幼馴染・錆兎
朝の通学中に女の子と親しく話しているのを見かける。あれはひょっとして冨岡の彼女だろうか。知っているなら教えてほしい。
下駄箱で突然質問された錆兎は、詰め寄って来た女子二人をただ眺めた。
義勇に彼女ができたなどという話は聞いていない。が、心当たりがないわけではない。とはいえ素直に口にするのはプライバシー的なものをあれやこれやと考えると躊躇してしまう。何せ女子二人は話したこともない、学年もわからない者たちだった。
「本人に聞けば良いだろう」
話しかけづらい、と理解し難い理由を述べた女子の横を通り抜け、錆兎は教室へと向かった。話しかけづらいなら彼女がいるかどうかなど知らなくとも問題ないだろうに。後ろをついてきていた女子二人は錆兎とは違う教室へ入って行った。
「おはよう」
クラスメートに挨拶をして、錆兎は自席へ鞄を置いた。前の席に座っていた生徒が挨拶を返してきた。
「よお、機嫌悪いな。何かあったか?」
「別に、何かあったわけじゃないんだが」
気の良い友人である宇髄は、人の表情や纏う空気に敏感だった。錆兎がいつもより憮然としていることに気がついたらしく、彼らしく問いかけてきた。
「ふうん、なら良いけどよ。お前世界史の課題やってきただろ? ちょっと見せてくれよ」
早々に話題を切り替えて話しかける宇髄は、錆兎の心情を何か汲み取ったのかもしれない。
こうして他人の踏み込まれたくない領域に、迂闊に触れてこない宇髄の存在は有難かった。時折面白さを求めてとんでもないことを仕出かすものの、基本的に宇髄は付き合いやすい友人だ。馬鹿をやっている様子を眺めているのは錆兎にとっても楽しいものだった。
「おはよう」
義勇が教室に入って来て錆兎と宇髄に挨拶をした。斜め前の席へと座り、ホームルームの準備を始める。少し離れた位置にいたクラスの女子生徒が義勇へと近づいていく。
「おはよう冨岡くん。何か他のクラスで聞いたんだけど、冨岡くんて彼女できたの?」
朝の女子生徒二人とは違い、クラスメートである女子は義勇の人となりを知っている。そのせいか性格かまでは判断できるほど仲が良いわけではなかったが、本人にずばり聞いてくるあたり、錆兎は彼女に好感を持った。
「できてない」
「そうなんだ? 何か電車で女の子と仲良さそうにしてたって噂になってるよ」
困ったような嫌そうな顰めっ面を披露して、義勇は友達だと答えた。やはりそれが原因で噂が立ったのかと錆兎は考えた。
義勇が否定したことで納得したのか、クラスの女子は急にごめんね、と謝って席を離れて行った。
「お前が機嫌悪かったのってそれ?」
勘付いたらしい宇髄が問いかけた。義勇も錆兎へ視線を寄越す。
「話したこともない女子が俺に聞いてきたからな。知りたいなら本人に聞けと言ったんだが」
「物好きは減らねえよなあ、まあ野次馬だと思って放っとけよ」
「わかってるよ」
義勇が電車で話している女子というのは、錆兎も知っている道場の門下生だ。真菰が随分懐いているし、錆兎自身も良い子だと思っている。見た目が随分華やかで、今まで色々と大変だったらしいことは聞いている。
文化祭に来た時も男子生徒に囲まれていた時があったし、打ち上げに誘おうとしたのは宇髄だった。綺麗どころが増えれば男子も喜ぶだろ、と軽い考えで提案したようで、断られてもそうかで済ます程度のノリだったが。
とはいえ軽いノリだったのは宇髄だけで、打ち上げに来たクラスの男子はこぞってがっかりしていた。あの美人姉妹とお近づきになれると期待していた者は多かったらしい。
にこにこと笑って、良い匂いがして可愛くて、大人しそうで守ってあげたくなるような清純派の姉妹だと、男子は夢見心地で呟いていた。
実際は姉妹のうち妹は道場で合気道を習い、自分の身どころか姉すら守りたくて通い出したと聞いているので、錆兎は彼らの印象はまさに見た目だけなのでは、と思う他なかった。
案外きっぱりしていて、物申すことも少なくない。最近は真菰に技を受けてもらうようにもなっている。
「……て、電車の女子ってもしかして文化祭に来た姉妹?」
「ああ。妹のほうだが」
ほおー、と感心したような声を上げ、宇髄は楽しそうに笑った。仲良くて何より、と口にした宇髄に向かって、仲良しという単語に義勇はふふんと笑みを向けた。
「満員電車に慣れたいらしく、俺と同じ時間の電車に変えた」
義勇と彼女が出会ったのが満員電車の通学時間のことだった。例の出来事で満員電車が怖くなり、しばらく姉と同じ早い時間に乗っていたそうなのだが、誰かと同じ電車ならば怖くないのではないか、と試験的に乗車時間を戻すと言っていたことを思い出した。
「冨岡さんが降りた後は人も減りますから、一駅くらいなら一人で大丈夫そうですし。もし良ければ協力していただけないかと」
「構わないが」
「良いんですか?」
「同じ方面だし俺は時間を変えない」
普段と同じだ、と義勇が口にした後、彼女は嬉しそうにお礼を言った。
「時間を合わせて通学……友達らしくて良いな」
「そうですね」
なんと言い表せば良いのか、錆兎はわからなかった。嬉しそうだった彼女の顔は確かに笑っていたのだが、ほんの少しだけ翳りがあったような気がしたのだ。
錆兎は宇髄ほど人の機微に聡くはない。だがさすがに毎週顔を合わせる友達の表情くらいは何となくわかる。錆兎の見解という名のフィルターが掛かっているからかも知れないが、彼女は確かにがっかりしたように見えたのだ。義勇が口にした友達という単語に。
錆兎は彼女が義勇を好いているのだと考えていた。鈍感というほどでもないとは思っているが、それほど聡くない錆兎ですらそう考えるほど彼女はわかりやすかった。
錆兎ら三人と仲の良い彼女が義勇を好きだと勘付いた時、錆兎はすんなりと納得した。何なら早く纏まらないだろうかとそわそわしてしまったほどだ。義勇の恋愛偏差値とやらを考えると、ある程度の時間がかかることが予想されたのだが。
とはいえ義勇も彼女を随分好いていると思う。真菰以外の女子とは距離を置いていた義勇が、成り行きとはいえ女の子と知り合いになった。錆兎は身をもって知っている。義勇は友達になった者を邪険にはしない。ちょっと口下手が過ぎて失敗することはあるけれど。
たとえ彼女の気持ちが友情なのだとしても、周りが騒いで二人の関係がぎくしゃくしてはいけない。散々面倒なことになっていた今までのことを思い返すと、詮索などせず放っておいてくれないだろうかと思うのだ。
周りの邪推に良かったことなど一度もない。錆兎自身真菰を巡って色々と言われた経験がある。義勇が彼女を好きになれば良いとは思うが、わざわざ急かすような無粋なことはしたくなかった。二人のペースで仲を深めればいい。それで友達のまま歳をとったとしても、錆兎にとっては構わなかった。