
 雛鶴が持ってきたグラスが先程までのものと違うことに気づいた冨岡が問いかけた。笑顔のまま雛鶴が宇髄を振り返ると、意地悪く笑う男がそこにいた。
「お前いつまで経っても酔わねえんだもん」
「もんとか言うなや、気持ち悪ィ……うちの義弟酔わせんじゃねェっつうの……」
 まだ続いているらしい不死川の素直さが、宇髄にはツボだったようで笑いがごまかせていない。隣の伊黒の顔色がなくなっているのが見えた。
「さすがに伊黒はきたみたいだぞー。梅酒割りの後の須磨スペシャルで」
「宇髄が二杯で酔ったというやつか!」
「煉獄には最初から渡してあるぞ」
 先に食事をしていたためか元々強いのか、煉獄はまだ酔いが回っていないようだった。ぎょっとしてまだ減りの少ないグラスを凝視した。
「何故そんなことをする! 俺は宇髄ほど強くはないぞ!」
「でも俺らの次くらいには強えだろ? だったらさっさと潰さねえと」
「物騒過ぎるな!」
「だって後冨岡とお前くらいだし。後甘露寺な」
「貴様、うちの妻に半径五メートル以内に近づくなよ……」
 もはや気力のみで声を発したような伊黒の様子は、甘露寺への思いだけで起きているような気がした。
 他はもう疲れきったような力の抜け加減である。見渡してみると、声が聞こえないと思っていた者が寝落ちているのに気づいた。カナエはすでに夢の中のようだ。
「眠い。ちょっと、義勇さん太もも貸してください」
 ソファに寝転んで冨岡の膝を平手打ちするしのぶは、膝枕で寝る気満々のようだった。鍛えているはずだから筋肉で硬いのではないかと思ったが、しのぶは特に気にしないのか意外に柔らかいのか、満足そうにしのぶは冨岡の膝へ頭を乗せた。
「早く贅肉つけてくださいね」
「無理だ」
 稽古を怠ければ無理ではないけれど、冨岡は怠ける気がないらしい。甘露寺が寝転んだしのぶを眺めて、嬉しそうに笑みを見せた。
「わあ、錆兎さんがやられちゃった」
 動画を眺めていた禰豆子が声を上げた。カウンターで寝そうになっている錆兎が宇髄の強襲を受けて真菰に助けられたところらしい。
 グラスに口をつけた瞬間、冨岡が眉を顰めた。どうやら須磨スペシャルは相当きつい酒だったようだ。
「中身を聞いたがとんでもない度数だぞ。きみでもすぐ酔うだろうな」
「梅酒割りの時点でもうきついんだが」
 食べ終えて満足した煉獄がグラスを片手に寄ってきた。二人が酔うとどう変わるのか炭治郎も興味があるらしく、話している様子を気にしながら料理に手をつけている。
「カナエ姉さんの様子見てくる」
「うん、私もお手洗い。煉獄さん、どうぞ」
「ああ、すまない」
 席を立った禰豆子とカナヲの厚意を受け取り、煉獄は甘露寺の隣へと座った。先程までの馬鹿騒ぎは落ち着いて、今は和やかに談笑する者が多かった。

炭治郎視点

⚠ぎゆしの×玄弥 胡蝶姉妹×義勇みたいな描写注意