逢引疑惑

「おい、冨岡が可愛い子と逢引してたって聞いたんだけど!」
 宇髄の学年には目立つ奴が多い。何の因果か三年も同じクラスになった奴の噂は、良く知らない連中が好きに騒いでいたり、はたまた良く知っている奴らが噂を聞いて驚いたりと、新学期ゆえか落ち着くことがまだなかった。
 中身を知る前と後で女子人気の落差が激しい冨岡は、新学期の初め、特に新一年の女子たちが色めき立った後は、一ヶ月後にはなんか思ったのと違う、なんて理不尽な理由ですうっと人気が落ち着いていく。そして生き残った猛者たちがガチ勢と呼ばれるようになる。顔ファンなどという連中もいるが。
 まあ、三年にもなると良い加減新しい噂にできるような話もないので、大体が聞いたことのあるようなものばかりだ。
 やれ電車で女の子と仲良く話していただの、どこぞのクラスの女子が告白して振られただの。今回の逢引疑惑だって、今に始まったことじゃない。
 そもそもこいつは単純に度が過ぎるほどの口下手なだけで、人となりがわかってくるとクールでも何でもない。話したことのない者相手には無表情を貫くだけで、冨岡の友人の括りに入ってしまえば普通に笑いかけてくるし、聞かれれば言葉少なでも答える。さすがに背後に花でも見えそうなほどの笑顔を見た時はビビってしまったが。
「お前ら情報が遅えな。冨岡の彼女だろそれ」
「それって文化祭に来てた美人姉妹のどっちかだろ? 違うんだよ、髪が長くて派手な色しててさ」
 何だか普段と違う噂を持って来られたようだった。派手な色の髪の女が冨岡と仲良く話をしていた。あいつの周りの女子を思い浮かべて見るものの、宇髄の知る限り派手な色の髪など、男でしか思いつかない。
「どんな色だよ」
「えーっと、ピンク色でさ、ちょっと緑がかった部分もあったな。凄え色だけど可愛かったんだよ」
「……そりゃあ」
「今甘露寺の話をしていたか?」
「おわっ!」
 背後から声を掛けられ、宇髄は思わず悲鳴を上げた。じとりと睨めつけられるが、話をしていたのではなく今からするのだ。
「お前の察知能力おかしいぞ」
「おかしくない。で、甘露寺の話をしていただろう。貴様ごときが噂をするな」
 男子生徒と宇髄二人に釘を差しながら、伊黒は機嫌の悪さを隠しもしなかった。何なんだその噂は、と怒りを見せている。
「おはよう」
 噂の張本人が教室へと顔を見せた。今年はあの幼馴染二人とクラスが別れ、何故か宇髄が三年間同じクラスになってしまった。おかげで冨岡語録の翻訳者などと呼ばれ、正直良い迷惑である。
「冨岡貴様! 甘露寺と仲良く逢引をしていたとは本当か!」
 噂を一蹴しようとしていた伊黒は内心相当気になっていたようで、冨岡の顔を見るなり詰め寄った。内心とはいったものの全く隠しきれてはいなかった。
 朝っぱらから怒鳴られた冨岡は驚いており、何とか言え、と尚も言い募る伊黒へと口を開く。何を言うつもりかと思わず宇髄も固唾をのんだ。
「……お前には関係ない」
 あ、これ伊黒に関係するやつだ。今までの経験から宇髄は冨岡の言葉の真意を何となくだが読み取ることができていた。この一言にも補足すべき言葉が長々とあるはずだ。伊黒は今にも倒れそうなほど顔色が悪いが。
「き、き、貴様……胡蝶と付き合っておきながら甘露寺にもちょっかいをかける気か」
「話しかけて来たのは向こうからだ……あっ」
 恐らく甘露寺と内密にする約束でもしたのだろう。しまったという顔をして手のひらで口元を覆った。普段もそのくらいわかりやすくしろ。
「何だ? 言ってみろ。良い加減貴様の言葉足らずにはうんざりしているんだ。端折らず全部言え、一応は聞いてやる」
「だから、伊黒に言うことは何もない」
「うお、何だァ朝っぱらから」
「おはようさん不死川。冨岡ちょっと付き合えよ」
 怒髪天を衝きそうな様子の伊黒を来たばかりの不死川へ押し付け、宇髄は冨岡の襟首を掴んで教室から離れた階段の踊り場へと連れて行った。溜息を吐く冨岡を見て、吐きたいのはこっちだ、と宇髄は思う。
「甘露寺って伊黒好きだもんな。どうせ伊黒関連でお前と話してたんだろ?」
「良くわかったな」
「わかりたくなかったけどな」
 そもそも本当に甘露寺と二人で会っていたのかも怪しいところだ。面子的にもどう考えたって胡蝶がそばにいたはずだが、たまたま席を外した時を見られたとかそんなところだろう。二人きりだとしても、冨岡と甘露寺では伊黒関係であることは明白なのだが、どうやら伊黒は甘露寺のこととなると節穴になるようだ。
「伊黒の誕生日の話をしていた」
「早くね?」
 伊黒の誕生日は確か九月だったはずだ。ゴールデンウイークもまだなのだが。
「準備に時間がかかるらしい。それとは別に好物を知りたいと」
「好物ねえ……」
 宇髄の予想通り伊黒の話をしていたらしい冨岡と甘露寺だが、少食な伊黒が好んで食べているものは何だったか思い出せない。ひょっとして聞くつもりなのだろうか。ヘマしてバレそう。
「本人に聞くなよ。不死川が仲良いからあっちに聞け」
「わかった」
「伊黒のいる前で聞くなよ!」
「俺を何だと思ってるんだ」
 む、と眉間に皺を寄せて文句を口にする。何って冨岡だ。それだけで通じる奴には通じる。
 教室に戻ると少し落ち着いた伊黒が般若の形相で冨岡を睨みつけていた。前言撤回、全く落ち着いていなかった。冨岡の顔が少々悲しそうに見える。不死川が不審そうに冨岡へ問いかけた。
「お前あいつに何したんだァ?」
「何もしてない」
 そう、関係ないと言っただけだ。何かしたわけではない。だがそんな詭弁が通じるのはこのクラスでは宇髄くらいだろう。正直三年目のクラスメートということもあり、多少絆されていることは自覚していた。
「不死川、協力しろよ。お前伊黒と仲良いだろ」
「はァ? めちゃくちゃキレてんだが、まじで何した冨岡ァ」
「その辺含め説明するからよ」
 男子三人のこそこそ話すら気に触ったのか、伊黒は宇髄たちにも据わった目を向けていた。

*

「てめェが救いようのねェアホなのは良くわかったぜェ」
「いやほんと、もっと言いようあるだろって思うよな」
 三人で購買に昼食のパンを買いに行き、歩きながら朝の出来事を不死川に説明した。
 やはり甘露寺は胡蝶が連れてきてどこかの店で三人で話していたらしく、胡蝶が席を外したタイミングで誰かに見られたのだろうと推測していた。
 偶然会ったとか、それこそ胡蝶の名前を出せばさほど怒りはしなかったと思うのだが、そこは冨岡クオリティとしか言いようがなかった。誤魔化し方を思いつかなかったとかいうレベルではない。
「まあ伊黒が冨岡を嫌ってても別に俺は構わねえんだが、甘露寺が頼んでるからなあ。だから伊黒の好物教えてくれよ」
「とろろ昆布」
「え?」
「とろろ昆布だァ」
 弁当に良く入ってる。不死川の言葉にそういえば確かに良く白米にかかっていた気がする、と宇髄は思い出した。
 とはいえ誕生日にとろろ昆布を使った料理とは、一体どんなものがあるのだろうか。
「……おにぎりに巻くとか?」
「味噌汁に入れるとかかァ?」
「お茶漬け……」
 どれも普通の食事だ。全く誕生日には使えなさそうである。
「いや、伊黒なら甘露寺が作ったやつなら何でも喜ぶだろ」
 甘露寺にはとりあえず教えといてやれ、と冨岡に言っておく。後は面倒だからきちんと伊黒に言い訳しておけとも。
 どうせきちんと話せば悪態をつきながらも伊黒は納得するだろう。世話の焼ける奴だ。
「伊黒は甘露寺が好きなのか」
「見りゃわかるだろ。お前だって胡蝶と錆兎が仲良く二人でどっか行ってたらヤキモチくらい焼くだろ」
「仲が良くて良いと思うが」
「ああ、例えを間違えたわ。そこらへんの良く知らねえ野郎が胡蝶と仲良くしてたらどう思うよ」
「………」
「もう良い。お前に聞いた俺が馬鹿だったわ」
 こいつの感性がどうなっているのか、まだ把握しきれていなかったようだ。特別好きだと自覚しているくせに、どうにも嫉妬とかそこら辺の感情が薄い。というか今のところ無い。付き合うということがどういうことなのか理解しているのか不安になる。男子高校生だぞ。おかしいだろ。
「誰だろうかと気にはなる」
 切り上げたつもりだった話題にまだ考えていたらしい冨岡は、宇髄の期待した答えに少しだけ近づいたような気配のする言葉を発した。お、と冨岡を眺めると、不死川も少し驚いた顔をしているのが見えた。
「ほー! そうかそうか。やっぱ気になるよなあ、お前も普通の、いや普通じゃねえな。まあ良いか。普通の感性が持てそうで良かったぜ」
「今のがヤキモチかァ? 気になっただけじゃねェか」
「そこから覚えていくんだよ、伊黒並の嫉妬心をな」
「順序おかしいんじゃねェかァ」
 普通は彼女がいたらすでに嫉妬心や独占欲も会得していると思うが、最初は自分の気持ちを告白しただけだったそうではないか。錆兎の助言でどうにかお付き合いが始まったらしい。その辺り胡蝶も少しずれているようだった。口下手な冨岡から苦労して聞き出した時は、年頃の男女がそれで良いのかと思ったものだ。まああっちは箱入り娘だろうから、思いつかなくても無理はないとかろうじて思う。似た者同士でお似合いなのではないだろうか。
 教室に戻り一人でいた伊黒に近寄った。相変わらず人を刺せそうな視線を寄越している。
「甘露寺の件だが、伊黒が心配することは何もなかった」
 そりゃあな。あったらこっちもびっくりするわ。宇髄は少しも改善されない冨岡の言葉選びに呆れ果てる。
「何かあってたまるか! 貴様が甘露寺に何かするなどとは思っていないが、今後甘露寺と話すのも近づくのも禁止だ」
 伊黒もある程度冨岡のことを知っているせいで、こいつが本当に甘露寺にちょっかいを出すなどとは思っていないようだった。単純に甘露寺と一緒にいたことに嫉妬丸出しで怒っているだけだ。こっちはこっちで極端に独占欲が強い。付き合ってもいないくせに。
「……胡蝶を介せば良いのか?」
「む。まあそうだな。それなら貴様と話すこともないだろうからそれで良い。いや待て、まだ何か接触を試みる気か」
「いやもう良いだろ、噂の逢引だって本当は胡蝶いたんだしよ。そこは大目に見てやれよ」
「宇髄、貴様妙に冨岡の肩を持つな。貴様も何かしているのか」
「してねーわ! つうか俺は甘露寺はタイプでもねえしノーカンで良いだろ」
「あんなに愛らしい甘露寺をタイプじゃないとは貴様節穴か!」
「面倒くせーなこいつも冨岡も!」
 首を突っ込むとろくなことにならない。特に色恋を含めた男女の関係は。
 さっさと自席に戻って我関せずの態度を取った不死川を恨めしく睨みながら、面倒くさい奴ツートップに関わったことを宇髄は心底後悔した。