文化祭にて 1
騒がしかった教室が色めき立ったのは、ドアから二人の男の子と一人の女の子が顔を出した時だ。色めき立っていた教室が一瞬しんと静かになったのは、顔を出した男の子のうちの一人が、中にいた女子生徒の名前を呼んだせいである。
女子校は男性が関わる話は広まるのが早い。特に、誰に彼氏が出来たとか、恋愛にまつわる話が。全くそんな関係ではないのに、絶対に囲まれて彼らのことを聞かれる。以前クラスメートが囲まれていたのを思い出し、想像したしのぶは耐えきれる自信はなかった。何としても回避したい。
「文化祭ですか、確かにもうすぐですね。うちのクラスは映画を上映するだけですけど」
通い始めた道場で、一つ年上の三人の門下生と仲良くなった。そのうち一人は女の子だったので、困ったことや話したいこと、色んなことを話すようになった。
学校は違えど同じ高校生である。行事は基本的に似た時期になることが多い。そろそろ文化祭だね、と話しかけて来た女の子にしのぶは返事をした。
「しのぶちゃんとこの文化祭行ってみたいなあ。やっぱり厳しいの? お嬢様学校だもんね」
「招待状がなければ入れないですね。一人三枚までしか申請できませんし、大体皆さん家族を呼んでらっしゃいます。後は身分証が必要ですね」
「わあ、厳重だね。うちもチケットはあるけど、申請すれば何枚でも貰えるし」
「良ければ真菰さん招待しましょうか。毎年姉が両親に招待状を渡していたので私は誰も呼んだことがありませんし、渡してみたいと思っていたんです」
エスカレーター式の女子校に通うしのぶは、学校以外の知り合いがほぼいなかった。最近は学外に友達が増えたので、少しばかり浮かれているところがあった。
「本当? やった! うちの文化祭も来てね!」
「ええ、是非」
目に見えて喜ぶ真菰を微笑ましく思いながら、初めて行く予定が立った共学校の文化祭も楽しみだった。
学校から配られた招待状を三枚真菰に預け、代わりにしのぶは真菰たちの文化祭のチケットを受け取る。作りも全然違うものだ。真菰たちのチケットは色の付いた用紙に文字が印刷してある簡素なものだが、しのぶはどこかのテーマパークの入場券を貰ったような気分になった。
「楽しみですね」
なんて真菰と笑い合っていた時間は楽しかったのに。
並べた椅子の位置を戻していたしのぶは、クラスメートへ少し出て来るとだけ叫んで教室を飛び出した。三人まとめてぐいぐいと押し出し、何とか廊下を歩かせることに成功する。
「ごめん、しのぶちゃん。何か気に触ることしちゃった?」
俯いていたしのぶを気遣い、三人は心配そうに顔を覗き込んできた。具合が悪いのか? なんてずれた心配をしている者もいたが。
「……冨岡さんが名前を呼んだから」
「………!?」
たったそれだけで何故、といった言葉が三人から聞こえてきそうだった。だが彼らは知らない。たったそれだけで噂が一気に広まるのだ。女子校とはそういうところがある。格好良い男の子が胡蝶しのぶを笑顔で呼んだ。隣りに居た男の子も格好良いし笑って手を振っていたし、可愛い女の子が一人一緒だったから、もしやダブルデートなのでは。なんて連想していく様子が手に取るように想像できる。
そう、笑顔だ。
しのぶが道場に通うと決めた日から、冨岡はしのぶに笑いかけることが多くなった。錆兎や真菰が笑う回数に比べると頻度は少ないのだが、最初に会った時に比べると格段に増えている。
だから少々困るのだ。見慣れていたあの無表情から突然笑顔を見せられると、どうにも落ち着かなくなってしまう。早く見慣れてしまいたい。そう思うものの、冨岡たちを見てざわついたクラスメートを思うと何だかもやもやしてしまう。
「女子校って男の子と知り合う機会がほとんどないので、皆さん気になってしまうんですよ」
「名前を呼んだだけなんだが……」
プラスアルファもありましたけど。突っ込みたくなったがしのぶは我慢した。笑顔を見せて文句を言われるなど理不尽も良いところだろう。
「あー、そういや義勇笑ってたもんね」
ぎくりと肩が震えた。考えていたことを読み取られたのかと思うほどしのぶは焦った。
「さすがに文化祭に来る変質者はいないだろう」
「それはわからんぞ。変質者なんてどこにでもいるんだからな。ストーカーだって女がやることもあるんだし。胡蝶も気を付けてるだろうが、注意しなければならないぞ」
「へ、変質者? 学校でですか?」
「そうだ。誰彼構わず笑いかけていると、妙な輩に目をつけられてしまうからな。危ない奴は学校すら侵入して来たりするかもしれない」
真剣な顔を錆兎はしのぶへ向けた。随分心配してくれているらしく、何かあったらすぐに言え、と錆兎は声を掛けてくれた。
「すまない、胡蝶を見つけたからつい」
錆兎の言葉に何やら思うことがあったのか、冨岡がしゅんと眉尻を下げて謝ってきた。笑いかけたことを謝るとは初めての経験で可笑しいと思うものの、他意はないはずの言葉の意味を理解した瞬間、しのぶの顔に熱が集まるのを感じた。
「気にしないでください。私も注意点をお伝えするべきでした」
「顔が赤いが大丈夫か」
「いつも通りなので大丈夫です!」
そんな顔色だっただろうか、と首を傾げる冨岡の横で、真菰が何かに気づいた素振りを見せた。違う。今あなたが考えているようなことは違うのだと叫びたくなったが、藪蛇になりそうで何も言えなかった。
「い、今少し思ったんですが、冨岡さんが無表情だったのはもしかして変質者対策ですか?」
「ああ、そうなんだ。義勇は昔から良く笑う奴で」
信じられない。
口数の少なさに溜息ばかり吐いていた頃なら確実に口から飛び出ただろうが、ここ最近の冨岡を見ていると有り得る話だと思い始めていた。何より幼馴染の二人が言うのだから間違いないのだろう。
「変な人を引き寄せる人っているじゃない? 義勇がそれでさ。変質者とかホイホイ寄ってくるからお巡りさんが気にして声掛けてくれたりとか」
「そんなになかった」
「普通の人は全くないんだよ。とにかく、結構大変でね。中学の頃通りすがりに目付けられてたらしくて、車に押し込まれそうになって。私たち誘拐だー! って全力で義勇のとこまで走ってさあ。義勇がびっくりしてる間に錆兎が追いついて投げ飛ばしたの。もう必死に皆止めるよ、あんなの来たらさ」
あの時が一番綺麗に技決まってたよね。当時を思い出しながら真菰が教えてくれた。
冨岡本人よりも錆兎と真菰、冨岡の姉が焦り倒したらしく、自分たちのいない所で知らない人間に笑いかけるのを止めさせたのだと言った。過保護が過ぎないだろうかと思いつつ、頭の隅では納得してしまった措置だ。
世の中にはコンビニの店員がお客さん相手に笑いかけるだけで、自分に気があると思うような人間がいる。危ないことに巻き込まれるくらいなら、過剰であろうと自衛すべきなのだろう。しのぶにも思い当たる節があった。
今は腕も立つ上そういったことはなくなったらしいが、表情を無くすことがどうやら癖になっているらしく、会ったばかりの人の前や外ではあまり笑わなくなったのだそうだ。先程は本当につい無意識でということらしい。
「……何というか、本当に苦労してるんですね、冨岡さん……」
「別に、それほど苦労と思ってない」
皆投げてしまえば良いだけだ。はっきり言って物騒極まりない言葉だったのだが、何となく冨岡らしいとしのぶは感じた。
三人の昔話を聞いているうちに頬の熱は引いていき、各教室で開かれている出し物に気が向くようになってきた。
「姉に聞いたんですけど、共学校はもっと派手な出し物があったりするんでしょう?」
「同じようなものだと思うけどな。女子校だって劇とかやるんだろう」
「ええまあ。ステージは毎回埋まるように決められていますね」
教室はどこも展示物が多く、食べ物と言えばお菓子やジュースくらいしか出しているところがない。お化け屋敷などは過去色々と問題になったらしく、そもそも禁止となっている。
「あ、しのぶ!」
「姉さん」
気づかぬうちに二年の階に来ていたようで、カナエが四人を見かけて駆け寄ってきた。
「カナエちゃんとこは何やってるの?」
「スノードームを作ってるのよ」
「スノードームって作れるの!?」
教室には何人かが集まって作っている最中らしく、女子の楽しそうな声が聞こえてくる。置いてある見本は売り物ほど凝ったものではなかったが、手作りでも充分見栄えがするものだった。
「中に入れたいもの選んでね。雪を入れたいならこれ」
「発泡スチロール?」
「そう。千切って入れると雪に見えるわよ」
ビンや台座は選べないらしく、カナエは少し申し訳なさそうに笑った。興味を惹かれた真菰が楽しそうに選び始め、一緒に作ろうとしのぶを誘った。
「あれ、義勇も錆兎も作らないの?」
「俺たちは見とくから」
細かい作業が苦手なのか、スノードームに興味が持てなかったか。冨岡と錆兎は顔を見合わせていた。確かに、こういうキラキラしたものは女子が好むものだ。
「仕方ないなー。見てなよ、すっごいの作るから」
唸りながら飾りを選ぶ真菰につられて、しのぶも真剣に悩み始めた。
「どこか回った? うちはあんまり面白い模擬店もないからつまらないかも知れないわね」
「そんなことないぞ。共学でも模擬店なんて似通うものだしな。酷い時は三クラスくらいたこ焼き出してたっけ。グラウンドで壮大な実験やってた時もあったけど、ああいうのは滅多にないみたいだしな」
「へえ、何だか楽しそうねえ。科学部だったらペットボトルでロケット作ったりもするみたいだけど、もっと凄そうで見てみたいわね」
「今年はどうだろうなあ」
話し込む三人の輪へ近寄り、カナエに選び終わったことを伝えた。張り切っている真菰が宜しくね、と声を掛けた。
会話をしながら作っていると、一時間ほど経っていたことに気がついた。真菰は魚のオーナメントが入ったスノードームを作り上げ、しのぶのドームには蝶々が揺らめいている。
「綺麗だねえ。どう二人とも」
自慢気に見せている真菰は、スノードームを鱗滝にあげるのだと口にした。道場に飾って少しでも武骨さを和らげてみたいのだそうだ。
「先生飾ってくれるかなあ」
「真菰が作ったんだから飾ってくれるだろ」
ふふん、と嬉しそうに笑った真菰を見つめ、しのぶもまた出来上がったスノードームを満足気に眺めた。
「胡蝶さん、さっきの人たちって友達なの?」
そうだった。これがまだ残っていた。
カナエと別れ、文化祭の終わりが近づいた頃、帰り際に手を振る三人を見送り教室へと戻った。小等部から変わり映えのなかった文化祭は、久々に楽しい気分で過ごせたと思う。鼻歌まで口ずさんでしまいそうなほど楽しかったのだが、クラスメートの言葉で一気に現実へと引き戻されてしまった。
「そうなんです、最近習い事を始めまして。同じ稽古を受けている友人なんですよ」
一から十まで聞きたそうなクラスメートを笑顔でシャットアウトしつつ、しのぶは持ち前の機転の良さで何とか質問攻めを回避した。全く面倒なことだ。最近あの三人といるのが楽しくて、煩わしいやり取りが待っていることをすっかり忘れていた。
彼氏がほしいと表立って口にする者は少ない。所謂お嬢様学校と名高いしのぶの通う女子校は、私立であることも相まってか家が厳しかったり体裁を気にしたりと、欲の赴くままに過ごす生徒は少なかった。そのおかげでしのぶは質問攻めを避けられたところもある。
片付けが終わった教室で気持ち程度の打ち上げを行い、しのぶの今年の文化祭は幕を閉じたのだった。