部活見学
「甘露寺」
教室内がざわついた気がしたが、放課後はいつも騒がしいので甘露寺は特に深く考えず、鞄を肩にかけ呼びかけてきた相手の元へと駆け寄った。
最近知り合った先輩の男子生徒は愛想はなくともひっそりと優しく、今日も剣道部の見学に行く甘露寺を迎えに教室を覗いてくれた。よろしくお願いします、と頭を下げて甘露寺が挨拶をすると、ただ剣道場に連れて行くだけなのだからそこまで畏まるなと窘めてきた。
甘露寺は感情を抑えることが難しく、やりたいと感じたことを行動に移してしまうので、今回もその延長で挨拶をしただけだったのだが、冨岡にはあまりお気に召さなかったようだ。つい謝ると困ったような顔をして、謝らなくて良いと一言口にした。
「礼を言われるようなことはしてないし、謝る必要もない」
冨岡にとっては何でもないことだったようだが、甘露寺としては有難く思えることである。感じ方が違っているのでそれに対しての反応も違うのだろう。冨岡はなかなかに難しい。
「でも嬉しかったから、お礼がしたくて」
「もう聞いたから必要ない」
話を切り上げて校内を歩く冨岡を追った。一応ジャージは持ってきたのだが、剣道部はやはり体験などはできないだろうかと問いかけると、少し目を丸くして首を振った。
「道着があるから体験できたとしてもジャージは着ないだろう」
「そうでした。私ったら張り切って持ってきちゃった……」
中学の新体操部は最初ジャージを着て仮入部をしていたし、剣道部もそうなのだろうと思っていた。また勇み足で妙なことをしてしまったと羞恥を感じながら反省した。
「やる気があるようで嬉しいが」
愛想のない冨岡の口元が綻んだのを目撃し、甘露寺は内心で思いきり叫んだ。冨岡は笑うと可愛い。普段あまり表情が変わらないようだから、そこから笑顔が見えると花が咲いたかのように印象が変わる。今だって少し口元が緩んだだけだったのに、甘露寺には表情がとても柔らかく見えた。
「明日は新体操部も見に行くんです。それからバレー部と、あと家庭科部も! 美味しいもの作って食べたりしてるみたいで、楽しそうで」
「そうか」
刺繍とか裁縫とか、その辺りもやるようなのだが、やはり甘露寺は食べることに意識を持っていってしまう。料理は得意だし甘いものも作るので、しっかり勉強できれば家族にも振る舞いたい。花嫁修業にもなりそうだし。
そんな話をつらつらと聞かせ、冨岡は時折頷いたり相槌を打ってくれる。口数は多くないが甘露寺の話は聞いてくれており、それも嬉しくて剣道場までの道すがら、専ら甘露寺ばかりが話していた。
「ここだ」
「わあ、大きい……体育館と同じくらいかしら」
「そのようだ。俺が入学する前に増築して広くしたらしい」
「へええ」
剣道場の外観を見上げ、甘露寺は感嘆の声を漏らした。入り口は開け放たれており、冨岡はそのまま足を進めて入っていく。甘露寺も後ろについていくと、中には制服姿の男子生徒が複数集まっていた。
「わあ、本当にいっぱい! 皆見学の人かしら」
「道着を着てるのが部員だ」
甘露寺の声に気づいた生徒たちが一斉にこちらへ顔を向け、思わず胸を押さえて姿勢を正した。あまりに見られるので少々不安になり冨岡へ視線を向けると、女子は向こうだと指し示してくれた。
「そうなんですね。女子は私以外いないみたい」
「部員も少ないし、あまり人気がないらしい」
道着を着た女子たち数人のそばへ向かって歩き出した冨岡の後ろを追いかけ、主将らしき女子部員へ見学者だと甘露寺の背中を押して冨岡の前へと出された。驚いた顔を見せた女子部員が一斉に甘露寺へと集まってくる。どうしていいかわからず固まっていると、冨岡はそのまま男子のほうへと向かおうとした。
「えっ! と、冨岡さん、私どうしたら」
「落ち着いたら主将に聞け。興奮してるようだから」
「わ、わかりました……ええと、甘露寺蜜璃です! 剣道部の見学に来ました!」
一応他にも見て回る予定があると口にすると、全く構わないからと恭しく座布団を持ってこられた。恐縮しながら腰を下ろし、周りに女子部員が輪を作って座り込む。
「甘露寺さんだね、剣道はやってたの? 女子は皆堅苦しいとか臭いとか言ってなかなか入ってくれないから見学だけでも嬉しいよー!」
「冨岡くんと仲良いの!? もしかして彼女?」
「ま、まさか! 剣道場の場所がわからなくて、連れてきてもらったんです」
羨むような微笑ましいような視線を向けられても、甘露寺としても知り合ったばかり、仲良くなりたいとは思っているが、まだまだ知人の域を出ない。剣道に興味を持ち女子剣道部があると聞き、見学できると聞いて来たと言うと、女子部員たちは歓声を上げてガッツポーズをしていた。冨岡が消えていった先に向かって土下座せんばかりに頭を下げて礼を叫んでいる。そんなに歓迎されるとは思っていなかったが、戸惑ったものの甘露寺は嬉しく感じていた。
「先に男子団体レギュラーの手合わせやるみたいだから、そっち見ようか。強いから見応えあるよ。参考にはならないけどね」
「実力違いすぎますしね。何したかわかんないとかよくある」
「へええ、そんなに強いんですね」
きょとんとした女子部員は知らないで来たのかと珍しそうに甘露寺を見つめ、三人固まって話をしている男子部員を指して教えてくれた。
「あの怖そうな人が主将の不死川くんで、隣の小柄な人が伊黒くん。派手な頭してるのが煉獄くん。で、副主将の冨岡くん。あの四人が出る団体戦で今のところ敵なしだよ」
敵なし。甘露寺は驚愕にあんぐりと口を開けた。彼らが出場した団体戦では負けを見ていないらしい。そんなに強いなんて冨岡は言わなかった。教えてくれれば良かったのに。
個人戦にも出たり出なかったりとしているが、大抵四人が当たり合って勝ったり負けたりを繰り返している。主将と副主将を決める時顧問は案外世話焼きな不死川を主将に据え、冨岡と伊黒に話し合って副主将を決めるよう言った。そうしたら数日後、果てしなく不本意そうな顔をした冨岡が副主将をやると申し出たらしい。恐らく伊黒にネチネチと言いくるめられてやらされたのだろう、と女子部員は笑っていた。
「たまにあの四人目当てに女子剣道部に来る子もいるけど、あっちの練習だけ見て来なくなるしね。客寄せしてほしいけど男目当ての子は嫌だよね」
「練習しないですからね。いくら弱くてもこっちは大会目指してるのに!」
憤慨しながら女子部員は唇を尖らせている。甘露寺は大変なのだなあ、と感じながら部員たちを眺めた。
伊黒は前に狭霧荘で少し見たことがある。話したことはないのだが、狭霧荘では冨岡も宇髄も優しかったし仲良くなりたいと思っている。伊黒とも仲良くなれれば良いのだが。
やがて道着を着た冨岡が戻ってきて、顧問だという教師が団体戦出場メンバーたちへ声をかけ始めた。制服姿の見学者たちは期待に満ち溢れた目を向けて正座しており、女子部員たちも姿勢を正して彼らのほうへ体を向けた。甘露寺も倣って正座で眺める。
「何かそわそわしてねェか」
「別に、何でもない」
少し静かになったからか話し声が聞こえる。結局二回練習試合がされるそうで、まずは煉獄と伊黒、そしてその後に冨岡と不死川が手合わせをするようだ。
甘露寺は目の前で行われた試合に釘付けになった。伊黒は手数の多さで見ているだけで翻弄されそうになったし、煉獄は一太刀に勢いと力強さがあった。不死川は暴風のように速い攻撃を繰り出して、それを受け流して綺麗な攻撃でやり返す冨岡と目まぐるしく攻防が入れ替わって目が忙しい。剣道のルールはよくわからないけれど、素人である甘露寺の目から見ても彼らが高い実力を持っていることはわかる。女子部員たちもひっそりとはしゃいでいた。
「……凄いっ! 剣道ってこんなに凄いんですね!」
騒がしい道場内に甘露寺の声も響き、女子部員は嬉しそうに笑いかけた。女子は殆ど初心者からで、見応えがあるのは男子だけだと少々恥ずかしそうにしている。
「格好良いわ! 私もやってみたい!」
「乗り気だ、嬉しいなあ。じゃあ道着着てみる? 予備があるし防具もつけてみようよ」
手を引かれて立ち上がり、甘露寺は大きく頷いて喜んだ。更衣室まで行って女子部員たちに道着を着させてもらい、道場の隅で竹刀を手渡された。初めて触る竹刀にわくわくして止まらない。持ち方を教わり手本を見せた女子部員と同じように竹刀を振るってみる。わかっていたがさすがにあの四人が見せてくれた時と同じようには行かなかった。
へっぴり腰になっていないか、竹刀を振った腕は格好悪くなかったか。自分ではわからず甘露寺は恥ずかしくなり誤魔化すように笑った。驚いたような顔をした女子部員を不思議そうに見つめると、男子の集まる方向から誰かが走ってくるのが視界の端に映り込んだ。
「きみは経験者か!?」
「ひゃあ! え、私は初心者です……」
口元は大きく笑っていたが目が真剣さを持っていた。煉獄から突然話しかけられた甘露寺は狼狽えながら女子部員へ助けを求めるように視線を送った。困っているのか嬉しそうなのか判別しづらい表情をしている。
「そうか、今の素振りはとても良かった! 慣れない者は竹刀を振るう力加減もできていなかったりするからな。練習して覚えていくものだが」
「そうなんですね。新体操部でリボンやクラブを使ってたからかも……」
あとは単純に腕力があるからだが、さすがに初対面で言うのは少し恥ずかしい。甘露寺は昔から力が強く、男子と比較しても負けず劣らずの測定値を出すことがあった。何だか女の子らしくない気がしてあまり嬉しくはなかったが。
「成程な。見学に来るくらいなら新体操部には入らず剣道部に入るということで良いのか?」
「あ、ええと、まだ他にも見に行きたい部があって……」
「そうか、きみが剣道部に入ってくれたらきっと強くなると思うが!」
「煉獄」
駆け寄ってきた冨岡が煉獄の襟首を掴んで引きずりながらその場から戻ろうとした。どうやら主将の不死川から止めてこいと言われたらしい。
「何故だ! 先輩も見てただろう、筋も良く彼女が入れば部は強くなるぞ!」
「それは甘露寺が決めることだし、第一お前は男子剣道部だ。あまり関係ない」
「人口が増えるなら男女差など些細なことだし、何より俺は強くなった甘露寺と手合わせしてみたい!」
「入部したら頼め。今日は見学者だ」
片手で無理やり引きずって行かれる悲しそうな煉獄を見送り、甘露寺はどうしていいかわからなくなった。先程まで凄い試合をしていた人からあんなに強く勧誘されるとは思わず、少々照れてしまい頬を染めた。
「ひと通り先に言われちゃった……けど、煉獄くんの言うとおり、凄く素質あると思うよ。私たちより強くなりそう。もし本当に良かったら、剣道部是非入ってほしいな」
「あ、ありがとうございます。でもすぐには決められなくて」
「勿論他に入りたい部があるなら引き止めないから。凄く残念ではあるけど」
大会で勝利をもぎ取れるかもしれない。女子部は大会では一度も勝ったことがないらしく、敗退した後は男子部の応援に集中するのだそうだ。甘露寺の良心がちくちくと突き刺さり、困り果てて俯いた。
「あ、本当に気にしないでね。もし良かったらだから。もう少し体験してみない?」
「はい。ありがとうございます!」
気を遣わせてしまった女子部員は明るく話しかけ、甘露寺も一先ず考えることは置いておいて、剣道を楽しむことにした。防具をつけてみたり、余った時間は男子の練習を見たり、優しい部員たちに囲まれて楽しい時間になった。今まで剣道に関わることがなかったが、こんなに楽しいとは思っておらず、もっと早く気づけば良かったと思うほどだ。
着替えをして女子部員たちと会話をしながら更衣室を出ると、剣道場の入り口から出ていこうとする冨岡たちを見つけた。女子部員たちに頭を下げ、今日の礼を伝えようと慌てて駆け寄った。
「冨岡さん! 今日は連れてきてくれてありがとうございました!」
「通り道に甘露寺がいただけだ」
「気にするなって意味だァ」
翻訳のように呟いた不死川の言葉の意味は、甘露寺にも何となくわかった。冨岡が優しいことは出会った時からわかっているし、話すのが得意ではないらしいということも何となく理解できた。優しい意味合いの込められた言葉に甘露寺はやはり礼を言い、冨岡は困ったように眉を顰めた。
「家庭科部は明日行ってきます! 場所は帰ったらチラシを確認して、」
「家庭科室なら二階だ」
「あっ。ありがとうございます……」
何だか場所を教えてもらいたくて口にしたように聞こえてしまったのではないだろうか。少々恥ずかしくなり甘露寺は眉尻を下げたまま笑みを見せた。
彼らは途中まで帰り道が一緒で、十字路のところでいつも別れるらしい。甘露寺は校門から違う方向へと帰るので彼らとは帰れない。少し残念に思いながらも四人に手を振って別れ、楽しかったと振り返りながら甘露寺は足取り軽く帰路を歩いた。
*
「……冨岡。先程の女子のことだが」
不死川と煉獄と別れ、冨岡と並んで歩いていた帰り道。意を決して口を開いて紡いだ言葉に冨岡は不思議そうに首を傾げた。
狭霧荘では会話をする間もなく去っていったが、今日は剣道部の見学にまさかの冨岡が連れてきていた。男子部員からひっそりと彼女かと疑う声が漏れていたことは、冨岡は気づいていなかった。
「確かぶつかって詫びに来たとか聞いてたが、今日も連れてくるとは思わなかった」
「その詫びに来た日に剣道部を見に行くと言ってた」
剣道場を出る時にも言っていたとおり、移動教室で戻るついでに甘露寺の教室を通り、そのまま剣道場に直行すると約束したのだろう。確かにこいつならば頼めば嫌とは言わないだろうが、それにしたって女子とは殆ど話していなかったはずだった。やはり、いやまさかこいつに限って、しかしあの言葉は、と伊黒の脳内は目まぐるしく思考が渦巻いていた。
「貴様の好きな人とやらが彼女か?」
「いや。この間が初対面だ」
謝罪は必要ないと言ったものの、楽しそうに話しかけてくるのは好感を持っているらしく、良い子だとも思っているらしい。友人になれるかもしれないと少々嬉しそうだ。
「友人……そうか。なら……」
「………」
不思議そうにしたあと何かを察したように目を瞬き、剣道部に入ると良いなと伊黒に言った。言葉を失い伊黒は内心かなり狼狽えたが、とりあえず黙って歩き続けた。
伊黒に向けた笑顔は弾けんばかりに楽しそうで、目が覚めるような気分だった。この世にこんな可愛い女子がいるものなのかと驚愕したほどだった。また狭霧荘にも遊びに来てくれれば、会話をする機会もできるかもしれない。剣道部に入ってくれれば自然に接点も増えるかもしれない。むしろ後輩なのだから学校でも様子を見るのはおかしいことではない気もする。いや、やはりよく知らない相手から話しかけられるのは気持ち悪がられる可能性が大いにある。伊黒とて見ず知らずの女子生徒からなど話しかけられても気分は良くない。
ああ、どうしよう。仲良くなりたいがそんな気持ちで相手と距離を詰めるなどしたことがないからわからない。偶然知り合った冨岡が羨ましくて仕方がなかった。