初詣
「うわー、寒い! 雪積もってるよ」
「人も多いな。はぐれるなよ」
道場から歩いて行ける距離にある寺院は比較的有名で、イベントがない時も人が訪れているらしい。初詣などといった一年に一度の機会は人がごった返し、満員電車と似た密度になる。
境内は既に長蛇の列ができており、四人は白い息を吐きながら最後尾に並んだ。
「しのぶちゃん、お泊りするのご両親に何も言われなかった?」
「大丈夫ですよ。両親はちゃんと言っておけばその辺り好きにさせてくれますから。学校のほうが厳しいというか」
初詣の後は真菰の家に泊まることになっていると、真菰ははしゃぎながら教えてくれた。遊びに出掛ける女友達はいても、家に泊めるほど仲の良い女子はおらず、初めての経験だと浮かれていた。
「こんな時間に外に出ることがなかったので、ちょっとわくわくしますね」
「楽しいよね、カナエちゃん来られないの残念だったなあ」
胡蝶カナエは元旦の朝一から予定があるらしく、心底残念そうに誘いを断っていた。楽しんでおいでと妹へ声を掛け、今回は不参加となった。来年こそは、と意気込む真菰にカナエは力強く頷いていた。
「夏祭りは日付け変わるまでいたりしないもんね。来年は夏祭り行こうよ! しのぶちゃん家の近くで大きな花火大会あるんでしょ?」
「ええ、音が聞こえてきますよ。うちにも泊まりに来てください。両親も喜びますし」
行く! と元気良く返事をして、真菰と胡蝶が笑い合った。
「なあ、腹減らないか? 露店があるから何か買ってくるぞ」
「あ、私フランクフルト食べたい! 私も行くよ。しのぶちゃんは何かある?」
「ええと、じゃあベビーカステラで」
錆兎が義勇にリクエストを聞いて行列から離れた。手を振る二人に振り返して、見渡す限り人の波である境内を眺めて息を吐く。
視界の左下からも白い息が見え、視線を向けると寒そうに両手に息を吹きかけていた。天気予報では昨日より冷え込むと言っていたが、手袋を持って来ていないらしい。
手袋、と考えながらポケットを探るも、どうやら義勇も道場に忘れて来たようだった。何の為に家から持ち出したのやら、と己のうっかりに溜息を吐きたくなった。
懐に忍ばせていたカイロを取り出し、胡蝶の顔の前に見せる。ぱちり。音が聞こえそうな瞬きを一つした。
「寒いんだろう。使うと良い」
「あ……すみません。ありがとうございます」
何かを言う前に胡蝶の手にカイロを握らせ、義勇はマフラーに口元を埋めた。燈籠の明かりは少々薄暗いが、胡蝶は頬も指も赤くなっているように見えた。
義勇自身も寒さに強いわけではないが、胡蝶を見ていると痛そうにも見えてくる。カイロで少しはましになるだろうか。
「人が少なかったらもっと寒いんでしょうね」
手でカイロを揉みほぐしながら、暖を取ろうと頬に当てている。人混みを恋しく思うとは、と苦笑いをしていた。
「はい、ありがとうございます。だいぶましになりました」
「いや、胡蝶が持ってれば良い」
「でも冨岡さんも寒いでしょう? カイロなんて準備万端で」
「胡蝶を見ていると余計寒くなる」
「………、それはすみません。ではお言葉に甘えてもう少しお借りします」
一瞬ぴたりと固まった後、胡蝶はじとりと視線を向けてカイロを両手で擦り始めた。
確かに寒さに強くはないが、男女で体感温度が違うということをどこかで聞いたことがある。姉の蔦子が寒がりだからカイロを渡され有難く持ってきていたが、恐らく胡蝶のほうが外の寒さは堪えるのだろう。
何か温かい飲み物でも頼むべきだった。真菰なら気づいて買って来てくれるだろうか。見るかはわからないがメッセージを送っておくべきか。少し考え、義勇はスマートフォンを取り出した。
「遅いですねえ、二人とも」
胡蝶が話しかける内容にぽつりぽつりと返事をしながら、露店を見に行った二人を待っていた。
手で弄んでいたカイロが冷えてきたらしく、胡蝶はポケットへと突っ込んで片手だけを温めていた。時間を確認すると、錆兎と真菰が行列から離れて三十分は経っていた。除夜の鐘は既に聞こえ始めている。
義勇がポケットを探り始めると、振動が手に伝わってきた。長い振動は通話を示している。画面を見ると錆兎からだった。
『すまん義勇。屋台を眺めてたらかなり離れてしまったみたいで、しかも人が増えて身動きが取れん。あと途中で宇髄に会った』
『ごめーん義勇』
通話の奥で真菰の謝る声が聞こえる。戻る努力はするがカウントダウンには間に合わないかも知れないと錆兎が言った。
『よお冨岡。お前賽銭の列並んでんだろ? 後回しにしてこっち来るか?』
「どこにいるんだお前たちは」
『どこだろうな。おでんののぼり見えねえ?』
錆兎から電話を代わったのか、宇髄の声が端末から聞こえてきた。周りを見渡してみてもおでんの文字は見えない。
『まじかー。もうあと十五分くらいで年明けるもんなあ。そっち何人いんだよ』
「二人だ。俺と胡蝶がいる」
『胡蝶? ……ああ、あのお嬢様ね。どうするよ、参拝終わってから合流すんのか?』
宇髄の言葉に義勇は端末を下ろし、胡蝶へどうするかと問いかけた。外で冷え切っているのだろう、頬と鼻が赤く見えた。
「私はどちらでも。年が明けるまで列は動かないでしょうし、移動しても途中で年を越しそうですし」
目印が見当たらない以上、年越しまでに合流できる見込みは少ない。人混みが動くまで待機して、参拝を済ませてから錆兎たちを探すのが一番だろうか。
「寒くはないのか?」
体を動かして寒さを誤魔化す手もあるが、錆兎は身動きが取れないと言っていたのを思い出した。とはいえこの待ち時間が苦痛になるのは忍びないからと質問すると、胡蝶は瞬きをした後、義勇へ笑顔を向けた。カイロもあるから大丈夫だと口にした。
「そうか」
端末を耳に当てて通話を再開する。こちらは参拝を済ませてから合流すると宇髄へ伝えた。
『おーそうかい。じゃおみくじのところで待っとけよ。あ、これもしかして賽銭の列? 最後尾?』
途中から誰かと会話をしだしたのか、通話音に雑音が増え声が少し遠くなった。待っとけよとは、と義勇は首を傾げる。
「お前も合流するのか」
『いいだろ別によ。ついでに飯でも食いに行くか?』
「好きにしろ。任せる」
『オッケー。じゃーな、良いお年をー』
良いお年を。一言返して通話は途切れた。不思議そうに眺めていた胡蝶へ宇髄の話を手短に伝えると、納得したように頷いた。
「錆兎さんたちは並び直しなんですねえ」
「身動きが取れないと言っていた。ここまで戻るのは難しいのだろう」
成程。胡蝶は呟いて温もりが回復したらしいカイロを取り出した。結局小腹を満たすことも温かい飲み物も飲めずじまいである。義勇は我慢出来ないわけではないが、先程から胡蝶は少し震えているように見えた。
「冨岡さん、寒くありません? カイロ温かいですよ」
それはそうだろう。先程までポケットに忍ばせていたのだから、使用時間が過ぎるまでは温かさが持続するはずだ。ほらほら、と視界の端で揺らされるカイロが目障りだった。
顔の近くで見せびらかす胡蝶の手を掴み、視界に映らないようにするつもりで胡蝶の手ごと腕を下ろした。義勇と胡蝶の手のひらの間にカイロが挟まった状態になっている。胡蝶の言うとおりカイロは温かく、巻き込んで繋いだ手は小さく冷たかった。
「まだ寒いのか。頬の赤みが引いていない」
「なん、でもありません! カイロのおかげで寒くもないですから!」
新年まで残り五分を切った頃、手の間にあったカイロが熱くなりすぎて火傷をしそうになってきた。熱いと呟いて、落とさないよう気をつけて手を離すと、そりゃそうでしょうと胡蝶は口にした。
「手に持っていると冷えてくるのに……」
「外気に晒されていないからでしょう。密封したようなものじゃないですか」
そうか。ポケットの中と似たようなことになったのだろう。義勇は胡蝶の言葉に納得し、カイロを挟んで両手のひらを組めば良いのではないかと考えた。ポケットでは片方しか温かくならないのだし。それを伝えてみると胡蝶は大変微妙そうな顔をしたが、その後は仕方ないとでも言いたげな苦笑いを見せた。
周辺の人混みがざわめき出し、カウントダウンを始める声が聞こえてくる。義勇たち二人を挟んで前後のグループの声が重なり合う。
叫んでいる数字がゼロに近づいていく。年が明ける。
「冨岡さん」
時間を確認するまでもなく、そこかしこで新年を祝う声が上がって周囲が年が明けたことを喜び始める。隣から控えめに腕を引かれて名前を呼ばれた。
「明けましておめでとうございます。去年は本当にお世話になりました。今年も、よろしくお願いしますね」
胡蝶の笑顔は見慣れているはずなのに、何故か初めて見たような気分になった。薄暗い景色のなか胡蝶の周りだけが明るくなっているように見えて、笑顔が妙にはっきりと目に映った。
「明けましておめでとう」
今年もよろしく。今のは一体何だったのかと疑問を浮かべながら、半ば無意識に言葉にした挨拶を聞いて、胡蝶は嬉しそうに笑みを深めた。
賽銭を済ませ宇髄が言っていた寺務所付近へと移動し、おみくじを引いて錆兎たちを待つことにした。飯がどうのとも言っていたし、とりあえず甘酒で冷えと空腹を誤魔化すことにした。
しばらく待っていると、離れた位置に見慣れた顔がこちらへ向かっているのが見えた。人混みから頭一つ飛び出ている宇髄だった。
「宇髄が見えた。錆兎たちも近くにいるだろう」
「ああ、ようやく合流ですね」
飲み終えた甘酒のカップをごみ箱へと放り込み、こちらに気づいたらしい宇髄が手を振るのが見えた。人混みを押し退けて無理やり通ってくる。
「よおよお、おめっとさん! いや、派手に人多いな」
「義勇、しのぶちゃんごめんね! 明けましておめでとう! はいこれ」
宇髄たちの背後から姿を見せた真菰は、挨拶とともに何かを差し出してきた。胡蝶へベビーカステラと、義勇には数本食べた後らしき焼鳥の紙皿だった。二本ほど残っている。
「五本入りだったんだ。俺は二本食べた」
「私一本もらっちゃった。冷えきっちゃったんだけどどうする? 後で温かいもの食べるなら私が食べるよ」
これから宇髄とその彼女とともにどこかの店で日の出まで粘るという。空腹に負け冷たい焼鳥の串を一口食べた。
「しのぶちゃんは日の出まで大丈夫? 並んでる間も寒かったでしょ」
「ええ、大丈夫ですよ。寒さも何とか」
「本当? じゃあ初日の出見に行こうよ。まだまだ時間あるし寒いから深夜営業のお店で時間潰すんだって」
頷いた胡蝶を眺めてから、真菰は行くぞ、と先頭を進み出した宇髄の後ろについていった。食べ終えた皿と串をごみ箱へと捨てて、人混みのなかへ足を踏み入れた。背中から引っ張られる感覚に振り向くと、苦笑いを浮かべた胡蝶が裾を掴んでいた。
「すみません……はぐれてしまいそうで」
「ああ。手を貸せ」
この人混みではまたはぐれる可能性は充分ある。納得した義勇は心許ない服の裾よりも手を掴んでおけばそうそうはぐれないだろうと考えた。裾を掴む柔らかい手を手探りで捕まえ、そのまま人混みへと入り込んで行く。
「あ、義勇たちも出て来たね」
真菰の声が聞こえ、先に義勇が人混みを抜けて手を引っ張ると、釣られるように胡蝶も飛び出して来た。ぽかんとした顔がこちらを向いていることに気づいたが、とりあえず胡蝶へ大丈夫かと声を掛けた。
「まだ手が冷たい」
「……それはそうですよ。冬ですから」
先程よりも頬が赤い気がしたが、胡蝶は俯いたまま呟いたのではっきりとは見えなかった。
「お前な……いや、まあ良いわ。さっさと屋内入ろうぜ」
宇髄が何か言おうと話しかけたものの、曖昧に切り上げて彼女を連れて歩いて行った。