錆兎の相談
錆兎を出迎えた幼馴染は、以前と変わらず嬉しそうに笑みを見せた。
勝手知ったる冨岡家の玄関で靴を脱ぎ、義勇の部屋へと向かっていく。蔦子が家を出たというのは聞いていたが、まだ荷物は少し残っているようで、今度姉夫婦の住まいに邪魔する時に持っていくと言った。
「錆兎と真菰も機会があれば遊びに来てほしいと言っていた」
「ああ、真菰が行きたがっていたしな」
蔦子は弟の幼馴染である錆兎と真菰にも良くしてくれ、色々と世話になっており頭が上がらない。彼女の結婚は錆兎にとってもおめでたいことで、そのうちお祝いをしなければと口にする真菰とともに、義勇から聞き出す予定の結婚式の話を楽しみにしているのだった。
「宇髄たちともしばらく会っていないが、相変わらずだろうな」
「ああ、全く変わっていない」
他愛のない話をしながら元級友の話を聞く。相変わらず子供のように祭りごとにはしゃぐ宇髄とそれに付き合わされる不死川の様子に、錆兎は呆れとも安堵とも思えるような笑みを零した。義勇が楽しそうにしているし、まあ落第しなければ良いとだけ考えておく。部屋の本棚には学部で使用するらしい本が増えており、錆兎の知らない本が多くなっている。高校までずっと一緒だった幼馴染の知らないことが増えているのは、何だか不思議な気分だった。それが大人になるということなのかもしれない。
「どうした?」
「……いや、義勇の部屋に俺の知らない物があるからな。少し変な気分になっただけだ」
「変わってないのもある」
義勇の指した先には真菰と三人で写る写真が飾られている。小学校の卒業式の日に撮ったものを、現像した直後に真菰がわざわざ義勇の部屋に飾っていったものだ。もちろんというべきか、錆兎の部屋にも同じ物がある。
「わざわざ写真立て買ってきて飾るんだもんな。片付けるわけにもいかない」
相槌を打った義勇と顔を見合わせて笑い、錆兎は出された茶へ口をつけた。馴染みのある味は変わりないようだった。
「今日は真菰は来ないのか」
「ああ、うん」
義勇の家に行くと伝えればついてきてしまうので、錆兎は今日どこに行くかは真菰に伝えていなかった。どうしても義勇と二人で話したいことがあったのだが、いざそれを口にするのは恥と緊張でなかなか難しく、いつ切り出すかタイミングを図ろうとしていたところだ。雑な相槌に不思議そうに錆兎を見た義勇は、ベッドの縁にもたれていた姿勢を少し正した。
「何か言いたいことがあるのか?」
時々義勇はやたらと察しがいい。
真菰とのこともそうだったが、錆兎の様子を見てすぐに気づいてしまうのだ。幼馴染だからか、それとも錆兎が分かりやすいのか。義勇が相手なのでどちらでも構わないのだが、図っていたタイミングを少々ずらされたような気分で錆兎は義勇に向き直った。
「うん、そうだな。聞きたいことがある」
義勇は錆兎を否定したことはなく、どんなことがあっても味方でいてくれた。真菰と三人でいれば何だってできた。気付かれないよう深呼吸をして、神妙な顔で錆兎は口を開いた。
「お前、胡蝶といる時どうやって耐えてたんだ」
予想外の質問だったのか、義勇は驚いたように瞬きを一つした。錆兎の顔をじっと見つめてくる。何を言っているんだと思われても仕方ないと思うが、こちらは真剣なのである。
黙り込んでいた義勇は静かに視線を逸らし、一言呟いた。
「耐えられては……いない」
幼馴染の諸々の事情を察した錆兎は、顔に熱が集まるのが分かり目元を手のひらで覆い隠した。
そうだ。いくら義勇とて健全な男子、可愛い彼女と一緒にいて耐えられないこともあるだろう。旅行の土産を貰った時点でもしやと思っていたが、さすがに聞く気にもならなかった。プライベート過ぎる話だし、何か恥ずかしかったし。今も恥ずかしいが。
「い、いや! 耐えていた時期があっただろう、高校の時とか」
「その時は一緒にいるのが嬉しかったから……その後は……気合い?」
「やっぱり気合いかあ……」
「先生のしごきを思い出して頭を冷やせば自然とおさま……あ、武将の名を羅列していた時もあった」
武将の名前は効果があるのか不明だが、やはり義勇は気合いと根性でどうにかしていたらしい。師の教えが活きている。
錆兎も薄々そうではないかと思っていた。常に武術において冷静さを求め、体力がなくなっても根性で動けと教えられてきた。錆兎も義勇もその教えはずっと念頭に置いている。
「根性を鍛え直さなければならないな」
俯いて長い息を吐き、気を取り直した錆兎は顔を上げた。何かを察したらしい義勇の視線が彷徨うのが見え、逡巡した後口を開いた。
「……その、耐えなければならないか」
幼馴染のこの手の詳しい話を聞くのはどうしていいか分からないようだったが、それでも義勇は錆兎へと問いかけた。
耐えなければならないか。
もちろん、関係性を考えれば耐えなくても問題ない気もするが、何せずっと友達だった真菰とのことだ。錆兎はだいぶ悩みながら真菰との時間を過ごしていた。
「耐えなくてもいいかもしれんが、さすがに真菰のことも考えなくてはならんだろう」
卒業式から二年経ち、錆兎だって全部耐えてきたわけじゃない。男女で出かけることがデートというならば、それだって何回もしたし、キスだって何度もしている。じゃれ合いから何か妖しい雰囲気になったこともあるので、流れで色々触ってしまったこともある。真菰が顔を真っ赤にして首を振るので、さすがに無理強いはしたくなかったしできなかったが。
真菰が一線を越えるのを怖がっているから、まだ済んでいないだけである。そりゃもう興味くらい普通にある健全な男子なので、真菰が頷けばすぐにでも、いや、それは今置いておくが。
「……そうか」
そんな話をかいつまんで話すと、どう反応していいかわからなかった義勇は、困り果てた顔をして一言呟いた。こんな話で申し訳ないとは思うが、錆兎だって他に誰に相談すればいいのかわからないのだ。
それに義勇は胡蝶とのことで錆兎を頼ってくれたことがあった。はっきりいって恋愛面では役立たずも良いところだったはずなのだが、それでも錆兎に話してくれたことは素直に嬉しかった。昔からどんな話でも義勇にまずは話をすることを決めていたので、詳細を聞きたくなさそうな義勇には悪いが、曖昧な言い方では錆兎も説明し辛い。続けさせてもらうことにする。
「ちなみに耐えられなかった場合、胡蝶は拒否するのか」
「……胡蝶は、煽り癖が……いや、拒否は……されない」
赤裸々に話すのも初めてなのだろう、義勇は少々照れた顔をしながらも、錆兎の質問には答えてくれた。答えられてわかったが、これは確かに聞くのも恥ずかしい。そうなのか、胡蝶。
言い淀んだ言葉に胡蝶の積極性が垣間見え、赤くなった顔を隠すように手のひらを当てた。聞くんじゃなかった。
「後悔するくらいなら最初から聞かないでほしいんだが……」
お前の話は頑張って聞くから、と錆兎を気遣う言葉がかけられた。心情が手に取るようにわかったらしく、すまんと一言謝った。
「だが煽り癖なんて言うから察したんだ。まあ、お前たちの話は忘れることにする」
「……頼む」
何年経っても仲が良いようで微笑ましくはあるが、義勇と胡蝶は安泰そうなので放っておくべきだろう。これ以上聞くのは野暮というものだ。すでに野暮以外の何ものでもないという突っ込みが入りそうだが、義勇は錆兎の心の声までは聞こえていない。
「まあ、だからできるだけ耐えようと思ってはいるんだが、はっきりいってしんどい」
真菰と二人でいる時、何をして遊んでいたのかも思い出せないくらい、関係が変わることは全てが変わっていくのだと実感した。もちろん嫌なわけはないが、進もうとしているところで真菰はストップをかける。
男ならば耐えてみせる気概を最初こそ持っていたものの、拒否され続けるとそれはそれで悲しくもある。男の誇りにかけて間違っても襲うなんてことは絶対にしないが。
「俺が幼馴染なばっかりに絶大な信頼を持って部屋で寝ていたりする」
「うん……」
胡蝶に置き換えて考えているのか、義勇は眉を顰めて頷いた。信頼は素直に嬉しいものだ。男としては少し首を傾げたくはなるが。
「嫌がったくせに俺の手を抱き込んできたりもした。こんなふうに」
「……ああ」
義勇の手を掴み、真菰がやった時と同じように再現してみせた。指を絡ませて思いきり胸元に抱え込むと、義勇の目は同情を含んだものに変わる。錆兎を見つめてきた真菰の目が更に煽られているような気分になっていたのだが、そこまでは言わなかった。
「あいつ俺のことどうしたいんだろう。散々触り倒した後だぞ」
「真菰は真菰で、進もうとしているのでは?」
だったら嬉しいし、何が何でも真菰に合わせて己を律して待ってみせるのだが、如何せん誘われているような気分になって身が持たない。体を離そうとすると近づいてくるのだ。嫌がるくせに。
「好かれてるのは分かるから、それで耐えられてるようなものだ。たまにヤキモチ焼くし、可愛いんだよ。女心とは難しいな」
「そうだな」
困ってはいるものの笑みを見せた義勇は、錆兎の言葉に相槌を打った。
義勇と二人で男女の深い話をするなど初めてだったが、話しているだけで頭は冷えてきた。結局のところ、錆兎にできるのは真菰を待つしかないので、根性を鍛え直して気合いで耐えるしかない。耐えられないなどあってはならない。無理強いなど以ての外だ。据え膳になる覚悟ができたのなら話は別だが。
「俺も男だ、腹を括る。真菰がどれだけ拒否し続けようと待ち続ける」
「そうか」
義勇に話して気が紛れたのか、今までの悶々とした気分が晴れたような気がした。持つべきものは話を聞いてくれる友であると再確認する。まあ、義勇には悪いことをしたと思っている。
「心配しなくても、二人は大丈夫だと思うが」
「そうか? まあ義勇が言うならそうなんだろうな」
何せ錆兎が証明できなかった男女の友情を証明してくれるのだ。錆兎の抱える不安など義勇はものともしない。いつだってお互いの不安を払拭してきたわけなのだ。間近で錆兎と真菰を見てきて、本人よりも自分を知っている幼馴染なのだし。
その後二人は大丈夫だと言った義勇の言葉が証明されたのは、それから間もなくのことだった。