ライバル

「土産だ」
 箱に入った観光地の菓子を差し出して冨岡は言った。
 宇髄と不死川に一箱ずつ。十二個入りと書かれているが、不死川家は大家族だし宇髄も彼女と四人で分ければ多いということはない。
「おォ、饅頭か。助かるわ、腹持ち良いとチビ共が喜ぶしなァ」
「へえ、珍しいな。仲良し四人組で行ったのか?」
「いや、胡蝶と」
 目を丸くした不死川が冨岡を凝視した。気持ちはわかる。
 高校からの付き合いだが、冨岡は出会った者のなかでもひと際幼い思考をしていた。胡蝶も箱入りだし、まさか二人で旅行をするほど進展していたとは思っていなかった。付き合って何年も経っているし、健全な大学生であれば普通のことなのだが。まあこいつのことだから何もしていない可能性もある。
「えー、冨岡くん旅行行ったんだ? 私も行きたかったなあ」
 同じゼミの女子が会話に入ってきた。冨岡は女子に視線を向けたものの、興味もなさそうにそうかと一言呟いた。
 冨岡に彼女がいることは周知の事実のはずなのだが、どうにもこの女子は大して重要視していないようだった。わかりやすく狙う様子に宇髄も溜息が出る。胡蝶以外に物好きがまだいたという事実にも。冨岡本人は気にしていないどころか、気づいてすらいないだろう。
「伊黒も前に行ってたしよォ、流行ってんのかァ?」
「アホ、カップルで旅行行くのに流行りもクソもあるか」
「あっはは、不死川くんそんな顔して純粋だね!」
 かーわいい。女子の揶揄いの言葉に舌打ちをしているが、顔は赤くなっている。冨岡に隠れて目立たなかったが、不死川も恋愛面ではろくなものじゃない。最近は冨岡のほうがよほどましだろう。
「ま、有難く受け取っとくぜ。次お前ら空いてんだろ? バスケしようぜ」
 月曜の四限は空き時間であることは既に知っている。空いているコートに移動しようと三人が立ち上がると、輪に入っていた女子も同様に立ち上がった。
「私もバスケやる! 良いでしょ?」
「お前体力バカのこいつらについていけねえだろ」
 少し離れた位置から野次のように男子が声をかけた。断るのも面倒で、宇髄は声をかけた男子グループも誘いコートへ移動した。
 宇髄ら三人とやり合うのは分が悪すぎるというものだから、公平にじゃんけんで三対三に別れ、女子は審判をすることになった。
 女は好きだが趣味の悪い奴には興味はない。冨岡狙いなのは分かるが、胡蝶の存在を認識して尚諦めていない様子を見て、宇髄は溜息を吐くしかなかった。女子を良く知るゼミ仲間からは、いつも誰かの彼氏を奪っていたし、本人がそれを楽しんでいたと聞いたことがある。真偽は知らないが本当ならば悪趣味だと思う。他人の嗜好には口は出せないが。
 実は宇髄も最初にこの女子に声をかけられていたのだが、彼女が三人いると知ったらつまらないと毒づいて離れて行ったのだ。何だつまらないって、失礼な奴だ。恋愛に絡まない話をする分には楽しいのだが。
 誰もいないバスケットコートに到着し、途中で調達したボールを地面へ投げつける。審判らしくコート外に立った女子が楽しげにボールを奪い、空へと投げた。叩き落としてボールを手にしたのは不死川だった。
「きゃー、皆格好良い!」
 バスケを始めて数十分。少し疲れた体に水分を補給する。冨岡は相変わらず力任せにボールを投げるものだから、不死川が怒って張り合うようなことになった。ドッジボールをしているわけではないのだが。
「凄いね、あんたらもやるじゃん」
 適当に誘った男子グループ三人は、それなりにバスケを楽しんでいるようだった。冨岡と不死川のやり合いを横目に、地味に点を稼いでいるあたりちゃっかりしている。
「冨岡くん、タオルどうぞ!」
 確実に言えることは、冨岡よりもベンチで疲れきっている男子のほうがよほど汗をかいていることだ。寒い時期だから宇髄も不死川もあまり汗はかいていないが、冨岡などひと際涼しい顔をしている。必要ないと首を振る冨岡にタオルを押し付け、何なら顔を拭こうとしてくる。面倒そうな顔でタオルを押し返そうとしている冨岡が困惑しているのが良く分かった。そろそろ止めるべきだろうか。
「あ、宇髄さんたちだわ!」
 声が聞こえた方向へ振り向くと、何ともいえない表情をした二人が立っていた。どちらかというと甘露寺のほうが表情から悲痛さを感じたように思う。胡蝶はまるで出会った時の冨岡のように顔に能面を貼り付けていた。
「皆さんお揃いでバスケですか?」
「ああ、四限入れてねえからな」
「そうなのね。私たちも四限目休講になったのよ」
 いつもと違う表情は一瞬だけで、瞬きをするとすぐに普段の顔に戻っていた。甘露寺はほんの少しぎくしゃくとしていたが、胡蝶が普通に会話をするので落ち着いたようだった。
「あ、冨岡くんの彼女。へえ、ほんとに可愛いんだね」
「あら、ありがとうございます」
 よろしく、と笑みを向けて手を振る女子に、胡蝶も笑顔で迎え撃つ。ほんの少し空気が張り詰めた気がした。女の戦いは宇髄ですら避けて通るところだが、この場を逃げる算段が思いつかなかった。
「お前らもバスケしにきたのか?」
「ううん、私たち外でご飯食べようって言ってたの。伊黒さんが今日は三限で終わりだから来てくれるって」
「成程なあ。冨岡呼びに来たのか」
「えー、冨岡くん行っちゃうの? 私も行こうかなあ。良いでしょ? 彼女とお話したーい」
 予想はしていた。先程までバスケをしていた宇髄らと一緒にいる上に、彼女は誰に対しても積極的に動く性質なので、ついていくのが自然ではある。となると宇髄たちが引き止める他ないのだが、こちらも付き合っている彼女と昼食を取る予定なので来いとは言いたくない。だが一瞬だけ見たあの顔を思い返すと、胡蝶は彼女にはついてきてほしくないだろう。初対面でもあるのだし。
 ちらりとゼミの男子たちへ視線をやると、困ったような顔が並んでいた。冨岡の思考は読めなかったが、さっさと胡蝶たちについていく準備をしていた。
「初対面なのに図々しいだろ。誰かも合流するみたいだし」
 成り行きを見守っていると、見かねたらしい男子が空気を読んで嗜めた。仲良くなりたい時は図々しいくらいが良いのだと持論をかざす女子を、胡蝶は貼り付けた笑みで同意していた。
「ですが冨岡さんを誘って四人でと話していましたので、今回はすみませんが」
「おう、行ってこい行ってこい。俺らは雛鶴と飯食うし」
「俺もかよォ」
「ふーん。まあいいや、絶対ご飯食べに行こうねー」
「そうですね。機会があれば是非」
 冨岡が連れて行かれた後、女子はつまらなそうに一行を離れて行った。お前がどうにかしてやれよと男子たちに詰め寄られるが、女同士のいざこざに正直あまり首を突っ込みたくないのだ。まあ、いざこざと呼べるほどのものでもなかったが。
 だがあの女子の人となりを知っていると、胡蝶への言葉に含みがあるように見えて、下手に口を挟むとこちらに飛び火しそうで嫌だった。冨岡がどうにかできれば良いのだが、あいつにそれを望むのは酷というものだろう。

*

「げ、」
 四限目の講義が終了した雛鶴と合流して食堂についた頃、宇髄のスマートフォンが小さく振動した。通知の相手は伊黒。メッセージはなく現在地を知らせるマップが送りつけられてきた。ここに来いということだろう。
 しつこいほど悪態を吐き続ける伊黒に付き合うのは面倒だが仕方ない。食堂で昼食を取るのは諦め、雛鶴と不死川を連れて校門を出た。
「あっ、宇髄さん! こっちよ」
 笑顔で手を振る甘露寺に手を振り返して、宇髄らは四人テーブルに座る彼らの隣の席へと腰を下ろした。
「冨岡めの説明では敵がどんな奴かがわからん」
「敵って。別に知りたいわけでは……」
 困ったような顔をして、胡蝶が伊黒を宥めるように口にした。
 亀の歩みではあるが、伊黒と甘露寺並に冨岡と胡蝶の関係は心配する必要などないものだと宇髄は考えている。だがあの一瞬の能面を思い返すと、やはり複雑な心境なのかもしれない。
「冨岡が相手にしてねえからなあ。こいつはあの女のことは良く知らねえよ」
 だから宇髄を呼んだのだろう。甘露寺の友人だからという理由はあるだろうが、悪態を吐きつつも伊黒は案外二人を気にかけているようだった。
 元々幼馴染以外の女子を避ける節のあった冨岡は、友人である甘露寺や胡蝶の姉以外の女子とは相変わらず距離を置いていた。ゼミには男女半々いるが、高校のクラスメートだった女子たちより更に会話をしていない。
「まああいつを知ってる奴はこぞってやめとけって言ってるけどな」
 俺も言われたと宇髄は素直に伝える。同じ大学に通う雛鶴には一応報告してはいたが、入学当初にモーションをかけられたことを冨岡や不死川には言っていなかった。
「面倒そうな女だな」
「まあ冨岡には荷が重いんじゃねえか」
 昔宇髄もあの手のタイプに付き纏われたことがある。宇髄の彼女たちは皆我が強いというか、宇髄がモテることを喜ぶ節があるのでさほど問題にはならなかったが、諦めさせるのに苦労したのを思い出した。
「不安か?」
 黙っていた胡蝶へ声をかけると、少し逡巡した後口を開いた。
「別に。冨岡さんが私のことを好きなのは良く理解してますから」
 小さく歓声を上げた甘露寺のそばで、雛鶴も同じように目を輝かせた。冨岡が胡蝶を好きなのは確かに宇髄の目から見ても明白だ。だから心配していなかったのだし。
「勝負事として考えるなら、私は宇髄さんが一番のライバルだと思っていますので」
「は? 何で俺? 真菰じゃねえの?」
「真菰さんと錆兎さんは幼馴染ですから、最初からそういうものとして考えてます。女の子相手で誰かに負けるとかは一度も思ったことはありませんね」
「おいおい、ド派手に惚気けだしたな。大層な自信で何よりだ。そこまで言って何で俺がライバルだよ。つうか嫌なんだけど」
 揶揄われるかも知れないことを考えていないのか諦めたのか、胡蝶は照れもせず口にした。これはこれで面白いが、何故ライバル枠に宇髄の名が胡蝶の口から出てきたのか不審に思う。
「冨岡さん、宇髄さんのこと大好きなんですよ。宇髄さんも冨岡さんのお世話好きですよね」
 満面に笑みを乗せて胡蝶は宇髄へ確認のように問いかけた。高校三年間を同じクラスで過ごし、文句を言いながらもせっせと世話を焼いていた自覚はある。ついたあだ名は冨岡の翻訳者だの第三の保護者だの、こないだついに不死川から冨岡マスターと呼ばれたことを思い出した。口元を引き攣らせて胡蝶を眺める。
「それに、一番の難敵は冨岡さんですし」
「ああ、お前も成長したんだなあ……手繋ぐだけで照れてたのに。それに免じて俺をライバル扱いしたのは忘れてやるよ」
「忘れなくても構いませんけど。そういうわけで不安になることはないですけど、それはそれとして腹は立ちますよ」
 今の胡蝶の笑顔は感情を隠すために貼り付けられたものであることに気づいた。本人も言っているとおり怒りを隠しているのだろうが、少しばかり甘露寺がこわごわと胡蝶を窺っている。
「女の子相手なら負ける気はしませんから」
「やらねえとは思うけど、物理で喧嘩するのはやめとけよ」
「いやだ、喧嘩なんてしませんよ」
 合気道の段を取ったと以前聞いたことがあった。ひくりと口元を引き攣らせた宇髄は、困惑しているようにも見える冨岡を見て溜息を吐いた。