協力
「呼んでくるわね。座って待ってて」
「ありがとうございます!」
「義勇が女の子呼ぶの何年ぶりかしら」
すでに頻繁に通う狭霧荘、冨岡から呼ばれたのは甘露寺が差し入れしたいものがあるらしいという理由を聞いていた。
家族の意向で剣道部には入らないことを聞かされ、煉獄は非常にがっかりして肩を落としたのだが、本人が決めたことならばと諦めることにした。たまに剣道部を見に行くらしいというが、煉獄としては見るだけではなくやってもらいたい気持ちが強かった。色々悩んでのことだそうなので反対意見を押し付けることもできない。強くなった甘露寺を見てみたかったが仕方がない。
「ゼリー持ってきたんです。剣道場で渡すと部員全員に必要になるんじゃないかって不死川さんに言われて、だったら狭霧荘で渡せば良いって言ってくれて」
「冨岡が呼びつけてすまなかったな」
「いえ! 私もまた遊びに行きたいと思ってたので嬉しいです」
呼びつけるなどという伊黒の言葉に少々驚いたが、甘露寺は気にせず笑みを返した。仲良くなりたいし呼んでくれるのが嬉しいと笑う甘露寺に、伊黒は申し訳なさそうな顔をしつつもそうかと納得した。珍しい伊黒の様子にも驚いたが、冨岡も何やら珍しいことをしているようだ。そもそも女子を狭霧荘に招くということが珍しい行動なのは蔦子が呟いた言葉が物語っていた。
「最近冨岡さんと仲良いのかって聞かれることが多くて、きっと皆仲良くなりたいと思ってるんだわ。冨岡さんはあまり人と話したりしないのかしら」
「………。口下手だからな、あれに付き合えるのはよほど気の良い者しかいない。友人といえる者も少ないし」
「そうなんですか? 優しいのに。誤解されやすいのね」
見た目や強さで好意を向ける女子が多いことは知っていたが、甘露寺は冨岡の内面も含めて好意的に思っているようだ。警戒心が強く女子を嫌っている伊黒も甘露寺には優しい言葉をかけているし、良い関係を築いているらしい。確かに甘露寺は煉獄から見ても明るく可愛らしく、物怖じすることもなく身体能力も高い。笑顔で話しかけてくる甘露寺は、彼らとしても珍しい相手なのかもしれない。
「伊黒さん、こういうの大丈夫ですか? あまり食べないって聞いて大きさも考えてたんだけど、少なかったら駄目だと思って……」
手提げの箱から取り出したのはカップに入ったゼリーだった。果肉が入ってその上にも生クリームや飾りが乗せられている。店で見るようなデザートに煉獄は素直に感心した。
「凄いな! これを作ったのか?」
「よくデザート作って家で食べるんです。自分で作れば好みの味にもできるし、楽しくって」
「わあ、素敵。綺麗ね」
「……でかいな」
冨岡を連れてきた蔦子が目を輝かせ、背後から覗いた冨岡は一言呟いた。真っ赤になった甘露寺がまたやってしまったかと呻きながら小さく呟いた。
「や、やっぱり大きいんですね……伊黒さん、食べきれないなら残してください……」
蔦子に窘められている冨岡の後ろには、煉獄と同様に誘われたという不死川が立っていた。ゼリーを見て驚いていたが、目は期待に満ちている。甘いもの好きには堪らないのかもしれない。
「そんなことはしない。有難くいただこう」
今日は嫌味を口に出さない日なのか、それとも何かあったのか。不死川は驚いた目を今度は伊黒に向けていた。冨岡は気にせず蔦子に促され椅子に座り、甘露寺は伊黒の言葉に嬉しそうだった。
「余分に持ってきたので、気に入ったら食べてください!」
「甘露寺の分じゃないのか」
「わ、私は一つで良いんです!」
作った時に食べていると恥ずかしそうに告白し、甘露寺は真っ赤な頬を両手で覆った。美味しそうなのだし自分で作ったものを食べるのはおかしくないと茶を淹れたカップを配りながら蔦子が口にした。
「美味い」
口に含んで最初に感想を吐き出したのは伊黒だった。率先して感想を言うことを殆どしない伊黒がそう言うのならば、甘露寺のゼリーは伊黒の口によほど合ったのだろう。煉獄も一口食べると確かに美味かった。不安げに見ていた甘露寺が伊黒の言葉で嬉しそうに破顔した。
「伊黒、大丈夫か。食べきれないなら食べるぞ」
少食故に少々スプーンの進みが遅くなった伊黒のカップにはゼリーがまだ半分ほど残っていた。余分に持ってきてくれたらしい甘露寺がもう一つ渡してくれ、煉獄は二つを完食して落ち着いていた時のことだ。
本音を言えばまだまだ入るが、さすがにこれ以上貰うのは悪い。甘いものは不死川も好物だしよく食べるらしい甘露寺も食べたいかもしれない。二つめに手を付けたのは今のところ煉獄だけだった。
「いや、食べる。せっかく作ってくれたものを残したくない」
またも珍しい言葉が伊黒から飛び出てきた。心配そうに見る甘露寺が何かを言いたげにしている。美味しいから食べきると伝え、気を取り直して伊黒はスプーンを口に運んだ。
「今無理に腹に入れなくても、時間を空けて食べきりゃ良いじゃねェか」
「む。そうかもしれんが、目の前で食べきらないのは失礼だろう」
残すなど口に合わないと思われてしまう。苦しそうに食べるのもあまり気分は良くない気もするが、伊黒は食べきると言い張って聞かない。妙に頑固さを発揮して咀嚼している。冨岡は黙って伊黒を見ていた。
「ごめんなさい、伊黒さんの食べる量がわからなくて……」
「いや、俺が少食なのが悪いんだ。味はとても美味しいから、甘露寺の作ったものならきちんと完食したい」
目を瞬いたあと甘露寺は照れたように縮こまり、不死川は只管目を丸くして伊黒を眺めていた。差し入れなど必要ないとも貰ったものを即座に部員へ手渡すなども散々やっていたはずだが、煉獄は顎を擦りながら天井を仰ぎ見て、やがて得心がいき一つ瞬きをした。
結局伊黒は何とかゼリーを完食し、甘露寺には最後に味の感想を伝えて喜ばせていた。しっかり気合いを見せた伊黒は頑張ったと煉獄も思う。しばし雑談して夕方甘露寺はまた学校でと挨拶をして帰っていった。見送った後ろ姿は上機嫌であることがよくわかった。
「良い子だと俺も思う! 伊黒は目が確かだな!」
「うぐっ、……やめてくれ煉獄……」
「は?」
居間に戻って頭を抱えながら呟いた伊黒に不死川は疑問符を投げかけてくる。居間では蔦子が四人分の新しい茶を淹れてくれていた。
何やら悩みながら視線を彷徨わせてじとりと冨岡を睨みつけた伊黒は、やがて諦めたように大きな溜息を吐いた。
「……こいつが無駄に気を利かせて甘露寺をここに呼んだのはわかるだろう」
「いや、そりゃ冨岡が食いたかったからだろォ?」
やはりそうかと煉獄は黙って聞いていたが、どうやら煉獄と不死川の考えは違うものらしく、何かを察した不死川は眉を顰めて伊黒の言葉を待っている。カップを運んできた蔦子は何やら気づいたように含み笑いをしながら頷いていた。
「……俺は甘露寺と仲良くなりたい」
「いや、そんくらいはわかるけどよォ……」
「………、………。……俺も甘露寺と仲良くなりたい」
「それもまァわかるけど……。……まさか……さ、三角関係ってやつかァ……?」
冨岡と伊黒の言葉に神妙な顔をして身を乗り出し呟いた不死川に、蔦子は我慢できなかったのか吹き出した。窘めるように冨岡が蔦子を呼ぶと、口元を押さえて謝り、名残惜しそうにしながらも蔦子はごゆっくりと伝えて居間を出ていった。
「違う。俺は甘露寺とは友達になりたい」
「狭霧荘に来るならもう友達だろう!」
「そうか。なら俺は甘露寺の友達だ」
得意気に口にした冨岡を不審な目で眺めている不死川は、伊黒へ視線を向けて言葉を待った。不本意そうな中に照れが混じっているのが煉獄にはよくわかり、ついに伊黒にも春が来たのだと嬉しく感じてしまう。
「伊黒は恋をしたんだな」
付け足した煉獄の言葉に椅子をがたつかせて不死川は狼狽え、伊黒は煉獄にも睨みつけるように視線を向けた。冨岡は素知らぬ顔をしてカップを口に運んでいる。四人となった居間で不死川は静かに問いかけた。
「……と、冨岡の好きな奴ってのは甘露寺じゃねェの……?」
「それを気にしてたのか。違う」
冨岡の答えに大きな息を吐いて不死川がテーブルに突っ伏した。どうやら二人の関係を心底心配していたらしい。そんな不安は杞憂に終わったが。
「何だよ、びびって損したわァ。お前らどっちも他の女子と態度違うしよォ……」
「別に、俺だって仲良くなれば普通に話す」
「お前は仲良くなるまでの会話で女子が去るしなァ」
冨岡はクラスメートや甘露寺のように自然に話す間柄になれば会話をするつもりはあり、そこから仲が進展することもあるのだろうと思うが、見ず知らずの相手からの告白から恋が始まることは皆無だった。恋人という関係から始まるのが難しいのだろう。そもそも冨岡には好きな人がいるわけである。その相手のことを煉獄には何一つ教えてはくれないが。
伊黒は伊黒で女子を避けているし、彼らが女子とそういう関係になったところを見たことがないので驚くのも無理はないかもしれない。煉獄としては昔から知る伊黒がやっと新たな境地に行ったことを嬉しく思っている。
「俺は応援するぞ。伊黒が初めて恋をした相手なんだからな」
「やめろ。恋とか言うな」
「ややこしくなってねェなら良いけどよォ……」
「問題はこいつの要らん気遣いだ。風紀を乱すなと部でも言ってたくせに」
「好きになるだけで風紀を乱すとは思ってない。学生らしい交際をすれば良いだろう」
冨岡自身好きな相手がおり、恋をしているのだからとやかく言える立場ではなく、学生の間は慎ましい付き合いであれば問題ないと言う。鱗滝もそう言っていたと呟いて、自分たちのような青少年が真っ当に感情を持つのは微笑ましいものだと言っていたとも教えてくれた。
「甘露寺が狭霧荘に遊びに来るなら自然と仲良くなれるし、うってつけだと思うが。場所を提供するくらいは協力してもらっても構わないだろう。そもそも俺や不死川先輩もよく来るのだし」
「む、う……」
何やらまだもごもごとしている伊黒は、どうにも協力を仰ぐことに気が引けるようだ。憎まれ口もきつい言葉も浴びせかけるが、伊黒は他人に迷惑をかけるのを嫌がるような性格をしている。
まあ、今日の冨岡の様子から、バレてしまったからには向こうから協力してくれるようなのだが。
*
気になる人がいる。
覗いた部活で見る格好良い姿、遊びに行った先で見る穏やかな表情。甘露寺が話しかけると優しく笑みを向けて答えてくれる様子。知り合った先輩たちは皆優しく格好良いけれど、甘露寺はひと際胸を高鳴らせる相手ができた。これが恋なのだと気づいたのは、クラスメートが照れながら仲の良い異性との出来事を語っていた時だった。
一緒にいるとどきどきして、見かけると目を離せない。会話をどうやって繋げようか悩みながら、可愛いと思ってもらいたい自分の気持ちが他の男子に向けるものとは違うと気づいた。
その会話が聞こえてしまった甘露寺は、自分の胸に手を当ててこれが恋なのかと理解した。
何度も顔を出すようになった剣道部や狭霧荘で見る一人の男子生徒のどんな姿も見ていたいと考えたこの感情が、甘露寺が憧れた恋であるのだとはっきりと自覚した。
「冨岡さんには好きな人がいるのね。今日噂してる人がいて聞こえちゃった」
今日は食堂ではなく屋上で昼食を一緒にと誘うと、少し時間を過ぎて冨岡が顔を出した。不死川はもう少ししたら来るらしいのだが、伊黒は四時間目の授業が長引いているらしく行けそうにないと返事があった。煉獄は別の友人と食べる予定があるようだ。
残念だが仕方ない。冨岡は知り合ってから専ら甘露寺が話しかけるのだが、ひっそりと甘露寺を気遣ってくれる優しい先輩だ。最近は色んな悩みを聞いてもらったりもしていた。何でも話せる友人なのである。
「……ああ、まあ。広まってるのか……」
「冨岡さんたち有名だもの。ふふ、一緒だわ! 私も好きな人ができたの! ……さ、狭霧荘にいる人なんだけど」
瞬いた冨岡の目が少し真剣味を帯びて甘露寺を見つめた。好きな人のことを伝えるだけで恥ずかしくて緊張して、甘露寺は真っ赤になった頬を押さえながら小さく悶えた。
「……い、伊黒さんのことが気になって、夜もあんまり眠れなくて」
「そうか。狭霧荘に伊黒がいない時は教えるし、遊びに来るなら連絡をくれれば大家には伝えておく」
「ほ、本当? 冨岡さん協力してくれるのね! 嬉しいっ!」
若干甘露寺の言葉尻と被り気味に喋り出された気がするが、冨岡の答えに嬉しくなって満面に笑みを浮かべた。
「俺も嬉しい。大家が俺だったらいつ来ても良いと言ってるところだ」
冨岡が大家となったら連絡など不要、いつでもアポなしで来て良いと言う。何故冨岡が喜んでいるのか理由はわからないが、表情を緩めて嬉しいことを言ってくれた。甘露寺の恋を応援してくれる人が見つかり、それが冨岡であることがとても心強い。どうやって協力を仰ごうかと悩んでいたので。
「だが俺は他に何をすれば良いのかよくわからない。役に立たないかもしれない」
「そんな。冨岡さんが応援してくれるだけで心強いもの、嬉しいわ」
「……お前ら、結構目立つんだから誤解を招くようなことすんなよォ」
屋内へと続く扉から現れた不死川は、少々口元を引き攣らせながら一言口にした。冨岡の両手で掴まれた甘露寺の左手は動かせないので彼の手の甲に右手を添えて喜んでいたら、不死川から不思議なことを言われてしまった。甘露寺と同様冨岡も疑問符を浮かべたのがわかった。
「何で急に手繋いで見つめ合ってんだよォ」
「手を……や、やだ恥ずかしいっ! 協力してくれるから嬉しくなって、」
「協力?」
二人のそばに座って眉を顰めて不思議そうにした不死川に伝えるべきかを迷ったが、冨岡と伊黒とは部活以外でも仲が良い。もしかしたら色々と教えてくれるかもしれない。
「え、ええと……私好きな人ができて……」
「……あっそォ、そりゃ良かったな。お前が協力すんのか」
「する。何ができるのかはわからないが」
「……手繋いでたくせに協力て……で、相手は聞いて良いのかァ?」
冨岡の返答が予想外だったのか、不死川は少々面食らったように目を丸くしたあと睨みつけるように冨岡を眺めた。繋いでいないと一言冨岡は言い返していたが。決意表明のように固く握り合っていただけなのだ。
「い、伊黒さん。凄く優しいの……」
ビニール袋の中からパックジュースを取り出してストローを差し、吸い込んだところで器官に入ったのか、勢い良く咳き込み不死川は涙目になっていた。大丈夫かと慌ててハンカチとポケットティッシュを渡すと、悪いと呟いてティッシュを受け取った。
「……成程なァ」
そりゃ協力したくもなる。一言呟いて不死川は口元を拭った。よくわからないが、不死川も伊黒との距離を縮めることに反対はしないでいてくれるようだ。
「まァその……頑張れよォ」
「はい! ありがとう不死川さん!」
不死川からも応援の言葉をもらい、甘露寺は気合いを入れ直して伊黒に会いに行くことを決めた。