裏話・実弥

「……あのよォ」
 普段よりそわそわと落ち着きがなかったことは自分でも自覚していた。唇を噛み締めたり手の置き場に困ったり、とにかく子供のように浮ついていた。不審そうに眉を顰めた冨岡に言うのは非常に不本意で仕方なかったが、こいつの知り合いでもあるのだからと我慢した。胡蝶に聞けば警戒されてしまう恐れもあったし。
「………、……胡蝶の姉さんってお前の幼馴染なんだよなァ」
「会ってなかったが。昔の知り合いという意味ならそうだ」
「あー……だよなァ。……次いつ来るとか……聞いてんのか」
「いや。連絡先は聞かれたから来る時は俺にも言うかもしれないが、………。……聞いたら伝える」
 察された。話している途中で目を瞬いて不死川の顔を見つめた冨岡は、必要以上のことを言わずに一言口にして締めた。
 元々不死川は人に何かを頼むのが苦手だった。見た目の柄の悪さで因縁をつけられることも多く、校則違反も普通にするので教員からの内申はあまり良くない。だから勉強は言われる前にしているし課題も落としたことはなく、解答を写すなどといった横着も頼んだことがなかった。頼んだのは下宿の時くらいだ。
 更に不死川は今まで気になる相手というのがいたことはなく、恐らくこれが初めての経験だ。恋愛面は殊更にどうすればいいのかさっぱりだった。
 伊黒の時といい、妙に察しの良い冨岡に嫌なのか良かったのかわからない複雑な気分になり、とりあえず相槌を打って終わらせた。
 朗らかで笑顔の印象的な美人だった。
 クラスの女子で誰が良いだとか、中高生を経験すれば一度は聞かれたことがある。ふと思いついた女子の名前を挙げたりしていると、その度面食いだとか理想が高いとか揶揄われたことも何度かある。冨岡の姉にどきまぎとしているところを宇髄に見られ、生温い笑みを向けられたことも。
 まあ、別に面食いでも良い。見た目で惹かれたところで中身の相性が良くなければどうもなりはしないはずだ。いや、性格が悪そうには到底見えなかったわけだが。
「連絡先、教えて良いか聞いたほうが良いか」
「やっ、それはァ……いらねェ」
 ひっくり返った声を上げてしまい不死川は焦ったが、冨岡は気にした様子もなくそうかと頷いて納得した。いくら冨岡の幼馴染だから、滅多にない頼み事だからといっておんぶに抱っこでは情けない。そもそもこいつはこいつで胡蝶との関係を進展させるべきであり、人に構っている暇はないはずだ。次来た時にでも自分で聞けば良い。聞き出せるかは……別としてだが。

*

 二度目に会ったのはその年の年末、年越しを狭霧荘でしたいと言っているらしいことを胡蝶から聞かされた後のことだ。半年ぶりに聞いた名前に不死川は内心で飛び上がりそうなほど狼狽していたが、何とか挙動不審程度の動きに留めることができた。
 その後はしばらく浮ついていたのだが、妙に機嫌が良いことに気づかれ少しばかり落ち着きを取り戻した。思春期のガキじゃあるまいし、羞恥で自分を殴りたい気分になっていた。
「皆さん初詣は行かれるんですか?」
「宇髄は今年は彼女と行くと言うので不参加、伊黒は甘露寺と行ってもらわなければ困る」
 菓子でもつまもうと居間のドアノブへ手をかけたところで聞こえた会話。どうやら中には冨岡と胡蝶がいるらしい。あまり意識することがなかったが、やはりここは気を利かせて離れるべきではなかろうか。冨岡も伊黒にはよく甘露寺と二人にしてやろうと行動することがあるのだし、きっと自分だって二人になりたいとも思っているのではないだろうか。
「そうですか。有名な神社に行くんですかね」
「宇髄はそうらしい。伊黒にも遠出するよう言っておく」
「ふふっ。冨岡さんて伊黒さんには結構言うんですね」
 和やかに話しているらしい。狭霧荘で二人になるところを不死川はあまり見たことがなく、今の状況も恐らく珍しいのではないかと思う。まあお互いの感情がばれてからは初心なりに頑張って仲良くしているようだが。
「……そしたら、あの、初詣、……あそこの神社に行きたいんです。付き合ってもらえませんか」
「公民館の近く?」
「はい。姉も懐かしいだろうし、三人でどうかなと」
「そうか。………、……いや、不死川も予定がなかったはずだから、不死川を連れて、……初詣は俺と二人でも構わないか」
「構うわァ!」
 聞くべきではないとその場を離れようとしたが、聞いてしまったのだから仕方ない。居間には頬を染めている胡蝶と目を丸くした冨岡がおり、衝撃に任せて邪魔をしたことには少々申し訳ないとひっそり考えていた。
 いやしかし。純粋に胡蝶と二人で過ごしたいという想いだけではないことは、想像しなくとももうわかっている。不死川のことを無駄に考えて思考を巡らせているせいだということも。そこは他意なく胡蝶だけのことを考えてやれよ、と思うのだが。
「なな、何で聞いてるんですか!?」
「偶然だよ悪ィなァ! てめェの発言でスルーし損ねたんだよォ!」
「何でお前が構うんだ。俺がそうしたいだけだが」
 嘘つけ。盛大に嘘をついた冨岡を罵倒したい気分になったが、照れて真っ赤になっている胡蝶のことを考えると否定するのは失礼過ぎる。こいつ何も考えてないと思ったのに、不死川が反論できないよう仕向けたのではないかと疑いの目を向けてしまった。
「風紀はどうしたァ」
「初詣に行くだけで風紀が乱れると本気で言ってるのか」
 そんなわけあるか。この堅物が風紀を乱すような行動を取るはずがないことくらい、誰が何を言ってこようと思わないが、すんなり納得するのは悔しかった。要らぬ気遣いをするなと小声で呟くと、本当に二人になりたいのだと少々不貞腐れた顔をしながら口にした。
「……まァ間違いがないと言い切れるかと言えばそうでもねェ気もしねェ気もしねェがよォ」
「どっちなんだ」
「不死川さんが心配するようなことはないですからっ!」
 必死になって叫ぶ胡蝶は冨岡の言葉のせいで真っ赤になりそれどころではないようで、不死川が本当は何に憤っているのかまでは考えが及んでいないらしい。いや、気づかれても困るのだが。
「何もしない」
「しねェのかよ……」
 冨岡は風紀を乱すことは絶対にしない。おかげでこの二人に反対する理由がない。ぐっと言葉に詰まり黙り始めた時、居間のドアから伊黒が現れた。
「喧しいぞ、貴様ら」
「年末に胡蝶の姉が来るが、俺は初詣は胡蝶と行ってくる。伊黒はどうするんだ」
「えっ?」
 二人で? 驚いた伊黒の目がそう問いかけているのがよくわかった。とりあえず進展を喜ぶかのように目を和ませかけた後、冨岡を不審そうに眺めた。
 恐らく何か理由があるのではないかと考えているのだろう。不死川だって伊黒の立場で突然冨岡がこんなことを言い出したら、何を考えているのかと疑ってしまうと思う。何やら考え込むように顎を手で擦っていたが、ふいに目を見張って冨岡を見た。まずい。
「……俺は甘露寺を初詣に誘う。不死川は予定がないと言ってたんだし、胡蝶の姉を接待しろ。こいつらもたまには二人にさせてやらねばならんし……デートしたのが何ヶ月も前はやり過ぎだ」
「甘露寺もあの時のようなデートをまたしたいと言ってたが」
「っだ、から初詣には行く! 何で貴様が甘露寺とそんな話をしてるのか未だに納得いかん……」
 伊黒は伊黒で普段より積極的なことを口走り、聞いていた胡蝶が落ち着きを取り戻して嬉しそうに笑った。どうやら胡蝶にも甘露寺は伊黒との仲を話しているようだ。
「貴様がそこまで言うのならさぞ素晴らしいデートプランでもあるんだろうな」
「いや、ないが……普通に初詣に行くだけ」
「今から考えろ。参拝だけして帰ってくるな。胡蝶の前で素直に白状するな!」
「いえ、私は初詣で充分なんですけど……」
 姉も来るし胡蝶自身それ以上を望んでいないようで、そもそも二人きりが想定外なのは不死川にもわかった。こっちだって想定外だ。まだ顔を合わせるのも二回目なのに、せめて冨岡と胡蝶姉妹について行くことから始めたい。いや、そもそも向こうが良いと言うかもわからないのに。
「つうか、胡蝶の姉ちゃんが嫌がったら三人で行けよなァ。俺は行く気なかったんだからよォ」
「そうなったら四人で行く。甘露寺の邪魔はさせるわけにはいかない」
「出ていかねェって言ってんのに……」
「貴様、もしかして甘露寺から何か聞いてるのか?」
「泊まりに来たいと言われてる。伊黒は狭霧荘にいるのか気にしてた」
 冨岡は甘露寺からも相談を受けていたらしく、胡蝶はようやく納得したような笑みを浮かべた。冨岡が二人きりが良いと言ったことに自分なりに理由を見つけたようだった。
 不死川と伊黒、甘露寺、そして冨岡と胡蝶の希望を加味した結果がこれなのだろう。不死川は溜息を長々と吐いた後、渋々だが了承した。上手い具合に不死川への冨岡の思惑は隠せたようだし。
「接待な。わかったよォ、ほぼ初対面みてェなもんだからつまんねェかもしれねェがな」
「姉ならたぶん大丈夫ですよ。下宿人の方々は良い人だと言ってましたから」
 ついに妹からの了解まで得られ、不死川は腹を括ることにした。勿論嫌だと言うなら二人には悪いが無理やりにでも冨岡たちについていかせるつもりである。


「しのぶ頑張ってるかなあ。もっと積極的になっても良いと思うんだけど」
「……冨岡からストップかかるから無理だろォ」
 駅前を歩きながら一言呟いたカナエの言葉に、不死川は冨岡の普段の様子を思い出して返事をした。伊黒も宇髄もあの二人が進展するのを待ち望んでいることは窺えるが、出会った頃からすでに堅物だった冨岡は、たとえ胡蝶から何を言われても風紀を乱す行動はしないと断言できる。内心穏やかでは済まないだろうが。
「堅いなあ。何でそんな……そういえば子供の頃から堅かったわ。義勇くん真っ直ぐ育っちゃったのね」
「何だそりゃ。子供の頃から風紀でも気にしてたのかァ?」
 昔の写真を嬉々として蔦子に見せてもらったことがあるが、堅物そうな印象は子供の頃にはなかったと思うが。むしろ蔦子に似た部分が今よりも全面に出ていたように感じたものだ。不死川が疑問符を浮かべたことにカナエが含み笑いをした。
「引っ越す時義勇くんにちゅーしようとしたら断られちゃったのよね」
「………!? 、あ、そォ。ふーん」
 不死川は目を剥いてカナエを凝視したが、何とか平静を装って返事をした。子供の頃の話だというし、結局断られたとかいうし、カナエの積極性にも驚いたが冨岡の堅物ぶりも驚く。ちゅーなどという行為は兎も角、子供の頃など誰にでも好きとか言う時期じゃないのか。年少だった妹がよく色んな男子に好意を向けていたのを知っている。兄としては非常に腹の立つものだったが、まあそれは今はいい。
「なんて断ったんだよォ」
「ちゅーしたら責任取らなきゃいけないって。蔦子さんから言われたらしいわ」
「あいつの堅物は蔦子さんのせいかァ……」
 姉である蔦子が言い聞かせていたのなら納得だ。剣道の影響も多分にあるだろうが、子供の頃の人格形成は家族からのものが多い。小さい頃から可愛かったと自慢を聞かされたことのある不死川としては、蔦子が冨岡を守るために言っていたのだろうと納得できるが。
「三人でずっと遊んでたし、私も義勇くんのこと好きだし、それでちゅーしようとしたら止められちゃって。だったらほっぺにしようって言ったらやっとしてくれたのよ。私が義勇くんにして、義勇くんはしのぶにしたの。内緒よ」
「……お、おォ……」
 淡い思い出が赤裸々に語られ不死川はどう反応すべきか困った。ちょっと良いなと思っているような女から冨岡との思い出を暴露され、しかも甘酸っぱい気のする昔話だ。好きってまさか、そっちの好きかァ? 伊黒と冨岡の三角関係を一瞬でも疑ったことのあった不死川は、まさかここで始まるのかと不安になった。
「えーと、……今も好きだったりすんのかァ」
「え? ………。あっ。やだ、しのぶの邪魔なんてするつもりないわよ、確かに義勇くんのことは好きだけど友達だから好きなんだし、それに昔からしのぶが好きなの知ってるもの」
 二人の仲が良いと自分も嬉しく、昔からそうだとカナエは笑った。それならまあ良いのだが、不死川がちょっかいをかけて無駄に拗れるというようなことがないのなら。
 まあ、冨岡自身は胡蝶が好きだというのだから、たとえカナエがそういう意味で冨岡を好きだったとしても気にせずいけば良いのかもしれないが。それはそれで何か癪だし気も引ける。冨岡は寡黙で堅物、今時の女が好みそうにない性格をしているものの、竹刀を持たせれば負けはしないし性格が悪いわけでもない。高校の女子は容姿も含めて冨岡を好意的に見ている者がいたし、カナエが好意を寄せるのはまあ、おかしなことでもないだろう。
「……初恋だったりしてなァ」
「ああ、まあ可愛かったし、優しかったしね。多いんじゃないかなあ、義勇くんが初恋の子は。でも私許婚の話クラスで言い触らしちゃったもの! しのぶがいるから駄目だよって言うと女の子はがっかりしてたから」
「外堀埋めてたのかよォ」
「そりゃそうよ、今でいう私の推しなの。邪魔しないでほしかったのよ」
 結局初恋だったのかそうでないのか、いまいちどちらか判断しきれず上手く誤魔化されたような気がするが、とりあえずカナエは二人を推しなのだという。その単語はファンのような意味だというのは昔クラスの誰かに聞いたことがあるが。
「不死川くんも昔の二人を見たら推しになるわよ」
「別に今も割と、」
 口元を手のひらで覆った不死川を見て、カナエは楽しそうににやりと笑みを向けた。
 推しだとかファンだとか、そういうことでは決してないが、一応友人の括りに入っている冨岡が好意を寄せて仲良くしているのだから、黙って見守ってやろうとしていたのは自覚している。不死川は冨岡並み、何ならそれ以上に恋愛などちんぷんかんぷんであり、何をアドバイスすることもできないのだから、せめて行く末を見ていてやろうとしていた。互いの性格上中々前には進んでいないけれど、それもまた微笑ましいと思えるくらいには。
「可愛いわよね」
「知らねェ」
 可愛いかは兎も角、伊黒と同様あの二人の様子は不死川の目にも好ましく映ってしまっている。二人の様子を逐一教えてほしいとスマートフォンを取り出されては、開き直って有難くあやからせてもらおうかと不死川もポケットへ手を伸ばした。