文化祭にて 2
カナエとともに足を踏み入れた共学校の文化祭は、しのぶたちの通う女子校よりも騒がしく、カナエが目を輝かせるほどに楽しそうに見えた。
校門でチケットと引き換えにパンフレットを貰い、敷地内をぐるりと見渡す。制服ではなく仮装をした生徒たちが呼子をしていたり、部活のユニフォームを着ている者が看板を持っていたりととにかく賑やかだ。凄いわね、と喜ぶカナエを落ち着かせつつも、しのぶもまた内心ではそわそわとして仕方なかった。
「派手に可愛いお嬢さん方、これやるよ」
「あらありがとう、何かしら?」
法被を着てお面を斜めに被った生徒であろう男子がチケットを手渡してきた。人力コーヒーカップ整理券。そう書かれた小さい紙を二人で覗き込む。
「二Aの教室でやってるから、気が向いたら乗りに来いよ」
法被とお面はコーヒーカップを回す者の揃いの作業着なのだそうだ。面白そう、とカナエがはしゃぐ。貰ったパンフレットには、普通棟二階の端に二年A組の文字が書かれていた。
「二年A組って冨岡くんたちのクラスでしょう?」
「そう言ってたわね。何をするかまでは教えてくれなかったけど」
冨岡はともかく、真菰に聞いても内容を教えてくれなかったのだ。楽しみにしてて、と笑う真菰を思ってか、錆兎も口を割らなかった。人力コーヒーカップが今いち想像しきれないのだが、面白そうなのは間違いない。
「え、なに、冨岡の知り合い?」
「友達なの」
へー、ふーん、と意外そうに声を発した生徒は、何を納得したのか成程! と口にして、そういうことならと案内を願い出た。
「あいつにこんな可愛い友達がいたとはなあ。派手に揶揄ってやろ」
女子校では揶揄うよりも根掘り葉掘り聞くことのほうが多いと思うが、こういうことはどこの学校でも変わらないのかとしのぶは思う。とはいえ値踏みをするような様子はなかった。彼もまた揶揄えるくらいには仲の良い冨岡たちの友人なのだろうと考えた。
階段を上り廊下を進むと一際騒がしい教室があった。天井近くのプレートを見上げると、二年A組と書かれている。数人の客が騒がしく廊下から教室の窓を覗き込んでいる。人力コーヒーカップは盛況のようだった。
「並んでるか?」
「いや、これが終われば一息つく」
連れてきてくれた生徒と同じ法被を着て、お面を被った生徒が答えた。顔は見えないが、お面から見える髪は宍色をしている。その髪色には見覚えがあった。
「あら、錆兎くん」
カナエも気がついたのか声を上げた。体の大きい男子生徒に隠れて見えていなかったのか、肩越しに廊下側を覗きながらお面をずらす。予想通りの顔が見えた。
「ああ、来たのか。真菰なら今飯を買いに行ってるぞ」
しのぶたち二人に笑みを見せて錆兎は言った。肩を回して体を解しながら男子生徒と話し始めた。
「どこでナンパしたんだよ」
「ナンパなんかするか。同じ道場に通ってるんだ」
にやにやと揶揄いの笑みを向けられた錆兎は全く意に介さず答えた。つまらん、と男子生徒は溜息を吐く。
「通うと脳筋になる道場だろ? 大丈夫なのかよ、汚染されてねえ?」
「私は錆兎さんたちとは違う先生に教わっていますので」
脳筋になるつもりはしのぶにはないし、そもそも習っているものが違う。彼らと同じ師に教わっていたら、どうなっていたかは正直わからないけれど。
教室を覗くと、木の板で作られた箱状の中に人が入り、それを体一つで回転させている生徒が目に映った。乗り込んで回されている女子二人は賑やかで、随分楽しそうに見えた。
黄色い声が上がり、コーヒーカップを回していた生徒へ女子たちが床へ降りて手を振る。女子の視線に目もくれず、小さくお辞儀をしてさっさとこちらへ歩いてくる様子を見て、しのぶはわかりやすすぎる、と心中で苦笑いした。
「お疲れ義勇。胡蝶来たぞ」
「そうか」
狐の面をずらして冨岡が顔を見せた。外来の客がいるためか、すっかり無表情が戻っている。
「凄いわね。重くないの? 錆兎くんも回してたんでしょ」
「ああ、多少はな。でもキャスターが付いてるし、体全体で回せばそんなに難しくないぞ」
軽く言っているが、それをしたくても出来ないのがしのぶだ。一生に一度くらいはそんなことを言ってみたい気もする。
「乗るか? 酔ったりするなよ」
「大丈夫よ、アトラクションは好きだし」
期待を隠しもせずカナエはコーヒーカップへ乗り込み、しのぶも後に続いた。腰を落ち着けて手すりを掴む。ずらしていた面を戻し、冨岡はコーヒーカップの外側に手をかけた。
「わあっ、動いた!」
カナエが嬉しそうに笑った。教室内の景色の巡りがどんどん速くなり、しのぶも驚きながらも楽しみ始める。
「凄い、楽しい!」
「張り切りすぎだろ冨岡」
まじかあいつ、と笑った男子生徒の声は耳に届いていたが、それに気を向けている暇はなかった。カナエはお気に召したようで、更に加速する速度にも楽しそうだった。しのぶは手すりに捕まるのに少々気を取られすぎてしまい、最終的には回る視界を目を瞑って閉じてしまった。
時間を測っていたらしい錆兎のストップがかかり、ゆっくりとコーヒーカップは停止した。
正直なところ舐めていた。人力なのだから遊園地にあるものほど回りはしないだろうと。冨岡の腕力と体力を完全に侮っていたのだ。手加減くらいしてほしい。
「楽しかったねしのぶ!」
先に降りたカナエはピンピンしていた。はしゃいで今にも飛び跳ねそうである。三半規管が頑丈すぎやしないだろうか。
対するしのぶは足元が少し覚束ない。そうっと教室の床へ足を降ろそうとしていると、先程まで腕力にものをいわせてコーヒーカップを回しまくっていた冨岡が手を差し出していた。
「姉妹でも得意なことは違うんだな」
手を取ってしのぶをコーヒーカップから降ろし、冨岡の感想を伝えられた。いくつか言いたいことはあるのだが、どこから突っ込めば良いのか、突っ込んでしまって良いものかわからなかった。
「冨岡が手を貸したぞ……もしかして彼女か?」
「まじかよ、面食い過ぎんだろ」
「仕方ねえよ。あいつの姉ちゃん美人だしな……」
周りの声がしのぶの耳に入り、意味を理解してひたすら恥ずかしくなった。カナエがにこにことこちらを眺めているのが見える。
「……少しは手加減してください」
「すまない。二人とも平気なのかと思った」
カナエがはしゃぎ倒していたので、そう思うのも無理はないのかも知れない。赤い顔を見られたくなくて、目が回っているふりをして空いている手で顔を覆った。いつ手を離してくれるのだろうかと考えながら。
「あっ、カナエちゃんとしのぶちゃんだ!」
両手にビニール袋を提げて真菰が教室へ戻って来た。カナエが振り向いて真菰を出迎える。カップを回していた男子生徒への昼食だったようで、錆兎や冨岡、宇髄と呼ばれていた男子生徒にも食べ物を手渡している。真菰がたこ焼きを冨岡へ渡した時に触れていた手は離れてしまった。いや、しまったとは。惜しいなんて思っていない、断じて。
「しのぶちゃんたちご飯食べた? 買いすぎちゃったから良かったら食べてよ」
たこ焼きを出してきた袋と別の袋からクレープが三つ出て来た。きっと冨岡と錆兎とともに食べるつもりで買ってきたのだろう。何だか悪い気がしたのだが、どれにする? と選ばせようとする真菰を見て断るのも失礼になると感じて、しのぶは遠慮がちに手を伸ばした。
「ありがとうございます」
「いいよいいよ。食べたら模擬店回ろうよ。今年はね、結構面白いのあるよ。剣道場でドミノ倒しやってるみたいだし、グラウンドでも何かやるみたい」
「私全部見たいわ」
パンフレットを熟読していたカナエが声を上げた。自分たちの通う学校にはないものばかりで、とにかく好奇心が抑えきれないようだった。
「食べ物も色々あるし、何だか夏祭りの露店みたいに本格的よねえ」
「三年のとこで射的とか輪投げとかもやってるぜ」
「そうなの? ますますお祭りだわ。遊び倒さなきゃいけないわね」
「いけないわけじゃないと思うわよ」
「お前ら時間やるからじっくり案内してやれよ」
思惑がありそうな笑みを向ける宇髄をしのぶは眺めるが、たこ焼きを頬張る冨岡と錆兎は無言で頷いた。先に飲み込んだ錆兎が口を開く。
「良いのか?」
「ああ。何かやたらと模擬店に興味津々なお嬢さんだし、まあうちは割と派手なのやってるから楽しめるだろ」
お前らも桃色の思い出作っとけよ。厚意なのか面白がっているのかはわからないが、楽しんでいけと言いたいのは理解した。
クレープの最後の一口を食べ終えたのを見届けて、真菰が手を叩いて立ち上がる。法被を着た男子生徒たちへ声を掛け、五人で教室を後にした。
廊下を歩きながら模擬店を眺め、カナエとしのぶは珍しい出し物に目を輝かせた。お祭りだと言ったカナエの言葉に心中で同意しながら、ここまで本格的に出来るものなのかと感心する。
脱出ゲームにメイド喫茶、他にも様々な模擬店の横を通りながら、五人は賑やかに呼子をする生徒たちに呼び止められたりと満喫していた。
グラウンドを通ると大きな展示物が飾られていた。段ボールで作ったオブジェやトリックアートが並んでいる。剣道場の入り口にはドミノ倒しと書かれた看板が立て掛けられていた。力作揃いの展示物を賑やかに鑑賞していった。
粗方回り終わり、何故か打ち上げに誘ってくる冨岡のクラスメートたちを笑顔で断り、満足そうなカナエとともにしのぶは学校を出た。さすがに部外者が割り込んで良いものではないだろうし、大勢いるとはいえ会ったばかりの者と同じ時間をともにするのはあまり好きではない。
「楽しかったわね、しのぶ」
「そうね。うちとは全然違ったわ」
ステージで見たファッションショーやダンスなどはしのぶたちの学校でもあったものだが、教室を使って開く模擬店は多種多様あり目移りしてしまうほどだった。
「それもあるけど」
にこにこといつもより嬉しそうにカナエは笑っている。
「手を繋げて良かったわね」
「なっ、繋いでないから! 手を貸してくれただけじゃない」
何に嬉しそうなのか理解し、しのぶはその時のことをありありと思い出してしまった。頬に熱が集まり慌てる姿をカナエが喜ぶことはもう気づいているのだが、どうにも制御が難しかった。
「しのぶが乙女で可愛くて、姉さん見とれちゃったわ」
「乙女じゃないってば」
女子校育ちで男の子に慣れていないだけだと言っても、カナエは笑うだけで取り合おうとしなかった。男の子とは今まで距離を置いてきたのだから、急に手を取られて驚くのも無理はないだろうと、しのぶは必死に言い募る。
「そうね。今までなかったことだもの、しのぶが楽しそうで良かったわ」
どうにも深読みが過ぎるカナエをじとりと見やりながら、気づかないうちに冨岡が触れた手のひらを見つめていた。