幕間 乱痴気騒ぎ 伊黒
「ああ、楽しみね! ついに結婚かあ、カナエさんの花嫁姿、きっと綺麗なんだろうなあ」
「そうだな。あいつらに会うのは同窓会以来だが……」
大して間も空いていないが、久しぶりに会おうがどうせ全く変わっていないだろうと伊黒は確信している。あいつらに落ち着きというものを教えるのは至難の業だからだ。
「お、伊黒じゃないか」
「こんばんはー」
「錆兎さん、真菰ちゃん!」
横道から声をかけてきたのは錆兎と真菰の二人連れだった。見慣れた顔と合流し、宇髄の店へと連れ立って歩く。
「伊黒は行ったことあるのか? 宇髄の店」
「ああ、一度だけだが。宇髄のくせにセンスは悪くない店だ」
シックで落ち着いた内装の店は、大人の隠れ家というコンセプトが余すことなく盛り込まれているらしく、芸術方面に秀でていた宇髄ならではのデザインだった。ガワを取り繕っても出迎えるのは宇髄なので、騒がしい店内になるのは間違いない。
「へえ、楽しみだなあ」
スマートフォンが振動したことに気づき、伊黒はポケットから端末を取り出した。錆兎も誰かからのメッセージが来たようで、伊黒と二人画面へと目を向ける。
「……伊黒」
「……冨岡か?」
「ああ」
同じ人間からのメッセージであることを察し、伊黒は手短に声をかけた。錆兎はどうする、と問いかけてくる。
冨岡のメッセージは目を疑いたくなる内容だった。端的に送ってくるのは相変わらずだが、それが今は必死さを醸し出している気がする。
宇髄が酔っている。
それだけで伊黒の脳裏にあの恐ろしいトラウマが蘇る。
「……四人で違う店にでも行くか?」
「そうすべきだ。間違ってもこのまま向かうべきではない。冨岡めが警鐘を鳴らすくらいなのだから、たまには奴も正しいことをする」
「いたいた、そろそろ来るんじゃないかと思って迎えに来たんですよー!」
天元さまの言ったとおり! とはしゃぎながらやってきた見覚えのある女性。宇髄の妻である須磨だった。蜜璃が笑顔で駆け寄る須磨へ手を振っている。
ああ、逃げられない。周到すぎる宇髄に血管が千切れそうになりながら、伊黒は頭を押さえた。
錆兎と伊黒に腕を絡ませ引っ張っていく須磨から逃げることもできず、伊黒たちはあえなく店の前まで来てしまった。
外から中の様子は見えない。まだ大丈夫なのかすでに危険な状況なのか、伊黒は戦々恐々としながら扉を開ける須磨の後ろ姿へ死んだ目を向けた。
出迎えたのは赤ら顔の宇髄と、その前のカウンターに座るカナエの笑顔だった。隣に座る不死川が振り返ると、普段より五割増しほどの凶悪面が目に入った。
「おう、よく来たな」
「来たくなかったがな」
早々に諦めた真菰がカウンターの端に座る顔見知りのそばへと寄っていった。錆兎も後を追い挨拶をしている。奥のテーブル席に座っている冨岡へ目をやると、無表情の奥に何故来たのかと問い詰めるような気配を感じた。
「冨岡のくせに警告したことは褒めてやろう。だが宇髄の嫁に捕まった」
「ふふっ。助けてあげたかったのに、宇髄さんが上手でしたね」
頬に赤みが差している胡蝶が楽しそうに笑う。眉尻を下げて冨岡が伊黒を眺めてくる。せっかく連絡したのに、と知りたいとも思っていない冨岡の内心が手に取るように分かってしまった。
「しのぶちゃん、冨岡さんこんばんは! 皆ひょっとして同じ物飲んでるの?」
「お二人ともどうぞ! 座って座って!」
流れで冨岡と胡蝶のいるテーブル席の対面に座る。トレーに乗せられた二つのグラスが伊黒と蜜璃の前に置かれた。
「ありがとうごさいます! わあ、生ハム美味しそう」
「ちゃんとがっつりしたものも作ってるので、お腹いっぱい食べてくださいね!」
嬉しそうに笑う蜜璃がグラスを掲げ、四人が座るテーブル席だけで乾杯をする。酒を口にした瞬間、伊黒は思いきりむせた。
「小芭内さん大丈夫? これ何かしら? 初めて飲むわ」
「……冨岡」
「……今日はこれしか出さないそうだ」
この味は覚えている。あの忌々しい記憶は忘れたくとも消えてくれない。伊黒を含めた酒豪連中が初めて酔っ払い、一生の汚点となったあの日に飲んだ酒の味だ。
「焼酎の梅酒割り……」
「えっ!?」
聞こえていたらしい錆兎と真菰が同時にカウンターから振り返った。度数が高そうだと思ったがこれが、と真菰がしげしげとグラスを観察し始めた。錆兎は冨岡のように表情をなくしていた。
「俺は酒に強くないんだが……」
「俺だってそうだよォ!」
離れた席にいるはずの不死川から叫び声が上がる。すでに赤みを帯びている顔を眺めてカナエが楽しそうに笑っているのが見えた。
「また全員死体になるの?」
「炭治郎たちもいるのにそんな醜態晒せるか」
「でも無理だよ、錆兎すぐ酔っ払うんだもん。見て、しのぶちゃんも」
「――え?」
真菰が指した先にいる胡蝶へ視線を向けると、普段より三割増しほどの腑抜けた笑みを見せた。頬は来たときから赤いのは気づいていたが、思ったよりも酒が回っているらしい。
「大丈夫ですよお、まだ全然。私も慣れて多少は耐性がついてますから」
けらけらと笑う胡蝶を、カウンターにいる年若い連中は物珍しさで視線が釘付けになっている。隣に座る冨岡は不安げに胡蝶を見ているが、飲み物がこれしかない手前飲むなとも言えないのだろう。
「ピザお待ち! お酒ばっかじゃ悪酔いするからしっかり食べな!」
胡蝶に限ってはもう遅い気もするが、腹に溜まる料理は有り難い。切り分けられているピザを一切れ冨岡が取り胡蝶の口元へと持っていくと、雛鳥のごとく口を開け、ピザを一口噛み切った。
酒の席でこの二人の睦まじいやり取りは見慣れてしまっていたが、年下の連中は胡蝶の様子が相当珍しいのか思いきりカウンターを背もたれにしてこちらを覗き込んでいた。
「あ、美味しいですよ蜜璃さん。食べて食べて」
「いい匂いするもの、お腹空いてきちゃった!」
「おっ、冨岡さんも良く飲むね! はいおかわり!」
勢い良く置かれたグラスの中の酒が揺れる。
珍しくちびちびと飲んでいたようだが、目ざとく空きかけたグラスを交換されてしまい少々困惑しているように見える。正直冨岡が酔っ払おうと大した被害はないのでどうでも良いのだが、時折ある胡蝶の悪酔いには注意しなければならない。
不死川と胡蝶が悪酔いすると、大抵周りに別ベクトルで被害が及ぶ。宇髄ほどトラウマを植え付けられるわけではないが、迷惑ではあるので御免被りたい。
「……水を買ってくるべきだろうか」
「ああ、そうだな。……いや、煉獄に連絡して買ってきてもらってはどうだ」
早くピザの二口目を口に入れろと催促する胡蝶を見て、冨岡が席を離れるのはやめたほうが良いと伊黒は感じた。この調子では胡蝶は確実に悪酔いする。冨岡という人身御供がいなければ近くに座る者に絡み出すからだ。
「うち持ち込み禁止なんで」
スマートフォンを手にした瞬間、宇髄から慈悲のない言葉がかけられた。さすがに冨岡も宇髄を睨みつけている。
「まだ気持ち良く酔ってる最中じゃねえか。こいつらも珍しいモン見て楽しんでるだろ」
観客席のごとくこちらを眺めていたカウンターの連中は、特に胡蝶の従姉妹であるカナヲが力強く頷いていた。
「しのぶ姉さんはいつもしっかりしてるから、凄く新鮮」
だろうなあ。
宇髄が意地悪くほくそ笑んだ。
淑やかで落ち着いた印象を持たれるというのは蜜璃からも聞いている。今日でそのイメージは崩れ去るのだろうな、と伊黒はぼんやりと考えた。
「あらあ、しのぶったら義勇くんに食べさせてもらって」
カナエがグラスを手に奥に寄ってきてテーブル席を覗き込んだ。こちらはこちらですでに出来上がっているようで、楽しそうに笑みを向けている。
「カナエさん、結婚おめでとう! 今度お祝い持って行くからお家に招待してほしいわ」
「勿論よ、楽しみにしてるわね。今度しのぶと蜜璃ちゃん家にも遊びに行くわ!」
女同士で手を取りながら笑い合う様子は微笑ましかったのに、カナエの背後にそびえ立つ影が微笑ましさを帳消しにした。気を抜くとふらつくのか凶悪な顔を更に強張らせた不死川を、カウンターに座っていた弟である玄弥がはらはらと眺めている。
「カナエ、座るなら移動するが」
「えー、良いわよお、私しのぶが義勇くんにちょっかい出してるの見るの好きなの」
「変わった趣味だな」
座れ、と腰を上げた冨岡に唇を尖らせながら、素直にカナエは腰掛けた。カウンターに移動しようとした冨岡の行く手を不死川が阻んでいる。
「邪魔だ、不死川」
「うるせェ」
今にも殴りかかりそうな凶悪面でメンチを切っているように見える。冨岡が無表情なぶん当たり屋のようだった。
「てめェ、こいつのことは名前で呼ぶよなァ」
「カナエのことか? 義理の家族を胡蝶の姉とは呼び続けられない」
「せめてしのぶの姉とかにしなよ」
カウンターから真菰が突っ込みを入れる。楽しそうな笑い声がカナエから聞こえてきた。
「義理の家族ねェ。その割に俺のことは名字で呼ぶよなァ」
話の方向性が見えない。いや、若干察したものがあるのだが、伊黒は耳を塞ぎたくなった。
今日は仲間内だけの飲み会ではなく、自分たちの弟妹やそれに似た関係性を持つ者がいる。それをもはや酔っ払い連中は記憶の彼方に忘れているようだった。
「俺てめェの義兄なんだけどよォ」
「お前が嫌がったんだぞ」
義兄と呼ぶべきか、という話をし始めた時の不死川の顔は、他に類を見ないほど嫌そうな表情をしていた。口にも出していた。不死川自身冨岡を名字で呼び続けるので、冨岡も今までどおり呼んでいた。
「照れ隠しに決まってんだろォ」
向こうで勢い良く酒が吹き出すのが見えた。宇髄だった。きょとんとしたカウンターの年下連中に気づいたが、伊黒はもう聞いているのも辛くなってきていた。隣で蜜璃はスマートフォンを構えだしているし、胡蝶姉妹は仲良く固唾を呑んで見守っている。
「そうだったのか。今から義兄さんと呼べば良いのか?」
「突っ込みをしろ貴様ら! 放っておくな!」
我関せずの錆兎と真菰に向かって叫ぶものの、二人してピザを頬張り首を振っている。元はといえばこいつらが冨岡の保護者だったはずだ。
「俺たちは幼馴染で、別に保護者じゃないぞ。義勇はしっかりしてるからな」
「そうそう、これ全然酔ってないよ。素だからね」
「そんなことは知っている!」
この三人の中で一番酒が強いのが冨岡なのは周知の事実だ。体質の話など最初からしていないのに、二人の指摘は的を外れていた。
「てめェのことも最後まで面倒見てやっからよォ、うちの下の奴らとも仲良くしてやってくれよな」
「ああ、わかった。手始めに玄弥と仲良くなれば良いのか?」
「へっ」
名指しで呼ばれた玄弥が気の抜けた声を漏らした。カウンターに突っ伏しながら体を震わせている宇髄が目に入った。笑っている場合か。
「そうだなァ、何かあったら助けてやってくれや。玄弥は良い子だからなァ、てめェみてェのとでも仲良くしてくれるしよ」
「わかった。頑張って色々話すことにする」
「おい宇髄よォ、俺の家族に手ェ出すんじゃねえぞ」
「……手ェ、出す……お前の言う家族ってどこからどこまでだよ」
息苦しそうに言葉を発する宇髄に不死川が答える。もうやめてやってほしい。素面のくせに役に立たない冨岡に代わり、頼むから誰か不死川を止めろ。
「あァ!? ここにいる四人だよォ! トラウマ植え付けんじゃねェぞ!」
「きゃー! 実弥くん格好良い!」
「良かったですねえ義勇さん、私たちお義兄さんができちゃいましたよお」
嫁になるカナエと義妹夫婦の二人、血の繋がった弟の玄弥。確かに不死川の家族はここには四人いる。煽るような胡蝶姉妹の歓声が飛ぶ。伊黒にとっては野次にしか聞こえなかった。カナエが立ち上がって不死川の腕にしがみついた。
「すまん、遅れた! おめでとう不死川!」
「俺様のキスをトラウマ呼ばわりすんじゃねえよ!」
天の声とも思えた溌剌とした大声と宇髄のセリフが同時に発された。
善逸視点
⚠須磨×女性陣描写注意