ダブルデート しのぶ

「……うまく行ったのだろうか」
「駄目ですよ、振り向いちゃ。あちらだって背を向けているのに」
 肩を叩いて座り直らせた。
 宇髄の計らいでようやく初デートにこぎつけたのは、何もしのぶと冨岡だけではない。甘露寺だってとても楽しみで緊張して、何としても成功させたいと言っていた。
 甘露寺が三人を連れ回して酔わせたことに反省してしょぼくれていたけれど、しのぶは面白かったし冨岡だって気にしていない。伊黒はそもそも甘露寺を否定するようなことは言わないし、思ってもいないだろう。
 表情が翳ったのはその時くらいで、甘露寺は一日通して笑顔だった。何をもって成功とするのか人によっては分かれるだろうが、しのぶとしては初デートは大成功なのではないかと思う。
 後は告白したいのだと言っていた甘露寺が、勇気を出して口にできたかどうかだ。
「ちょっと姉さんの気持ちがわかりました」
 恋する乙女を応援したくなる気持ち。しのぶはいたたまれなくて恥ずかしかったけれど、いざ友達の恋路を見守る立場になって良くわかった。いじらしくて可愛い甘露寺に悲しい顔をしてほしくなくて、できる限りのことをしてあげたくなってしまう。
「嬉しそうだな」
「はい。だって甘露寺さんならきっとやり遂げますから」
 伊黒の誕生日のことを冨岡に相談し、彼の好物を聞き出してほしいと頼んだ時のことだ。
 甘露寺は伊黒が好きなのか。そう冨岡が呟いた瞬間、甘露寺の顔が茹でダコのような赤さになった。冨岡にバレたのは想定外だったのだが、良く考えれば会話していた内容を思い返すとバレないほうがおかしかった。冨岡を少々侮りすぎていたようで、しのぶは申し訳ない気持ちになった。
 なのでデートの日程が決まった後、しのぶは冨岡を頼り二人の手助けをしようと話し合ったのだ。結果はこの通り、うまくフォローができなかったのだが。むしろ二人とも足を引っ張っていた気がする。何も画策しないほうが良かったのではないかと思えて少し落ち込んだ。ダブルデートとしてならば楽しかったけれど。
「お疲れ様」
 冨岡がそう言って笑みを向けた。
 彼は案外人の表情を良く見ている。どんなことを考えているかまでは読み取れないのか読み取る気がないのか、深く考えないけれど、しのぶが楽しそうに笑えば嬉しそうにするし、落ち込めばどうかしたのかと声を掛ける。友人たちにも向けられているのかも知れないけれど、しのぶはそれが嬉しかった。今だって何か感じるものがあったのだろう。
「……頭。撫でてください」
 俯いて旋毛を冨岡へと見せる。少々戸惑った後手のひらが乗せられた。
 しのぶよりも大きな手だ。武術を習っているせいか綺麗というわけではないけれど、優しくて温かい。
 頭に伝わる感触に含み笑いをしながら浸っていると、ふいに額に柔らかい何かが当たる感触がした。冨岡の鎖骨がごく目の前にある。いつもより近い。視線を上げると随分近くに冨岡の顔が見えた。
「………、……え!?」
 頭のてっぺんに手の感触がある。もう片方の手はしのぶの手と繋がれている。目の前の近い距離に冨岡の顔がある。額に触れたのは唇であることに思い至り、しのぶは頬を染めた。
「ちょっ、と、そ、そこは口でしょう!?」
 思わず口から出た言葉にしのぶ自身も驚いた。
 まるで期待していたような言葉だ。観覧車に乗ったカップルがキスをするのは少女漫画にも良くあるけれど、しのぶは冨岡がそんなことをするとは思っていなかった。予想外のことに混乱してついはしたないことを口にしてしまった。
「して良いのか」
「違います! いや違、違いませんけど、じゃなくて冨岡さんがあり得ないことをするからびっくりして、」
「あり得なくはない。俺だってそういう気持ちはある」
 言葉にならない声が漏れた。しのぶの許容範囲を超えかけた出来事に、やかんで茶を沸かせそうなほど顔に熱が集まっている。茹でダコのようだった甘露寺を思い出し、しのぶも負けないくらい赤くなっているだろう。
「ただ、胡蝶と一緒だとそれだけで嬉しいから、触れるところまでいかない。嫌われたくはないから、嫌ならもうしない」
 かつて聞いた大きな心臓の音が耳に鳴り響いている。嫌なわけがない。手を繋ぐのだって嬉しかったのだ。宇髄に言われてようやくしのぶに触れた冨岡は、きっと恋というものをあまり意識していないのだろうと思っていた。
 そんなはずはないのだと気づいた。しのぶを見て浮かべる笑顔も、しのぶだけに見せるものだ。それをきちんと知っていた。しのぶに嫌われないように、触れることを怖がっていただけだ。
「……嫌なわけないでしょう」
「そうか」
 眉を下げて冨岡を見つめると、目を細めたくなるほど柔らかい笑顔が向けられた。力を抜いていた二人の手が繋ぎ直される。まさか今、ここでするのだろうか。心臓が暴れ回って爆発しそうだった。
「安心しろ。もう終わるからこれ以上はしない」
「しないんですか!」
 驚いた顔をした冨岡が目に入り、しのぶは自分の口を縫い付けたくてたまらなくなった。真っ赤な顔を見られたくなくて、手のひらで顔を覆い隠す。これ以上はしたないところを出させないでほしい。
「胡蝶、今のは」
「無理です。今日はもう喋りません」
 口をついた言葉が本音だと指摘されてしまったら、恥ずかしくてもうお嫁に行けない。全部冨岡のせいだ。こんなに触れられることを期待してしまうなんて。
「そうか……残念だ」
 嫌がることをしないと宣言したとおり、冨岡はそれ以上追求することはなかった。ほっとしたものの自分ばかり恥ずかしい目に合っている気がして、何だか癪だった。
 ゴンドラが出口付近に近づき、誘導されるままに地面へと足をつけた。後ろに乗っている伊黒と甘露寺を待ちながらしのぶは呟く。
「本当に恥ずかしい目に合いました」
「もう喋らないんじゃなかったのか」
 確かに自分の口がそう言ったのだが、こういうところが冨岡らしくてむっとしてしまう。手を繋いでゴンドラを降りてくる二人を眺めながら、しのぶはどう言い返すべきか考えていた。
「俺だって恥ずかしいことを言った」
「そうですか? ……私は嬉しかったですけど」
「俺も嬉しかった」
 むすりとしたまま冨岡を見上げると、手を繋いでこちらへ向かってくる二人を眺めていた。ほんの少し頬が赤くなっているように見えて、しのぶは同じように照れている冨岡を可愛く思う。それはそれとしてとても恥ずかしかったのだが。