ダブルデート 伊黒

 正しくデート日和というものだろう。
 晴れ渡った天気は、梅雨時にしては珍しい。外を歩くには少し暑いが、足を踏み入れた遊園地には水を被るアトラクションがあるらしく、この陽気ならば気持ち良く感じるだろう。
「伊黒さん、絶叫マシンは好きかしら」
「苦手ではないから気を遣わなくて良い。甘露寺の好きなものに乗ろう」
 宇髄のおかげで甘露寺とのデートにこぎつけることができた。余計なものはいるがそもそもの目的は甘露寺と伊黒のデートではない。初デートに二人きりだと緊張して何を話せば良いかわからなくなってしまうかも知れないし、今回ばかりは冨岡と胡蝶にも感謝せねばならなかった。次こそは自分で甘露寺を誘わなければ、彼女にも幻滅されてしまうだろう。
「やっぱりお似合いだわ、二人とも。伊黒さんもそう思わない?」
「……ああ、そうだな」
 似合うか似合わないかを伊黒は考えたことがなかった。面倒な奴という印象だった冨岡に興味を持ちたくなかったし、気づいたら冨岡は胡蝶と付き合っていた。物好きだとは思ったが、女子の思考はそういうものなのだろうと感じていた。伊黒が知らない冨岡の良さがあったのだろう。
 伊黒から見れば、手を繋いでアトラクションを探す冨岡と胡蝶は充分仲の良いカップルに見えるのだが、宇髄は一体どんなカップルを想定していちゃつけと言ったのだろうか。四六時中べったりしているような迷惑なカップルを真似ろと言っていたのなら、伊黒としてもやり過ぎだと思わざるを得ない。学生なのだから清い交際で問題ないはずだ。今日は特別仲良く見せているのかも知れないが。
「いつお化け屋敷に行きます?」
「……胡蝶はお化け屋敷が好きなのか」
「ええ、楽しいですよ。人形より人が脅かすものが好きです。本物だとより楽しいと思うんですけどね。今日出てくれれば良いんですけど」
「……そうか」
 返答に困る。さすがに冨岡の何ともいえない返事に心中で同意した。伊黒は怖がりではないがお化け屋敷を好むことはない。ホラー映画を妙な視点から楽しむ人間もいるが、本物を期待している胡蝶も少し変わっているようだ。
 最恐と名高いジェットコースターを甘露寺が指し、少し並んでいる列の最後尾へ並ぶ。ここには有名な絶叫マシンが複数あるらしく、全部乗りたいと甘露寺が言った。
「どれも凄く怖いって有名なの。しのぶちゃんたちは平気?」
「どこかの文化祭のコーヒーカップのようにぐるぐる回されなければ大丈夫です。ねえ冨岡さん」
「………」
「何とか言ってくださいよ」
「いつ来ても並んでるから今日は何回乗れるかしら! 楽しみね」
 恐らく甘露寺以外の全員が疑問に感じたことだろう。この時点で深く考えることはなかったが、甘露寺の言った何回という言葉は、この遊園地にある全ての絶叫マシンに何回乗れるかという意味だった。

「ごめんなさい、間を空ければ良かったわ……私ったらはしゃいじゃって」
「気にしなくていい、俺の三半規管が弱かったせいだ……」
 絶叫マシンはしご三周目で冨岡と胡蝶が脱落し、伊黒はその後気合いだけで甘露寺と一度乗り、あえなく撃沈した。甘露寺の悲しそうな顔が心に刺さる。
 真っ青になっている二人にじとりと視線を向けるが、恐らく伊黒も似たような顔色になっているはずだ。三周付き合ったのは評価しても良い。というか良くやったと言うべきだろう。
「何か飲む? 私買ってきます!」
「いや、良いんだ。少し休めば良くなる」
 飲み物は確かにあれば少しはましになるかもしれないが、甘露寺を一人買いに走らせるのも忍びない。とはいえ自分は動けないし、顔面蒼白の冨岡を動かすわけにもいかないのが辛いところだ。
「でもすぐそこに自販機があるから。乗り物酔いには炭酸が良いって聞いたことがあるわ! 皆炭酸は飲めるかしら」
「心配しなくてもすぐ収まりますよ……」
「だって私が連れ回してしまったんだもの、せめてこれくらいはさせて欲しいの。すぐ買ってくるわ!」
 走って行ってしまった甘露寺の後ろ姿を眺めて、伊黒は溜息を吐いて項垂れた。初デートがこれでは印象は最悪ではないか。ベンチで死んでいる二人も同じく初めてだったはずだ。普段ならば冨岡相手に申し訳ないと思うことなどないが、少々気の毒な気分になる。
「良く耐えたとだけ言っておこう」
「……甘露寺は凄いな」
「うちの姉も絶叫マシンは好きですけど、甘露寺さんほど乗りはしませんね……」
 甘露寺が心底楽しんでここまで乗ったのだから、絶叫マシンも本望だろう。走って戻って来た甘露寺から缶ジュースを受け取り、落ち着くまでぐったりとしていた。
 ようやく回復した三人と甘露寺はベンチを離れ、目的のアトラクションへと移動した。
 胡蝶が行きたがるお化け屋敷は外観から既におどろおどろしさが漂っており、通りすがりにすら恐怖を煽っているようだった。伊黒自身は特に驚くこともなかったのだが、大きな悲鳴を上げて怖がる甘露寺が必死に伊黒にしがみついてくる。平静を装って宥めてみるものの、正直甘露寺が近すぎてどうすれば良いのかわからなくなりそうだった。柔らかい甘露寺の体が服越しとはいえ密着する。お化け屋敷とは恐ろしい。
「怖かったよ、しのぶちゃん」
「面白かったでしょう?」
 涙を滲ませている甘露寺と普段と変わりない笑顔を見せている胡蝶のそばで、ぼんやりしている冨岡が目に入った。怖かったのか無なのかの判断がつきにくい。それとも伊黒のように己と違う柔らかさに驚いたか、胡蝶が怖がっていないからそれはなかっただろうか。
「でも伊黒さんが冷静で安心して出て来られたわ」
「そうですか、良かった。冨岡さんはちっとも顔に出ませんでした。すっごく手を握り締められましたけど」
 痛そうに手を振る胡蝶を見て甘露寺が頬を染める。冨岡貴様、怖がっていたのか。恐怖を隠すために無表情を貼り付けられては胡蝶も面白くなかっただろうと思ったが、手が痛いと文句を言っていたものの、特に不満そうには見えなかった。
 一時はどうなることかと思ったが、甘露寺が気を遣って絶叫マシンをセーブしだしてからは皆楽しげにアトラクションをまわっている。本音は目一杯楽しみたいだろう甘露寺はそれでも遊ぶことが楽しいのか、満足そうに笑っていた。彼女に全力で遊園地を楽しんでもらうためにも、今後三半規管を鍛えるのが最重要事項になりそうだ。
「あ、観覧車! 最後に乗りましょうよ」
 日も沈み始めた頃、甘露寺の提案で観覧車に向かった。先に冨岡と胡蝶が乗り込み隣同士で座る。手を繋ぐ宇髄のミッションはアトラクションでも健在だった。さすがに絶叫マシンまでは無理だったようだが、律儀過ぎないだろうか。
 次のゴンドラに甘露寺が先に乗り込み、前の二人に背を向けて座った。隣を指定して伊黒を呼ぶ。急に伊黒に緊張が走った。
「な、何故隣に?」
「だって、もしかしたら二人はちゅーしちゃうかも知れないわ! 見えないようにしなくちゃ」
「ああ……」
 甘露寺は少女漫画が好きだ。世のカップルが観覧車でのキスを全員体験しているかは知らないが、甘露寺にとって憧れのようなものらしい。恋愛面において冨岡の感性は幼稚園児並みだと思っている伊黒からすれば、冨岡にそんな真似ができるのかと疑いの目を向けたくなる。
 だがはっきりと胡蝶を特別だと認識し、行動に移したのは悪くないと思う。伊黒より先に進まれたのは癪に障るが、うだうだと悩むよりはよほど良いだろう。
「甘露寺。手を繋いでも良いだろうか」
「へっ? あ、はいっ!」
 柔らかい甘露寺の手に触れると、顔から湯気が出そうなほど真っ赤になっているのが目に映った。
「ご、ごめんなさい、緊張しちゃって汗が」
「問題ない。俺も緊張している」
 自由な左手で仰いでいるがあまり効果はないようだった。デートなど初めてだからと必死になって深呼吸する姿は誰より愛らしいと感じる。
「今日はすまなかった。きみが目一杯楽しめるようにするつもりだったのだが」
「そんな。私、今日凄く楽しかったわ。しのぶちゃんたちとも遊べたし、伊黒さんとデートできたもの。また一緒に遊びましょうね」
「ああ。できれば今度は、二人でどこか遊びに行かないか」
 夕陽を反射した大きな目が伊黒を見つめた。熱を帯びた真っ赤な顔が熱すぎるのか、目が潤んで宝石のようにきらきらと光が映し出されている。
「甘露寺が好きだ。ずっとこうしてきみと触れ合いたい。俺と付き合ってもらえないだろうか」
「……はいっ! 私も伊黒さんが大好き!」
 私も告白したかったの、と口にした甘露寺は、ひときわ眩しい笑顔を見せて頷いた。