ホワイトデー しのぶ

「ありがとう二人とも。ここのプリン美味しいんだよね」
 差し出された紙袋の中には有名菓子店のプリンが二つ入っていた。真菰は以前しのぶと二人で食べたいと言っていたものをリクエストしたらしく、しのぶは礼を告げて、有り難くビン型のプリンを取り出した。
 それとは別に錆兎の個人的な興味で購入したらしいものは、見た目は完全に蕎麦にしか見えないが、れっきとしたスイーツなのだという。錆兎はよくこういった風変わりなものを好んで選ぶらしく、真面目にプレゼントを渡す時などは絶対に自分で選ばないようにしているのだそうだ。
「でも凄いですねこれ。蕎麦にしか見えません」
「そうだろう! 他にも魚の形のチョコレートとか丼とか色々あったんだ」
「錆兎の好みのやつがいっぱいあったんだね」
「来年はそれで良いか?」
「どんだけ勧めたいの。私は好きだけど」
「ふふ。私もこういう変わったものは好きですよ」
 楽しそうに笑う錆兎はいつもより幼く見えて微笑ましく感じる。しのぶという真菰と冨岡以外の肯定派がいたことに喜んでいるのだそうだ。
 プリンは家に帰ってから食べるとして、すでに箱を開けている蕎麦スイーツへ包丁を入れる。取り分けて慎重にスプーンを口へ運ぶと、控えめな甘さが咥内に広がった。
「わ、美味しい! モンブランだ」
「本当。これクリームなんですね」
 しのぶと真菰の言葉に満足したのか、錆兎も食べながら頷く。見た目に騙されそうになるが、まごうことなくスイーツの味だった。
「今回は成功だろう」
「私はいつも成功だと思ってるけど……ペン立てまだ使ってるよ」
「ペン立て?」
 頬を染めて真菰に捨てろと言う錆兎を無視して、真菰はしのぶに教えてくれた。
 小学生の時の錆兎からの誕生日プレゼントは魚の頭部を模したペン立てだったらしく、大きく開いた口にペンを差していくものだそうだ。精巧に作られたペン立ては、誕生日会に参加していた女子たちから悲鳴が上がり、男子たちは大盛り上がりだったらしい。
「それはなかなかチャレンジャーですね。女の子は魚を触れない子もいますし、本物そっくりなら怖がっても仕方ないかも知れません」
「魚美味しいのにねえ」
 少々ずれた真菰の相槌に笑みを返しながら、項垂れた錆兎の旋毛を眺めた。正直しのぶも魚のペン立ては素直に喜べないと思うが、貰った真菰が喜んでいるのなら問題ないだろう。
「次は何くれるんだろうってわくわくしてたのに、錆兎ってば次の年から義勇と二人で選ぶようになっちゃってさ」
「あら、それは残念ですね」
「うん。錆兎のプレゼント楽しみだったから、結構ショックだったなあ。あの時から蔦子姉さんにも選ばなくなったしね」
 真面目に選んだプレゼントに悲鳴を上げられては、幼心にショックを受けただろう。子供とは残酷なもので、誰を責めることもできないが。
 スイーツを食べ終わり、帰り支度をして四人で道場を出た。帰り道とは反対側にあるレンタルショップに用があると言い、錆兎と真菰二人はしのぶたちとは別方向へと向かって行った。
「胡蝶」
 目の前に差し出された小さな紙袋に目線を合わせる。シンプルなロゴが真ん中に印字されていた。
「チョコレートありがとう。これはお返しだ」
 しのぶは瞬きして心中で冨岡の言葉を反芻した。少しは期待をしていたものの、実際に渡されると理解するのに時間を要してしまった。
「あ、いえ。そんな、ありがとうございます」
「俺は胡蝶が好きだ。返事がほしいわけじゃないから、何も言わなくて良い。友達で充分嬉しいから、これからも仲良くしてくれると有難い」
 紙袋を受け取って眺めていたら、冨岡の声が耳に入ってきた。返事。友達。仲良く。段々しのぶの意識が聞こえてきた言葉の意味を理解し始める。
「……え?」
「俺は口下手だから上手く言えないが、こういうのは初めてだから」
「は、え? ……そ、れは、そういう、意味の……?」
 じわじわと頬に熱が集まっていくのがわかった。紙袋から視線を上げると、柔らかく笑みを見せる冨岡が目に映る。少しだけ頬に赤みが差していた。
「ああ。好きだ」
 殴られたような衝撃が体中に響く。今にも心臓が胸を突き破ってきそうなほど暴れ回っている。頬どころか顔、いや体全体が熱い。好き。冨岡がしのぶを。そういうとは、どうやら恋愛対象として。
「困らせるつもりはない。俺が言いたかっただけだから、気にしなくて良い」
 胡蝶が何かを言う必要はない。一言付け足して冨岡は肩に掛けた鞄を持ち直し、足を踏み出した。思考が追いつかずしのぶは固まってしまった。
 だが、そんなことをしていては冨岡はこのまま帰ってしまう。思考はまとまっていないが、とにかく引き止めるためにしのぶは口を開いた。
「………っ、待ってください!」
 悲壮感すら漂っていたのではないかと後になって思う。必死に絞り出した言葉に冨岡は振り向いた。最初は引き止めてもなかなか立ち止まってくれなかったことを思うと大した進歩だろう。
「何で答えを言わせてくれないんですか。私、私だってずっと好きなんです。特別なんです。当たり前でしょう、あんなふうに助けてもらって、中身を知っていって、特別にならない筈がないじゃないですか。こ、困るなんて、そんな筈がないじゃないですか」
 しのぶの視界がぼやけ始めた。感情が昂ぶっているせいか声も震えている。そのまま口を開けていれば嗚咽まで漏れてしまいそうで、しのぶは必死に呼吸をした。
「何で泣くんだ」
「それ、は、冨岡さんが、」
 頬を伝うのが涙であることに、冨岡の言葉でようやく気づいた。そんなことはこちらが聞きたい。何で好きだと言われただけで、しのぶ自身の気持ちを口にしようとするだけで、こんなにも色んなものを揺さぶられるのか。
「帰ろうとする、から。私は言いたいのに」
「す、すまない」
 おろおろと困っている気配がする。涙が溢れ出した目元を手の甲で拭うものの、止まる様子もなかった。我ながらまるで幼い子供のような泣き方だ。
 手に何か柔らかいものが当たる感触がして、しのぶは瞬きをして過剰に溜まる涙を追い出し目を向けた。困ったように眉尻を下げた冨岡がハンカチを差し出していた。鼻でもかんでやれば良いだろうかとひっそりと考える。
 受け取ったハンカチで目元を押さえ、深呼吸をして落ち着かせる。顔を隠したまましのぶは震える声で呟くように口にした。
「あなたが好きです」
 バレンタインにも伝えられなかった言葉だった。幼馴染三人が仲良くしている様子は微笑ましくて、見ているだけで良いと思っていたのも本当だ。いつか言える日が来るだろうかとぼんやり考えていただけの、憧れのような言葉だった。
「……ありがとう」
 ハンカチをずらして正面へ目を向けると、一層嬉しそうに笑う冨岡の姿が見えた。