バレンタイン 義勇
「お帰り義勇。今年も凄かったのねえ」
部屋のドアが開き、家に帰って来ていた義勇へ姉の蔦子が声を掛けた。勉強机に置きっぱなしにしていた紙袋を目にしたのだろう。袋の中身はチョコレートが満杯に詰まっている。
蔦子は小さな袋を義勇へ手渡した。有名店のクッキーが一枚包まれている。
「皆金曜日にくれたのね。毎年いっぱい貰ってくるから、姉さんいつも何を渡すか迷っちゃうわ。はい」
「ありがとう」
毎年ホワイトデーは姉に協力してもらって返しているのだが、紙袋に入っている色とりどりの包装を見ると、個包装のお菓子を配ってお返しと言い張るのも少々心苦しいものがある。特別じゃないなら一律にしなければ、と姉は言っていたが。
「真菰たちのケーキが美味しかった。じゃんけん負けたから持って帰って来られなかったけど」
「あら、それは残念ね。今年は何だったの?」
「チョコレートの……チーズケーキと言ってた」
ふわっとした口当たりのケーキだった。伝えると蔦子はすぐにどんなものか想像できたようで、良いわねえ、と羨ましそうに呟いた。
「義勇、何だか嬉しそうね。そんなに美味しかった?」
「それもある」
どうやら頬が緩んでいたらしく、蔦子に気づかれてしまった。真菰たちのケーキは確かに美味しかったけれど、それだけではないことは自覚していた。
「ふうん? バレンタインだもんね、貰えて嬉しい子でもいた?」
「……うん」
「あら、そうなの! 良かったわね」
走り去って行った後ろ姿を思い出す。辺りは暗くなっていて、駅まで送ろうかと口にする前に駆け出していた。走って帰りますから! と捨て台詞のように叫ばれては追いかけるのも戸惑われた。おかげでしばし道場の前で茫然と立ち竦んでしまった。
普段のお礼だと箱を渡されて、義勇は感謝の言葉を口にした。胡蝶は一瞬驚いた顔をした後、頬を染めて笑顔を見せた。義勇は思わず瞬きして胡蝶の顔を見つめた。
この笑顔に見覚えがあった。初詣のカウントダウンの時に見た、胡蝶の周りがきらきらと煌めいているような、一度見たら忘れられないような、印象深い笑顔だった。
脳裏に思い浮かべるだけで笑みが溢れるほどの。
「……熱い」
去って行った方向へ顔を向けながら呟く。外気に晒されているにも関わらず、耳まで熱を帯びていた。
たぶんこれは、真菰に対する感情とは違う。
家に帰ってベッドに寝転び一息吐いてから、ぼんやりと思考を動かした。義勇の鞄のなかからラッピングされた箱が見えている。リボンと箱の間に小さなメッセージカードが挟まれていた。
いつもありがとうございます。そう書かれたカードを眺め義勇は思い起こした。正直道場を紹介して以降は世話をした覚えはない。どちらかといえば窘められる頻度が増えていた気がするのだが、まあそこはありがたく受け取っておくことにする。部屋に一人しかいない為、義勇の緩んだ口元を気にする者もいなかった。リボンを解いて箱を開ける。なかに被せられたシートの上にシールが貼られていた。慎重にシールを剝がしてシートを捲ると、きっちりと敷き詰められたチョコレートが見えた。
確か、生チョコというやつだ。宇髄が開けていた箱に似た形のものが入っていた。あちらは既製品だったらしいが、見劣りしていないように見える。
お世話になりましたから、いつものお礼です。味見はしましたし不味くはないと思います。お口に合わなければすぐ捨てて下さいね。冨岡さんは貰い物は無理して食べそうですから。
眉をつり上げていたはずが、言い募るうちに段々とハの字になっていった。胡蝶の眉の動きを見つめながら頷いて、胸元に押し付けられていた箱を手に取ってからありがとうと呟いた。
そんなに心配しなくとも、真菰と作ったというケーキは美味しかった。味について心配する必要はないだろう。それに胡蝶から貰ったものを捨てたりなんてしない。大事な友達からの贈り物なのだから。
いや、友達だからだけじゃない。義勇はこの感情が何であるか勘付いていた。宇髄あたりが耳にすればやっとかよ、とでも言いそうなくらい、思い返すと早い段階で意識していたように思う。自覚するのはこれほど時間がかかるものらしい。自分だけかも知れないが。
世の男子たちがこぞってそわそわとする様子を眺めているばかりだったが、ようやく気持ちが理解できた。
ただのお礼だとしても、これほど心が浮足立っている。
きっとこれが恋なのだろう。