許婚と知った宇髄の話
許婚だったんかい。
冨岡が狭霧荘を引き継いで大家になると報告された時、春から新しく女子が入居するのだと鱗滝から伝えられた。
宇髄自身もこいつらも下宿人に手を出すなんてことは有り得ないが、蔦子が出ていって男所帯となった狭霧荘に、多感な時期の女子が一人で大丈夫だろうかとは思う。鱗滝のような老人ではなく全員若い男であるのだし。性格によっては色々と気を遣うことになるだろうと宇髄は考えていた。
冨岡が掃除に出たと思ったら何やら戻ってきて、後ろにいた女子を見て下宿人が来たのかと納得した。人当たりも悪くなく印象は良い。昔は近所に住んでいて狭霧荘の大家家族とは面識があり、この度入学とともに一人こちらへ戻ってきたのだという。
現れた鱗滝から驚愕の事実が言い渡された時は、宇髄すら驚いて慌ててしまったほどだ。
だってこいつは、ずっと誰の告白も受け入れていなかったはずだ。好きな人がいるとかなんとか。ふと気づいた宇髄は唸り声を漏らしそうになるのを我慢した。
成程。冨岡の好きな人というのはまず間違いなくこの女子だろう。いつものように知らん振りしてしれっとしていれば良いものを、許婚という言葉に珍しく慌てていた。三年越しに誰なのかが発覚したわけだ。頬を染めた向こうもさては意識しているように見える。
良かったなあ。女の影がない三人に呆れ、ようやく恋を自覚した伊黒を生温く見守っていたら、今度は冨岡が好きな人とやらと再会できたようだ。あとは不死川だけだが、こいつもそのうち相手が颯爽と現れるのかもしれない。何だかんだ放っておいても大丈夫そうである。
「で、お前の好きな人ってのは胡蝶のことだったってことでいいんだな」
胡蝶が部屋に行った後に一応確認してやると、長々と黙り込んでから頷いた。溜息を吐いているが認めたのは良い兆候である。何故か乗り気ではないようだが、下宿人として同じ家で寝起きするのだからそのうちどうにでもなるだろう。神妙な顔をして黙って聞いている不死川と伊黒は、質問攻めにしたいのを我慢しているような様子で唇を噛み、宇髄の問いかけにすべて任せることにしたようだった。
「親が勝手に言ってることだと言った」
「公認なら良いじゃん」
「本人の意思を尊重してやれ」
冨岡は言わずもがな、胡蝶のことはまだ予想だが、特に嫌とは思っていなさそうだった。照れが先行してか頬を染めて慌てていたが、嫌いならそんな反応にはならないだろう。好きに距離を縮めていけば良い。
「これから入学して人間関係も増える」
「目移りするって? するかあ?」
宇髄が知るだけでも告白だの何だのとあったはずで、冨岡の人となりは充分知っている。寡黙で控えめ、穏やかだが堅物。剣道と風紀に対しては口うるさいどころではないが、悪い奴ではないことはよく理解している。宇髄が好んで見てきた剣道の試合は目にも楽しく、こいつらとならば楽しめただろう、悔しさを感じることもあっただろうと思えるほどの実力がある。目移りするというのなら胡蝶はこれ以上何を求めるのか。ああ、俺のような色気とかか。なんてことを考えながら冨岡を眺めた。
「胡蝶の意思は知らねえが、お前だよお前。久しぶりに会った好きな人見てどんな気分よ」
「………」
溜息をまた吐き出して冨岡は考えるように目を瞑った。やがて開いた目が困ったように天井や室内を彷徨う。笑い出したくなるのをぐっと我慢して宇髄は頬の内側を噛んだ。
「………。……可愛い」
「ぶっは! お前そんな可愛げあったのか!」
「そんなものはない」
「いやいやわかってるって、好きな人が可愛くなって現れて困惑してんだろ。いやあ、わかるわかる。ちょっと見ないレベルの奴だもんな」
春が来たらしい。堅物の恋とやらがすんなり成就するとは思えないが、お互い意識しているのなら目はあるだろう。惜しむらくは風紀を重んじる冨岡が大家になり、勝手に雁字搦めになっていそうなことなのだが。
どうせなら部屋に引っ張り込んで既成事実、は言い過ぎだが、二人で思い出話に花を咲かせても良いだろう。許婚を置いておいても何年ぶりに会う幼馴染のことは、お互い聞いてみたいと思うだろうに。
「はァ……成程なァ。好きな奴と再会かァ」
「珍しく慌てたからまず間違いないとは思ったが。俺に言う前に貴様がしっかり実を結ぶべきじゃないのか」
「必要ない」
にべもなく言い放った冨岡は気を取り直したらしく、先程の狼狽が嘘のように平静を取り戻していた。面白かったのに残念だ。
「いずれ胡蝶にも好きな相手ができる」
それは冨岡であるべきだろうと宇髄は思う。長年好きでいた相手が現れて、冨岡の様子は浮ついていて、長い付き合いは宇髄にとってもなかなかに面白いものだった。こいつが望むなら協力してやっても良いと思うくらいには。
「そんな寂しいこと言うなよ。まあとりあえず、下宿すんだから普通に仲良くしていこうぜ」
胡蝶を想うが故にそんなことを口にしていることもわかっているが、個人的にはもっと自分を出していけと言いたい。一年しか被らなかった高校生活で、見た目や強さに寄っていく女はよく見ていた。変な女に引っかかるなと三人を少々気にかけていたことだってある。
人を見る目は養われているらしい。伊黒も冨岡も、タイプでいえばどちらの好きな相手も宇髄の好みではないが、こいつらが好きになるくらいなのだから良い女なのだろう。どうせ不死川もしれっとそう思える女を捕まえてくるはずだ。
半分は宇髄のただの願望のようなものだったが。