黙ってることに決まりました

「わざわざ会を開いてもらって申し訳ない!」
「別にいつもの三人だし、冨岡んとこの繁忙期終わったし、打ち上げも兼ねてな」
 数ヶ月の長期出張から戻ってきた煉獄は、すでに部署内で飲み会は開いてもらっていたのだと笑った。出張から煉獄が戻って来た時には義勇の部署が繁忙期に入っており、こうして宇髄と三人で飲むのは久しぶりだった。
「俺の結婚祝いも兼ねてるからな」
「店に着く前にそれを言われて非常に驚いたぞ! もう少し早めに教えてくれ」
「一応総務に報告してんのにあんまり広まってなかったな。おっかしいなあ、俺様の噂とか全社にまわるべきなのによ」
 宇髄の噂は基本的にどこでも様々なものがまわっているらしいが、今回はあまり広まらなかったようだった。本人のいうとおり色男なのだから全員知っていても良いものだが、結婚という言葉に事実を受け入れたくない女性陣が口を噤んでいたのではないかと宇髄は予想した。成程、宇髄ならばそういうこともあるのだろう。
「総務の世話焼き爺婆どもからの見合い攻撃もこれで終わりだな。もっと良いところのお嬢さんと結婚しろとか、失礼な奴らだよ本当に」
「きみそんなこと言われてたのか」
「役職付きの独り身は大抵言われてるぜ。冨岡も例外じゃねえし、煉獄もそろそろ言われるな。まあほら、ハイエナに狩られるより育ちの良いお嬢さんと見合いしろってのはわからんでもないが、うちの雛鶴とそこらの金目当てを一緒にしてもらっちゃ困る」
「金目当てなのか?」
「見た目もありきで金目当てだな。昔あっただろ、三高ってやつ。時代によって変わるらしいが、高収入はいつでもモテるしな」
 高身長、高学歴、高収入。よくわからないがそれが世の婚活女性の目標だったそうだ。義勇も宇髄も超難関の学校出身というわけでもないので高学歴ではない。宇髄はともかく義勇と煉獄の身長は平均程度の背丈だし、収入は単に使い道がないから貯まっていくだけだった。
 最近は四低だの三生だのとあるらしいが、それの内容が何なのか義勇にはわからなかった。
「だから二十代の独身が管理職なんかになるとな、もはや獣の檻に放たれた餌なわけよ。彼女いた俺ですら別れろとかお偉いさんが言うんだぜ」
「大変だな」
「何他人事みたいに言ってんだ。次はお前が一番言われんだよ」
宇髄の人差し指が冨岡へと向けられ、煉獄が成程と頷いた。
 総務とは必要時以外に話すことはなかったが、よく考えればこちらへ戻ってからは食堂へ鉢合わせるたびに声をかけられたし、部署に来た時も何やら好みのタイプだとかを聞かれていた。見合い話があると声をかけられ、必要ないと言ってもまた間を空けて聞きにくると言って去っていく。義勇自身に興味がないので放っておいたのだが、そうするとどんどんエスカレートしていくらしい。
「冨岡みたいな面倒な奴に箱入りのお嬢さんがついていけるか? だから俺様が気を利かせて合う女紹介してやろうとしてんだよ」
「された覚えはないが……」
 紹介とか言っておきながら名前を出したのは宇髄の奥方になる雛鶴だったし、結局する気がないのだろうと少々安堵してもいた。そんなことをされては義勇としても気を遣う。正直そういった場で話を詰めることは苦手だし、義勇にとっては紹介も見合いも大した差はない。初対面は疲れるし、皆から言われるほど酷い口下手だし、相手方にも無駄な時間を過ごさせることになる。
「紹介いる? いくらでもいるけど」
「いらない」
「そう言うなって。さすがにお前が狩られるのを見てるのは寝覚めが悪いしよ」
 狩られるも何も、義勇は一応独り身というわけではない。宇髄のように結婚する前の交際中から言われるようなことがあるのなら、お偉方には全く関係ないのだろうが。
 以前はもう少し落ち着いていたはずだが、支社へ戻ってから宇髄の紹介話がやたらと持ち上がる。心配してくれているのかもしれないが、義勇にはむしろ迷惑になり得る話だった。
「煉獄に紹介しろ」
「俺は管理職ではないが?」
「まあ目はつけられてるよな。本社にもたぶん来年か再来年には行かされるだろ」
 話が脱線して安堵しつつ、義勇は宇髄の話に耳を傾ける煉獄を眺めた。
 社歴か年齢かそれとも他の何かはわからないが、役職に付ける充分な素質も実績もあるにも関わらず煉獄はまだ一般社員に甘んじている。
 そもそも義勇は管理職など自分がつくとは思っておらず、話が来た時もつい理由を問い返してしまったほどだ。未だに納得はいかないが、なってしまった以上はやる義務がある。当たり前だがただ業務をこなしているほうがよほど楽なのだが、頷いてしまったのは自分だ。至らない上司で申し訳ないが、その分部下にあまり負担はいかないよう配慮はしている。できているかはわからないが。
「一年間の本社勤務と管理職研修か。言ってくれるのならそれは喜んで受けるが、何か仕事外で色々と大変なようだからな」
「元々中間管理職なんざそんなもんよ、上から下から斜めから色んなこと言われる。ただ俺らみたいなのは更に身を固めろ攻撃が入るし、肉食獣の狩りが始まってひと息つくにも一苦労だし、社内で良い女がいるからって言い寄ってもセクハラ扱いされる」
 口につけていたグラスを下ろすことなく義勇は話を聞いていた。
 妙に耳の痛いことを口にした宇髄の話は、義勇自身も心配していたことではある。こちらに気を悪くさせるつもりは一切なかったとしても起こってしまうもの。特に役職のある者からの言動を気の弱い部下が受けて嫌悪を示せなかった場合、例えば義勇が胡蝶へ向けたものを不快だと思われている場合、それはハラスメントに該当する。
 だから義勇は自分から何か行動を起こす気などなかったのだが、やってしまったものは仕方ない。嫌われないよう気をつけるしかないのだ。
 まあ、最初から隣人だからと時間外労働を強いてしまっていたので、正直なところ今更どう言い訳しても、職権乱用だと言われたら間違いないと頷くしかできない。礼だとかついでと言って鍋を持ってきては甲斐甲斐しく食べさせてくれるし、料理は美味しいし話すのも楽しいし。いやだいぶ私的な意見が混じっているが、とにかく胡蝶が軽く頷くので甘えてしまっていたことに反省はしていた。
 嫌だと言われたらやめなければと思っていたが、恐らく未練は残っただろう。おかげで隠しきることもできなかった。
「まあでもセクハラなんてのはイケメン無罪みたいなところがある。俺らには関係ねえ話だ」
「お前のそのおめでたい頭は尊敬に値するな」
「わかってても腹立つなお前!」
 いつ見ても自信があって羨ましいし、こうあれる自分だったら良かったなどと考えながら褒めたのに、また怒られてしまった。煉獄が宇髄の肩を宥めるように叩いている。
 人によって態度を変えるのは褒められたことではないが、宇髄のような色男や煉獄のような快活とした好青年ならばセクハラが無罪となるのも納得できる。世の女性が好むような相手であれば良いということなのだろう。しっかり釘を刺されているような気分になった。

*

 付き合い始めてからというもの、しのぶは夕飯だけでなく休みの日も冨岡と食事をするようになっていた。
 いつも飲んでいたという三人で飲みに行った翌日、寝起きの冨岡に出迎えられスーパーの買い物袋をテーブルに置いて食材を片付けていると、ぼんやりと静かな声が聞こえしのぶは顔を上げた。
「隠しておくんですか」
 社内でプライベートなことは神崎としか話さないので別に冨岡との付き合いを言い触らすつもりもなかったが、しのぶのことを言いたくないのかと少々複雑になってしまった。
「……あまり気にしてなかったが、胡蝶はまだ二年目だろう」
 若い女性を唆したとか手篭めにしたとか、そういったことを思われそうだと罰が悪そうに呟いた。間違ってはいないが、と続けた冨岡に、唆したと思っているのかとしのぶは不満も忘れて吹き出しそうになった。
「唆すんですか、冨岡さんが?」
 コンプライアンスもハラスメントも気にしているのは知っていたが、しのぶは嫌なことは嫌だと伝えるし、そもそもしのぶが言い寄ってから始まったようなものだと思うのだが。互いにそういったことを考えていたというのがわかるので、個人的には嬉しいけれど。
「忠告されてるような気分になった」
 昨夜の飲み会で言われたことが気になっているらしい。何を聞いたのかと問いかけると、宇髄が上司や総務から言われていたことを教えてくれた。
 彼女がいるとわかっていても、良いところのお嬢さんとやらとの縁談を勧められていたらしい宇髄はうんざりとしていたそうだ。奥方となる女性よりももっと相応しい相手がいるだとかで見合い話を持ちかけられていたらしい。こき下ろすようなことも言われていたようで、しのぶがそういったことを言われるのは避けたいのだという。
 迷惑な話だ。結婚してしまえば鳴りを潜めるだろうと思っているようだが、もしかしたら諦めていない可能性もあるのだとか。宇髄のような男ならば縁談があるのはよくわかるが、すでに相手がいてもお構いなしの上層部に、冨岡も少々眉を顰めていた。
 まあ確かに、しのぶが何を言われるかなどは置いておいても、将来有望な若い社員が妙な女に引っかからないようにと総務も心配になるのだろう。宇髄からすれば余計な世話だっただろうし、いい迷惑でもあっただろうが。
 正直なところ、隠していても独り身と判断されていてはもっと見合い話は多そうだが、宇髄でさえ言われていたのだからしのぶの存在は抑止にはならないのだろう。文句をつけられるだけではなく、上司から言い寄られて断れなかったとしのぶが変な目で見られるようにもなるかもしれないと、冨岡としてはそちらも気になっているようだった。
 食堂での珍事を見ていた者であれば断れなかったなど思わないと思うが、冨岡はそうではないらしい。
「まあ、タイミング見てばらしたほうが驚きも大きいかもしれませんね」
 例えば結婚することになったとか。考えて少々照れてしまったが、そこでばらすなら上層部も何も言えないだろう。言わないことを祈る。例え言われても何かしら言い返すことはしのぶならできると思うし。
 黙っている間は表立って一緒にいたりもできないが、どうせ社内で顔を合わせるのは稀なのだし、今までと変わりはない。変に根掘り葉掘り聞かれてもしのぶは躱すけれど、煩わしいことは避けておきたかった。
 冨岡を狙う肉食獣から無事逃げ切ってくれるのならば、しのぶも特に文句はないのだ。
「ただ、まあ……宇髄は聡いから、ばれる可能性もある」
 釘を刺されているような、それとも面白がられているような。そんな気分で昨夜の飲み会は過ごしていたのだという。
 宇髄ならば冨岡と友人なのだから、ばれてもしのぶは問題ない。冨岡の立場的に問題なければ構わないが、やはり色々と思うことがあるらしい。
「村田さんとか宇髄さんとか、冨岡さんがよく話す人なら良いんじゃないですか? 私も特に文句はありません」
「……そうか」
「というか、そうですね。女性を紹介されても困りますし、宇髄さんには伝えては如何です? 冨岡さんも気が楽になるのでは?」
 考え込むように黙り込んだ冨岡の眉間に皺が寄った。
 しのぶは管理職の思惑などわからないが、年齢でいえば冨岡とは三つしか離れていないのだから、はっきりいって唆したとか手篭めにしたとか思われるような歳ではない。れっきとした成人女性だし、別に浮世離れしている箱入り娘というわけでもない。というかどちらかといえば浮世離れしているのは冨岡だったりするし、天然のせいで年上であってもしのぶは放っておけないのだ。
 部署と友人間でしか伝わっていない冨岡の人柄が周りに気づかれてしまえば、きっと黙っているとか無理だと思う。大っぴらに付き合っておかないと今より大変なことになりそうだ。
「……宇髄たちと村田にばれたらそのまま伝えることにする」
「そうしましょう。私もアオイには気づかれたら伝えることにします。あの子は良い子ですし、口も堅いですから」
 ぼんやりとした冨岡の目が柔らかく和み、口元を綻ばせて頷いた。
 社内で見る時の真冬の凍った水のような空気は全くなく、今は春の雪解け水のような空気が漂っている。仕事が絡まない時の冨岡は本当に穏やかで、少しばかり頬を染めてしのぶはのんびりしている冨岡を眺めた。
「セクハラはイケメン無罪らしい」
「は?」
 ひっそり和んでいたところにわけのわからない言葉で水を差され、しのぶの片眉がぴくりと動いた。
 何の話かと刺々しくなりそうな声音を落ち着かせて問いかけると、どうやら昨夜宇髄が話していた内容だったようだ。
「宇髄のような男なら女性に触れても許されるそうだ。お前もそう思うか」
「何で私にそんなこと聞くんです」
 苛立ちが立ち篭ってくるがとりあえず青筋が立ちそうになりながら笑みを向けて問いかけると、単に疑問に思ったから聞いたのだと呟いた。
 寝起きで頭が働いていないのか、それともただの天然か。どちらでも良いが普通付き合っている相手にそんなことを聞くか。聞くのか、冨岡なら。溜息を吐いて項垂れていると、困っているような気配がして顔を上げた。困惑しているのはこちらなのだが。
「人によるんじゃないですか。私はどんなイケメンだろうと好きでもない人に触られるのは嫌ですけど」
 まあ確かに、宇髄や煉獄、冨岡のような見目の良い男性に触られても許せると思っている女性がいるのは確かだし、何なら触られたい、一夜限りの関係でも結びたい者がいることも知っている。残念ながら冨岡はこのとおり無駄にセクハラにならないよう気をつけようとしているし、そんなことをしようとも考えていないと思うが。
「煉獄でもか」
「というか宇髄さんも煉獄さんも、私はさほど関わりありませんし。この顔以外に触られたくありません」
 人を指すなと教えられていても、今ばかりは人差し指を目の前の顔に突きつけてしまった。寄り目になりかけた冨岡の顔が嬉しそうに綻んでそうかと呟き、しのぶの向けた人差し指を掴んで擦った。
「え、ちょっと、何ですか」
「……いや。治ったな」
 指を切った時のことを言っていることに気づき、ああ、と相槌を打ってしのぶが指を引こうと力を込めたが、冨岡は手を離さずしのぶの指を唇へと近づけた。
「ちょっと何、やめてください」
 思い出してしまうではないか。舌の動きとか血の滲んだ唇だとか、あの時妙に色気を感じたあの空気は、何故あんな雰囲気になったのか未だに意味がわからず照れるというのに。薄っすらと跡の残る人差し指に口づけられて、歯列の奥に見えた舌が触れる前に必死に離れようとした。
「言ってることが違う」
「何が、いや今触って良いって意味じゃないですから! ご飯!」
 不満げに眉を顰めた冨岡は空腹は感じていたのか、しのぶの手を離して何を作るのか問いかけてきた。社内では有り得ないであろうよく喋り問いかける冨岡を、じとりと睨みつつしのぶは適当にと答えた。
「何でも良いんですもんね」
「ああ」
 好物は一応聞き出したが、別に食べられなくても構わないと言っていた。しのぶの作るものなら本当に何でも良いらしく、それは今も変わっていないようだった。
「もう、ゆっくりしててくださいよ。繁忙期も終わってようやく休めるんですから」
 キッチンに立ったしのぶの背後から様子を窺っている冨岡に、しのぶは少々照れながら窘めた。