お節介
「良いかお前ら。世のカップルは付き合って何ヶ月も経つのにデート未経験だったりしないし、キスどころか手を繋いでもないとかないから」
二人の顔に書かれた心外という言葉。こっちの台詞だ。何が悲しくて同級生とその彼女にカップルについての講義をせねばならないのか。
伊黒のアルバイト先の店長である悲鳴嶼は、宇髄たちも顔見知りであるせいか、彼が営む喫茶店は段々と宇髄たちの集会所へと化していた。甘露寺や胡蝶もこの店を利用するから自然と集まるようになってしまったのだ。最近来店者の口コミが増え、客足が徐々に増え始めているそうだが、それでも変わらず居座って良いと言ってくれるところが有難い。伊黒はさっさと帰れと文句を言ってくるが。
「二人で出掛けたことならあるし、手を繋いだこともある」
「お前それ付き合う前の話だろうが! つうか何で付き合う前のが積極的なんだよ」
甘露寺は二人を宇髄に任せ、伊黒と楽しそうに話をしている。実際は伊黒が宇髄たちから甘露寺を離したのだが、ちらちらと気にしていたものの伊黒が甲斐甲斐しく話題を振るものだから、そちらに気が向いているようだ。仕事しろ馬鹿。
「あのな、しつこい奴なんざちょっといちゃついてるとこ見せびらかせば大抵は裏切られたとか言って去っていくんだよ。普通のカップルらしいことしてりゃ諦める奴は多いんだ。それでもしぶとく寄ってくる奴が危害を加えてきたらお前が投げ飛ばせば良いだろ。それを俺たちお友達ですみたいな顔してるからワンチャンあると思われるんだよ」
「そんな顔はしてない」
「うるせえ、黙ってろ」
登下校は一緒の電車に乗っているなど、そんなもの知り合い同士だってできるわ。だから胡蝶に言い寄る男が新たに湧いてくるのだ。
彼氏がいると伝えても信じてもらえず、得意の言いくるめも効かず、困った胡蝶は冨岡に相談した。お帰り願えば良いのか、と物理でどうにかしようとした冨岡に頭を抱えたが、錆兎や真菰も似たような思考回路をしていたそうだ。いずれ感化され胡蝶があちら側へ行くのもそう遠くない気がする。
とはいえ胡蝶は今は平和的解決を望んでいる。宇髄がここに来たのはたまたまではあったが、またこいつらに巻き込まれるのかと若干の疲労を感じていた。自分から首を突っ込んでいる時もあるのだが。
「そうだな、すぐ実践できることは手を繋ぐことだ」
ほれやってみろと促して、普通に手を繋がせた。ちらりとどちらともなく目を合わせ、ほんのり頬を染めて目を逸らす。
「お前らなあー!」
思い切り叫び声を上げて宇髄はテーブルへ突っ伏した。ちょっとこの空間にいることが辛い。経験豊富な男子高校生である宇髄には初々しすぎて、何だかこちらまで恥ずかしくなってくる。そりゃあこんな純粋な箱入り共が良く生き残っていたと思うし、どっちも初心で可愛いとは思う。巻き込まれなければだが。
まあ良い。錆兎と違い一先ずは友達以上に進んではいるのだから、冨岡にしては良くやったほうだろう。今はそんなことはどうでもいいのだ。
「で、指を交互に組んでいくんだよ。それやってりゃ大抵の奴は肩落として帰って行く」
世間はそれを恋人繋ぎと呼んでいる。宇髄もやった経験はある。口に出しては言わないが。
呼ばれているとおり、恋人同士しかやらないような繋ぎ方だ。大抵の連中はそれを見れば諦めるはずだが、一部の過激派は激昂して危険な手段に出ることもある。胡蝶に手を出される前に冨岡が警察に突き出す、というのが良い。理想はいちゃついてるだけで勝手にがっかりしてくれることだが。
「その状態でデートに行け。ちゅーまでと言わず全部終わらせて来ても良い。あーでもストーカーが過激派のアレとかだとヤバイか……いや冨岡だし普通に倒すよな。四六時中一緒にいる口実もできるし一石二鳥?」
「貴様冨岡に何を吹き込んでいる!」
テーブルをお盆で勢い良く叩き、伊黒が宇髄へ物申してきた。途中から独り言のように呟いていたので冨岡と胡蝶はよく聞こえなかったようだが、耳聡い伊黒は何を言っていたのか把握したらしい。地獄耳かこいつは。
「はあ? 健全な男子高校生の思考を教えてやってんだろ」
「馬鹿者め、ふざけたことをするな。こいつはこのまま何も知らない馬鹿のままで良いだろう」
「いや何? お前いつから冨岡の保護者になったの?」
「何故俺が冨岡なんぞの保護者にならねばならんのだ」
心底嫌だと口にも顔にも出して伊黒が不快感をあらわにする。だったら何故箱入りのまま置いとくようなことを宣うのか。不審な目を伊黒に向けると、溜息を吐きながら耳打ちをしてきた。
「こいつにそんな俗世の塵芥共のことを吹き込んだら胡蝶にも伝わってしまうだろう。そしたら甘露寺の耳にも入ってしまうかもしれない。塵芥の存在を知って甘露寺の耳が汚されることは何としても避けねばならん」
「俗世てお前。いやまあ、伊黒の気持ち悪さが良くわかったよ。近寄るな」
「俺は気持ち悪くない! 甘露寺のために冨岡には何も言うな」
甘露寺と出会ってからというもの、伊黒は度々驚くほどの過保護を発揮する。独占欲から来ているものだろうが、正直度が過ぎてちょっと引く。お前らこそ早く付き合えと思うのだが、伊黒はまだ何も言っていないようだった。
「そうも行かねえだろ。もしかしたら胡蝶の身が危ねえかも知れねえのに」
「胡蝶の身が危ないのと全部終わらせるのは別の話だろう」
「そりゃまあ飛躍したかなとは思うけどよ」
「大体この幼稚園児のような思考回路の冨岡にそんな三段飛ばしのような真似ができるか。知識として頭に入っているかも怪しいぞ」
「三段飛ばしとはどういうことだ」
「やめろやめろ、貴様が聞いて良いことなど何一つない。大人しく胡蝶と手を繋いでデートしていろ」
二人して疑問符を掲げ、冨岡が質問してくるが伊黒に遮られてしまう。性知識がないなんてそんな馬鹿げた話があるわけないが、仕方ないので三段飛ばしはお預けにしてやろう。話も進まない。
スマートフォンをいじって何かを考えていた胡蝶が、冨岡へと声を掛ける。
「だったらここに行きたいです、私」
どうやらデート先を調べていたらしく、胡蝶は冨岡に端末の画面を見せた。有名な遊園地の画像を見せられたらしい。一人で暇になったのか甘露寺も胡蝶の端末を覗き込みにきた。
「あっ! ここってあの日本一怖いジェットコースターがあるところだわ」
「ええ、お化け屋敷がとっても怖いと噂の」
「お化け屋敷……?」
微妙な顔を見せた冨岡に胡蝶は頷いた。嫌いですかと問いかけるが、冨岡は首を傾げている。
「錆兎も真菰もお化け屋敷よりジェットコースターに乗りたがる」
「ああ、あまり入りませんか。本物が出ると言われているんですよ、ここ」
これは楽しんでいるな。胡蝶の笑みは揶揄いを含んだものに変わった。冨岡が怖がるか期待しているのだろう。
「良いなあ、こんなところでデートしてみたいわ」
「ふうん。じゃあ俺と行くか?」
「えっ、良いのかしら? だってしのぶちゃんたちのデートなんでしょう」
「こいつらは二人で行かせて、俺らは別行動だよ。飯くらいなら合流しても良いかもなあ」
視線が物理的なものであれば、宇髄のこめかみは既に貫かれていただろう。どす黒い負の感情が一心に宇髄へと向けられている。視界の端に映る伊黒の顔は般若のようだ。無視して宇髄は話を進めた。
「で、お前らいつ行くの?」
「この日はどうですか?」
「問題ない」
「私も大丈夫!」
歯軋りのような音が聞こえてくる。胡蝶はやはりデートがしたかったのだろう、うきうきと嬉しそうにしているし、冨岡もまあ楽しんでいるのだろう。甘露寺は言わずもがな、飛び跳ねそうなほど喜んでいる。
「んー。あー、俺その日は用事あるんだよなあ。甘露寺一人で行かせるわけにはいかねえし、伊黒空いてねえの?」
「………!? 確認、いや空ける。悲鳴嶼さんにシフトを空けてもらおう」
急に視線の圧が困惑したものに変わる。にやにやとしたまま伊黒を眺めた。本当に面倒極まりない奴らである。伊黒の言葉を聞いた甘露寺が慌て始めた。
「えっ! 伊黒さんと二人きりでデートなんて緊張しちゃうわ。宇髄さん、やっぱり別行動なの?」
「どっちでも良いぜ、俺行けねえし」
「冨岡、貴様のような奴でも甘露寺が四人が良いと言うのなら行動を共にすることをその日のみ許してやる。甘露寺とは喋るなよ」
「上から過ぎんだろ」
冨岡の肩に指が食い込むほど掴んで伊黒は凄んだ。独占欲の塊のわりに奥手である伊黒は、不本意ゆえか初デートの緊張からなのか少々判別が難しい。どちらもかも知れない。
「わかった」
「何だか趣旨とずれてきた気がしますね。楽しみなので良いですけど」
「毎日冨岡と手を繋いでろ。後は遊園地以外にも二人で行きゃ良いだろ。もう夏だし花火大会とか良いんじゃねえか」
「花火大会! 素敵だわ、海とかバーベキューとかも良いんじゃないかしら」
「それは人をたくさん呼んだほうが楽しそうですね」
女子が二人盛り上がるなか、伊黒はひっそりと宇髄へ礼を口にした。何のことやらと返しておいた。